第17回3000字小説バトル Entry6
細く長い煙草を指に挟みこみ、女はふうっと煙を吐いた。
「…で?」
暗い部屋の中で深々とソファに沈み込んで、気怠い視線を俺に投げかける。
「どうすんの、これから」
俺はドアのそばに突っ立ったまま、ただ女の波打つ長い髪を見つめていた。
すべては酔った勢いだった。
友人と2人久しぶりに夜の街で遊んだ俺は、友人の賭に乗った。…どちらがいい女をゲットできるか。
俺達は、大阪一有名なナンパ橋に陣取った。週末の夜、道行く人は皆開放感にあふれている。極彩色の大きなネオンサインが、浮かれる心に拍車をかける。気のせいか橋の上を行き交う女達も声を掛けられるのを待っているように見える。ヤツに負ける訳にはいかない。なじみの店のボトルがかかっている。
俺達はしばらく品定めをして、一番派手な2人連れに声をかけた。俺が強引に迫ったのは、赤いスーツにピンヒール、腰まであるウェーブヘアが似合う、派手な大阪の中でも一番派手ではないかと思える女だった。
ひとまず4人で一緒に飲んだ。そして友人達と別れ、俺はそのまま表通りから一本入ったホテルに女を連れ込んだ。
お互いしたたか酔っている。照明を点ける間もなくもつれる足でなだれ込むように部屋に入る。ドアを閉めるのを待って、俺はそれまでのへらへらした表情をひっこめてこういった。
「おまえ…相山高3年C組だった高橋佳織だろ」
俺の腕にぶら下がってきゃあきゃあ笑っていた女から笑みが消えた。
学生の頃の佳織は…くるくる巻いた長い髪をきつく三つ編みにし、ビン底の如き分厚い眼鏡のむこう側で、その瞳はいつもどこか夢見ているようだった。
彼女を捜そうと思ったら、放課後の図書室に行けば良かった。窓際の隅の席、そこはあたかも佳織の指定席の如くにいつも主を待っていた。その席にちょこんと座り、本を読むのが楽しくて仕方ないかのように笑みを浮かべて、佳織は空想の世界に遊んでいた。
俺は少し離れた席にひっそりと腰掛け、顔の前に本を立てかけて斜向かいの佳織を見つめていた。普段の佳織は内気で、みんなの中にいてもその声を聞くこともない。そんな佳織が唯一自分らしくのびのびと空想世界を漂っているのを見るのが、俺の楽しみだった。
そこだけ時の流れが止まっていた。佳織の周りだけたんぽぽ色の陽が射していた。
佳織を守ってやりたかった。眼鏡の奥の大きな瞳は、ごちゃごちゃした集団の中で放っておくと壊れてしまいそうな危うさを秘めていた。
しかし、かといって声も掛けられない、おもちゃみたいな片想いだった。
あのころと同じなのは、このくるくる巻いた長い髪の毛だけだ。
むせ返るような香水を着こなし、指の先には鮮やかな色彩が舞い踊っている。分厚い眼鏡は影もなく、かわりに長いまつげが大きな瞳を縁取っている。たんぽぽなんてとんでもない、今の佳織は大輪の深紅の薔薇だ。
窓の隙間から洩れ来るネオンサインに縁取られ、ロングヘアーの巻き毛が金色に燃え立つ。この巻き毛が天然パーマだと知っているのは、この大都会で俺一人きりではないだろうか。
まさか声を掛けた時には彼女だと思わなかった。自分の目が信じられなかった。
だからこそ強引に部屋まで連れてきた。この変貌の理由を知りたかった。
ベルベットのような深紅の唇が、ぽつりと懐かしいイントネーションを紡ぎ出す。
「ぼっけえ久しぶりじゃなあ…元気だった?」
つられて俺もふるさとの言葉に戻る。
「ああ、覚えとったんか、俺のこと。同じクラスじゃったよな?」
くすん、と彼女は笑った。笑うと鼻の頭にしわが寄るのは昔と変わっていない。
「あんたも変わったわね。こんなナンパ師だとは知らんかったわ」
そう言ってまたロングサイズの煙草を指先でつまみ、口にくわえる。
あたかも吸えない子供がむりやり吸っているような痛々しさがそこにはあった。思わず俺はその煙草を奪い取った。
「煙草はやめねえ」
佳織は眼を大きく見開いて、俺の方に向き直った。
「なにするんよ」
「体によくないじゃろうが。大体君に煙草は似合わん」
佳織は、一瞬叱られた子供のような顔になった。眉を八の時に寄せ、べそを作ったような表情をし、次の瞬間下を向いて大声で笑い始めた。
「あっははは…何ゆうとるんよ。あたしほど煙草が似合う女はおらんじゃろう。誰を見て物をゆうとるんよ。目の前をもっとよく見てみにゃあ…」
佳織はけたけた笑っている。
「だっておまえは…高校の頃の高橋は」
俺がそう言いかけると、佳織は急に真顔になってこう呟いた。
「5年たてば女は変わるものよ」
佳織は俺に目もくれずまた煙草をくわえる。長い爪が器用にライターをかちり、と鳴らす。
それ以上の俺の追及を許さない厳しい横顔がそこにはあった。俺は佳織をこの部屋に強引に連れてきたことを後悔していた。
「じゃあ、帰るわ」
俺はドアノブに手を掛けた。
「相変わらず鈍いんやねえ。なんで私がのこのこここまでついてきたと思うとるんや」
くわえ煙草のまま佳織は俺の背中に大阪弁を投げかけた。俺は弾かれたように佳織の方に向き直った。
「あんたは私の事を覚えてへんと思とったわ。そやからこそ、軽い女の顔であなたについてきたんやないの。通りすがりでもなんでもええからあんたと一緒にいたかった。もう二度と逢えんと思うてたから」
俺は凍り付いた。佳織の目はまっすぐ俺を射抜いていた。
「今やから言えるわ。もっと勇気があればあんたに告白できたんやけど、って幾度おもたことか。うじうじした自分が、好きな人に気持ちも伝えられへん自分が大嫌いやった。そやから、学校出てからスタイルを変えた、服の好みも変えた。煙草も覚えた。気がついたら自分でもびっくりするほど変わってしもうて、あんたが気がつかんと当たり前やて思うてた」
岡山弁はすっかり影を潜めていた。今佳織の口から出てくるのは紛れもない大阪弁だ。
人間、自分の本心を告げるときには素のままの言葉が出るという。
今の佳織にとって自分の言葉はふるさとの方言でなく大阪弁なんだ。
これが今の佳織だ、俺が守ってやりたかった佳織はもう居ない。
代わりにここにいるのは、俺なんかよりもずっとずっと強くなってしまった大人の女。
俺の手には負えない、とびっきりのいい女。
俺の思考はそこで止まった。佳織が俺の胸に飛び込んで来たからだ。
「今まで、いろんな人に巡り会ったわ。恋もたくさんした。でもね、煙草吸うのを止めてくれた人はあんたが初めてや」
俺はためらいながら佳織の肩に手を回した。か細い肩は、心なしか震えている。
「あたしを見つけてくれてありがとう…」
鋼の鎧を脱いだ瞳は昔と変わらぬ温かい光を秘めて俺を見上げている。
俺は何も考えられなくなった。そのまま吸い込まれるように唇を重ね合う。
あのころ夢にまで見た佳織とのキスは、メンソールの匂いがした。