Entry1
風の祠
弥栄 工
半屋はぼーっと空を眺めていた。
ゴールデンウィークが過ぎ去って1ヶ月になろうとしている。もうすぐ梅雨入りだろうか。葉の揺れる音と同時に、微かだが湿った匂いを感じる。
大学の講義をサボって一人大学を抜け出した。車を走らせること30分。小さな山の入り口で車を止める。中は相変わらず鬱蒼としている。それを掻き分けて行くと一つの小さな祠に辿り着く。
地元の人は「別名神隠しの祠」と言っている。
半屋は神隠しなどに興味があったわけではなかった。以前にただなんとなく、惹かれるようにしてこの場に来ただけだった。それ以来何度か、ぼーっと時を過ごすためにこの祠に来るようになっていた。
これで何度目だろうか、この祠に来るのは。
──ここは不思議と落ち着く。
初めて来たときから半屋は感じていた。別段、特別なものが祀られているわけではない。質素な石造りの祠以外には何もない。祠の周りには樹が真っ直ぐそびえ立っている。ただそれだけ。
近くには腰掛けるためなのか判らないが、大きな平べったい岩が一つだけ鎮座している。半屋はここに来ると決まってこの岩に寝っ転がる。そうすると僅かながらに空を眺めることができる。そして木々のざわめきに耳を傾ける。
葉と葉のこすれ合う音が心地いい──。
ここに来るときはいつもそうだ。何か鬱積したものがあって、でもそれをどう晴らしたらいいのか解らないときに訪れる。
友人とカラオケ──それで晴れるときはある。ただいつもそれで解決するわけではない。他の方法を色々と試す。それでも駄目な時、そんな時にばかり来ているのを思い出す。そういう時は、何に対して鬱屈しているのかすらわかっていないことが大半だった。
ここに来ると、自分ってなんだろうと問いかけてみたりもすることもある。そんなことを考えるのはここでしかしないのだが──どんなに考えたって答えがあるわけじゃない。そんなことは解っている。頭で解っていても、止められない。それは心が問おうとしているんだろうと勝手に結論づけてしまう。でも、どうしてなんだろうか──。
時々自分が風になりたいと思う時があることを半屋は思い出した。でもどうして風なのかはわからない。
風──
目に見えないもの
形のないもの
何者にも囚われていないもの……
次から次へとイメージが膨らむ。
いつもこうしてぼーっとしていられるのは小一時間程度。その後はなんかかんかの予定が入っている。だからこの祠を後にしなければならない。
だが、今日は違う。この後予定は何もない。もう少しだけ今までの思考の続きをする。
どうすれば風になれるのだろうか
なったらあらゆる柵がなくなってしまうのだろうか
絆(きずな)と絆(ほだし)
悩まされることもないのだろうか
半屋は最近自分が、他人に対して妙に距離を置いていることに薄々感じていた。それも無意識のうちに……
人間不信かもしれない──そう思ったこともあった。でも別に一緒にいることに取り立てて不快感を味わっているわけではない。
思考がネガティブになっていることに気付き、寝返りを打って一眠りすることにした。
夢に出てきたのは過去の辛いことばかりだった。最悪の目覚め──。
喉が少し渇いていた。鞄なんか持ってきてはいない。いつも何も持たずにここに来るからだ。携帯の電源だってもちろん切ってある。
人付き合いが嫌いなわけではない
だからといって好きなわけでもない
ただ怖いからだろうか……
信じなければ──期待しなければ
裏切られることも失望することもないから
内容が風についてではなくなってきていることに気づきつつも、半屋は思考を止めることができなかった。
自分がいてもいなくても同じだから
変わりなんていくらでもいるから
別にどうだっていいから……
頭の中に勝手に浮かんでは消えて逝く──。
落ち着こうと思い、岩から立ち上がる。そして深呼吸をして、目を瞑る。周囲の音に耳を傾けた。いつものざわめきを聴いて、止めどなく流れる思いを沈めようと思ったからである──が、そこに風の音はなかった。葉と葉がこすれ合う音もない。
音そのものがなくなっていた。
今までこんなことはなかった。風の祠──勝手に自分で名前を付けた。それはいつも風が吹いているからだ。そのざわめきに耳を傾けているからだ。しかし今、その風が止んでいるのだ。
風が止むとき
それは出発のとき
一緒に旅立つ──すべての絆を捨てて
どこからともなく声が聞こえたような気がした。
そうか
オレはやはりこれを望んでいたのか
風になることを……
祠に一陣の風が吹き抜けた。
その場に半屋の姿はなかった。