第12回3000字小説バトル
Entry15
身貸し 時貸し 奉る
上條 裕
満員電車の窓から見える阪神沿線の風景。いつもなら、ただ漠然と眺めているだけの芦屋駅近辺の風景だが、今朝は何故か沿線の小学校の壁時計の文字版が ストップモーションの様に目に止まる。
8時15分、どこかで見たような光景。
そうだ、広島の原爆博物館で見た被爆の瞬間に止まってしまったままの時計。
一瞬にして 蒸発してしまった命。地獄の苦しみの中で消えていった命。
夏休みに子供を連れて行った原爆博物館で見た悲惨な光景がよみがえる。
小学校の隣りに小さな公園が見える。
駅への近道になっているのか、その公園を足早に横切って行くサラリーマンの姿。
公園の入り口の近くには「命」と彫られた石碑があり、色とりどりの花束が供えられている。阪神大震災の犠牲者を供養する為に建立された慰霊碑だろう。
満員電車の吊革に掴まっているこの男、木下辰男。
努めている会社のリストラで40歳を過ぎてから、全く新しい部所に配属され、情熱の涌かない仕事で毎日を送っている。いっそ 会社の思惑通りに辞表を出してしまえばいいのだろうが、これと言った技術も持たない中年男に、そうそう簡単に 条件のいい転職先が見つかるご時世ではない。
「毎日おもろないなぁ。会社行ってもええことなんもないし、何やワイの人生 無意味に過ぎるばっかしや。戦争や震災で命を落とした人らにホンマ申し訳ないわ。 この世に未練残してる可哀想な霊が、この辺にもぎょうさん いてるやろうにな。いっそワイの体を貸したって本懐遂げさしたりたいくらいや。」
そんな事を考えながら満員電車に揺られていると、背後から男の声。
「ホンマに よろしいんでっか?」
振り返ってみたが、満員電車の中の人間は 皆 目を閉じたり 焦点の合わぬ目で宙を見据えたりで、声の主らしい人間は いない。
「気のせいかいな、おかしいな。」
会社では いつものように慣れない仕事が 待っている。ぎこちない手つきでパソコンをいじり、何とか仕事を片付けて退社時間になった。朝の通勤電車での不思議な出来事はいつしか忘れてしまっている。
酒が飲めない木下は 会社が終わると寄り道する事も無く帰宅するが、これといった趣味もなく、夕食後 小学生の一人息子と風呂に入ると 早々に床についてしまう。
真夜中、木下は人の気配に目が覚める。枕元に誰かが座っているようだ。不思議と恐怖感はない。
「誰や、どっから入って来たんや?」
「木下はん、こんな時間に すんませんなぁ。今朝 電車の中で声をかけさせてもらいましたが、 私、あの公園の近所に住んでおりました国本功一言います。 先の震災で 命を落としましてな。」
「ひえっ、な、何や、幽霊かいな。びっくりするやないか!」
「すんません、怖がらんといて下さい。木下さんに助けて貰おう思ってお邪魔したんです。売れてないさかい ご存知ない思いますが、私、これでも小説書いてましてな、あの晩も、とある出版社のコンクールに投稿したろ思って徹夜で小説を書いとったんですわ。あともう少しや言う所で グラグラーっときよりましてな、家が潰れてしもて下敷きですわ。古い家でしたさかい、あっと言う間の即死だ。苦しまへんかっただけ救い言うたら救いです。これが運命やったいうのは 分かってるんですが、どうにも未練が残りましてな、成仏出来ずにフワフワしとりました。そしたら今朝 電車の中であんさんの呟きが聞えましたがな、これはと思ってお願いに上がった次第だ。原稿を書き上げるまでの間 あんさんの体を使わしてもらえませんやか。」
「体使うて、何やキショク悪いな。あんた、えーと、国本さんやったな、国本さんに体貸している間、ワイはどないなるねん。」
「心配入りません。会社で暇な時間に、パソコン使うて、こちょこちょっと原稿 書かせてもろたら そんだけでええんです。原稿を書き上げたら本望だ、迷わず 成仏できると思いますさかいに、何とかお願いします。決してご迷惑はかけません。」
「迷惑かけへん言うてもなぁー、ワイ自身が 死んだりせえへんやろな。ワイ、生きとっても おもろないけど家族が心配や、死ぬに死なれへん。」
「木下はん、そう簡単に 死ぬ死ぬ言うたらあきまへん。私ら死んだ人間の身になってみなはれ。気を強ように持ってしっかり生きなあきまへんやろ。私が無事 成仏でけたら、あんさんをちゃーんと守ってあげます。」
「なんで幽霊に説教されなあかんねん。せやけど ホンマに大丈夫やろうなぁ、死んだ人間の身になってって言われて ホンマに死んでしもうたら シャレにならで。」
「大丈夫ですって、このワテの命に掛けて約束しまんがな。」
「命に掛けてって、あんさん 命あらへんやないか、調子のええこと言うなちゅうねん。ワイらの生活にホンマに支障ないんやったらなぁ、まぁ ええかなぁー。」
「オオキニ、木下さん。ほな明日にでも寄せてもらいまっさ。」
男の姿は消え、木下は また眠りについた。
翌日も会社では相変わらずの味気ない仕事が待っていた。慣れないパソコンでの表計算が 一段落して スクリーンを眺めていると、突然 エクセルシートの画面が ワードの画面に変わり、木下の意識とは無関係に指先がキーを打ち始める。見る間に何ページ分もの文字が埋まり、物語が展開して行く。休みなくキーボードを叩く動きが30分ほど続いただろうか、突然 ワープロの画面が 元の表計算の画面に変わり、木下は ハッと 我に帰る。
なんとなく 小説のようなものをワープロで打っていたような気はするのだが、その内容は思い出せない。
「ワシ何しとったんやろ。」
不思議に思い、ワードのファイルを探してみるが別に新しいデータは入っていない。
こんな事が何日も続いた。
2週間ほどたったある日、いつものように無意識のうちに小説を打っていたワープロの画面が元の表計算の画面に変わり、木下は ハッと 我に帰る。
「オオキニ、木下はん。無事完成ですわ。」
国本の声が聞えたような気がした。
木下の指は 更に勝手にパソコンのキーボードとマウスを操作し、インターネットから ある出版社のホームページから小説公募の送信メニューにアクセスする。そこから たった今 完成した小説をメールに添付して送信ボタンをクリックした。送信完了とともにスクリーンに「木下さん、オオキニ。これで成仏できます。」という文字が現れた。
眩しい輝きを放ち、その文字は すぐに消えた。
「何やねん、何がおこったんや。」
木下は、メールのデータを探したが送信の痕跡は残っていない。
何日か経ち、国本の事をすっかり忘れていたある晩、自宅で夕刊を眺めていた木下の目に国本功一の名前が飛び込んできた。
「あッ、」
木下は 思わず声を出してしまった。
「どないしたん?」
夕食の後片付けをしていた 妻が振り返る。
「あ、いや、何でもない。」
その新聞記事には、とある出版社の小説コンクールの大賞受賞作品が、阪神大震災で他界した国本功一氏からの投稿で、故人が生前に書き上げた作品を知人が投稿したものらしいと書かれてある。その小説は 国本の霊が木下の体を借りて書き上げたものだった。
「へぇー、あいつ、やりよったんやな。よかったな。」
木下は 家族に聞こえないように呟いて 窓から空の星を見上げた。
数日後、木下は いつものように満員の通勤電車に揺られている。
「木下さん、ちょっと お体 貸して欲しいんですけど。」
背後からの声に 振り返るが ......。
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