藁打つ音は村に響き、
雁か
音は遠く田の面に聞こえ、夜色陰々として汀の蘆の枯葉、風に
騒然と鳴り、池の小浪の岸打つ音も淋しげに四面の森林陰鬱たる寺が
廻の池の堤伝いに黒き影は現れ出ぬ。
人か人にしては影小なり、犬か犬にしては影大なり。
彼の黒き影は堤の中程まで来りしが動かずなりぬ、
暫時ありて彼の黒き影は再び動きて此度は樋の桁木を危なげに渡りぬ、その時突然水音立てて水鳥の一二羽飛び去れり。此音にや驚きけん彼の影は
啊と叫びしが尚去らんともせざりき。
深山颪颯と吹き来りて蘆の枯葉は一層騒然と鳴り小浪は音高く岸をうちぬ。
怪しき黒き影より
詢呟ごとき声は起これり其声は
愈々高く聞えぬ。
父にあいたや、あいたやな、ととはござらで、浪がたつ、其の調べは幼げに悲しげに咽びつつ歌われたり。
再三再四
或は低く
或は高く
或は悲しげに
或は哀れげに淋しげに幼な声の歌は繰り返されぬ。
黒き影は再び堤に上れり、されど尚幼なき声は繰り返されつつ、去るに非らず、行くに非らず、黒き影は堤を行きつ、帰りつ
或は暫し留まりつつありしが、何か見出せしかの如く、速かに桁の上を渡りぬ。
歌うが如き其の声は遂に会話の如き調と変われり。
父サン御前は何んで鉄を連れて行て呉れぬ、己らは何時も来るのに、ナー父サン鉄も其所へ行きたい。
夜は愈々更け渡り田の面に飛ぶ鴨の羽搔も淋しげに森続きには野孤の叫びの聴えぬ。
尚お黒き影の会話は続けられぬ。
父サン内の母サンハ、ナー 森の下の吉さんと二人して己らをいじめて、己らを毎晩馬屋の二階で寝させて ソイカラ母サンは酒ばかり飲んで、甘いもの飲食て、己らには菜糊ばかり食わして………なー、母サンは吉さんを泊まらして、火燵で寝て蒲団はアノそれ御前が大事にして何日も御客さんのだと言ッたナー、あれを着て 父サン………己らはムムシロのなかで寝る……………。
幼なき声はむせびつつありしが
茲に至り断絶せり。
稍々ありて会話は又起りぬ。
父サン其イダから己らは、御前の所へ行きたい、御前はなんで独り、し死んだ、己らは何んで死なして呉れん、父サン頼むから己らも一所に連て行てよ、己ら内へ帰るのはいやだ、己ら吉さん大嫌いだ、今朝も己らに吉さんて言うな、父さんて言えと言ッた、言わぬと己らを撲ッたから、母さんに言うたら、母さんまでが、吉さんて言うなと言った、母さんも御前が此池へ陥ッてから、畏イ母さんになった、其イだから己ら母さんも吉さんも嫌いだ、己ら父さんが一ばん好きだ、だから父さん己らも其所へ行かして呉れ、己ら今行くから、ヨウ…………
折しも村には
或は近く
或は遠く鉦の音響きて『鉄ヤー、鉄さんヤー』と聞えけり。
樋の上の黒き影は、
父サン、と
一こえ高く叫ぶや否や、
渹然と響きたる水音は聴こえつ、其の後は絶えて黒き影も物の音も聴こえずなりぬ。