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第17回3000字小説バトル Entry14

兄弟

 玄関の方で、チャイムも無しにざわめきが起こり、それがしだいに確かに伝わって来て、洋は我に返った。
 耳はこのごろ、とみに遠くなってきたようである。八十七で死んだ父親も、晩年にはほとんどかな聾であったから、遺伝と言うよりない。
 初めて、自分の聴力が衰えてきたと意識したのは、五十をすぎた頃であったか。夜、外を往く救急車のサイレンを、家族は皆とらえているのに、洋の耳にだけひと呼吸おくれて届く。風呂の湯が沸いた知らせの電子音を、テレビに紛れて聞き逃したりする。
 六十の声を聞こうという今も、人との会話に障ることは余りないが、ふと気づくと世の中が間遠になっている。苛立ちを覚えるよりも、円い柔らかな膜に包まれたような時の方が多い。
 立って行った孝子の、あら、いらっしゃい、という華やかに繕った声は、夏海のつれ合いの佳奈に向けられたものである。こんにちは、お邪魔します、なぞという瑞々しい声がそれにからみ合っている。
 夏海が何も言わずにのそのそと上がってきて、茶の間のこたつの前に無造作に腰を下ろした。
「今日は、仕事はどうした」
「夜勤明けで……佳奈も、ちょうど休みだったから」
 息子と言葉を交わしながら、若い日に実家に帰った時のことを、洋はおもい出す。自分の巣を別に構えたものにとっては、生家は自分の家であって自分の家でない。ただいま、と言う所でもないし、今日は、と言うのもおかしい。照れの中に、一家の主人としての誇らしさがまじる。今の夏海もまた、そんな気分を味わっているのであろう。
 小腰をかがめるように入って来た佳奈は、孝子にすすめられながら夏海の隣に坐り、きちんと手を突いて挨拶した。
「あまりご無沙汰ですから、たまにはと思いまして……」
 ほら、と夏海を促すように腰を浮かすと、傍らの菓子の箱らしい包みを、これは仏さまに、と示した。
 二人が立って行って手を合わせるのは、白い合板で張られた、茶の間の壁に作りつけの棚の一郭である。葉書ほどの小さな仏画を奥に掛け、位牌を祀り、前には小さな香炉・鐘も置きならべてある。
 黒木づくりで扉のある普通の仏壇は、暗いので孝子が嫌がった。はっきり言ったことはないが、そうに違いない。
 日当たりのいい南向きの大きなガラス戸に面しているので、桃色の蓮弁の上に坐る仏の画像は、いつの間にかすっかり色褪せている。鎌倉時代と言っても通りそうな程に時代が着いている。
 位牌は三基ある。両端の二つは二まわりほど小さい。中央の広海のがまだ新しいのに比べて、表の金色の字もやや輝きが沈んでいるようだ。

  四月一日(月)
 午前のお茶を飲みながら、母が仏壇の方をふり仰ぐようにして、
「生きていればもう十九歳になるのねえ……どんな感じになっていたか知ら」
と言った。
 自分には五歳下の夏海の他に、九つ下の妹と、十歳下にもう一人の弟が居たはずなのだが、二人とも生まれてすぐに死んだ。今日はその妹の方の月命日に当たるので、母は油揚げご飯を炊いて上げたのである。
 本当ならば、自分にはまだ未成年の弟妹がいる。そう思うと、背筋に水を浴びたような気分になる。
 二人とも高校を卒業して、このご時世だからすぐに就職するよりは、大学か短大か専門学校へでも入ったろうか。
 確かなのは、二人が生きていれば、自分はこうして平日の昼間っから家で珈琲など飲んではいないだろう。ちゃんと定職について、稼いで、二人の学費などを助けていたに違いないという事だ。
 大学を出る年、ちょうど母校で教員の募集があった。世間知らずの自分はそのまま周りに流されるように院へ行ったが、その頃の二人はまだ十二、三歳で中学生になるやならず、長兄の私は、今こうして居候している学校にその時あっさり就職したに違いない。
 初年はそれなりに苦労する事もあったかも知れないが、今の自分が年を食ってる割に使えないと思われているのとは逆に、若いと云うだけで見ゆるされる所もあるものだ。そして今ごろは教員生活も七、八年目で、すっかり仕事も覚えた頃だろう。
 人のせいにする様だが、自分はその方が、目的のある充実した生活を送っていたのではないか。

 家計を思いやるようなことを子供に言われれば、父親としてはやはり憮然とせざるを得ない。たとえ弟妹が居ようと、行きたければ大学院だろうが外国留学だろうが勝手に行けば良いのである。その程度の自由を認められない位、お前を頼るつもりなど毛頭無かった。
 しかし、本当にそう言い切れるだろうか。
 元々、三人目は孝子が望んだ。広海・夏海と男の子が続いて、女の子を一人は育ててみたかったのである。夏海も五つになったので、そろそろ……という訳だった。
 あの子が無事に生まれてさえいれば、翌る年にもう一人とは考えなかったろう。妊娠中は順調であったのに、いわゆる過熟児で分娩の時に落命した。望み通り女の子であっただけに孝子の落胆も大きかった。次の年すぐにもう一度挑戦した結果は男だったが、やはり失敗し、もはや諦めざるを得なかった。
 当時、洋は孝子の哀しみを共にしたつもりであったが、その中に、これで少しは責任が軽くなったと、何か安堵するような想いが、少しでも混じっていなかったろうか。
 夏海が座に戻って、
「そう言えば、この間、そこで柿内さんに会ったよ」
 孝子に、近所に住む柿内夫人の消息を伝えた。孝子よりも二つ三つ若く、洋の一家がこの街に越してきて以来、付き合いは二十年にもなる。お互いの子供たちが小学生の頃にはPTA、成人してからは公民館のお稽古ごとなぞで親しくしている。
「しばらく会ってないけど、お母さん、元気? って云ってた」
「そう……ちゃんとご挨拶した?」
と、せめて連れ合いが居る前では止めたらよかろうと思うのに、母が息子に言うことはいつまでも変わらない。
 兄の広海が居なくなった時、五つ違いの夏海はちょうど大学を卒えるころだった。どう贔屓目に見ても学校は兄に比べて出来なく、私立の高校から順送りに大学に入って、長髪を金色にしたりしてぐうたらを極めていた故、当然自分で職を探すなどの気働きはなく、こいつも一体どうするのかと親は暗澹となりかかっていた。
 ビル管理会社で部長を務める、孝子の弟に頼もうか、という案は以前からなんとなく出ていたが、孝子がなりふり構わずという勢いで動きだしたのは、広海が死んだ直後からである。
 息子の就職を妻の弟に頼ることに、蟠りが全くなかったと云えば嘘になろう。しかし平凡な技術公務員には利かせるような人脈などなく、何かを振り切るような形相の孝子に、洋は任せておくしかなかった。
――広海の轍は踏ませない。
 母親の気迫に押されて、本人も思うところがあったのか、叔父の斡旋を素直に受けて真面目に勤め出し、生活が安定すると、大学時代から付き合っていた佳奈と所帯を持った。今では少し離れた郊外の、孝子の父親が建てた貸家のうちの一軒に住んでいる。
 中の兄である夏海にも、やはり二人の弟妹は欠落として刻み込まれていたのだろうか。広海が最後まで、それを自ら埋めきれなかったのだとすれば、夏海の場合は、突然いなくなった兄が、逆に新たな窓を開けてくれたのであろう。
 佳奈が何か、話しかけて来た様であったが、洋の耳には入らなかった。
「お父さんたら最近すっかりキンカになったんだから」
 孝子が呆れたように云い、皆は和やかに笑った。

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