Entry1
阿弥諾寺落とし
サヌキマオ
この物語をはじめるにあたって当事者に執筆許可を得たところ、ミミミは「どうぞ」と一言、デボゲレアクロシェンモからは十万円を要求された。
「だってそうでしょ。使用するのよあたしを。使用されるのよあたしは」
流石に高いのではないかという提示に対し「じゃあ使用ついでにアタシとしよう。アタシとお布団の上で二時間くんずほぐれつして小説だかなんだかに使用されてセットで十万。どうよどうよ」
前作をお読みでない、もしくはご案内のない方に説明するとデボゲレアクロシェンモとは古代パノン語で「大いなる美の神のしもべ」という意味らしい。長いし美しくないという理由でミミミはクロシェと呼んでいたが、デボゲレアクロシェンモの母親に「うちの子のことを『しもべ』なんて呼ばないで!」と怒られるので仕方なく母親の前でだけフルで呼んでいる。本人はデボゲレ(美の神)と呼ぶにふさわしいくらい美しいんだけど。おっぱいも大きいし。
そういったことを踏まえた上で、始まる話があってもいいじゃない。
「遊ぶって言ったじゃん遊ぶって言ったじゃん遊ぶって言ったじゃん遊ぶって言ったじゃんっミミミせんぱいっ!」
アタシの家の前まで押しかけてきたクロシェは壊れた機械のように不平不満をセミオートで射出する。ピンクのダウンジャケットにオレンジのマフラーが冬の夕日に照らされて、空気に溶け込みかけている。
「だからサあーねぇ、オソーシキなんだわさクロちゃんよ」
「オソーシキってなんだい、楽しいことかい」
「うちのバイト先の店長さんがずっと入院してたんだけど死んぢゃってね、なんか……オツヤだっけ、とにかくお参りに行くんだよ。お参り」
「あんたバイトなんかしてたの!?」
「してたよバイトー。クロちゃんと一緒にいる時間以外はすげーバイトしてたよバイト!」
「すげーバイトすげー! 何の?」
「とにかく」アタシはごく自然な形で話題を切り上げる。「今日は六時から、なんだっけ、お寺に行かねばならんのですよいいですかクロちゃんさん」
「よくわかんねえけど、それってアタシもついてっていいやつ?」
よくないかもしれないが、ここでクロシェを野放しにするよりはマシなような気がしていた。
「まぁ、別にいんじゃね? 死者を弔う気持ちはいくつあってもいい」
「じゃあ行くか。行くしか!」
「ただ、喪服がいる。喪服――ない? じゃあなんか、地味ーな服でいいや。なんかあんでしょ。そのくそピンクのダウンじゃなしに」
「OKOK」
「じゃあ一回帰って。急いで着替えてきてよ」
「OKOK」
「ぶえっくしッ――ぜんぜんOKじゃねえずらー。オメガ寒い。マキシマム寒い」
クロシェが着てきたのは部屋着だという黒いジャージの上下だった。仕方なくアタシの古いコートを貸してみるが、そもそもサイズが違う。おっぱいの暴力が前へ前へとはみ出てくる。
「ホントだねクロちゃん」
「そんなところで同意してくれなくてええんじゃ」もともと色の白いクロシェの顔が外灯で青黒く見え始める。
「早くオソーシキ終わらそうじゃないかい。阿弥諾寺てなぁどこなんだねミミミん」
「阿弥諾寺あみだくじ」アタシはスマホで地図検索をかける。地図は確かに川べりの一角を指し示している。県道沿いのファミリーマートの角を入ることまもなく、浄土宗児沢山阿弥諾寺が、ない。ベクナイ冷熱機」という町工場のゴチック体の看板が見える。冷熱機ってなんだろう。
「あのさ」
クロシェは細い指でアタシの手からスマホを取り上げた。しばらく目の前に画面をかざして睨めつけていたが、「ふっ」と息を漏らした。白い息が漂った。笑っているようだった。
「ミミミさん、さっきのファミマは何店だったろうね」
「へ?」
「ファミマにはね、本駒込一丁目店も、本駒込二丁目店も、あるんだよ」
コンビニの前にタクシーを呼ぶというとっさの機転により、阿弥諾寺には三分でついた。下新田前店から下新田店まで車で三分。時間はもうすでに七時半を回っていて、参列者はとっくに誰もいなかった。葬儀社の人らしい見張りの人が、訝しげにアタシたち二人を迎え入れてくれた。二人並んで焼香をする。それなりに大きな規模の式だったらしく、たくさんの供花の最上段に見慣れた顔写真があった。この遺影の元になった写メは私も持っている。一昨年のバイト先の忘年会で撮った記念写真のものだ。この頃はまだ黒縁の眼鏡をしてた。今よりずっと太っていた。
「うわぁ寿司だ! すっげえ寿司だ! ビールもある!」
すでに片付けモードに入っていた職員が手を止める中、精進落としのテーブルのあちこちに寿司桶が散らばっている。
「これ、食べていいの? タダで? 超やりー!」
クロシェは椅子に座るとけっこうな勢いで寿司と煮〆をぱくつきだした。焚かれた暖房のせいでずいぶん寿司は乾いていたが、そんなことも気にせずクロシェは怒涛の勢いでイカタコマグロとよく食べ、ほうぼうの卓から中途半端に空いたビールの瓶を調達してきては胃袋に流しこむ。アタシもひなた水ほどに冷めてしまった清酒の一合瓶を開けてコップで飲んだ。砂糖水のように甘い清酒だ。まもなく、店長の息子だという少年と奥さんだという女性が挨拶に現れた。「そりゃあもう店長さんには良くしていただいて」ちゃんとこっちもシフト通りに働いて、前日に休む電話を入れても嫌な顔せずに聞いてくれる。そういうところはとてもいい店長さんでした。でも、それ以外に接点はないの。実のところは、そういうくらいの関係です。少年はブレザー、おそらくは学校の制服で、喪服も持っていないような年頃だから、高校生かな、中学生かな。
「いい人で」「ほんとにいい人で」と適当な応対をしている視線の端で、どたどたとクロシェが走り去っていくのが見えた。奥さんと少年は「ごゆっくり」と立ち去っていった。備え付けの時計を見ると八時半を回ったところである。そうごゆっくりもしていられまい。
これだけ呑んだら帰ろう、とグラスに残った日本酒を眺めているとスマホに着信がある。クロシェだ。
「くだした」
「パンツよごした」
「死にたい」
「たすけれ」
矢継ぎ早に送信されてくるメッセージに、アタシの血管のアルコールが「ぐじゅる」と鳴った。気がする。
帰りもお寺の前からタクシーを呼ぼうとしたが必死に止められる。前かがみになったままアタシを止めていたクロシェは、そのままの姿勢で回れ右すると、車道沿いの植え込みに「おぶぼべべ」と嘔した。しばらく座り込んでいたが、足が痺れたのか一旦立ち上がると座り直し、さらに自分の口に指を突っ込むと「おごるげ」と吐いた。心配になって自動販売機で水を買ってくると、クロシェは合掌して受け取った。
「病院、行きなよ」
クロシェは返事をせず、「やっぱタクシー呼んで」と云ったきり、また座り込んだ。
半月くらいして、またクロシェがアタシの家にきたので肉を焼いて食べていると、宅配便が届いた。香典返しである。
「なにこれ、あれだけ食べて飲んで、その上プレゼントまでくれるわけ? すげえね、お葬式すげえ」
「タダじゃないよ、ちゃんとお香典を払ったからこういう」
「いちまん? ふたりで一万円ならお得感あるじゃん!」
「おめえ払ってないだろ!」
いただいたカタログはネットで調べたら三千五百円(税別)相当のものだと判明し、ミミミのたっての希望により三元豚の味噌漬け(五枚入り)を注文する。