第18回3000字小説バトル Entry6
「その時、その状況で、その人が何をチョイスしたかが重要なの。それはあの日受験に行かなかったとか、どっちの会社に決めたとかそういう事じゃないのよ。そうね、ある状況下に於いて、いくつもの感情が沸き起こるでしょう。ポジティブなもの、ネガティブなもの。その中で自分が何をチョイスしたかっていう事なの。納得とも言えるかもしれない。そういう1つ1つの積み重ねでその人が形成されていくのよ。それを考えるのはとても難しいの。だから後悔という私が1番嫌いな感情につながってしまうのよ。それは反省にもつながるわ。だから本当はとても慎重に選択しなければならないの」
そう彫られた小さなプレートがあって、それを包み込む様に様々なスクラップが重なり合っている。主には金属や鉛で出来ていて、はんだ付けされた電子回路や熱で半分溶かした受話器や切断されたシールドや乾電池等があちこちから飛び出している。その物体は薄暗い防音室にあって、時々内臓されたモーターが作動し不協和音を奏でる仕組みになっている。文字は彫った所に赤い蛍光塗料が流し込んであり浮き出て見える。
俺は流線型の白いベンチに座り、缶コーヒーを飲み煙草を吸っていた。灰皿は水をすくう時の手の様な形をしていて消え切っていない吸殻から煙が上がっている。中指の第2関節の辺りに煙草を押し付け、消えていない吸殻にコーヒーをかけた。俺は、自分の腕に煙草を押し付けて喜んでいた同級生の事を思い出して、そいつが好きだった女はヨリコといい、休み時間はいつも本を読んでいて両親が2人とも教師で、自分の美貌に全く気付いていない女で、事あるごとに根性を焼いていた同級生はいつもちょっかいを出していたが、いつも相手にされずいつもブスと罵っていて、ある日彼女が引っ越す事になって、それを知った根性焼きは酒で勢いをつけて彼女の家に行ったが既に誰も居なくて、根性焼きは家で1人で泣き例によって新たな傷を1つ増やして、ヨリコは次の学校でいじめにあい、受験に失敗して家出をして、自殺未遂を2度起こし6ヶ月間精神病院に入って、その後ヨーロッパを1人で旅してその間に出会った男達と身体を結び2度中絶をして、日本に戻り年下の商社員と結婚して、すぐ離婚した。
俺はさっきの物体をもう1度見たくなって、防音室へ足を運んだ。俺は少しふらつきながらそれを眺めていた。
「こんにちわ、あなたが来てるとは思わなかったわ」
俺はあまりに突然だったせいもあるが、それ以上にその美貌に、その切れ長で強い瞳に、すらっと伸びた高い鼻に、薄く柔らかそうな唇に圧倒されて、瞬きを繰り返すばかりだった。
「あなた、また酔っているんでしょう。でもあの時みたいにお酒じゃないわね。私ヨーロッパで色々経験したから分かるわ」
俺は曖昧に返事をして、久しぶりだねとか調子はどうだとかそういう話をして、後2時間位で個展が終わるからお酒でもと彼女が誘ってきたので、俺は流線型の白いベンチで待つ事にした。
「どうしてここに来たの」
マルガリータを飲んでいる彼女が言う。
「噂を聞いたからだよ。個展を開くって」
俺はハイネケンを喉を鳴らして飲んだ。
「どうせ、ロクデモナイ噂ばかりでしょう。分かってるわよ。別に関係ないけど。それより私、あなたの事好きだったのよ」
俺は嘘だろ、という微笑みを返した。
「私は感情を表に出す事は恥ずかしい事だ、と教えられて育ったの。今考えるととんでもない話だと思うけど、信じてたわ。だから沢山本を読んだ。頭の中を文字で埋め尽くしたかったの。感情を出さない訓練をしてたの。それは難しいのよ。そうね、あらゆる物事を客観的にみるの。どんな出来事でも第3者的にみるのよ。私はそれをやっていた。それが原因でいじめにあったわ。悲惨だったわよ。でも皮肉な事にその頃の私は第3者的見方がほぼ完璧に出来ていたから、助かったの。今私は3人からひどいいじめを受けていて、お尻に画鋲を刺されて痛いと思っている、とかそういう具合よ。そのうち私は分裂症だと診断されるようになった。私には原因が分かっていたから怖くは無かったわ。鉛の様なハートを溶かしてゆけば全ては解決するってね。それで私はヨーロッパに行ったの。なぜヨーロッパだったかは思い出せないんだけど、多分本の中で見たギリシャの写真のせいだと思うわ。私は徐々に解放していったの。鉛の様なハートを溶かしてゆくようにね。危険な目にも沢山あったわ。レイプされそうになった事もあるし、銃を向けられた事もある。でも楽しかった。今じゃ楽しい事しか覚えていないわ。それで私の鉛の様なハートは徐々に赤く波打つハートに戻っていったんだけど、何かが欠落している事に気付いたの。それはとても重要な部分で私は信じられない位落ち込んだ。そしてしばらく経って、そのどうしようもない闇を覗いてみる事にした。そしたらそこには今まで見た事の無い物体がゴロゴロしてるのよ。それはイメージなんだけど、私はそれを形にしてみたの。すると、欠けていた部分が無くなるのよ。きれいさっぱり。いや無くなるというのは正確じゃないわね。その部分に目がいかなくなる、と言った方がいいかしら。今まで熱が40度もあったのに、35度8分に戻ったって感じよ。でも気が付くとまた40度に戻ってるのよ。そして私はそれを形にする。それの繰り返し。ある意味、救いなのかもしれない」
俺は半分以上理解できず、2本目のハイネケンを注文した。
「それが俺の事を好きだった理由か」
「そうよ、これ以上の説明なんか考えられないわ」
俺は昔、ほとんど会話をした事がない女のしかも半分以上理解できない告白を冷静に聞いている自分が不思議だった。
「あの作品のタイトルはなんて言うんだい」
「『欠落』よ」
彼女は当たり前でしょ、というように短く答えた。
そして、
「私にとって、最初の欠落はあなただった」
と言い、俺は傷を剥き出しにして生きる彼女が、2杯目のマルガリータを注文するのを見ていた。