Entry1
妖刀十丸
羽那沖権八
粗末な鞘に収まった刀を見て、藤岡政国は渋面をする。
「戦場の掃除をしていた者達が見つけた様ですよ」
弟の正竹は興味がありそうだった。
「ふん、奴らどんなガラクタでも持って来る」
「いや兄上――」
「二分も取らせておけ。それが嫌なら持ち帰らせろ」
「ま、待って下さい兄上! 一揆勢の豪傑の噂、知っているでしょう?」
「十人斬りの叉吉のものか。だとしても、別に――」
「ではもしも、その十人が、同じ刀で斬られていたとしたら?」
二人の視線が刀に注がれる。
長い沈黙の後。
「あははは、わはは、わはっはは!」
政国は大声で笑った。
「正竹、冗談が過ぎるぞ。講談や芝居でもあるまいし、刀で十人も人が斬れるものか」
「私もそう思います、が」
正竹が刀を取り、弛めてあった目釘を外す。と、柄が抜け、銘が現れた。
そこには、一文字『十』とだけ彫られていた。
行燈の明かりが揺れる薄暗い寝室に、政国は妻のしづと座っていた。
「噂に名高い『十丸』が、何故百姓の持ち物になっていたのか」
柄と鞘を取り替えた十丸を、彼は鞘から抜き払う。
研ぎ直された刀身は、冷たい炎の様な輝きを見せる。
「戦国の世に作られた名刀。願う相手十人を確実に斬り、果たされるまでは持ち主から決して離れず守り続けるという」
自然と笑みがこぼれる。
「まさか俺のものになるとはな」
「はい。本当に美しいこと」
しづは、十丸を見て微笑む。
「これを美しいと思うか?」
「はい」
「ふふ、そうだな。美しいかも知れん」
政国は十丸を鞘に戻し――また、抜いた。
「気になって仕方ない様でございますね」
くすっとしづは笑い、まだ大きくなってはいない腹を優しく撫でた。
「これではこの子には『十兵衛』か『十姫』とでも名付けなければいけませんね」
「やああっ!」
気合いと共に、藁を巻いた竹が両断される。
それから静かに政国は十丸を鞘に戻した。
「どれどれ」
傍らで見物していた正竹が、斬られた竹を拾い上げる。
「お見事、藁一本潰れていない綺麗な切り口ですね」
「うむ」
心から楽しそうに政国は笑う。
「重さがいい」
「重さですか?」
「ああ。重すぎず軽すぎず、振り回すのがこんなに楽な刀は初めてだ」
「へえ。ああそうだ、この前刀に関する書物をお城で見せて頂いたんですよ。十丸について何か面白い事が分かったら兄上にもお教えしますね」
「うむ」
正竹が離れた後、政国は素振りをする。鋭い太刀筋は空気を切り裂く。
「楽しそうですね、良かったらちょっと持たせて――」
「駄目だ!」
怒鳴ってしまってから、政国は軽く首を横に振った。
「あ、いや、すまん。だが、やはり駄目だ。刀は武士の魂、特に俺の様な他に取り柄のない者にとっては命も同然だからな」
燃え盛る民家にいたのは、僧侶だった。
「――貴様が一揆を煽っていたわけか」
鎧姿の政国は太刀に仕立てた十丸を構える。
「す、全ては仏の教えのままに行われた事だ」
僧侶は両手で短銃を構えていたが、銃口は震えていた。
「俺は十丸に一揆の大将を斬るように願掛けした。仏が偉いなら、十丸の妖力ぐらい破れるよなぁ!」
その時。
「倶尊様!」
天井から男たち三人が政国の上に飛び下りて来た。
「離せ、この!」
政国が無理な体勢で振ろうとした十丸は、梁に食い込み抜けなくなった。武器を失った政国は押さえ込まれる。
僧侶はにっと笑って、政国に銃口を向ける。
「往生なさい!!」
銃声が響き渡った。
しかし。
「うわああっ」
悲鳴を上げたのは、政国の右腕を抑えていた男だった。
政国の目の前に十丸があった。
政国は十丸を掴むや、左の男の顔面を突き刺し、後ろの男を僧侶めがけて背負い投げる。
「仏罰が――」
言葉も終わらぬうちに、十丸が僧侶の喉を貫いた。
――一瞬前、梁に食い込んでいた十丸が外れた。落下する十丸は、銃弾を政国の右腕を抑えていた男に弾き飛ばしたのだった。
偶然かも知れない。だが。
「十丸が俺を守っているのか」
政国は、僧侶の袈裟で十丸の血を拭った。
「十人を斬らせるために」
数カ月が過ぎた。
冷え冷えとした月明かりが照らす縁側に、政国は十丸を抱いて座っている。
(これで願を掛けて斬った相手が九人)
溜息が洩れた。
(もっとも八人までが百姓の打ち首か)
池に映る月に雲がかかっていく。
政国は十丸を抜き払った。
九人もの人を斬ったというのに、曇りも歪みもなく、研ぐごとに鋭さを増す。
月明かりを反射する刀身は、青白く輝く。
噂の通りなら、十人目を斬れば多分、政国の手を離れる。
「血が欲しければいくらでも吸わせてやるのに、美しい柄や鞘が欲しければいくらでも着飾らせてやるのに」
刃先に軽く指を触れる。
たちまち血が珠となって指先から流れる。
「……!」
はっと政国は顔を上げた。
「十丸、お前は十人を斬るまでは、俺を守るんだったな」
十丸を月に掲げる。
「ならば、俺を斬ってみろ」
にやりと彼は笑った。
「十人目は、俺だ」
「お美しい男の子でございますよ」
産婆が大声で泣く赤ん坊を差し出す。
「おお、おお」
赤ん坊を抱きかかえ、政国は軽く揺らす。
「こんなに小さくても、やはり処々しづに似ているな」
「はい。でも耳の形などは政国様似でございますね」
満面の笑みで、産婆は赤ん坊の耳を指さす。
「そうか?」
「はい、後ろから見た形がほら」
「――俺は自分の耳をそっち側から見たことはないぞ」
「そうでしたね、ご自分の後ろ姿は見られませんね、はははは」
「わはははは。それでしづは大丈夫か?」
「はい。お腹が空いたと仰っていますよ」
「……大した奴だ」
笑って、政国は赤ん坊の顔を見る。
「ふむ。やはり俺になかなか似ているな」
とくん。
僅かに政国の脈が早まる。
(――?)
とく、とくとくとくどくどくどくどっどっどっど……。
気が付くと、政国の手は腰の十丸に伸びていた。
「な!」
(赤子……俺に、最も近いもの!)
「どうなさいました?」
「わあああっ!」
政国はおもむろに障子を開け放つと、庭に降り、十丸を抜き払った。
刀身が、太陽の光を浴びて輝く。
「十丸、お前は!」
振り上げた十丸を、庭石に叩き付けようとする。
だが、政国の腕はそれ以上動かない。
食いしばった歯が、軋む。
このまま振り下ろせば、いくら十丸でも折れ、砕ける。そうすれば。
そうすれば――。
「兄上!」
地面から突き出た竹筒に、正竹が怒鳴る。
「即身仏にでもなるつもりですか!?」
夜空に月はなかった。
『――あのままでは、俺は我が子を斬っていた』
以前からは考えられないほどか細い政国の声が、筒から聞こえて来る。
『自分の腹を切る事もできん。怖ろしきは、十丸の執念』
「兄上、聞いて下さい」
『なんだ』
「……十丸の事、詳しく分かりました!」
『今さら何も……』
「お聞き下さい! 噂の十丸は、秀吉公の刀狩で発見され、既に折られていました!」
『なに?』
「兄上の刀は、その後に作られた贋作の中の一振りに過ぎなかったのです!」
『そうか』
「だから無意味なんです、こんな事は! 妖力なんて、ないんです!」
『お前の言うこと、本当かも知れん』
「間違いなく本当です! 今すぐ文献をお見せ出来ます!」
『だがな、正竹。俺は本当に』
風が吹き抜ける。
『本当に我が子を斬りたくなったのだ』
雲が切れ、月が現れた。
月光が筒の中に射し込む。
『……おお、美しい』
筒の中に青白い輝きを見た気がして、正竹は思わず目を逸らした。