第19回3000字小説バトル Entry13
その普通乗用車は、歩行者数人を引っかけ走り去った。
「!」
下田両次巡査部長は半袖ワイシャツの胸ポケットから電話を取り出し、ボタンを押す。
『こちら藍川署……』
「捜査一課の下田だ。別件で張り込み中、県道七号で轢き逃げを目撃した。ナンバーは――」
報告も終わらないうちに、大きな破壊音が響き渡った。
「ぬぁ!?」
別のトラックがコンビニを貫き、逃げまどう買い物客や通行人を踏みつぶして行く。
「轢き逃げに加えて通り魔だ。機動隊でもSWATでも用意してくれ!」
『――はいっ、急行させます』
「おう頼む!」
下田が電話を切ろうとした時。
「う、嘘、だろ?」
彼の目の前で、白と黒のツートンカラーの――パトカーが数人の歩行者を轢いて行った。
暴走する車は、町中に溢れていた。
「交通課は何やってやがる!」
下田は、周囲を見回す。
県道沿いの繁華街。休日の昼下がり、梅雨の晴れ間に買い物客で賑わっていた通りは、悲鳴と騒音に満たされる。
――車がまた突っ込んで来た。人々は逃げようとするが、互いが邪魔になって逃げ切れない。
「畜生!」
押し寄せる車に、下田は拳銃を向ける。だが、三八口径拳銃のあまりの小ささに我に返った。
「お巡りさん、ですか!」
下田の銃に気付いて、人々が寄って来る。
「いや、俺は――」
「安全なところはどこですか!」
「どうなってるんだ!」
「助けてくれ!!」
「あ、いや、よし!」
すぐに我に返り、下田は拳銃と警察手帳を高く差し上げた。
「警察だ、誘導に従え!」
ほんの一瞬訪れた沈黙を、彼は逃がさなかった。
「あそこのビルに逃げ込むぞ!」
下田は雑居ビルを指さした。
「走るなよ! 早足で行け! そこの女、そんなヒール折っちまえ!」
彼を含めた最後尾の一団がビルに入ろうとした時。
「うわっ、来た!」
誰かの悲鳴がして、巨大な十トン積みトラックが迫る。
「走れ!」
下田たちは、ビルの狭い階段を駆け上がる。だが、トラックは真っ直ぐビルに突っ込んで来た。
「ひぃっ!」
轟音と共に、下田の足の下十センチまでがえぐられ、コンクリートの破片が飛び散る。
壁にめり込んだトラックは、何度かアクセルをふかした後、ようやく止まった。
「し、死ぬかと思った」
子供を三人ほど小脇に抱えたまま、下田は溜息をついた。
ビルの屋上に避難した下田は、汗だくの額をハンカチで拭こうとしたが、腕が上がらなかった。
(肩が折れてやがる)
左手にハンカチを持ち替え、額を拭きながら、眼下の道を眺める。
そこには、猛スピードで暴走を続ける車の群があった。
梅雨明け間近の蒸し暑い陽気のせいでオーバーヒートを起こし立ち往生する車もあったが、構わずに他の車が突っ込んでいく。逃げ遅れた人々の死体が何人も路上に転がっていた。
「脆い……」
「警察のおっさん!」
「あ?」
近くの高校の学生だった。ワイシャツに血が付いている。
「中山が、中山が死にそうなんだ!」
彼と同じ制服を着た怪我人は、意識がなく、脚の止血帯は真っ赤に染まっていた。
「精一杯の事はやった。今はこれ以上の手当は出来ねえ……」
「あんた警察なんだろ? どうにか出来ねえのかよ!」
「やかましい、警察と医者を混同するな」
その時。
微かなサイレンの音が、近付いて来た。
「救急車だ!」
学生は屋上の端に駆け寄る。
しかし。
「ああっ!」
猛スピードで救急車が走り抜けていった。
――子供を跳ねとばしながら。
「中山……一体どうすれば」
「どうできる、か」
下田は自分のバッグの中を漁る。
警察無線、携帯電話、三八口径拳銃、他に簡単な救急セットとタバコ七箱にライター。
「無線も電話も混線中か。しかもこの暑さじゃ、日射病もあるな……」
下田はタバコに火をつけ、煙を吸い込む。
「お前、名前は?」
「木村だ」
「銃は俺が使う。お前は背負え」
タバコの火をもみ消す。
「えっ?」
「上鷹野総合病院まで一.五キロ。走れば五分だ」
「はいっ!」
西日と炎と血が、町を紅く染めていた。
道には、生きた人間はもう誰もいなかった。ただ、あちこちに死体が転がり、時折壁や建物に激突した車が燃えているだけだった。
「動く車はどこに行ったんだろう?」
木村が呟く。
「さあな。ま、もっと走りやすい場所に向かったのかも知れねえな」
右肩に痛みを感じながら、下田は応えた。
しばらくの間、二人は無言で歩く。
「お巡りさん」
沈黙が居たたまれなくなったのか、木村が口を開いた。
「一体、これはなんなんだ? どうして?」
「お前ぇはどう思う」
下田は燃えている車の炎で、タバコに火をつけた。
「え、ああ。おれは……車に欠陥があったんじゃないかと思うけど。暑さでブレーキとかアクセルが壊れたとかそういう」
「欠陥か」
「とにかく、ものすごい事だと、思う」
下田は人間の手では決して出来ないほど、激しく損傷した死体を見つめる。血の臭いが湿気の多い風に乗ってやって来た。
「ものすごい――かな?」
横転して動かなくなっている車を蹴飛ばした。
「車が走る位置を、ほんの二メートル左に寄せるだけ、とも言えるぜ」
小一時間が過ぎた。
「お巡りさん、その先の角を曲がればいいんだったな」
木村の表情には、疲れがありありと見えていた。背中の中山の意識は戻っていないが、呼吸はしていた。
「ああ、もう一息だ!」
下田が顎から滴り落ちる汗を拭う――と、ふいに、微かなエンジン音が背後から聞こえた。
「避けろ!」
突っ込んで来たのは、軽乗用車だった。
かわし切れずに弾き飛ばされた木村は、中山を庇いつつ地面に激突する。
「木村!」
軽乗用車はバックで木村を轢こうとして、エンストを起こす。
「っ!」
一瞬の隙を突き、下田は軽乗用車の助手席側の窓に取りいて拳銃を向けた。
「な!?」
ドライバーは、平凡な――エプロン姿の――主婦だった。そして、助手席のチャイルドシートには、幼い子供がおとなしく座っていた。
とても不機嫌そうな顔をしながら、彼女はハンドルを握っていた。銃口を頭に向けられている事にも気付かない様子だった。
「止まれ!!」
下田は引き金に指をかけたまま怒鳴る。
(もう走らせないなら――)
だが、彼女は何かに取り憑かれた様に、何度もキーを回していた。
(エンジンが掛かるまでは!)
幸いにも、エンジンはなかなか掛からない。
(――今の、うち、か?)
撃たなければ、やられる。
下田は逃げられても、木村が。
(いや、まだ、まだ早い!)
気の遠くなるほどの時間が流れた。少なくとも、下田にはそう感じられた。
そして。
――ドライバーは、キーから手を離した。
それから彼女はあちこちを見回して首を傾げた。その表情は、既にただの無害な一般人に戻っていた。
下田はへたへたと座り込んだ。
「木村、無事か?」
いつの間にか日は落ち、涼しい夜風が通り抜けて行った。
「――なんとか」
数週間後。
病院で見舞いを済ませた下田は、歩いて警察署に向かう。
壊された建物や施設も、あらかた修復されている。
「結局」
路面も工事が行われていた。
「道交法への不満と不快指数上昇による、ドライバーのストレスが原因、か」
小学生の一群が、歩道をふざけながら通り過ぎ、その脇を車が走り抜ける。
歩道には、撤去されたまだ新しい制限速度標識がいくつも積まれていた。
「せいぜいストレスなく走ってくれよ」
夏の日差しが、青い空と白い雲をくっきりと浮き立たせていた。