第12回3000字小説バトル
Entry11
 
この深く冥き森にて
碧海玲
 
 
   1,
 それは、夜毎見る夢だった。
 夢。
 そう、夢。
 あれは、夢。
 色もある。
 音もある。
 手触りすらも生々しくて、非道く現実的ではあるのだが、夢でしかあり得ないもの。
 いや、そんな風に言うよりもむしろ、「これは夢だ。」とはっきり自身に知覚させている。そういうものなのだ。
 だから、矛盾も不条理も、何事もなかったかのように、さらりと受け入れてしまえる。夢とは、往々にしてそんなものなのだから……。



   2,
 ここはいったい、何処なのか。
 その深処に、彼はいつも静かに立っていた。
 闇。
 一口に行ってしまえば、そう。
 上下左右前後の感覚がはっきりとあるのが不思議なくらい。その闇は深く重く、けれど何かしら、非道く懐かしいものだった。まるで、ずっと昔からここを知ってでもいたかのように……。


……トン


と、その音はふいに耳をついた。
 反射するものなど何ひとつないはずのこの闇の中で、しかし確かに彼の眼に響いた、きらめき。
 水。
 立ちつくす彼の足下、すぐの位置から水があった。
 泉。
 池。
 いや、湖だろう。
 漠然と彼はそう思った。
 闇の向こうに、果ては見えない。


……トン


と、また。
 彼はゆっくりと身体を動かした。
 初めからそこにあることを知っていたかのように、湖の際、水の中へすら根をのばす大きな古木へと右手を寄せる。


……トン


 その、水を打つ澄んだ音。
 時をおいて、もう一度広がる。
 波紋。
 少しずつ闇に慣れ始めた彼の眼の中で、それは赤く。
 赤く……。
 湖が染まってゆく幻覚を、彼は見ていた。


─眼ヲ、上ゲテハイケナイ。


 強く、彼は自身に言い聞かせた。


─……イケナイ。
 見テハ、イケナイ……。


 高めた視線。
 湖へと張り出した古木のその太い枝の上、追いつめられた仔猫のようにそこにいる少年を、彼の眼は映していた。
 枝に身体を預け、少年は身じろぎひとつしない。
 水の方へと、だらりと落ちた腕はまるで、死体を思わせる。
 死体。
 そして、確信が訪れる。
 もしも、少年が死体なら……。


─……殺シタノハ、私……。


 胸かきむしるほどの、後悔。
 苦痛。
 消えることのない、狂気。
 古木へと寄せた手に、力がこもる。


─……私ガ、殺シタ……!


 声にならない、それは彼の叫び。



   3,
 長くのびた髪が、背中で揺れていた。
 古木に寄せた手は大きく、男らしく、すべてが自身の姿とは違っていた。なのにそれはまぎれもなく自身で。彼の眼で見、耳で聞き、そんな自身にさしたる疑問も感じない。
 横たわる少年に見覚えはなく、だが確かに知っていて。
 その夢に前はなく、後もない。
 それはいつでも、同じシーンの繰り返しだった。ビデオテープを巻き戻し、再生しでもするかのように、何度も、何度も……。
 そしてその度に自問する。
 あれは、何処なのだろう。
 あれは、誰だっただろう。
 時々遠くで聞こえていたのは、風に鳴かされる木々のざわめきだっただろうか。
 深く暗い闇の中。
 閉ざされたようなそこには、獣すらも寄りつかない。
 ここは……。ここはそう、森の奥。
 彼の心を映すかのように、深く暗く、迷いに満ちた。



   4,


─……イッソ、貴方ナドイナケレバ……。


 血を吐くように、彼は呟く。
 闇に閉ざされた森の中。
 古木の上の少年が、ゆっくりとその身を起こす。
 額が裂けて、血がにじんでいた。
 それこそが、水面を染める赤いしずく。
 生気の薄い、白い顔。
 眼だけが、ギラギラと生命の炎を燃やしている。


 そらせない。


 まっすぐに彼を見、少年は口を開いた。


「お前だけは、絶対に許さない。」


 ……ふ、と気がつくと彼は、腰までつかる水の中にいた。
 闇の暗さに映える、赤い。
 赤い、水。
 変わらずにそこにいる少年と、降りかかる血液と……。


─……コレハ、夢……。



   5,
 あれから、数年。
 忙しさに追われ、疲れて眠り落ちることが多くなったせいか、いつの間にかあの夢を見ることはなくなった。
 あの夢。
 妙にリアルで、非道く懐かしい闇の森。
 あるいは自分の前世の姿を垣間見ていたのかも知れないなどと、そんなことを考えたこともあったが、馬鹿々々しくてすぐにやめた。
 しかし、今でも時々思い出すことがある。
 あの、暗く閉ざされた場所は何処だったのか。
 そこにいたふたりが誰だったのか。
 そして、言いようのない後悔と苦痛と、狂気とに苛まれ、「絶対に許さない。」とまで言われしめるほどの何を、彼がしでかしたのか。
 すべてはあの、闇の中。
 知る由もないことだ。
 だが……。
 彼はまだ、あそこにいるのだろうか。
 赤く染まったあの場所で、自らの罪を悔い、自らに罰を、科し続けているのだろうか。



─あの、深く冥き森で……。

 
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