第17回3000字小説バトル Entry15
マドリッドの動物園はのんびりしていた。
近くの草むらをクジャクがゆったりと歩いていたり、他の動物達に与えられたスペースも、窮屈という感じはしなかった。すいているので、娘が人に紛れて迷子になるということもないだろうと、私は、子供の手を離し、散歩の気分だった。
歩いていると、かっこいいお兄さんが冷たいチョコレートドリンクをくれた。とてもおいしい。友人に、スペインの動物園は、飲み物をくれることになっているのと尋ねると、いや、たまたま、キャンペーン中と教えてくれた。
マドリッドで出会った人たちが、皆親切だったので、ほらあげるよ、というように、気軽に配っているのかと思ってしまった。
スペインの人は、人情家らしい。タクシーでも何度か、運転手さんがタバコを吸う時に、運転しながら後ろを向いて、君も吸うかいと、箱から一本出したタバコを勧めてくれた。危ないということを気にするよりも、コミュニケーションの方を優先するのだと思った。
絵をみるために並んでいた時も、スペインの人の気質を感じることがあった。
待つのは退屈と思い始めた頃、私の前にいたおばさんも、同じように退屈だったらしく、私に話しかけてきた。何をいっているのか分からないので、「ノンコンプレヘンド」とか適当な単語をスペイン風にアレンジして答えた。すると、おば様は、もっと分かってもらおうと、沢山しゃべってきた。(だからー、わからないんです)と私が言葉を発する度に、それに対して、情熱的にスペイン語を返してくる。おば様と同じ気持ちになった方がいいようだと感じ、日本語でいいたいことを言うことにした。どうやら、おば様もそんな感じなのかもしれない。(とにかくしゃべればいいのね)私は、子供のことをしゃべることにした。
どこの国でも、子供の話題は似通っている。何歳だ、とか、可愛い子だ、とか。それなら実際の言語を理解しなくても、コミュニケーションはできる。おば様と私と4才の娘は、三人で適当に言いたいことを自分の言語でしゃべり続け最後に「アディオス]とだけ、スペイン語を言ってニコニコしながら分かれた。
近所の道を歩いていると、近所のおばさんに手招きされて、ナスやカボチャをくれると言われたこともあった。スペインの人って面白いなと思っていた。
マドリッドにまだ慣れていない頃で、動物園に、娘と二人きりで行くのが心配で、友人と一緒に来ていた。
きつい臭いがしてきた。
ゴリラがたくさんいる。横に広がっている岩山のようなところが、ゴリラ達の昼間の生活の場所だ。自分たちの故郷では暮らせないのだから、ゴリラ達は、今日のようないい天気に、のびのびしているといいと思っていた。
ゴリラの群は独特の黒い色だった。ふかふかした毛が長く艶やかに光っていた。
ボスゴリラ。その他大勢ゴリラ。子供ゴリラ。それらが岩を背景にした平地に、自然とグループを作っているようだ。
ボスゴリラが、どすどすと歩いてきた。威風堂々たる様子に、ひとめでボスと分かる。その他大勢のゴリラは、急いで彼のために場所を空けた。ボスに、びくびくしている。その場所は、人間のお客さんにとって丁度、舞台の真ん中にあたるような位置だ。皆なんとなく、彼に注目した。主演の俳優と観客のようだった。
ボスは真ん中に堂々と陣取ってから、気に入った雌のゴリラのほうをじっと見た。ぐりぐりした目なので視線がはっきり分かる。「こっちへ来い。」というように顎を振った。すみっこの雌ゴリラは気がつかないふりだ。ボスは何度も視線を送るが雌ゴリラは、気がつかないふりを繰り返す。
(ゴリラもデートに誘う時は相手の気持ちを大事にするんだわ)と見ていた。
とうとうボスは、これならどうだ、というようにそばに行って、彼女の手を引っ張り、自分のそばにぐっと引き寄せた。ああとうとうカップル成立と思った。
いつの間にか、恋の成り行きに興味を持ったやじうま人間で柵はすずなりだった。
しかし、雌ゴリラは、ボスゴリラから離れていった。(ああ、嫌なのね。しつこくされて気の毒だわ。)ゴリラというより人間の女性として、彼女の気持ちと同化してしまっていた。
一方、その他大勢のゴリラ達も、そろって横目で成り行きを見ていた。興味津々という様子だが、体だけはじっと固めて、見ていません、というようなふりをしている。まるで、群れ全体の時が止まったように、不自然なほど動きがない。わざとらしくて滑稽だ。
あっ、と思った。突然、彼が、いえ、ボスゴリラが、すごい早さでその他大勢に向かって突進していった。「みるなっー散れーっ!」という感じ。
(そうよ。みんなが見ていたら恥ずかしいわね)と思った。
塊だったその他大勢達は、一頭一頭が、それぞれ、見てませんでしたよーというように、急にばらばらに動き出した。それを見届けてから、又ボスゴリラは舞台中央へ戻った。すると残念なことに、あの雌は、さっきよりもっとすみっこにひっこんでいた。 しかし、ここが男の我慢のしどころというように、ボスは辛抱強く、最初の、じっと見つめるという時点から再開した。
見つめる。無視。顎で誘う。無視。その他大勢を怒鳴りつける。戻る。見つめる。 又無視。
ゴリラも人間も一体化して同じドラマを見続けていた。
しかし、ちょっと飽きてきた。このままずっと続くなら、他の動物を見に行こうかしら。 そう思った時だ。ボスはすごい早さで雌の彼女に向かって走った。彼女の後ろから、力強く首に手を回した。そのまま、雌の首を脇に抱えて、ぐいぐいとひっぱって行く。(ああ、そんなにひっぱっちゃ雌さんのお尻がすりむけちゃう)と思う間もなくボスはあっという間に、真ん中にある舞台裏(檻?)へと続く岩の裂け目へ、雌を連れ込んで、二人は消えてしまった。
ニュースで見る「突入です!」というような一瞬の出来事だった。
いやだなんて言わせるものかとの断固たる決断という雰囲気だった。(男らしー)とは思った。しかし、その雌が、喜んだのか又は諦めたのかは、さすがに想像できなかった。そこに、残念だが種の壁を感じた。あんな荒々しいのは、嫌だけれど、ゴリラさんにとっては、普通に、かっこいいと感じられる態度かもしれないし。
ボスが動いた瞬間、人間達は、そろって、おおーっと深く深くどよめいた。スペイン人のどよめきは、日本人とは違って、より深い声だった。
ゴリラさん達の方は、顔が、全員そろって同じ向きになっていた。ボスさんのやったことを見ていない者は、一頭たりともいなかった。消えていった岩の裂け目を見るために、皆が同じ方向に向かって固まっていた。まるで、素晴らしい彫刻のように美しかった。
ゴリラ達は、その美しい姿勢のまま、私達人間の発した、おおーっとの声をしっかりと聞きとり、きっと共感してくれたに違いないと思った。
どよめきの後、緊張がほどけてから、人間は、口々に今の感動を語りだした。
ゴリラ達の方は、語らないまでも、顔を見合わせたり、こわごわ岩のすき間をのぞき込んだり、又好きなことを始めたりした。
人間とゴリラの二種が似たような行動をとったことが、なんだか愉快で嬉しかった。野次馬的感動の共有だった。
さらに、私にとっては、人間とゴリラの二種ではなく、スペイン人と日本人とゴリラの三種だ。異国にとけ込めた瞬間だった。