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第17回3000字小説バトル Entry21

 気が付くと春は終わっていた。
 夜道を歩く。ふと振り返る。そこには桜の樹が立っている。太い幹に豊かな緑をよろった、桜の樹が立っている。月の下、わずかに残ったその淡い花を風に散らしながら、桜の樹が立っている。
「どうした」
「何でも無い」
 気が付くと春は終わっていた。
 私の春に関する印象はいつもこれだった。花見もやった。入学式も卒業式も今までに何回もやった。だが私が振り返るといつも、いつの間にか春は終わっている。
「どうした」
「何でも無いよ。ただ、桜が散ってしまっているな、と思って」
「桜か」
 アベは桜の樹を見上げた。
「俺は桜は好きじゃ無いな。今年は早く散ったが俺は別に何とも思わん。春に咲く花は桜だけじゃ無いしな」
 それがアベの答えだった。
「どちらにせよ花見をしている暇は無いがな。行くぞ」
「ああ」
 私達は再び歩き始めた。
 道は狭く、思うように歩けなかった。月がやけに眩しくて、それが私を疲れさせた。
「ここはどこら辺だろうな」
 疲れを紛らわそうと、私はアベに話しかけた。
「昨日の、奴らの襲撃から随分歩いた。だいぶ街の中心から離れた筈だけど」
「さあな」
 アベは振り返りもせずに言った。
「俺達はこの街を何も知らない。街がどれ程の広さなのか。人口。奴らの意図。何も解らん」
「そうだな」
「本当に『壁』が在るのか。それさえ俺達には解らない」
「ああ」
「ずっとここで暮らしてきてこれだ。だがまあとにかく歩き回るしか無いだろう。目眩滅法でもな」
「ああ」
 私はそう答えアベの後を追った。
 アベの後ろ姿はいつも私にカエルを思わせた。仲間の中で一番最後に冬眠から目覚め、ゆっくりと穴から這い出てくる。そんな頼もしいカエル。
「なあ」
「何だ」
「何でついて来てくれたんだ?」
 私は歩みを速め、アベに並んだ。
「あんたは皆に慕われてた。奴らにもウケが良かったし、あのまま行けば区画長にだってなれたかもしれない」
 アベの足は速かった。私はそれになんとかついていった。
「なあ、何でだい」
「お前の話が面白かったからだ」
 アベは歩みを緩めながら言った。
「お前は昔から面白い奴だったからな」
「そうかな」
「そうだよ。それで随分いじめられてたようだが」
「そうだな」
「面白い奴だよお前は。お前だけだぜ。街の外に『壁』があってその外に世界が広がっている。こんな噂を信じてる奴は」
「そうかもな」
「ああ。面白いと思ったよ。もし本当に外の世界があるなら俺も行きたい。だからお前にちょいとついていこうと思ったのさ」
「そうか」
 アベはまた歩みを速めた。遅れないよう私も足を速めた。
 陰鬱な街並みを、私達は歩き続けた。闇は果てが無かった。その中を私達は歩き続けた。闇雲に扉を開け、路地を曲がり、私達は歩き続けた。
 道の先は少し小高い丘になっていた。振り返ると街が広く見渡せた。
 月の下、街は低く続いていた。影を集め、敷き詰めたように、低く、どこまでも。
「街、って何なのかな」
 私はアベに聞いた。
「さあな」
 アベは振り返り、そう答えた。
「俺には解らん。もしかしたら誰にも解らないのかもしれん」
 そう言ってアベは歩き始めた。
 私は少しの間だけ街を眺め、そしてアベの後を追った。


「もし『壁』の外に出られたら俺はミナミに行くよ」
 折り重なった鉄骨を潜りながら、アベが言った。
「ミナミは暖かく、皆が裸で暮らしてるらしい。凄いよな。こんな重装備をしなければ生きられないこの街とは大違いだ」
 そう言ってアベはがちゃり、と胸を叩いた。
「ところで。お前はどうするんだ?」
「どう、って」
「外に出られたら、お前はどうするつもりだ?」
 私は返事に窮した。そんな事は何も考えてなかった。
「解らない。決めて無いよ」
「そうか。お前はいつもそうだな。肝心の事は何も決めないままだ」
「そうだな」
 私はそれだけを答えた。
「肝心な事は何一つ決めないで、夢ばかり見て、それでこんな所までふらふら歩いてきて。なあ。お前、今まで飯をうまいと思った事あるか?」
「あるよ」
 私は答えた。その声はいくらか強かったかも知れない。
「いいかい」
「何だよ」
「他の奴はな、飯を食えばうまいと思うんだよ。皆そうだよ。皆、幸せだと思うんだよ。なあ。お前、幸せって解るか?」
「解るよ」
「本当に?」
「ああ」
 私の声は、またいくらか強かったかも知れない。そしてその声の強さが、私の弱さを示していたかもしれない。
「お前はきっと何か大切な物を持たずに産まれてきたんだろうな」
 アベはいつの間にか立ち止まっていた。
「なあ」
「何だよ」
「その何かはきっと街の外にだって無いぜ」
 アベはそう言って私を見た。
「お前の欲しい物はきっとどこにも無いぜ。なあ、それでも行くのか?」
 アベの目の強さに、私は視線を逸らした。逸らしながらも、私は言った。
「仕方無いじゃないか」
「え?」
「仕方無いじゃないか。飯をうまいと思えないのだから仕方無いじゃないか。うまく産まれる事が出来なかったのだから仕方無いじゃないか。生きていて後ろめたいのだから仕方無いじゃないか」
 私はいつの間にか目を上げていた。私はアベの目をじっと見つめた。
 その目の先に私は色々な物を見た気がした。父だとか母だとか思い出だとかそういう色々な物。誰にでもある物。その中にアベの言う「何か」があった気がしたが、それでも私はそれには手を伸ばさなかった。私はずっとそれとは違う物を見つめ続けた。
「そうか」
 やがてアベは目を細めた。
「なら行くしか無いよな」
 そう言って笑った。
 その笑みはひどく優しかった。
「アベ」
「何だ」
「有り難うな」
「何がだよ」
「いや。とにかく、有り難う」
「そうか。じゃあそろそろ行くか」
 その時、赤い光が閃いた。
「奴らだ」
 私達は物陰に身を隠した。
 赤色灯はみるみるうちにその数を増していく。
 私達は奴らに囲まれていた。
「どうする」
「決まってる。突破するしかない」
「そうだな」
「しかしこの数は厄介だな。二手に別れた方が良さそうだ。ここでお別れだな」
「そうか」
「ああ。俺はこっち。お前はあっち。それで良いな」
「解った」
「おい」
「何だ」
「頑張れよ」
 アベは私の目を見ながらそう言った。優しい目だった。
「ああ」
 その目に感謝し、私は答えた。
「頑張るよ」
「また会おうな」
「ああ」
「よし。じゃあ行くぞ」
 アベは闇に飛び出した。
 同時に私も反対方向へ駆け出す。
 つんざくサイレンの音。闇。赤色灯。銃声。
 私はその中を駆けた。赤の光をかき分け、私は駆けた。
 駆けながら私の体はいつの間にか小さくなっていった。何故かは解らない。
 体は序々に小さくなっていく。手足は黒く固まり始め、何か得体の知れぬ感覚が全身を貫き、それでも私は駆け。
 そして。



 振り返ると、そこに男が倒れていた。赤い光に囲まれ、男が倒れていた。
 私は人間について考えてみた。
 殺し合い、憎みあい、街いう得体の知れぬ物を生み出し、そしてそこで一生を過ごす人間達。
 虫として産まれた私には、やはり人間について何も解らなかった。
 赤い光に囲まれ、男が倒れている。
 私はその男について何か知っていた気がした。その男について何かを思ったが、すぐに興味を無くし、私は考えるのをやめた。
 私は翼を広げた。翼は、しい、という静かな音をたてながら、私を高く運んでいく。
 闇は果てが無かった。その事が私には心地良かった。


 私はふわりと壁を飛び越えた。

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