第12回3000字小説バトル
Entry6
 
さよならの夜。
翡翠
 
 
 ホテルの最上階にある高そうなフランス料理の料理店で、私は所在無げにアンティーク調のマホガニーの椅子に座っていた。ナルヒトは何人だかわからない青い眼のパーソンに何やらフランス語か何かでメニューを告げると私に優しく笑いかけた。
「確か、魚は嫌いだったよね?」
「うん、そう。魚は苦手。」
「合鴨の良いのがシェフのお勧めらしいんでそれを頼んだけど…それで良いかな?」
「うん、それでいい。」
 私はナルヒトの目をあまり見ないようにして答える。少しだけ、他人の目が気になる。
 他人から見たら多分、親子に見えるのだろうか。それとも金持ちのオヤジと若い愛人…? ナルヒトは39歳、私は19歳。私たちは進展のない恋人。ラバーズ…? 進展なんてあるわけがない、彼には私と同じ年の娘もいるし…。
 その昔、二人きりでホテルに泊まったけど彼は私を抱き寄せることもしなかった。
「おやすみ」
と私のオデコにキスをした彼はダブルベッドの端で早々と小さく寝息を立ていた。私は「自分にそんなに魅力がないの?」と、それからずっと彼を性的な対象に入れることを恐れている。
 彼のことは好きだけど、それ以上の感情を持ってはイケナイんだ、と自分でセーブしている感じだ。
 でも、私は別に彼から愛されていないわけではないと思っている。さりげなく階段で出される手や気遣ってくれる言葉の端々、何よりも私と逢った時のあの笑顔が、私のことを彼は好いているとそう思わせてくれる。
 それなのに、私を女としてみてくれないのは何故なのか、彼の胸に抱き止めてくれないのは何故なのか、それは私には理解出来ない。
「聞いてるかい? ぼうっとしてるね。もう、おねむかい?」
 ナルヒトが不思議そうに私の目を覗きこんだ。本当に心配な色を見せて。私は自分の世界に入っていたことを少し恥じ、彼と一緒にいる間は彼のことを考えようと少しだけ笑顔になって答えた。
「あ、ごめんなさい、ちょっと考え事してて…もう、大丈夫。」
「誰のこと? 彼? 電話しておかなくて大丈夫かな?」
「ううん、違うわ。今日は電話しない日。」
「彼氏とは上手くやってるんだろうね? 妊娠するような事はしちゃぁだめだよ。」
 瞳の中に優しさを称えたまま彼は私の目を覗きこむ。「すべて、お見通しさ」と言わんばかりに。ナルヒトが赤ワインをひとくち口に含んで、喉仏を上下に動かしておいしそうに飲み干している。
 私はそののどに、そっと触れたいと思う。無意識に手を出して、止める。ギクシャクと手を引っ込めるバツの悪さが恥ずかしい。
「父親みたいなこと、言わないでちょうだい。」
 自嘲して少し頬が染まる。彼に見咎められないようにそっと下を向く。私は運ばれてきたメインの合鴨をナイフで切り分けるだけ切り分けて皿の上でもて遊ぶ。
 彼と居ると何も食べられないことが多い。少しだけ口に入れても味なんて解らないのだ。
「ごめんよ、私はただ、君がかわいくて仕方がないんだよ」
鷹揚にふざけて笑って彼は両手をあげて見せる。
「やめて、子供扱いは。そういうのは嫌いだわ。」
ぷいと怒った顔をしてナルヒトを視線から外すと彼はもっとおどけた顔をして私の手のひらをそっと握って手の甲に軽く口づけた。
「失礼、レィディ。」
私は髪の毛の下の耳が真っ赤になるのを感じながら
「たかだか赤ワイン数杯で酔っ払っちゃったの?」
と茶化す。ナルヒトは笑ってさもいつものことのような笑顔と口調で
「さてと、この後どうしようか? 泊まって行けるのかい? 最後の夜だし。」
ポケットから下の部屋のルームキーを上着のポケットからちらりと見せた。その顔は少し笑って、私を探るように見つめている。私はわざと意地悪く口の端だけで笑って言う。
「私がほしいの? ロリコンオジサン。」
「冗談さ。」
 さっとルームキーをポケットに滑りこませると彼は少し無表情になった。怒ってしまったのだろうか。少し不安になってしまう。顔色を伺いながら、ナルヒトを熱っぽく見つめてしまう。もう少し、強引に誘ってくれたら、私…今日はナルヒトと居ても良かった…と少し後悔する。
 でも、もう私からは誘わないだろうし、誘えない。これが、最後の夜だから。
 私たちはいつも2人共、自分が傷つくのを恐れてしまって毎回それを望みながら唇を触れることもなく離れてしまう。…今日は、最後の夜なのに。
どうして、私は今日で最後にしましょうなんて言ってしまったのか…? …それはわからない。私は彼を愛しているし、多分、彼も私を愛している。それはわかっているけど結局、何も変わらないこの現状をそのまま続けていることに私が辛いだけなのだろう。彼は私をとても慈しんではくれたけど、愛を囁いてくれたりキスしてくれたりする恋人のような愛を分け与えてくれるわけではないのだ。私は自分に魅力が無いのかもしれない、と何度も悩んだと言うのに…。
 彼は、私との関係を終わらせるのもこのまま続けるのもなんとも思っていないのかもしれない。
 もしも運命の赤い糸と言うものがあるのならきっと私たちの紅い糸は繋がってはいなくてもどこか絡まっているのだろう。だから、こんなに愛しく思うのだ、と私は思う。きっとその絡まったところさえも今日、私が無理やりちぎってしまおうと躍起になっているのだろう。それはわかってる、わかってるけど・・。

 食事の味はほとんどわからなかった。
「おいしかったかい?」
とナルヒトは私に聞いたけど、私はあいまいに笑って頷くしかなかった。
 彼はホテルにルームキーを返し、部屋の代金も清算したらしく少しロビーで待っていると、うんと悲しいわけでもないのにふいに彼の後ろ姿がぼやけて見えた。これでさよならなんだ、と急に目頭が熱くなる。
ふいにナルヒトが振り向いて、私に手を振る。目をしばたかせて涙を追い払うと私も笑顔で笑って手を振る。「これで良かったんだ、正しいんだ」と願うように、祈るように思いながら。
 ホテルのロビーから外へ出ると夏だと言うのに少し冷たい風が吹いていた。
「少し涼しい感じね」
私がぽつりと言うとナルヒトは私を後ろから抱き締めた。初めて、強く抱かれた彼の腕の中で私は溶けてしまいそうになる。
「シャンプーのいい、匂いがする」
やっぱり、ナルヒトを愛していると心がじわじわとそしてゆるゆるとほだされて行くのを感じた。じわじわと彼を愛してると思う気持ちが最後の夜だという今を侵略して行く。抱き締められてナルヒトと触れ合っている背中が熱くなる。
 それでも自分で決めた道なのだ。「彼と別れよう」と自らが決めた道。涙が少しだけ出て、ナルヒトの手の甲ににぽたりと落ちた。ナルヒトは腕に落ちた私の涙にそっと口づけて、笑顔のまま私にこう告げた。
「…帰ろうか、送るよ。」
 永遠の別れの夜にナルヒトからの最後のさよなら変わりの言葉。私はまだ、このまま抱き締めていて欲しかったけど小さく、頷いた。
 
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