第12回3000字小説バトル
Entry14
 
伝達員
羽那沖権八
 
 
 濁った空に、飛行機雲がまた一筋伸びていく。
「伝達艇かぁ」
 トラックのシートで仮眠を取っていた大山佳奈は、フロントガラス越しに空を見上げた。
「いっぺん、ああいうのでガーーーッと飛ばせたら楽しそうだねぇ」
 身体を起こした彼女は、ハンドルを握る。
 トラックのエンジンをかけると同時に、カーステレオから、月刊CDの音楽が流れて来た。
 周囲は見渡す限りの一本道。冬なら、一面の雪原になっているに違いない。
 一時間ほど進んだ頃、低空飛行する伝達艇がトラックをかすめていった。
「やっと市街か。北海道ってのは広いねぇ」
 ほどなくトラックは小さな市街の小さな駅前を通りかかる。駅前では、貝やウニが網焼きで売られていた。
「さあて腹ごしらえでも――あ」
 駅前には、一人の男が立っていた。そして肩に携帯金庫とバッグを掛け、手には緑色のハンカチが――郵政省伝達員を示し、あらゆる協力を強制するという意味のハンカチが――握られていた。
 ――通信技術の進歩により横行する盗聴に業を煮やした政府は、盗聴行為や盗聴に転用可能なあらゆる通信、録音機器の所持を厳しく取り締まった。
 そして唯一残された通信手段は「手紙」だけだった。通信の主役となった手紙専用配達員「伝達員」は、その装備、権限共に、従来の「郵便屋さん」を遥かに越える存在となっていた。

 トラックが長い海底トンネルを走る。
(男ってのは大体無口だし、伝達員って事情もあるだろうけど)
 大山は横目で、左隣りに座った伝達員を見る。
(乗ってから五時間、一言も口きかないのはやっぱり異常だね)
 月刊CDから流れる曲も、三巡目に突入し、パーソナリティのトークにもいい加減飽きて来た。
(ええい!)
 大山はカーステレオを止めた。
「ねえ、あたしゃ大山ってんだけど、あんた名前は?」
「浦戸だ」
「静岡までって言ってたけど伝達艇は? 飛行機は使わないの?」
「情報の漏洩を防ぐために、任務中の会話は最小限にさせて貰う」
「あ、そ」
(下手に関わらない方がいい、かな)
 大山は月刊CDを再び再生した。

 夜もふけたころ、大山は国道沿いにある展望台の駐車場にトラックを止めた。
「さあて休もっか」
 フロントガラスを雨粒が激しく叩き、外は何も見えない。
「賢明だな」
 浦戸は制服のフードを広げ、ドアを開けようとする。
「ち、ちょっと、役人さん? どこ行くのさ?」
「寝床を探すのだが」
「あるわけないよ、寝台貸すって!」
 大山は運転席の後部にある寝台を指す。
「それは君の寝床だろう。それに宿泊場所の提供は、協力限度を超える」
「でも!」
「公務員に対する利益供与は収賄と見なされる」
 浦戸は言い切って、トラックから降りて行った。
「な……なんだあいつは!」
 独り残された大山は大声で怒鳴る。
「折角の人の好意を――」
「ああ、そうそう」
 おもむろにドアが開いて、浦戸が顔を出した。
「どわああっ!」
「君への協力依頼はここまでになる。私が見当たらなくても気にしないで出発してくれ」

 翌日。
「また乗せて貰えるとは有り難い」
 再び大山のトラックに乗り込んだ浦戸はシートベルトを締める。
「百メートル先で待ってるぐらいなら、最初から車の中にいればいいだろう?」
「起床時刻に干渉する権限までは与えられていない」
「そりゃ親切にどうも」
「ただの服務規程だ」
 助手席に座った浦戸は、水滴のついた制服の上着を畳む。今着ているのはスペアらしい。
「……その制服って何でできてんの?」
「溌水繊維だ。ヒーターも仕込んである」
「へえ、便利なもんだね」
 制服には僅かに泥が付いているが、金庫は汚れ一つなかった。
(命に代えても金庫だけは守るって? ふん、仕事馬鹿が)
 それからしばらく会話のないまま、大山はトラックを走らせた。
 日は高く昇り気温も少しづつ上がって来る。
「ねえ昼飯――ありゃ?」
 見れば、浦戸は金庫をしっかりと抱え込んで眠り込んでいた。
「そんなに疲れるなら、野宿なんてしなけりゃ――」
 その時大山は、彼の首に掛かった細い鎖に気付いた。
(鍵……?)
 服の中に入っているため、はっきりは分からないが、多分。
 大山の視線は金庫に釘付けになる。
 好奇心は、すでに彼女の心の中一杯に膨れ上がっていた。
(宛名をちょっと見る、ぐらい)
 右手でハンドルを握ったまま、そうっと左手を伸ばす。
 喉が渇く。唾を呑み込んで湿らそうとしたが、口の中まで乾ききっていた。
(ええい! なんでこんなに緊張するんだい!)
 震える手を抑え、浦戸の首の鎖を。
 だがそれ以上、大山の指は動かなかった。
「……うーん」
 その時、浦戸が寝返りを打った。その拍子に金庫が動き、鍵穴と――ダイヤルが露になった。
(番号が分かんなきゃ、開かないや)
「さ、さぁて、昼飯はどうするかね」
 かなり大きな声で呟いて、大山はハンドルを握った。

 夜になり、トラックは切り立った崖沿いの山道を走っていた。
 空を流星雨のように伝達艇が飛び交っている。
 大山は浦戸に視線を向ける。
「ったくよく寝るねぇ――?」
 ふと、彼女はステレオを止めた。  途端に静寂が訪れ、浦戸の押し殺した息切れが聞こえ始めた。
「喘息?」
「体力が落ちたらしい」
「わぁっ! 起きてた!」
「今し方目が覚めた」
 浦戸は激しく咳き込む。
「医者行かなきゃ!」
「ただの発作だ。じき、収まる」
「だって!」
「余計な寄り道をする気なら、私はこの車を降りる」
 強い口調だったが、逆に苦しさが伝わって来る。
(伝達艇で日帰り仕事をしているこいつにとっちゃ、二泊三日はきつすぎるんだ)
 それでも大事そうに抱えられている金庫。
(これさえ)
 大山の手は金庫を掴んでいた。
「!?」
「これさえなければ!」
 大山は窓を開け、崖下に金庫を投げ捨てようとした。
「止め、ろ」
 浦戸は咳き込みながら大山の腕にしがみつく。
「たのむ、お願い……します」
 あまりに弱々しい抵抗。
「それだけは」
 随分長い時間が過ぎてから。
「ごめん。ちょっと……からかっただけ」
 大山は手を、戻した。金庫はとても重かった。

 トラックが静岡市街に到着したのは、夕暮れ間近だった。
「ありがとう、ここでいい」
 浦戸がぽつりと言った。
「家の前まで送るよ?」
「送り先も個人情報だ。知られるわけにはいかない」
「はいはい」
 大山がトラックを停めると、浦戸はドアを開け、降りた。
「ねえ」
 立ち去ろうとする彼の背中に、大山は声を掛ける。
「どうして伝達艇を使わないのさ? それも答えられないのかい?」
 浦戸は何も答えずに立ち去った。
「役人ってのは、やっぱり……好きになれないね」
 大山は呟いて、またハンドルを握った。
「さあて、お仕事お仕事!」

「受け取りにサインと拇印を頼む」
 その伝達員はサインと拇印を確認した後、金庫の蓋を開ける。中には手紙が一通だけ入っていた。
「どれどれ」
 家の主人は首を傾げる。
「どうしたんだ、これ?」
「拾った」
 主人が封筒を開けると、中から同窓会の出席確認アンケートの用紙が出てきた。
「――そうだ、奴とは直接逢えたから、捨てたんだよ」
「受け取り拒否か?」
「処分しとくけど――あんた、拾ったもんなんかわざわざ届けるなよ」
「切手も宛名もあった」
「まあそうだけど」
「では失礼する」
 伝達員は一礼して家を出て行った。

「やっぱり、休暇を棒に振ったか」
 伝達員は例えようもなく晴れやかな顔で呟く。
 今日も青空を、伝達艇が横切っていた。

 
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