■ Entry1
長編小説(途中まで)おんどさん
感想:「長編小説(途中まで)」
「聖書」うまいんだよなー。ここでスッとでてくるあたりの言語センスはものすごい。「にゃ~とりと玉子」もいい。
お放しは……最近は勢いがなくなっちまってな、今度介助の手を使ってみようと思うんだ……介助だってのに艶めかしい動きをしちゃったりなんかして。
「みぎがわのはやしくん」
はやしくんと語り手の容姿や性別について触れられていないので、読者の脳内では勝手な「はやしくん」が生成されてくる。面長で髪の毛のボサボサとした高身長の青年が出力されてくる。たぶん学ランを着ている。
小説の読みなんぞそれでいいのだとは思っているが、特に明確なヒントはないのに語り手は女性だろうと解釈している。これもなんでだろうな。しばらく読み返していたが「じゃあ、いこ」が女性なんだろうと思った。いや、リアルではおっさんも「じゃあ、いこ」って云うんだけどなあ。なんなんだろうなあ。
「二条河原三角野郎伝説」
AIよやれるものならやってみよ、と介助がいるかも知れない書き手がのたうち回るとこういうものができるのであった。
なお、次回作(今月)はAIを部分的に関与させてみたが、あんまりクオリテイに差が生まれなかったなあと思っている。
にせちんちんネタは十数年の間持て余していたがようやく作品に消化できたので三角野郎はえらいと思った。
「ゲームの趣味人」
ちょっとよくわからなかった。最後の脳梗塞がどうフックになっているのか、眼の前の"ショウ"が単なる(語り手への)視覚情報以上になっていないところも含め、全部架空なのか、脳梗塞だけがリアルなのか、読者としてはどこにも踏み込みにくい作品となっている。
「マグダラの秤」
世界観は違えど、選曲がどう動くかわからない空気感はSPYxFAMILYを思わせる。ただなんだ、そういう「不安」と不安を引き起こさせるキー(物価の高騰とか)をAIが学んでいるのだとしたら、一般論としての不安のトリガーは学べているということになる。が、一般論以上ではないのでやはり風景が平坦になってしまう。
「郷愁」
「水色のキャベツ」が目を引く。みずみずしくて新鮮な様子をして「水色のキャベツ」ときた。使ってみよう……とはならないんだけど。
なんにせよ、夏の鮮やかさと淀んだ心象風景を対比させようとしているんだな。こういうテクニックなんだな。
投票者: このバトルへの参加作者
感想:今回は悩みました。何というか感想が書きにくいってものあって。
参加作者さん全感想いきます。
「長編小説(途中まで)」 おんどさん
私小説、歴史小説、官能小説、推理小説、恋愛小説など、小説という名詞を分類する「タイトル」によって、小説というものの見栄えも中身も変わってくるように見えるのは、そもそも小説という「タイトル」だけでは、何も語れていないということなのではないか、と仮定してみました。
ならば「小説」というのは、他の何かを媒介として初めて「小説」という体裁を持つことができる、自由な形式なのではないか。分類を伴わない「これは小説です」という主張は、一見成立しているようで、いわば自己参照を起こしているかもしれない。それを回避するのは、「小説ではないもの」ではないもの、という、らせん階段で一周して、元の位置の上か下に戻ってくる運動なのではないか、と思います。
それはさておき、1000字目を「あなたほど勢いよくおしっこは飛ば」で終わらせるテクニックに、思わずニヤ
「二条河原三角野郎伝説」 サヌキマオさん
そういや三角野郎って小さいころから聞き覚えがあるのに、それが何なのかを考えたこともなかったな、と思ったわけですが、やはりちんちんと言えば、いま話題の道鏡ですね。「道鏡は座れば膝が三つあり」って、称徳天皇はいったいナニを寵愛したのでしょうか。やっぱりソコはガバガ、もといガバナンスに問題があったと見るべきでしょうか。
野郎があと二人いて、その名前の付け方に何か意図とか規則性とかが隠されているんじゃないかと考えていたら、ここでも「タイトル」とか「ラベル」の話になりそうで、もしかしたら「小説」というものは「ラベル」と「中身」の作り方が関係しているのでは、と迷宮に一歩踏み込んでしまった心持がします。
それはさておき、実際の京都の風俗や習俗を読んでいるような気にさせられて、あれこれググってしまいました。なんだ、全部創作なのか、と楽しくだまし討ちを食らった気分です。江戸言葉ってリズムがあっていいですね。
「ゲームの趣味人」 ごんぱちさん
趣味人と銘打っておきながら、やろうとしていることが下衆い。しかも、まだゲームの入り口にたどり着いただけだという。それが証拠に手渡されたのはシャンパンでもブランデーでもないペットボトルの「おーいお茶」という冷遇ぶり。あたかも文化人のような仮面をかぶって、「小さい頃から、憧れていた」という「駆け引きや騙し合い」を見るためだけに事業を拡大する下衆さの源泉は、いったい何なんだろうか。そもそもデスゲームにグレードがあって数十年も続いているらしいことにも驚かされるし、下衆から巻き上げる側のプロの下衆が存在する世界でそれを成立させてきた権力あるいは財力というのか、これはやっぱりディープステートとか、そっちの世界の話なんだろうなあ。
というわけで、自分自身が「小説とはなにか」という解けない問いを抱えて生きてきたってものあって、おんどさんに一票。
投票者: このバトルへの参加作者