第18回3000字小説バトル Entry9
治承五年閏二月四日、平清盛は、度重なる悪行の故か、人も近寄れない程の熱病で滅した。
天皇家と手を結び権勢を誇った平家が、子息重盛の急死を遠因とした反乱軍の跋扈の中、強引な福原遷都、東大寺・興福寺焼き払い等数々の失政を犯し、その衰退が強まってきた最中であった。
聞くところによると、熱さましのため、清盛に水をかけたところ直ちに火となって燃え上がる程の熱病であったという。
あまりに凄まじい熱であったので、誰も臨終の時を見る事が叶わなかったらしい。
死したのち、時間を置いて熱が引いてきたというので誰かが近寄ったところ、すでに灰と化していた、という事である……。
「おや? あれは……」
摂津国経の島の砂浜で、一人の漁師が網を直している最中に、海に浮かぶ一艘の小船を見つけた。
経の島とは、主に当時の中国王朝たる宋帝国を相手に交易事業をなす為造られた、防波堤の役割を果たす島のことである。
「なんだ? 人が乗っていない……」
その船には人の気配がなく、かといって漂流しているような動きでもなかった。まるで人が居るかの如く、果てない海の向こうに力強く向かっているかのように、その漁師には思えた。
「清盛様が大変な事になっているせいなのか、不思議な事があるもんだ……」
一介の漁師でも、清盛が熱病に罹っている事は知れ渡っていた。時勢、至るところで平家に対する反乱が起こっていたのもあり、そのような漁師でもそういう政には敏感になっていたのだ。
「……もしや、亡くなられたか……」
漁師はふと、そんな思いを抱きながら、少しずつ遠くなってゆく小船をじいっと見つめた。
と、しばらくして、その小船から大きな、影のようなものが突然現われた。
その影ははっきりと存在がわかるようではあるのだが、しかし何故かおぼろげに写しだされるような、陽炎がうっすらと、しかし纏いつくが如くにかかっているような儚いものであった。
「なんだ、あれは……」
漁師は、誰も居ないと思っていた小船に大きな影が映し出されるのを見、驚き、そして海で鍛えた視力をもってその影がなんであるのかを見極めようと目を凝らした。
「あ、あれは……! 清盛様……」
漁師の目に焼きついたのは、清盛。それも涙を湛えて堪えるような表情の清盛であった。漁師は、かって合戦に打って出る清盛を一回だけ見たことがあったのだ。
「な、何故、清盛様が……?」
愕然としている漁師をよそに、清盛は、自分の屋敷のある西八条の方向に顔を向けつつ、そのまま段々と海に向かい、そしていつのまにかある地点で止まると、そのまま船もろとも、ゆっくりと導きかれるように、船体を緩やかに傾かせながら、ほどなく沈没していった……。
沈み行く小船から垣間見えたその表情は、まるで悔いを残すような、宿敵たる源頼朝の首を取れぬ事への断念とも取れるような、正に無念の表情であった。が、その無念の中にも、ある種の諦念といったものが、清盛の眼から伺えるように漁師には思えてならなかった。
「あ、あれは、幻か……?」
漁師は、しばし目を疑った。
しかし、あらためて清盛が沈んだ地点を確認すると、
「ああ、そうか……、……亡くなられたのだ……」
と、思いを馳せた。
清盛は、悪人とも謳われた武士であると同時に、実は比叡山の高僧慈恵僧正の再誕とも言われた信仰深き人でもあった。
その事から、港の工事の安全祈願を願って地中に埋められる人柱を哀れみ、そのかわりに、大きな石に経を彫りつけ、それを埋めていたのだ。
この経の島にも、地中に埋めるものと、それとは別に、さらなる祈願のためにという名目で、何故かもう一つだけ、彫り付けた石を海中に投じていたのだった。
「清盛様があそこに石を投じられたのは、もしかすると、涅槃へと向かう道をつけるためでもあったのかも、知れないな……」
漁師は一人ごちて頷くと、日が隠れて暗くなるまで、淡々とそこを見つめているのだった……。