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第20回3000字小説バトル Entry9

チョコレート・サマー

「何してた?」
「爆弾の代わりにチョコレートを投下したパイロットが出て来る推理小説を読んでた」
「その人、死ぬの?」
「君の電話で読み止しだから判らない」
「お父さんが死んだの」
「何?」
「飛び下りだって」
「そっちに行く」
「いい」
「なんで」
「その小説、読んじゃってから来てよ」
 電話は切れて十分後に彼はやって来た。
 私は本当にパイロットがどうなったか知りたかったから、少しがっかりした。

 「お父さんが死んだんだって?」
「ええ」
「飛び下り?」
「そうみたい。
 なんて小説?」
「なにが」
「さっきあなたが読んでいたやつ」
「どうでもいいだろう、そんな事」
「じゃあ教えない」
「は?」
「あなたが秘密を教えないのなら、私だって教えない」
 そう言いながら煙草をつけると、彼はこっちが可笑しくなる程唖然とした表情をした。無理もない。私は六つの時から、こんな子供じみた言い様なんざした事がないから、彼にしてみればこんな私を見るのは初めてなのだ。
 だって仕方がない、世界はまるで古い漆喰みたいなのだもの。こうやって手を伸ばすと、ほら、面白いくらいぼろぼろ剥がれて行く。
「煙草吸ってるから世界が煙って見えるだけだよ」
 憮然とした表情で彼は言い、私は随分つまらない事を言うなと思った。
「で、どうして僕に電話したんだい?」
「あなたの読んでいた本の題名が知りたいからよ」
「因果律を崩壊させないでくれないか」
「じゃあ、何か考える」
 煙草の煙を殊更ふうーっと吐き出して私は考える。何かでっち上げなきゃ、だってそうしないと、彼は本の名前を吐く前に居なくなる。
「謎を解いて」
「謎?」
「ええ。
 昔小説家が居て、彼よりずっと才能も人望もある小説家と友人だったの。
 だけどある日、小説家は死んでしまいました。人望のある方よ。自殺だったの。
 世間は彼の死因について随分煩く推測しました。小説家も、彼の友人として色々尋ねられました。
 そして小説家は答えます。
 『彼はあの夏が暑かったから死にました』
 何故でしょう?」
「芥川?」
「何?」
「芥川の自死についてのウチダヒャッケンのコメントだよ、それ」
「ああ」
 私は極まり悪さを隠す為に一寸俯く。折角上手く作れたのにもうばれてしまった。何か他の事を考えなきゃと思うのだけれど、もう何も浮かばない。
「君のお父さんが言ったのかい」
 不意に彼が掠れた声で呟いた。
 私は好きでもない煙草で喉がざりざりして、突然不愉快になった。だから立ち上がり「煙草を捨てて来る」と言い捨てると、棚にあった煙草を全部引っ付かんで外に出ようとした。
「何処へ行くんだい」
「煙草を捨てるのよ」
「ねえ」
 彼は立ち上がると、吃驚する程素早い所作で私の傍へやって来て、テナーサックスの声で言った。
「君のお父さんがその話をしたから、君は謎を解こうと思ったのかい?」
 私は彼の傍をすり抜ける。
 早足で歩いて、そのままドアを開けた。外は熱とひかりで沸騰しており、私は一瞬目を細めた後その中を歩き出す。
 だって煙草を捨てなきゃ。
 紙袋に入った煙草を鷲掴んで、私はその真夏の中をゆっくり歩く。
 彼はジーンズのポケットに手を入れて、ぶらぶら私の後から付いて来た。

「あなた判ってないわ」
「そうかな」
「お父さんは私に何も話したりなんかしなかった」
「そう」
「そりゃ一つ位は話したわよ」
「どんなこと」
「覚えていない」
「うん」
「六歳だったもの」
「教えてくれたら、僕もさっきの小説の作者教えてあげる」
 顳かみを白いひかりが静かに灼いて、そこに彼の言葉が直に落ちて来る。私はそれを感じながら、何度も反芻したその物語を初めて誰かに語った。
「お母さんが飛び下りて死んじゃったのよ」
「うん?」
「六歳の時」
「うん」
「それでお父さんは言ったの。私に向かって何度も、どうしてだろうねって。
 私はその答えを出す為に、そりゃもう必死になってお父さんと何日も考えたわ。
 でも判らなかったの。
 お父さんは言ったわ。判らなかった。だからきっと、僕は罰を受けるって」
 やっぱり、煙草の吸い過ぎは良くないかも知れない。
 声が掠れてしまって、お父さんみたいだもの。こんな風におかしくなった声で話されて平気かしら、と思っていると、彼は後ろから言って来た。
「ニコラス・ブレイク」
 私は一瞬考える。
「『野獣死すべし』?」
「その作者。でも違う小説だよ」
 判ってる、と口の中で呟く。素敵な推理小説だったけれど一つだけ欠点があった訳ね、あれにはチョコレートを落とすパイロットなんか出て来なかった。
 と、不意に彼は煙草を私の腕から掠め取って行った。
 後ろに居る筈だったのにと不意をつかれた私は、手を伸ばして「返して」と要求する。でも彼は首を振り、それを持って走り出す。追い掛ける。道を三度ばかり曲がってしまうと、高層団地がいきなり見えた。躊躇した私なんかに目もくれず、彼はその一つの階段を引っ付かむ様にかんかん音を立てて登り出す。
「ねえ」
 彼は振り返らない。私は三階まで追い掛けるけれど、彼はもう五階への階段にいる。
「ねえったら!」
 四階の途中で私は手摺から上を見上げて叫んだ。彼は六階辺りで漸く止まり、上からこちらを見下ろして来る。
「私行けない」
「なんで」
「罰せられるもの」
「どうして」
「私、
 私判らないもの」
 多分皆エレベーターで昇り降りして居るのだろう、階段には蛾や蜻蛉が死骸となってあちこちで干涸びている。
「答えを知らないもの、お父さんがどうしてなんて。
 お母さんの時みたいに私は何も判らない。だから、登ったら飛び下りなきゃいけない。
 だから、私は行けない!」
 そのまま私は座り込んだ。
 がさがさ足下で鳴る水分のない死骸は、夏なんて直ぐ終わってしまうことを声高に語っていた。病院に居たお父さんも、こんな風に夏を踏み付けたことあっただろうか。あんなに綺麗で真っ白に消毒された場所に、そもそも夏なんて紛れ込む隙があるんだろうか?
 心臓が段々静まるみたいなリズムで、彼が階段を下りる音がした。私は膝に顔を埋めて黙っている。足音は直ぐ傍で止まり、衣擦れの音と一緒に、彼の息が私の頭にふうとかかった。
「謎、解けたよ」
 私は頭を振る。
「内田はね、叫んだんだよ。文字だろうが冷静に喋ってようが、あれは叫びさ誰にだって判る。
 人の死に意味付けをするなんて無意味だし、喪失の原因を探す事は不可能だ。
 夏が殺したんだよ。
 そう言って後は沈黙すればいい、有りもしないものを探して自分を傷つけることはない。
 ねえ。
 それでいいじゃないか」
 耳の辺りに熱がうるりと渦を巻き、喉の辺りを焼いて苦しい。
 ああ。
 私は泣いている。
 そう気付いた時には、もう顔を上げてしまっていた。
 彼は笑っていた。
 随分と必死にそうしていたから、眉が実に不安げな動きをしている。
「謎解きとしては」
「はい」
「謎解きとしては、いまいちです」
 彼は推理小説マニアらしく、少し傷付いた顔をした。

 次の日私達は、その団地の屋上に行った。
「『死の殻』だよ」
「何?」
「題名」
 本を持つ彼を視界の隅に置き、私は煙草と交換に彼に貰ったアーモンドチョコレートを引っ掴んで、何度も何度も空へと投げた。
 そして全てのチョコレートを喪失した私は振り返る。
 そこにはパイロットの生存確認の最中である彼が居り、「今両手塞がっているから」と言ったと思うと、偶々空いていた唇で、私に軽いキスをした。

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