十重二十重の山脈を越えて、鉄道一本通らぬこの静かな城下町にまで、不景気の風が押し寄せて来た。洗湯の湯気にも、床屋の火鉢にも、灰色な不景気話が囁かれるのであった。
様子の悪い外国米小売の看板が、彼方此方と殖えて、低く垂れた黄昏の空を髪乱れた女房の小風呂敷をかかえて、その軒下を小走りに出入するのも、荒れ果てた世界の片端を突きつけられるように、寂しく惨めな光景であった。
こっそり買い込んで来た一袋の南京米を、主人は注意深く土蔵の中へ持ち込んだ。下女に手伝わせて袋の口糸をチョッキリ鋏んだ。莚の上にどっところがすと、うす暗い土蔵の中に、南京米は白くひろがった。その刹那主人は、南京米の臭気ともいうような一種の香に触れて、この一袋を食い尽さぬうち、誰彼に感づかれるような気がした。おそろしい物のように、主人は袋をば深く隠してしまった。
「兎に角、家族が多いんだから、出来る限りは辛抱せんければならんよ。外米は安い上に殖えるし、往って来ての違いだよ。別に体の害になるものじゃないしな。祖母さんに知られては大騒ぎになるから、四升炊くなら、一升でも一升五合でも混じえて炊けばいいんだ」
夜になって誰もいない時分を見て、主人は細君に説ききかせたりした。そしてその炊き方についても、彼方此方から聞いて来たことを、かきつまんで話した。別に食うに困っての切り詰めでもなし、細君にはむしろいい事に考えられた。
「けれど祖母さんに感づかれると、騒がれますよ。子供達なら奈何したって知るまいけれど」
「下女によく話して置いたらいいよ」
主人も細君も幾らか気遣っていた。最初のご飯は案外上出来で、少しこわ目のを好きな老母さんには、もって来いという工合だった。却って知っている主人や細君や下女達は、気まずくお箸でつついて食べたけれど。
下女は毎日、土蔵から南京米を計って来ては、主人と細君は南京米の減ってゆくだけ、家の財産がありありと延びて行くような気がした。
「なんでもありませんが。な」
「少しぼろぼろする位で結構だよ。一袋食べると何んぼという利益なんだから」
体にいい話を聞いたり、経済的なことを思ったりして、主人はこれまでも幾度か、半搗米や麦飯を食べることを勧めたのだけれど、
「あと何年生きるものじゃなし、あたりまえの白い米を食べさして呉れ」
いつも祖母は言い言いするので、主人もこれには二の口が出なかった。
今度は「これは一番いいわい」と、ひそかに笑みを洩らしていた。
お隣のお婆さんがお茶のみに来て、不景気の話をはじめると、祖母さんは得意になってやり出した。
「わたしの家なんぞ、不景気じゃ言っても、麦飯食う訳じゃなし、臭い南京米を食う訳じゃなし……」
主人はかげでくすぐったい苦しさのなかから「知らぬが仏様じゃ」と、ほほえんだ。
しかし何うも気持はさっぱりしなかった。
(大正四年五月号「秀才文壇」)