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3000字小説バトル

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3000字小説バトルstage3
第47回バトル 作品

参加作品一覧

(2019年 6月)
文字数
1
サヌキマオ
3000
2
渡辺温
3094

結果発表

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サヌキマオ

 じいさんはかすかに聞こえる赤子のような声を耳にするとガバと跳ね起きました。しまった! の声を残して外に転がり出ますと、はるか上空から声がする。
「屋根の上か!」
 こんな夜更けにはしごを出して、足を滑らせようものならばたまりません。曇っているのでしょう、空に星ひとつ見えません。灯りをもって出てきたばあさんを押し止めると、中に戻って朝からの算段を立て始めました。
 鳴き声は、かすかに聞こえます。

 元はといえば半年ほど前のことです。いつものようにじいさんは山で柴を刈り、ばあさんは川に洗濯に出かけました。ばあさんが洗濯をしていると、川上から一抱えもある巨きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。じいさんへのいい土産になると思った婆さんは、洗濯物そっちのけで桃を抱えて家に運びました。
 夜になり、帰ってきたじいさんと桃を食べると種がごとごとと動きます。なんだか気味が悪かったものの、物好きの血が騒いだじいさんが種をこじ開けますと、中から玉のような男の赤ん坊が出てきて盛大に産声を上げました。子供のいなかったじいさんとばあさんの喜ばないことか、すっかり自分の子供にしてしまいまして「桃太郎」と名付けて大事に育てました。桃太郎は尋常でない早さですくすくと育ち、一月も経つ頃には立派な青年になっていました。
「あれが失敗じゃった」後にじいさんが囲碁仲間に語った話です。「子供がおらなんだで、まぁ大きゅうなるのも飯を食うのも世間様並みと思っていたがとんでもない、普通のこどもの十倍も廿倍も飯を食う子供だったんじゃ」
 おかげでじいさんの柴刈りだけでは食っていけず、家にあっためぼしいものを売り払っては桃太郎に食わせました。大きくなった桃太郎がそのままじいさんばあさんの手伝いをすればよかったのですが、ある気分の良い朝、桃太郎が妙にかしこまった様子で「私はこれから世間にはびこる鬼を退治しに鬼ヶ島に参りとうございます」と言うのでした。
「桃太郎や、鬼というのはなんなんだい」
「赤や青の肌をして、角を生やしたむくつけき大男どもです。彼らは自分で働いて稼ぐことをせず、近隣の村々を襲っては財宝や食い物を奪って生計を立てています」
 それはお前だ、と言いたいところをぐっと飲み込んで、じいさんは優しく諭しました。
「そんなもの、この村では似たことでもないんじゃがね」
「都では、大変なことになっているのです。私がこうして生まれたのも、この鬼を退治するために違いありません」
 桃太郎があまりにも真っ直ぐな目でそういうので、じいさんはそら寒さを覚えました。しかし、ばあさんはにっこりとして桃太郎を応援するのです。
「まあ、桃太郎もこんなに立派に育ったのですから、世のため人のためになることをさせたらよろしいじゃあありませんか」
 あんまりにもそう言うものですから、じいさんもそんな気になって衣服を揃えました。陣羽織、手甲脚絆、日本一の桃太郎の幟……揃えたものを着せてみると馬子にも衣装、なかなかの偉丈夫です。もしかすると、ことによっては本当に鬼とやらを退治してくれるのかもしれない。村の人々の好奇の目に晒されながら、桃太郎は峠道をずしずしと歩き、やがて見えなくなりました。

「あれ、おじいさん、おじいさん」
「なんだいばあさん」
「昨日拾ってきた桃の種が見当たらないんですが、なにかご存知ありませんか」
「あれか。ばあさんには非常に言い難い話なんじゃが、今朝になって動かんようになってしまってな、嫌な予感がして開いてみたら、すでに死んでおった」
「あれまぁ」
「大変に悔やまれることじゃが、こんなものをお前に見せるのも忍びないと思ってほれ、裏庭の道祖神様の裏に埋めてしまった」
「そうですが。大変に可愛そうなことをしました」
 嘘でした。ばあさんがまた拾ってきた桃の種は元気よく蠢いていましたが、まだ夜の明けやらぬうちに川に投げ捨ててきたのです。
 あれだけ食わせて、あれだけ面倒を見て、「鬼退治です」と奴は出ていってしまった。
 同じようなものが生まれてみろ。
 山の中、独りごちながら振る鉈にも力が籠もります。ふと、耳の端でがさごそと葉の触れる音がする。すわ熊か! と緊張して木の陰に隠れますと、鬱蒼とした森の中でひときわ輝く紅色の――桃です。桃が歩いていました。桃に鳥の、鶏のような足が生えて、根の張り巡らされた獣道を器用に歩いている。
 じいさんはあっけにとられていましたが、とたんに全て合点がいきました。やつらは、桃のようななにかは、ああやって自分が居候できる場所を探しているのです。じいさんはたまらずに桃のあとを追いかけました。桃は迷いなくじいさんの家のほうに向かって歩いていくのでした。このまま山を下りると家の裏側に出ます。家の裏側は少し開けていて、申し訳程度のたばこ畑がある。
 狙うならここしか無いと思いました。桃が森陰から日向に出たところを見計らって、渾身の力を込めて振りかぶった鉈を投げつけます。鉈は狙い過たず桃を直撃して、瑞々しい実をえぐり取りました。ケーッと一声上げた桃はあたりを見回していましたが、やがて背後のじいさんに気がつくと一目散に逃げていきました。
 それからというもの、桃の襲来が始まったのでした。
 日が傾いて山の陰に隠れ始めると、裏山の方からひたひたと桃が家に向かって走り寄ってくるのです。初めはただただ怖がっていたばあさんも、仕留めた桃の皮が染料として使えることがわかると、しまってあった弓矢を取り出して訓練をし始めました。昔取った杵柄とはいえ、ばらばらと襲い来る桃を芯で撃ち抜くさまにはじいさんもすっかり惚れ直しました。
 習性がわかればこっちのものです。じいさんとばあさんは毎夕毎夕桃を殺して暮らしました。桃から子どもが生まれてくることだけは、あってはならぬことでした。その子どもを殺すようなところを他の村人に見られてしまっては、じいさんばあさんがこの集落にいられません。
 そんな矢先でした。
 おそらく、桃が跳んだのでしょう。
 桃は夕方にしか現れないと高をくくったじいさんに落ち度がありましたし、桃のような畜生は経験から学ばないと思っていたところも愚かでした。
 話は冒頭に戻ります。
 微かに屋根の上から降ってくる泣き声を聴きながら、眠るような眠らないようなようすでいますと、隣に寝ていたばあさんがむくりと起き上がりました。
「駄目だおじいさん、あたしは莫迦かもしれないが、泣いている子どもを放っておくわけには行かねえだ」
 もう夜もしらじら明けるところでしたので、ではいっちょう、と物置からはしごを出して藁葺の屋根にかけました。
 ひっそりとしていて、登るはしごの軋む音だけが聞こえます。
「どうですかおじいさん」
「ううん、猫だ」
 藁葺の落ちて固まったところに、大きな親猫の腹に三匹の猫が顔を突っ込んでいるのが見えました。
「猫ですか、猫なら良かった」
「良かったというかなぁ」
 急に朝日が眩しいので振り返ります。村の中心に続く道が見えて、じいさんはふと、身じろぎもしなくなりました。ばあさんは不安になって声をかけます。
「どうしましたかぁ」
「大変だ」
 朝の静けさを破って、車輪のがらがらいう音が聞こえてきます。
「桃太郎じゃ! 桃太郎が帰ってきた」
 桃太郎が持ち帰ってきた金銀財宝で、その後幸せに暮らしたかというと、そうでもなさそう。
桃 サヌキマオ

父を失う話
今月のゲスト:渡辺温

 こないだの朝、私が眼をさますと、枕もとの鏡付の洗面台で、父は久しい間に蓄えた髭を剃り落としていた。そよ風が窓から窓帷カーテンをゆすって流れ込んで、そして新鮮な朝日のかげは青々と鏡の中の父の顔に漲っていた。
 おもてで小鳥が啼いた。
「お父さん、いいお天気だね」と私は父へ呼びかけた。
「上天気だ! 早くお起き。今日はお父さんが港へ船を見物に連れて行ってやる」と父は髭の最後の部分を丁寧に剃り落しながら云うのだった。
「ほんと? 素敵だな!……」私は嬉しくてたまらなくなった。それから何気なくきいてみた。
「お父さん、何だって髭を剃っちまったんだね?」
「髭がないとお父さんみたいじゃないだろう。どうだ?……」と父はくるっと振向いて私を見たが、その次に細い舌をぺろりと出して眉根を寄せてみせた。
「どうしたのさ?!」
「こうなれば、ちよっとお父さんみたいじゃなくなるだろう。……今日お前を連れて遊びに行ったところで、お前を捨ててしまうつもりなんだよ。うまく考えたもんだろう……」
 父はそう云って笑った。
「嘘だい!」と私は寝床の上へ身を起しながらびっくりして叫んだ。
 さて、父にせかれて仕立下ろしのフランネルの衣物に着換えた私は、これも今日はじめて見るにおい高い新しい麦わら帽子をかぶって、赤色のネクタイを結んだ父と連れだって家を出た。
 はつ夏の早い朝の空は藍と薔薇色とのだんだらに染まって、その下の町並の家々は、大方未だひっそりとして眠っていた。
 停車場へ行く人気のない大通りを父はステッキを振りまわしながら歩いた。
「誰にも出遇わなくて幸だ」と父は独言を云った。
「なぜ?」と私はきいた。
 父は返事をしなかった。
 だが、その代りに父はまた独言を云った。
「ほんとにいやな息子だ。十ちがいの親子だなんて! ああ俺も倦き倦きしたよ」
「なぜ!」私は父の顔をのぞき込んできいた。
 父は、併し、私の声が聞こえなかったものか、黙ってにやにや笑っていた。
 私は悲しくなって、父の腕に私の腕をからませた。ところが父はそれを邪慳に振り払った。そして声だけは殊の外やさしくこう窘めた。
「およしよ。君と僕とが兄弟だと思われても、また、困るからね。およしよ」
 私は赤色がかったネクタイを結んで、髭がなくて俄かにのっぺりとしてしまった父の顔に、性の悪い支那人のような表情をみとめた。
 汽車に乗ってからは、父は窓の外を走っている町端れの景色の方へ向いて、「ヤングマンスファンシイ」の口笛なんかを吹き鳴らしていた。そして私に対しては一層冷淡な態度をとった。
「ね、港へ船見に行くの?……」と私は不安な気持できいた。
「うん。船に乗るかも知れない……」
 父はそう返事しながら、胸のかくしからあらい紫の格子のある派手なハンカチと一緒に大きな鼈甲縁の眼鏡をとり出すと、それをそのハンカチでちよっと拭いて悪くもない眼へ掛けた。コティの香水の匂がハンカチからむせ返る程ふりまかれた。
「港の眺め程ロマンチックなものはないと思うよ」と父は云った。
「お父さん。どうして、そんな眼鏡かけんの?」私は父の不似合な顔の様子を気にかけて、そうたずねた。
 すると父はひどく慍った。
「お父さんだって? 莫迦だな、君は!……僕がどうして君のお父さんなもんか! もしも、も一度そんな下らない間違いをすると、なぐるぞ!」
「………………」
 私はそこで、不意に、本当にこの支那人のような顔をした男は、父ではないような気がしだした。
 私は眼をさました時に、大きな見まちがいをしてしまったのかも知れないと思い返してみた。私は父と子との関係について――父なぞと云う存在が私にとって果してどれ程密接な関係に置かれているものか――しかも、私の父は、私とはたった十年とおしかちがいはないのだが――それらがみんな今更大きな誤りだったように思われて……私はだんだん、したたか酔っぱらってしまった時のように、信じ得べき存在はただ自分一個だけになって途方に暮れた。
「君、そんな蒼い顔しちゃいやだよ。……泣きっ面なんかしてると汽車の中へ置いてきぼりにしちゃうから!」父はまたずけずけとそう云ったが、それでも直ぐ機嫌をとるようにつけ加えた。
「嘘だよ。そんな悪いことをするもんか。それどころか。僕は君に送って来てもらって本当に喜んでいるんだよ」
 父はそして声をたてて笑った。
 私は、今日こんな風にうっかりと出かけて来たことを悔みながら窓外の爽かな田園の風光が、愁しい泪の中に消えて行くのを見守っているより仕方もなかった。
 港の停車場に着くと、父は車夫を呼んでチェッキで大きな赤革のスートケースを二つも受け取らせた。そのスートケースの一つと共に車に乗って波止場へ向う道々、私は何時の間に父がこんな大きな荷物を持ち出したものかと思い迷った。そしてそれについていた名札をあらためてみたが、一字も書き込まれてはいなかった。
 すぐ前を走っている車の上から父は新しい夏帽子の縁に手をかけて時々うしろを振返ってみては、どう云うつもりか、鼈甲縁の眼鏡で私へ笑いかけた。その度に赤色のネクタイがひらひらと飜った。……その度に、ああ、何と云う厭な狡猾な親しみのない顔なのだろう! と私は胸一ぱいに不愉快になりながら、そっぽ向かなければならなかった。
(サクソニヤ号。午前七時出帆――)と波止場の門の掲示板に書いてあった。父はそのサクソニヤ号へ二つのスートケースと一緒に入って行った。
 私は波止場に立って真黒な船腹のさびついた鉄板を見ていた。やがて、船の奥の方から銅羅が響いて、次いで太い煙突が汽笛を鳴らした。
 父は甲板から、にこやかに挨拶をした。
「どうも、ありがとう。お丈夫で!」
「――お丈夫で!」と私は甲板を仰ぎ見ながらそう叫んだ。
 船は波止場をはなれた。父は新しい麦わら帽子を高く振った。私は自分の汚れた黒いソフトを一生懸命に振った。
 私は波止場の石垣に腰かけたまま、風に吹かれて殆ど半日も我を忘れていた。
 到頭金釦をつけた空色の制服を着ている税関の役人が私の肩を敲いた。
「どうしたんです? まさか、身投げをするつもりじゃないでしょうね」
 私は急に悲しくなってむせび泣いた。
「おやおや、困りますね、一体どうしたって云うのでしょう。泣いてちゃわかりません。わけをお話しなさい」
「お父さんが、いなく、なった、のです!……」と私はようやく答えた。そして、それから、父のためにどんな風にしてあざむかれてしまったかを語った。
「お父さんはどんな様子の人です?」と役人はきいた。
「よく思い出せないのです。そう、恰度あなたみたいな人です。髭がなくなってつるつるした顔をしていました。そして、しかもやっぱりそんな大きな眼鏡をかけていました。ああ、ほんとにあなたとそっくりです!」と私は叫んだ。
 税関の役人はドギマギとしてその髭のない貧しげな顔を両手で抑えた。
 父。髭なし。麦わら帽子。鼈甲縁眼鏡(時として使用す)赤地ネクタイ。その他、瀟洒たる青年紳士――。
 親切な税関の役人は右のような人相書を作って、サクソニヤ号の次の寄港地へ宛てて照会した。しかし、もとよりそんな人相書は、たとえばその中の赤地のネクタイ一本がもつ手がかりよりも、決して重要な特徴を示していなかったことは事実である。
 私はそして、到頭その朝、そんな風にして父から見捨てられてしまった。これから私は全くたった一人ぼっちで、この堪え難い人生を渡って行かなければならないのだ……。
 それにしても、自分の父の顔位は、よしやその髭がなくなったとしても、決して見忘れない程度に、よく見憶えて置くべきことである。