第12回3000字小説バトル
Entry16
 
ヒモ
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 私はヒモである。
 私はヒモである、と唐突に言われても多くの者は奇異に思うに違いないので、参考に某社の国語辞典で「ヒモ(紐)」を引いてみたところ次のような結果となった。

 @物を括り束ねる細い綱
 A背後で操る人物や条件
 B女性を働かせて金品を貢がせる情夫

 @〜Bから選ぶのなら私はBに当てはまることだろう。「女性を働かせて金品を貢がせる情夫」としての私。しかし今日一冊の本を見付けたことで私のその立場はA(背後で操る人物や条件)の介入を許し大きく揺らぎはじめている。

 では、B(女性を働かせて金品を貢がせる情夫)の意味を成立させている女性を便宜上A子と呼ぶことにしてそろそろ語りはじめようと思うのだが、まず語り手である私が自分自身について語らなければならないだろう。何故B(女性を働かせて金品を貢がせる情夫)としての「ヒモ」となったのか、いや、ならざるを得なかったのか。完結に言うとそれは私が「ヤバイ」仕事を引き受けたことで「ヤバイ」事件に巻き込まれ「ヤバイ」人物であるヤクザの幹部をひとり殺し「ヤバイ」現場にジャケットを脱ぎ忘れてしまったからである。免許証やらクレジットカードやら様々なカード、さらに不運なことに携帯電話や子細に書き込まれた手帳が入っていたため、頼りになる人脈は全て足が付いてしまい、加えて私の人脈を把握したヤクザ連中さらには警察からも逃げなければならない状況となった。いちいち手帳に書き込む割とまめな性格(まめな性格なのに所有物を持ち忘れるのもおかしな話ではある)がこのときばかりは完全に裏目となってしまったわけだ。
 
 いくつもの公園を塒として日々渡り歩く無一文のホームレス暮らしが続き、もはや追ってから逃げる余力もなくなり、思い悩んだ末の最後の手段として、私はわざと人込みを求めて市街地へ赴き、若くて金がありそうでそこそこ綺麗でもちろん男連れでない女に手当たり次第に言い寄ってみたのだが、露骨に嫌な顔をされるばかりであった。まあそれもそのはずだろう。青褪めた顔、虚ろな目、よろめく足取り、体臭、口臭、異臭……。結局誰ひとりとして私の声に応じてくれる者はいなかった。往年のナンパ術の衰えに絶望し途方に暮れ脱力したことで意識が朦朧としてきた私は取り敢えず身体を休めようと目に付いた喫茶店へと重たい足取りで進んだ。水を一杯頂いたら適当な言い訳をして立ち去るつもりで店内に入ってみたのだが結構な混み具合でその場で躊躇していると、相席になりますがよろしいですか、とウエイターが声をかけてきた。疲れで思考回路が麻痺していたことも相成って反射的に、いいっすよ、と答え、ウエイターに導かれるまま席に付いた。そのテーブルを挟んだ向かいの席に座っていたのがA子である。
 
 目の前の女を口説くか否かを考えるより先に皮製のソファーの心地良い弾力によって私の安堵と解放感は一気に揺さ振られ、それを合図に耐え続けていた睡魔が波のようにどっと押し寄せてきた。条件を考慮する暇もなく選択を迫られた私は呂律が回らないながらも最後の力を振り絞り口説き文句を発した。言葉が底を突くと視界が徐々に狭まりもはや深い眠りへの誘いに逆らう術はなかった。が、私の必死の思いがA子の琴線を大いに振るわせたのは確かである。再び眼を覚ましたときには彼女の文字通り肉厚のある太腿に頭を預けて横になっていたのだから。
 ふたり分の勘定をA子が済ませて店を出ると彼女の方から私の手を握ってきた。その手に引かれるように歩き、暫くすると飾り気ないマンションへ辿り着いた。
 それから私とA子のふたりでの生活がはじまった。

 パソコンを使ってのネットサーフィン、彼女が仕事の帰りに毎日買ってきてくれる漫画雑誌や週刊誌、様々な情報を映し出すテレビ。そのような事物によって世の中と表層的な繋がりを持つ日々が続いた。朝目覚める頃にはテーブルの上に朝食が並んでおり、彼女が帰宅してから1時間ほど待てば同じテーブルの上に晩飯が並んでいた。夜や休日ふたりでいるときは言葉を交わすことも余りなく、ただ一緒に何となくテレビを視るなどしてその時間を過ごすのであった。そして決まって日付が替わる頃に彼女はベット、私はソファーの上で眠りに付いた。男と女がふたりきりで夜を過ごすのだから少なくとも一度は体を交たことがあるのではないかと思う者がいるに違いないが、私が彼女を求めたことも彼女が私を求めたこともなかった。
 このように外に出ないことを除けば実に坦々とした生活を送っていたわけだ。

 さてこの辺で一旦話を切り上げ(充分に語ることができたか不安ではあるが)、冒頭のB(女性を働かせて金品を貢がせる情夫)にA(背後で操る人物や条件)が介入した経緯を説明しようと思う。正確に言えば、私の内部でA子が「背後で操る人物や条件」へと変貌した経緯を。それは私がタンスの中から偶然見付け出した一冊の本に起因する。
 タンスの中と言っても、彼女の下着を探そうと思ったわけではなく、その行為に及んだ直接の原因はいつものようにパソコンのモニターと面を向かい合わせ、そのときは些か意識を集中しすぎていたため、脇に置いてあった缶コーヒーを肘で引っかけて零してしまい雑巾はないかと辺りを見回したのだがそれらしきものはなく(今にして思えばティッシュペーパーかトイレットペーパーで拭けば済んだのだが、私の頭の中は、拭くもの=雑巾、の等号式が否応にも働いてしまった)、仕方がなくタンスの引き戸を上から一段ずつ調べるうちにその本を見付けたのである。
 それがこの『即効!男をものにする料理』という本だ。そのタイトルに興味が湧き、コーヒーが床で溜となっていることも忘れ本を開いたのだが、項を捲る度に血の気が引いていくのを感じた。調理された品々の写真はごく平凡なものなのだが、その食材を記している活字に目をやると隠し味として体毛、唾液、尿、血液……などとあるからだ。
 どうやらそれらの料理を目当ての男が食べ続けると「フェロモンパワー爆発!」が起こりその男を虜にできるらしいのだ。
 さらにその本が入っていた引き戸を隈なく探すと透明なフィルムケースが何本かあり、きっとサインペンで書いたのであろう、律儀にも「頭髪」「恥毛」「脛毛」「鼻毛」などとありとあらゆる毛という毛の名前が記してあった。
 今朝食べたポテトサラダがこの本のレシピ通りに作られたのならば、唾液、涙液、火で炙った脛毛、細かく砕いた爪が加えられていたことになるのだが、その忌まわしき料理を口にしたのは今日に限ったことではないはずだ。気付かぬうちにさらに多くが「フェロモンパワー爆発!」を引き起こすため体内の各器官へ侵入したことだろう。その出し抜けの現実と対峙した私は気を狂わせることもなくただ唖のように黙り込むしかなかった。

 さてそろそろ語り終えなければならない時間となったが、皆さんお気付きだろうか、私はA子の容姿について敢えて話に組み込まなかった。それもそのはずである。彼女の顔を思い浮かべても、目鼻口は曖昧にぼやけ、輪郭だけがかろうじて人間の顔を形成している有様なのだから。
 今や私は指名手配の身である。そうなった以上、私はA子に自分自身を委ねてみるつもりでいる。「背後で操る人物や条件」としてのA子に。果たしてこの決意はA子の匿名性を具体化させ私の物語をより強固なものにしてくれるだろうか。


 
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