第2回 耐久3000字バトル 第3回戦

エントリ 作品 作者 文字数
1すねすね団石川順一3017
2修羅の国から Vol.3国津武士3000
3紙折りの富子さん 3ごんぱち3000
4焦燥しろくま3208
5チョコの気持ち 〜2006年 バレンタイン〜3000
6 3000



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エントリ1 すねすね団   石川順一


 「麻衣子ちゃん、大人を騙すとひどいよ」
 「あらあら、もう怒っちゃったの?」
 「麻衣子!!!」
 麻衣子はトトくじの不確定情報を餌にホワイトをじらした。
 麻衣子の情報と言うのは「すねすね団」から来ていた。宝くじ全般の裏情報を扱う秘密結社だ。麻衣子の母親ラナ玉井も理事として名前を連ねて居り、世界各国から寄せられる宝くじ情報を分析する主席分析官をやって居た。
 「麻衣子、宝くじに高額当選者が存在しないと言うまことしやかな話はむしろその話自体が嘘です。まあ確かに高額当選ですからね、信じられないような嘘が多数世界各国を飛び回って居ますからね、高額当選者は存在しないと結論付けたくなる気持ちは分かります。でも高額当選者は存在します。あなたはジョージ=オーウェルの様なへぼ作家の言う事を信じてはなりません」
 と麻衣子は常々、母親のラナから言われて居た。その様に言われ続けて育ったため麻衣子も宝くじに興味を持つようになった。
 そして麻衣子は実は表の顔は金貸し業の経営者兼オーナーだが、裏では宝くじの情報を扱う秘密結社の理事を母親のラナと一緒に勤めて居たのだ。
   ************************

 「ホワイトさん、私はあなたを騙すつもりはありません。但し、営業情報ですからね、そう軽々しく言える訳ないでしょ」
 「うーむ確かにその通り、一理ある。しかし私はあなたが喉から手が出る程欲しがって居る癌の特効薬とその補助薬を持って居ます。せっかく新薬だけ手に入れて飲めなくてもいいんですか」
 「そりゃあんた、新薬だけ売りつけて、補助薬が無きゃ飲めねえって、典型的な詐欺じゃ無くって?、母も憤って居ましたよ」
 「いや違うな、いよいよ尻尾を出したと思ったら、人のあらばかり言い立てやがる。あなたがどうして私に強気に出る事が出来るのか、私が知らないとでも思って居るのか。下手にじらすと、秘密結社の秘密をばらすぞ」
 麻衣子は少したじろいだ。何とホワイトの野郎、「すねすね団」の事を知って居るのか。慎重に表向きは別の事業を装って居る、偽装団体だと言うのに。麻衣子はホワイトに少しかまを掛けて見た。
 「私未婚なんだけどなあ。ホワイトさんは独身ですか」
 「またそうやって話をそらす。あなたこそデートを装って私と商談しようとラナから因果を含ませられて来た癖に、どうせ俺をたらしこんでとか、ろうらくしてとか、ろくでも無い事をラナから吹き込まれて居るに違いない」
 ホワイトの言う事は十中八九当たって居るが、麻衣子はどうしてホワイトの方こそ含みを持たせた言い方で自分をじらすのか分からなかった。ホワイトは私の何を強みだと思って居るのだろうかと麻衣子は思った。
 「ホワイトさん、こんな話し合いじゃあ何処まで行っても平行線です。それにホワイトさんは私がそんなに優位な立場に居るとお思いなのか、どうしてそんな風に考えて居るのかが分かりません。あなたは私のどんな所が、そんなにも強いと思って居るのか、金貸し業だってかつがつでしかやれて無いし、生活費に消えて行くだけで貯金なんてほとんど無いんですよ」
 「私はそんな表向きの損得勘定を言っているのではないんです。あなたの所属する裏組織の強固さがあなたの強気の根拠だと言って居るのですよ」
 「なに、その裏組織って、ばっかじゃないの、テレビ見過ぎだって」
 「あなたこそ阿呆ですな。私は知って居る、あなたがネオナチの・・・・・・・・・」
 ホワイトの顔が見る見る青ざめて行く。彼は自分で言って自分で恐怖した。そして虚勢を張る様に麻衣子に対しては断固たる口調で決裂宣言をした。
 「とにかく、ごほん、えーごほごほ、この話は決裂、無かった事になりますな」
 「えーえー私こそ決裂で結構」
 麻衣子はホワイトが「すねすね団」では無くて何か別の組織と勘違いしているらしい事が少しおかしかったが、まあしょうがない、この話は無かった事にする。どうせ「すねすね団」の情報網を持ってすればホワイトが開発した癌の特効薬の補助薬など直ぐに開発するか入手できるだろう。やつはプライベートに開発したと言っているが、どこの世界にそんな事が出来る奴がいるってんだ。情報は筒抜けよ。ただ、ホワイトの底知れぬ利用価値の高さに注目したラナが娘の麻衣子をホワイトとデートさせただけだ。
   *************************

 ホワイトはネオナチ東京本部へ電話してたとえ名前だけをちょっとだけとは言え、漏らして仕舞った事に対して、許しを請う為に、私をヒトラー大学で教授として働かして下さいと陳情しに行った。
 「そうかそうかホワイトよそちのその見上げた心がけしかと上意は受け止めて居るぞ」
 ホワイトは結局10年にわたる医学界における名誉を捨てて、大学教育に奉仕する事になった
    *************************

 「えーヒトラーは1889年に生まれて居りますが、この年がどう言う年であったか皆さんはよく認識しておかなければなりません。大日本帝国憲法が公布されました。あの教科書に載って居るよく知られた絵ですね、明治天皇が時の内閣総理大臣の黒田清隆に憲法を手渡して居る図です。その日は文部大臣森有礼暗殺もありました。憲法はあくまで公布で施行されたのは翌年ですが。憲法施行と同時に大日本帝国の国会も開会しました。また1889年は地方実地制度においてもターニングポイントとなった年でした。見て下さい、この表を。横浜市、名古屋市・・・名だたる大都市のほとんどがこの年に市制を施行して居ます・・・・」
 ホワイトの大学での講義はおおむね好評だったが、死ぬほど勉強しないと落第のD判定を取る事は無かったが、及第ぎりぎりのC判定しか取れない学生が続出した。100人いると90人はC判定だった。
 「先生、テスト難しすぎます。遊ぶ時間だって欲しいのに」
 「何を言って居る。学生の本分は一に勉強二に勉強三四が無くて五に勉強でしょ。勉強して下さいよ」
 確かにホワイトの試験は難しい。と言うか覚えるべき事が多すぎるのだ。先ずナチスの高名な幹部連中に関しては、生年と死没年を正確に覚えないといけない。誰が出題されるか分からないが、広範囲に渡って出題される上に5人正解出来てやっと1点貰えたりして得点するのも難しかった。
 「彼らの生没年を覚えるのは当然の義務でしょう、諸君らは卒業後、この秘密結社の将来をしょって立つ有志らなのですから」
   *************************

 或る日ホワイトが大学で講義して居ると、何が外が騒がしくなって来た。
 「しまった、「すねすね団」の特殊強襲部隊がやって来た」
 ホワイトはラナや麻衣子が「すねすね団」に所属して居る事は知らなかったが、「すねすね団」がこのヒトラー大学を快く思って居ないので、度々特殊部隊を派遣して来ている事を知って居た。今まではホワイトの居ない時にやって来る事が多かったが、今日に限ってホワイトの講義日にやって来た。ホワイトはこのヒトラー大学に赴任してから「すねすね団」の噂をたくさん聞かされて来たので、何となく気配で外の状況を瞬時に察知した。
 「皆さん、逃げて下さい、奴らは残虐です」
 果たして、この特殊部隊にはラナや麻衣子が司令官としてやって来て居てホワイトと交渉する為にやって来たのだろうか。






  エントリ2 修羅の国から Vol.3   国津武士


「疲れただろう? 夕食だけどたっぷり食べな」
 母親がウズの皿に、米と鳥肉の煮込み料理を盛る。
「ありがとう、オフクロ」
 テーブルに並んだささやかなご馳走を、ウズ達は食べ始める。
 四人の弟と三人の妹、それに両親。家族揃っての夕食だった。
「しかしウズよ、あれだけ数と武器を揃えて返り討ちに遭うとは、一体どんな護衛が付いていたんだ?」
 父親が尋ねる。家族を失った他の家を気にしつつも、息子が無事だった喜びに顔がほころんでいる。
「え、と……とにかく、その、すげえ武器で、防げないぐらい、すごくて」
「ミサイルでも持ってたのか?」
「そう、ミサイル! ミサイルランチャーが船に付いててさ! 仲間の船がどんどん沈められてよぉ」
「すげー!」
「よくかえって来れたな、にいちゃん!」
「どうやってよけたんだ、どうやって、ねえにいちゃん、にいちゃん!」
 弟妹が料理を頬張ったままで口々に尋ねる。
「それは……」
「ほらあんたたち! 早く喰っちまいな! 喰わないなら母ちゃんが全部喰うよ!」
 母親に一喝され、弟妹達はまた食事に戻る。
「ミサイルランチャーを装備した客船か。どんな風に設置されていた? 後ろか? 前か?」
 父親は真剣な顔で尋ねる。
「え、えっ、ええと……」
 料理を頬張って喋れないフリをしつつ、ウズは必死に次の言葉を考える。
「あなた、ウズは怪我して疲れてるんだから、しっかり休ませて――」
 言いかけた母親を、父親は殴り倒す。
「女のお前が、俺に口応えするのか」
 父親は母親を睨む。逆上している訳でもなく、落ち着いた様子だった。
「す、すみません」
「オヤジ、すまねえ、おれは本当に疲れてるんだ」
「そうか」
 父親は笑う。
「なら話を聞くのは明日にしよう。しっかり喰って、ゆっくり休めよ」
「うん」
「お前、もっと精の付く物を出してやれ。大急ぎでだ」
「はい」
 口の端から流れる血を手で拭いながら、母親は台所へ小走りに向かった。

 食事を終え、ウズはベッドに横たわる。
 四段ベッドの一番下、上には弟達が寝ている。
(一体……何があったってんだ? どこへ行っちまったんだ、みんな? 死んだのか? 生きてるのか?)
 考えはまとまらない。
 目を閉じると、操舵室から出て行くリーダーの後ろ姿が浮かぶ。
(あの後、監視カメラを何度か見た。でも、いつの間にか、誰も……仲間は誰もいなくなってて。呼びかけても何の反応もなくて。ただ、人質だけ)
 曖昧な推測が繰り返される。
(もの凄い宝を見つけて、おれを残して行っちまったのか? でも、家族も置いて? いや、ひょっとしたら後から合流する?)
 仲間を見捨てて自分一人逃げたという事実から出来るだけ遠い結論を選ぼうと、ウズの頭はそればかりを考えようとする。
(そうか、おれが裏切られた。一人残されたんだ)
 ウズの頭の中のリーダーは、振り向く。
 にたぁっと笑い、走り去って行く。
 客船の乗客のクローゼットをこじ開ける。
 中から、アクセサリーが出て来る。
 ルビー、サファイヤ、エメラルド、パール、ダイヤモンド、銀、金、プラチナ。
 スーツケース一杯に詰め込まれた貴金属を、故買屋が鑑定し、大量のドル札が支払われる。
 リーダー達はそれを抱えて遊び歩き、飲み歩き、そして自分たちの家族に分配する。ウズの家には内緒、そう言い含めて。
「そうか……あの野郎、そういう事かよ……」
 その時。
 窓縁を叩く小さな音がした。
「ウズ」
 囁くような少女の声。
「アテト?」
「出て来れる?」
「お、おう」
 ウズは物音を立てないように気をつけつつ、家の外に出る。
 窓の傍らに、近所の少女・アテトが立っていた。月明かりが濃い影を作っている。
「なん、だ?」
 どぎまぎしつつ、ウズは尋ねる。
「無事に帰って来れたんだね、良かった。本当に」
 アテトはウズにすがりつく。
「ウズが死んじゃったらどうしようって、ずっと思ってて。怖かったんだ。本当に、怖かったんだから」
「は、はは、まあ、ちょこっとは危なかったけどな。どうって事ねえよ」
 アテトの体温と呼吸を感じつつ、ウズはぎこちなく笑う。
「流石はウズね。すばしっこさでは、誰にも負けなかったもんね、小さい頃から」
「おうよ。弾の中をかいくぐるところ、見せてやりたかったぐらいだ」
「うん……それで」
 アテトはウズの目を見つめる。
「どれだけ儲かった?」
「え?」
「分捕り品いくらで売れた? それ使って一緒に暮らそう? 海賊なんかしなくても済む国で、のんびり暮らそう?」
「ね……ねえよ、金、なんて」
 ウズは呆然としつつ答える。
「今さらぁ、とぼけなくても、良いよ」
 アテトはウズの背中に手を回す。
「みんな殺しちゃうなんて、思い切った事するよね」
 おかしげにアテトは笑う。先にウズが妄想したリーダーの笑い顔と、不気味な程似た笑いだった。
「そんな事してねえ!」
「じゃあどうして、ウズだけ帰って来られたの? 負けれたら全滅だし、勝ったら死体の一つや二つ、持って帰れたでしょう?」
「だ、だから、それは……」
 説明する言葉が浮かばず、ウズは口ごもる。
「ほら、やっぱり。独り占めしたんでしょ? お金」
「いや! いなかったんだ、気がついたら、いなくなってたんだ、みんな! そうだ、誰かに殺されたんだ! 乗客にほら、腕の立つヤツがいて、こっそりリーダー達を殺して!」
「あははっ、だったらやっぱり、ウズが殺されてないなんておかしいわ。あ、分かった」
 アテトはウズの鼻を人さし指でつつく。
「人雇って殺させたんだ。そいつともうどっかで山分けしたって事ね?」
「そうじゃねえ! おれは誰も殺してない! 信じてくれ、金だって全然! 何一つ持って帰る余裕なんてなかったんだ!」
「おいおい、すぐにバレる嘘は止めておけよ」
 男の声がした。
 ウズが振り向く。
「ツ、ツトラムさん」
 ウズのすぐ後ろに、AK47を持った男が立っていた。
「船に、ダイヤが四つばかり落ちてたぜ。残りはどこへ隠したんだ、おい?」
「ダイヤ!? まさか、そんなもの」
 銃声が響き渡る。
「ぐぎゃあっ、ぎゃっっっ!」
 ウズの足から股間までが弾丸に抉られる。
「早く言えよ」
「言ってよ」
 アテトが料理用の肉切りナイフを出して、ウズの目に突き刺す。
「ひいぃぃいぃ!」
 金属が眼球を抉る異物感と共に、そして左側の視界が狭まる。

 闇。
「お金ぇ! ねえ、お金!」
「お、お前達、何をやってる!」
 ウズの父親が叫びざま、ガバメントを発砲する。
 延髄を撃ち抜かれ、アテトが絶命する。
「ハキム爺がアテトを殺しやがった!」
「ハキム、宝を独り占めしようたってそうは行くか!」
 近所の者達が、手に手に銃や棍棒や鉈やナイフを持って群がって来る。
「宝をよこせ!」
「金だ、金はどこだ!」
「喋れよ!」
「子供ぉ引っぱって来い、子供なら喋るぞ!」
「やめて! 子供だけは!」
「っと、暴発しやがった」
「どこ狙ってやがる、殺す気か!」
「そんなとこにいるのが悪いんだ!」
「宝が手に入ったって、コイン一枚分けてやらねえ!」
「じゃあ、先に死ね!」
 人々はいつの間にか互いに武器を向け合い始める。
 銃声が続き、棍棒で骨の砕ける音が響き、放火が繰り返され、大人も子供も女も男も形を残さぬ程に破壊されていく。
 血煙が辺りに立ち込め、ウズの家族が全て肉と臓物の欠片になった後も、人々は武器から手を離さず、誰を狙うともなく振り下ろし続けた。

SIDE−A THE END







  エントリ3 紙折りの富子さん 3   ごんぱち


 激しい雨の降りしきる雷門通りを、早足の人力車と大八車がすれ違う。
 まだ夕暮れにも早いが、空は既に暗く、雨宿り客を当て込んだ飲食店が、灯りを灯し始めていた。
 そんな中、「お食事処」と書かれた提灯と、「デンキブラン」の文字の入ったのぼりの掲げられた店の入り口が開き、「浅草びすとろ」の文字の入った暖簾を持った女が出て来る。
 年の頃は三〇間近。渋染めの牛首紬を着て、髪を少々流行遅れの西洋下げ巻きにしている。化粧次第では映えそうな、微妙に地味な顔立ちをしていた。
「あお姉様ぁぁぁぁぁああああああああ!」
 遠くから何かが、もの凄い勢いで走って来る。
 雨でびしょびしょに濡れ、何度も転んで泥だらけになった彩世だった。
 彩世は女に飛び付く。
 女は――。
 避けた。

「いやぁ、ごめんごめん。つい身体が、ね」
 山辺葵は、笑いながら甘酒をテーブルに置く。
 和洋折衷の店内には、四角いテーブルが八つ並んでいて、奥には厨房と、二階へ続く階段がある。階段の前には台と植木鉢が置かれ、客が入れないようになっている。
「……ううっ、ひどい、あお姉様」
 彩世は半べそで浴衣に着替える。
「ふふっ、彩世ちゃんは葵姉様の事になると、見境ないわねぇ」
「仕込み終わったわ!」
「やったっ」
「もういいでしょ、葵姉様!」
 厨房から、エプロン姿の女が三人出て来る。
「彩世っ!」
「常夜姉様、月子姉様、桃子姉様っ」
 彩世はもみくちゃにされる。
「……あらあら、富子さん、彩世さん、お久し振り」
 二階からもう一人女が降りて来る。鰹柄の紬を着て、幾分薄い色の髪を、束髪にまとめている。
「急ぐからごめんなさい」
 文江は店から出て行く。
「気をつけな、文江。最近、何だか物騒だって言うからね」
 葵の声は、閉じる引き戸の音に遮られた。
「姉様達、文江姉様って……?」
 彩世が姉達を見る。
 姉達は無言で頷いた。

 雨はいつの間にか止み、星が出始めていた。
 仕事帰りの者達が、幾分気の抜けた顔で家路を急ぐ。
 あちらの店、こちらの店から灯りが漏れ、笑い声や、時に手拍子や歌声まで聞こえる中を文江は歩いていた。
 店先の看板や、立木、防火桶などに身を隠しながら彩世は進む。
 吾妻橋が見えて来た。
「隅田川の向こうまで行くつもりかしら……いっそ」
 彩世は懐に手を突っ込み、バッタに折られた折紙を取り出す。精緻で正確で、一見単純な折り方なのに、本物のバッタのような躍動感がある。
「……ダメダメ、これはイザって時だし、警察に見られたらコトだわ」
「何がコトなのだね?」
「へ?」
 彩世が振り向くと、そこには初老の警官が立っていた。
「日が落ちてからの、子供の独り歩きは感心しないな。送ってあげるから――」
 警官の言葉が終わる間もなく、彩世はその場を走り去った。

 「浅草びすとろ」の二階の居室で、葵は錠前のかかった長持を開け、中から封筒を二通取り出す。表書きには浅草びすとろと異なる住所と、アルファベットの氏名が書かれ、裏書きに「常讀雑誌編集部」と書かれている。
「常讀雑誌、みんなで読んでるよ」
「うれしいわ、ありがと」
 階下で、接客をする月子の声が聞こえて来る。
「お店は、繁盛してそうね? 葵姉様」
「まあまあ、だね」
 葵は、苦そうに酒を飲む。
「富子……あんたにばっかり苦労させて。今の生活があるのは、みんなあんたが金を用立ててくれたお陰なのに。その当のあんたが」
「旅暮らしって、私の性に合ってるのよぉ。ま、彩世ちゃんの事は少し気になるけど」
「聞き分けの良い子だったのに、あんたと一緒に行く事だけは、ガンとして譲らなかったね」
「そうだったわね」
 くすくすと富子は笑う。
「本当なら、あたしらが面倒見なきゃいけないのに……」
「ふふっ、葵姉様。彩世ちゃんも、いつまでも八年前の足手まといの駄々っ子じゃないのよ」

 文江は「妙縁寺」という名が掲げられた寺の境内に入って行く。
 彩世は足音を立てずに門の脇まで近づき、そして、境内を覗く。
 本堂の壁に寄り掛かっていた洋装の青年に駆け寄る文江の姿があった。
 遠目からでも分かる程に、端正で整った顔立ち、すらりとしながらも決して貧相ではない体躯。役者絵から抜け出たような男だった。
 青年の囁きの度に、文江は頷き、頬を染め、目を潤ませる。
 青年と文江の顔は次第に近づき、そして、唇が触れ合う。
「きゃー、きゃーー!」
 彩世は声にならない声でじたばたと悶絶しかけた時。
「……え」
 それ、と、分かるようなものではない、けれど、逢い引きを楽しむ男女とは異なる気配。
 言語として認識するよりも早く、彩世は動いていた。
 青年は最初から気付いていたように、彩世の方に振り向くと、呟いた。
「死ね」
 殺気、そう感じた気配が、彩世の方に伸びる。
 彩世に見えた訳ではない。
 確信があった訳でもない。
 だが、彩世は右に大きく飛んだ。
 殺気の通った後、そこにいた蟻や蛾が、自ら弾ける。
(これはっ、姉様と同じ、見えない力を持つ人?)
「消えろ」
 再び殺気が迫る。
 彩世は再び飛び退こうとする。だが、殺気が爆発的に膨れ上がった。
「しまっ!」
 次の瞬間。
 殺気が霧散した。
 そこにいたのは。
「がっはっは! 本官が来たからには、もう安心だぞ、嬢ちゃん!」
 抜き身のサーベルを持った、先程の警官だった。
「警視庁撃剣世話掛・逸見宗介、見参!」

「死ね」
 青年は呟く。
 逸見は軽く踏み込んでサーベルを振り抜く。
 殺気が霧散した。
「我が剣、鈍刀なれど、悪漢に屈したる験しなし!」
 迫り来る殺気を、逸見はまた切り払う。瞬時に踏み込み、もう一振りする。紛れていた二撃目の殺気が断たれる。
 青年は符を一枚出し、呪を一言呟いて放る。
 符は三面六臂の神像の姿になり、六本の剣で襲いかかって来る。
「ちぃっ!」
 それをサーベル一本で受け流し続ける逸見の技は、尋常のものではないが、助けを呼ぶまでの時間を耐え抜けるようには見えない。
 文江はうっとりした表情のまま、青年を見つめたまま、動こうとしない。
(このままじゃ、お巡りさんが殺されて、あたしも、文江姉様も!)
 彩世は懐の折紙のバッタに触れようとする。
 「現れて欲しい」という意図で触れれば、バッタは本物のバッタとなり、弾丸よりも素早く青年を貫く。
(ダメ)
 彩世の指先は止まる。
(あたしは、姉様のジャマにならない)
 地面を蹴り、彩世は青年に突っ込む。
(そう決めた)
 青年の殺気が彩世を貫く。
 寸前。
「びゃあああああああああああ!」
 彩世は叫んだ。
 力の限り、腹の底からの叫び。
 攻撃でなかった事。
 それは、青年の虚を僅かに突いた。

 ――その隙を逃す逸見ではなかった。

 境内は警官だらけになっていた。
「呼ばれて来てみれば、土御門の鬼子、土門正義が斬られているとは思いませんでしたよ、逸見さん」
 杖を持った中年の男が、死体を見ながら逸見に話しかける。
「いやぁ、藤田先生に褒められると、くすぐったい気分ですな」
「……初撃で背後から丹田を抜いている。これでは、術らしい術は何も使えなかったでしょう」
 土門の死体の背には、針ほどの小さな孔が空き、僅かに血が流れた跡があった。
「おお!? このような傷が、いつの間に?」
「おや、逸見さんの仕業ではない? 土門の虚を突ける術……」
 藤田は声に出さずに呟く。
「遠当て、含み針、隠術、それから……」
 藤田の目に、明確な殺気が揺らめいた。
「四方式、か」






  エントリ4 焦燥   しろくま


 俊作はテレビリモコンを手に取ると、向かいに座っている隆の左頬をそれで激しく打った。
 隆は俊作の目を見た。そうだ、あなたはいつも親の尊厳が傷付けられた時に手を上げる。隆は幼稚園児の時と中学生の時にも打たれたことを思い出した。
 隆は年明けに修士論文を提出し、そのまま博士課程を受験した。六年間通ってきた大学なので緊張は無かった。試験官も今まで何度と顔を見てきた先生達だった。ただその中に今までその人のところで勉強してきた自分の指導教員の姿は無かった。後日結果が届く前に先生の研究室に呼び出されると不合格だと伝えられた。
 先生には研究生になることを勧められた。研究生とは費用を払うことで院生と同じように研究室や大学の設備を利用できる制度だった。そして来年また挑戦しなさいと言われた。
 隆も先生も悔しかった。落ちた理由は院生としての自覚が足りないと判断されたのだと教えられた。
「指導学生が落ちるのはその教師の責任だ」と先生は言った。隆が他の大学院を考えなかったのはこの先生以外に自分は理解されないという想いからだった。「二十七歳で博士課程を修了」は自分の道ではなかったのだと知った。人生初めての浪人だった。
 自分はどの道に進むべきだろう。一年間足踏みをするこの道草で、進級も無く一つ歳を重ねてしまう。今年で二十五になる。二十五という歳の、今の自分のあり様に負い目も感じる。どういった言葉ならうまく表現できるだろう。宙ぶらりん、溝に落ちた、甲斐性無し、アルバイトもしていないからニートだろうか。
 修士を一緒に卒業した元学校教師の人達は教師の仕事に戻っていった。留学生達は国に帰っていった。年の初めに付き合っていたSとも別れた。学部を卒業した時と同じだ。また一人ここに残ってしまった。
 ただ研究生になって初めて分かることもあった。研究室で本を読み、ノートを取って研究するという日々は、想像した博士課程のものと変わりが無かった。この研究生の間に足りなかった研究の掘り下げをし、来年もう一度受験して博士課程に入る。隆は「二十八歳で博士課程を修了」を目指すことにした。この道が一番現実的に思えた。
 そんな中で隆は一つの求人を見つけた。履歴書を送り、夏に東京で面接を受けた。そして秋口の頃に合否を通知する採用通知書が届いた。
 
 若手日本語教師インドネシア派遣 採用
 
 隆は先生の研究室を訪ねると採用通知書を見せた。
「親には見せたのかい」
「母さんには見せたけど父さんにはまだ話してない」
「そうか」
 通知が届いて三日が経った。受諾するかどうか返事を出す期限も迫っていた。面接の時に希望を訊かれた派遣先はインドネシアの他にマレーシア、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランド等があった。
 オーストラリアやニュージーランドはこれからの人生、旅行で行く機会がありそうだ。何より学部生だった頃の同じ学科の人達が何人か留学していた。どうせ行くのなら知り合いの誰もが行ったことの無い所がいい。
 インドネシアは隆にとって未知の国だった。戦後にできた新しい多民族国家。政府自体がいくつ島があるのか完全に把握できていない。また隆はインドネシア語を知らない。そして世界で一番多くの言語を持っている国。法律で決めるまでもなく日本語を公用語としている日本とは違う。「言葉が違う」というのが日本では年代や方言のことを指すのに対してインドネシアでは「言葉」の意味が違う。
 不安が膨らめば目に入るすべてに懐かしさのような優しさ、暖かさを感じる。自分のことをよく知っている人達が居る。地元に包まれている。新幹線でどこまで行っても日本に包まれている。幕末の、脱藩浪士の心境とはどんなものだったのだろう。能天気な風雲児だったのだろうか。地元や国というものよりももっと大きな何かに包まれていると考えていたのだろうか。自分も地球に包まれていると感じられるようになるのだろうか。
 迷ったときは勇気の要るほうを選びたかった。男児だ。後悔をしたくなかった。高校の時に隆はアガリ症で不登校になりかけた。その時に逃げるのは男じゃないだろうと言ったのが父親の俊作だった。
 居間で隆と俊作は低いテーブルを挟んで座っていた。テレビは俊作が録画した大河ドラマを流していた。母親のさなえは台所で食器を洗っていた。
 テレビが終わると隆は口を開いた。
「一年間海外で日本語教師をしてきたいと思ってる」
「それはインドネシアに行くという話のことか」
 俊作はさなえからすでに話を聞いていた。
「うん」
「大学院はどうするんだ」
「来年の二月の入試は派遣期間中で受けられないから再来年のを受けようと思う」
「だいたいお前はインドネシア語が話せるのか。向こうの学生だってインドネシア語を話せる先生のほうがいいだろう」
「日本語だけで日本語を教えることだってできる。それを直接法と言うんだ」
「インドネシア語を話せないお前より向いている人が居るはずだ」
「大学に居る英語のネイティブの非常勤講師だって日本語を話せない人が大半だよ」
「インドネシア語を話せなくていいというのはお前の甘えだろう」
「誰だって俺の履歴書を見ればろくに外国語が話せないことくらい分かるよ。それでも俺は採用されたんだ」
「だいたいお前は日本語を教えられるのか。俺にはどうもそれが信じられない。この派遣に行くというのは大学院を落ちたお前の逃げじゃないのか」
「俺は文法論を専門としているんだ。そこらへんの日本人や日本語教師より日本語を知っているという自負とプライドだってある。この前の博士の入試は落ちたよ。でもこの派遣は勝ち取ったんだ。父さんは知らないだろうけど国絡みの大きな派遣事業なんだ。俺はそれに採用されたんだ。俺が国に必要とされてるってことなんだ。疑ってばかりかよ。少しは俺を認めろよ!」
「お前は親に向かってどういう態度で言ってるんだ!」
 俊作の目が見開いた。テレビリモコンを手に取ると隆の頬を打った。台所で見ていたさなえが駆け寄った。隆は俊作の目を見た。
「なんだその目は、親を何だと思ってる!」
 今度は平手打ちが隆の左頬で音を上げた。
「やめてください」
俊作がもう一度手を上げようとした時、さなえが止めに入った。
「見ろ、こいつは犯罪者の目をしている! 人を騙そうとする目だ」
「犯罪者の目なんかしていません。あなたの子です。この子だって自分の将来のことをしっかり考えています」
「いいや、こいつはいつも行き当たりばったりだ。逃げるために色々理由を付けようとする奴だ。こいつは親の俺のことを『何も知らない奴だ、哀れな奴だ』と言う目で見てやがる。もう一度大学院に挑戦すると言うから落ちても認めてやっていたのに、そんな訳の分からないのに行くぐらいならさっさと働け! おい、その目をやめろと言ってるんだ!」
 隆は俊作の目から視線を外した。座り直し、もう一度俊作の顔を見た。
「働いていないことの惨めさは俺が一番感じているよ。大学を出てから一つの会社で働き続けている父さんを俺は尊敬してる。でもこの海外派遣は俺にとって将来必要になる経験だと思うんだ。だから行くことが逃げだとは思わない。今ここでこの道を諦めてしまうことが逃げだと思う。昔アガリ症になって高校に行けなくなった俺に、逃げるのは男じゃないと言ったのは父さんじゃないか」
「何が尊敬しているだ……!」
 居間に幾らかの沈黙が流れた。
「……勝手にしろ」
 俊作はそう言うと風呂場へ向かった。
 隆はそのまましばらく座っていた。さなえが氷を包んだタオルを持ってきて隆の頬を押さえ「よく頑張ったね」と言った。隆はそれを振り払うと自分の部屋に戻り扉を閉めた。
(これしかない。これしかない)
 隆は鞄から採用通知書を取り出すともう一度読み返した。読み終えると机の引き出しに仕舞って鍵を閉めた。鍵は誰にも見つからない所に隠しておいた。






  エントリ5 チョコの気持ち 〜2006年 バレンタイン〜   百


「はじめまして、健志君」
「はじめまして」
 涼介と健志が向かい合ってお辞儀をしあう姿を見て加奈子は微笑んでしまう。
―妙にまじめなところが似ているかも、このふたり……―
 
 2月12日、日曜日。
 自宅の最寄駅である北千住駅の改札で涼介と待ち合わせた。
「お昼どこに行こうか?」
 加奈子が健志に話しかけると健志が恥ずかしそうに涼介を見上げた。
「あのね……」
 涼介が健志の方へ身体をかがめる。
「僕、行ってみたいお店があるの」
「どこかな?」
「でも、そこお母さんと行ったことないの」
 加奈子が健志に声をかけようとする前に涼介が問いかける。
「どこのお店?」
「あの、駅の近くの焼き鳥屋さん」
「焼き鳥屋? お昼はやっていないんじゃない?」
 加奈子が早口で言うと、健志は首を振った。
「やってる。言ってたもん」
 涼介が加奈子を制するように見てから、健志に話しかける。
「じゃあ、その焼き鳥屋さんに行ってみよう。どっちかな?」
 健志は涼介の手をつかむと「こっちだよ!」と歩き出す。
 加奈子はそんな健志の姿に驚きつつ、ふたりの後をついていく。
「どうして、そのお店に行ってみたいと思ったの?」
「あのね、こうきがこの前、そこでお昼食べたんだって。カウンターっていう席でお父さんとお母さんとお昼を食べたんだって。そこの席だと焼き鳥を焼いてるお店の人が見えて、こうきのお父さんはお店の人と話したんだって」
「こうきくんって保育園のお友達?」
「そう」
「そうか、じゃあ、カウンターの席が空いていたらそこに座ろう」
「うん!」
「加奈子さんもそれでいいよね」
 加奈子は「ええ」と頷く。自分の思いもよらない展開に複雑な気持ちだったが。

 焼き鳥屋は駅近くの居酒屋が密集している地域にあった。
 店の前まで来ると健志は恥ずかしそうに涼介の手を離し、加奈子の手を取った。涼介は店に入り「カウンターがいいんですが」と応対に出て来た店員に声をかける。そんな涼介の姿を真剣に健志が見つめている。涼介が振り返り「カウンターに座れるよ」と言うと健志が大きなため息をついた。
「どうしたの? うれしくないの?」
 加奈子が驚いて声をかける。本当に今日は驚くことばかりだ。
「うれしいんだよっ! 夢のようだ〜」
 健志がうきうきした足取りで涼介の後をついていく。加奈子はまた笑ってしまった。

 健志を真ん中に挟むように3人でカウンターの席に座る。
 ランチの焼き鳥定食を3つ注文し終えると健志はきょろきょろお店を見回したり、客から見えるようにガラスで仕切られた焼き場を覗き込んだり忙しい。
「健志、少しは落ち着きなさい!」
 加奈子が言うと涼介が笑った。
「僕もよく言われてたなあ」
 加奈子が「私、涼介君に言ったことあった?」とけげんそうに言うと、涼介は手を振って「いいや」と答える。
「違います。加奈子さんじゃなくて、僕のお袋に。僕が子どもの時にやっぱり言われてたなあと」
「なんだ、びっくりした。言ったことあったかと思っちゃった」
 加奈子は鞄から小さな包みを二つ取り出した。
「これ、こんなところでなんなんだけど、バレンタインのチョコレート。涼介君と健志に。はいっ!」
 健志が受け取って、ひとつを涼介に渡す。その時、健志の表情が一瞬曇った。加奈子ははっとしたが、何も言わなかった。
「ありがとう、お母さん」
「ありがとう、加奈子さん」
「どういたしまして。はい、タケの分はしまっておいてあげる」

 焼き鳥定食はおいしかった。

 駅に戻ると涼介は言った。
「それじゃあ、僕はこれで。健志君、また、どこにご飯に行きたいか考えといて」
「ごめんね、涼介君。忙しいのにここまで出てきてもらって」
「いいんですよ。僕も楽しかったです。では、また!」
 改札を通って行く涼介の姿を加奈子と健志は手を振って見送った。
「行っちゃったね」
「どうだった?」
「涼介……君? さん?」
「え、あ、そうね。涼介さん、かな。私もそう呼ぶわ」
「僕は涼介さんにタケって呼んでもらいたいなあ」
「今度会った時、言ったら。きっと喜ぶよ」
「うん!」
 健志がにっこりと笑った。

 夜、健志が風呂に入っている間、台所の椅子に座って加奈子は考えていた。
―涼介さんとタケ、会わせて良かったと思うけれど、あのチョコを渡した時のタケの表情。まだ、母親の気持ちを独り占めしたい年齢でもあるのかしら……―

 涼介のことは嫌いではない。むしろ、自分でも驚くぐらい惹かれ始めている。クリスマスの初めてのデートの時、涼介が連れて行ってくれたのは大学生時代のバイト仲間が経営しているという銀座の小さなイタリア料理のお店だった。そこで、涼介のバイト時代の皿洗いのエピソードに大笑いした。
 シェフになっている彼は料理人としての修行中だったが、涼介はイラン人のバイトと一緒に皿洗いをしていたそうだ。
「涼介はそのイラン人によく新宿2丁目に一緒に行こうと誘われてたよな」
「あー、あれね。シンジュクニチョメダッタラ、ロースケサンモテマスヨって言われてさ」
「行ったの?」
「加奈子さんまでおもしろがって〜。行かないですよっ!」

 友人を、しかも昔からの友人を紹介してくれたということがとてもうれしかった。思い返してみると沢口には仕事以外の付き合いでの友人を、そう、昔からの友人を紹介してもらったことがない。

「かなり違うわよね……」
 思わずつぶやいてから振り向くと、風呂上りの健志がそこに立っていた。
「ちゃんとあったまったの。今、ココア作ってあげるね」
 慌てて立ち上がりかけた加奈子に健志が言った。
「今、涼介さんとお父さんをくらべていたでしょ。それはやめたほうがいいよ」
「えっ?」言葉につまる加奈子。
 健志は加奈子から視線を外し、何かを思い出すようにゆっくりと話した。
「あのね、人を好きになるのってほかの人とくらべちゃだめなんだって」
 健志の思い出しながら話すような言葉に少し落ち着いた加奈子が問いかけた。
「誰かに言われたの?」
「うん、まいちゃんに言われたの。ほかの人とくらべて好きって言われても全然うれしくないって。まいをちゃんと見てないって。それは好きとはちがうって」
 加奈子は茶色のさらさらヘアに薄い茶色の瞳をした色の白い女の子を思い出した。
「まいちゃん、素敵なことを言ってたんだね。そうかもしれない、ううん、きっとそうだね」
 加奈子がやさしく言うと、健志は大きく頷いた。
「うん、誰かより好きって言われると、その時はうれしい気持ちがするけど、なんか変だよね」
 加奈子が健志をじっと見つめる。
「何?」
「ううん、なんでもない。……まいちゃんからチョコレートもらえるといいね」
「うっ、そんなことっ!」
「いらないの?」
「……う、ううん。欲しいけど」
 
 健志が寝てから、加奈子は涼介に電話した。
「ごめんなさいね」
「なにが?」
「チョコを渡した時、健志、ちょっと嫌そうな顔したでしょ」
「加奈子さんも気づいてたんだ」
「涼介さんも?」
「うん、でも、違うんだよ。健志君の気持ちは。最初は僕もそう思った。同じチョコで嫌だったんだろうって。でもね、本当は僕に、自分と同じで悪いなって、気をつかってくれたんだよ。気持ちの優しい子だよね」
「そうなの?」
「うん、実は加奈子さんが席を外した時に聞いちゃったんだ。でも、何も今日、くれなくてもよかったのに」
「ううん、これは自分への決意表明でもあるの。ふたりに一緒に渡すってのが、ね」







  エントリ6    


(本作品の掲載は終了しました)






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