第12回3000字小説バトル
Entry3
ひきこもり
山本文昭
いつも通り、駅に向かう途中だった。商店街を抜け駅が見えてくる辺りで、山本はふと視界の隅に違和感を覚えた。自然に足が止まる。ちっという舌打ちとともに、山本の横をスーツ姿たちが追い越していく。彼は立ち止まったまま、違和を感じた方向を見た。
電話ボックス。いつも通りからっぽのまま突っ立っている。いや、よく見ると座り込んで受話器を握りしめている男がいた。原因はこれか、と思いつつ、彼は珍しいものでも見るようにしばらく眺めていた。再び五、六人が慌ただしく視界を遮る。しかし彼らが通り過ぎたあと、そこはいつもの風景に戻っていた。
会社に着き、デスクに座るや否や携帯が鳴った。取引先だった。目の前では部長の折笠が朝一番の常務会の資料を慌ただしく整理している。あとは山本の企画書が揃えば、折笠はすぐに会議室に飛んでいく予定になっていた。
山本は「今取り込み中なんですよ。あとでかけ直します」と言うと、相手は「いえ、実は今公衆電話なんですよ。携帯も電池が切れちゃってるんで、またこちらからかけ直します」と向こうから電話を切った。
まだ立派に使われているんだな。山本は今朝の事を思い出しながら、急いでパソコンを立ち上げ、少しだけ手を入れてから企画書をプリントアウトした。
「部長、これ、よろしくお願いします」
「おお、おはよう。中味は大丈夫だろうね」
折笠は下を向いたまま、右手で資料の束を整理しながら左手で山本の企画書を受け取った。そのとき折笠のデスクの上で、一番上になっていた資料の表紙の文字が山本の目に留まった。
「公衆電話の有効利用法・・・ですか」
「興味あるのかね」
折笠はやっと顔を上げ、人差し指で眼鏡のずれを直した。
「今朝、公衆電話を使っている人を久しぶりに見たものですから。珍しいなと思っていたばかりなんです」
「なるほどな。あれはもう携帯の補助みたいなもんだからな」
そう言うと折笠は資料を右手でパンと叩いて、だからこの企画が面白いんだ、と自信たっぷりに笑った。
「簡単に言うとな、公衆電話を使うときは携帯が使えない場合か緊急事態の時くらいだろ。まぁ携帯が使えない時はおいといて、問題は緊急事態だ。実は今度な、うちで緊急事態専門の電話線を引こうと考えてるんだ」
「どんなメリットがあるんですか」
「鈍いな君は。うちは回線業者のうえ人材派遣業者でもある。幸運なことにどちらも業界ナンバー1だ。金も人もいくらでもある。そして世の中に金と人間で解決できない問題はほとんどない」
「金貸し・・・ですか?」
まだ理解できない山本を見て、折笠は歯がゆくてしかたがない、というふうに大きくため息をついた。
「それもあるさ。でも金貸しだけじゃない。要するに緊急事態にある人間を、救う人間をすぐに派遣するんだよ」
公衆電話に超小型カメラと声紋センサーを取り付けておく。そしてその人間の声音を通話時間中に分析にかけ、緊急と判別したときのみ特別回線を通して会社のセンターに連絡が入る。すると最寄りのセンターから、正にそのボックスにいる人間に向けて、最適なスタッフが派遣されるというものだった。
「もちろん偶然を装う。あくまで善意の第三者として接するんだ。料金請求も後だ」
「でも人の緊急事態なんて色々でしょう。どんな場合でも助けられるんですか?」
山本は正直に感想を言うと、折笠は首を振りながら再びため息をついた。
「子供だな君は。金がない人間の所には金を持った人間が現れる。愛とか人の温もりを失った人間の所には、それを埋め合わせできる人間が現れるんだ。つまり金貸しもやればレンタル恋人・家族の類もやる。この二つで人生の大概の問題は片づいてしまうんだよ。そうだろう?」
仕事をなくした人間も金があれば当面は暮らしていける。恋人や親族をなくして落ち込んでいる人間も、愛情を注いでくれる人間が現れれば、やはり生きていけるだろう。そう言われてみれば、そんな気もした。
「いいか、人間なんて単純で弱いものなんだ。特に窮地に追い込まれていたり慌てている人間には、自分のプライドとか価値観とか道徳とか、そんなもんを持ち出している余裕はない。溺れる者は、ってやつさ。この企画は絶対にうまくいく」
折笠は半信半疑の山本を尻目に企画書の束を掴んで立ち上がった。
その日の午後、山本は折笠の自信の原因が分かった。すでに実施実験が済んでいたのだ。常務会を通り、本格始動が決まったその企画書は、夕方には山本の所にも回ってきた。
さっそく目を通すと、実験地区として何とあの公衆電話も含まれていた。山本は今朝見た男を思い出した。
「どうだい。この実験資料を見て納得したかね」
知らない間に折笠が山本のデスクの脇に立ってにこにこしながら煙草を吹かしていた。
「ええ。でも、随分前から実験していたんですね。一か月前に終わってるじゃないですか」
「ああ。こういうことは用意周到にしなきゃいかん」
「ということは僕が今朝見た人は、助けられなかった訳ですね?」
「本当にいたのか? そんな人間が」
「ええ。珍しいなと思って見てたんですから間違いないと思います」
折笠は一息煙をゆっくりと吐き出した。
「でも、緊急の用事とは限らんだろう? 仮にそうだったとしても金が必要なら街金からでも借りるさ。愛はともかくとして」
「まぁそうでしょうけどね。ちょっと気の毒な気もしますね」
折笠は少し難しい顔になった。そしてしばらく何事か考えるようにしていたが、声のトーンを少し抑えるようにして言った。
「あのな、この事業の長所はリピーターが多いということなんだ。でもそれは同時に短所でもあるんだよ」
「どういうことです?」
「中毒になるのさ。ボックスの中で待っていれば、すぐに助けが来ると信じ込んでしまうんだな」
部長は煙草を灰皿にこすりつけて、眉間に皺を寄せた。
「助けてもらうのもたまにならいい。でもな、 世の中には一度助けられたが最後、次からはいつまでも助けを待ち続ける人種がいるんだ。決して自分では動くことなく、な」
折笠は配布されたものとは別の資料を山本に手渡した。実験の事例集だ。指し示されたページには、事件、とも言える事例が一件だけ起こっていた。19歳の男が電話ボックスに一週間たてこもった末、凍死したという。
「ずっとボックスの中に引きこもって、膝を抱えて座り込んでいたんだけどな、そのままの格好で死んじまったらしい。待つだけじゃ何も解決しないし、どこにもいけないのにな」
まぁだからこそ、この商売も成り立つんだよ、と大きな声で切り捨てるように言ってデスクに戻った。
今朝の男も座り込んでいた、ような気がする。引きこもったまま、じっと助けを待っていたのだろうか。資料の末尾には○○地区○○番地と記されている。間違いなく、あの電話ボックスの地番だった。
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