Entry1
セルミージスペン(なんだばかやろう)
サヌキマオ
「兄貴ィ! 今帰ったど!」
クーラーもないワンルームに弟分と二人暮らし。開け放たれた玄関から八月の路地裏の灼けたアスファルトのにおいが運ばれてくる。
「ご苦労! どうじゃった試験は」
「試験いうか面接じゃて」汗で張り付いたリクルートスーツを体から引き剥がすと、鍛え抜かれた肉体から牡の芳臭が立ち上る。蒸れたボクサーブリーフから見えるような熱気を立てて風呂場に駆け込めば、ようやくの水シャワーに生きた心地がする。
「ほうじゃ、兄貴にも考えてもらいたいんじゃが」シャワーに負けまいと胴間声が響く。
「そんなん上がってからにせいや」素麺が茹で上がる。水道水で手早く冷やすと一ガロンのプロテインのボトルの横に置かれる。
「面接官が『このボールペンを一万円で私に売ってください』云いよるん。ああ、そういうテストじゃ。面接官が持っていたのんを渡されてな」
「面接官たらなんじゃ、男か」
「ほうじゃ」
「どんなよ」
「そこまでではないが、セルフのジムで鍛えてそうな体つきはしとった」
「顔は」
「坊ちゃん刈りいうか、マッシュルームで女に興味がないみたいな顔をして、やることきっちりやってるような顔や」
「ほーん、ほだらお前の趣味でないっちゅうこっちゃな」
「なんじゃ兄貴、妬いとるのか?」
「そんなわけあるかぁ、お前が俺を裏切るとは一ミリも思っとらん」
「焦るな焦るな、わしゃ兄貴のそういうところが可愛いと思っとる」
「止せぇ」
長いキス。そうめんと交互に飲んでいるプロテインのカカオ味がする。
「ほいで、なんだったかの」
「ボールペンを売る話じゃ……いや、答えは今更どうでもええわい。兄貴だったらどういう答えだったら『納得がいく』かのう?」
「そらお前の売るものだったら一万でも十万でも」
「そういうのはええから……」
兄貴はしばし頭上を見上げて考えるが思いつく様子もない。玉のような汗が一斉に流れ出してくる。風景が歪む。
「わっからあん……まぁ強いていえば、このペンを一万円で買うてくれたら、あとで二万円差し上げます、っちゅうくらいかのう」
「なるほど、それならば向こうさんは得するしかないからの。売れんわけがないわい。さすが兄貴じゃ」
「なんだったらそれからしらばっくれてもええ……もしも追ってきたら絞め殺す!」
「筋肉で絞め殺す!」
「そこまでだ! 筋肉の悪用は筋肉法で禁じられている!」
こうしてふたりは逮捕されたわけだが、拘置所の中は涼しくて助かる。