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第2回6000字小説バトル Entry4

夢無き街、不思議の国

電話が鳴った。
しばらく鳴るのに任せ、私はタバコに火をつけた。
中古市で買った、レトロな外観が雰囲気たっぷりの、黒いダイアル式の電話だ。呼び出し音の大きさを調節できないのがタマに傷。これのせいで、何度安眠を妨害されたことか。それでも手放さないのは、私のひねくれた性格の賜物といえる。
デスクの上には、締め切り寸前にもかかわらず書きかけの原稿用紙で一杯になっており、灰皿の上はタバコの灰とフィルターでこんもりと山が築かれている。不精な性格がたたって、ここ数ヶ月は片付けていない。蛍光灯の明かりが、寝不足の目にやけにまぶしかった。
時計を見やると、すでに夜中の2時をまわっている。こんな時間にかかってくるなんて、どうせろくなことではない。いたずらか、もしくは間違い電話か何かだろう。
しかし電話は一向に鳴りやむ様子がないので、やむなく私は受話器をとった。このまま鳴らしつづけられても迷惑なだけだ。
「もしもし?」
「…………」
相手は答えない。私は少し苛立った。こんな時間に、しかも向こうからかけてきて名乗らないとは、どうゆう神経の持ち主だ。
「どちら様で……」
「あんたがアベさん?」
突然返事が返ってきた。キイキイと鳴くような甲高い声。私の知る限り、こんな声の人物に知り合いはいない。
「そうですが、なにか?」
「ああ、よかった。もうダメかと思っていたよ」
相手は心底ほっとした様子でそう言った。
なんのことだか、さっぱりわからない。
「アベさん、すぐここへ来てもらいたいんだ。それも今すぐ。何のことだかわからなくて混乱するだろうけど、とにかく頼むよ。重症なんだ」
正体不明の甲高い声はキイキイと一気にまくしたて、寝不足でぼんやりとする私の頭を激しくかき回した。このところ収まりつつあった、偏頭痛がよみがえりそうで、私はいやな気分になった。
「病人なら救急車をよびなさい。私は医者じゃない。お門違いだ」
そう言って電話を切ろうとすると、待ってくれ!とにかく話を聞いてくれ!とよりいっそう甲高い声が受話器から響いてくる。まるで壊れたスピーカーのようだ。このあわてぶりだと、ここで電話をきってもまたかけてくるかもしれない。しかたなく、私は相手になってやることにした。それにしても、こんな時間にヘンなヤツだ。
「ああよかった……じゃあいまから待ち合わせの場所を教えるからどこかに書いて」
「ちょっと待ってくれ。こんな夜中にかけてくるなんて、いたずらなんじゃないのか?私をからかうつもりならいいかげんに……」
「違う、違うよ!そんなんじゃないんだ!僕はいたって真剣だよ」
再びキンキン声が跳ね返ってきた。ひどい耳鳴りがする。
「それにこの時間じゃないと、僕はあんたに電話できないんだ。本当は電話もしちゃいけないきまりなんだけど、いや今はとにかくそんなことを言っている場合じゃないんだ」
「……わかったよ。で、君はいったい何者なんだ?」
あきれはてた私の問いに、そのキンキン声は信じられない答えを返してきた。
「じつは僕、夢の世界の住人なんだ」

私は自宅のアパートを出ると、車に乗った。
エンジンをかけ、ポケットからメモを取り出し、指定された場所を確認する。このアパートから程近い、大きな公園のようだ。
アクセルを踏み、ハンドルをきりながら私は苦笑した。
(夢の世界の住人だって?)
ばかげているとしか思えない。それに付き合おうとしている自分も酔狂だが、それにしても、夢の世界の住人とはおそれいる。だがいたずらにしては妙だし、相手はだいぶ必死な様子だったので、私は行ってみることに決めた。危険なようなら引き返せばいい。
それに、好奇心が全くないとゆうわけでもない。夢の世界の住人と名乗る輩がどんな顔をしているのか見てみたい、とゆう好奇心が。
夜中であるため道には他の車はおろか人影もなく、車はあっという間に公園に着いてしまった。
適当な場所で車をとめ、私は公園の入り口に立った。
桜の季節も終わり、梅雨に入ろうとゆう春のただなかではあったが、さすがに夜は少し冷える。上着を持ってくるべきだったと、後悔した自分が妙におかしい。
電話では、迎えをよこす、と言っていた。しかしそれらしい人影は見当たらない。そもそも、人ではないかもしれない。この考えに苦笑しつつ、私は公園に入ることにした。
車止めを通り抜け、入り口からまっすぐに伸びる、メインの広い遊歩道に足を踏み入れる。さすがに夜の公園は不気味だった。道端に等間隔で並ぶ水銀灯のおかげで、足元はそれほど危うくないのだが、この青白く浮かび上がった公園の景観は鳥肌ものだ。風でなびく木々のざわめきでさえ、私の恐怖心に拍車をかける。それでも好奇心のほうが勝っているのか、私の足は留まることなくどんどん進んでゆく。
しばらく歩を進めて、私は道の先に妙なものを発見した。
子供らしい背丈の影が一つ、水銀灯に照らされてポツリと浮かんでいた。
あの身長なら、年は多分十歳くらいだろう。まさか子供のいたずら?
だが、近づいてみて、それがただ者ではないことが判明した。
なんとウサギだった。白いウサギが蝶ネクタイに燕尾服とゆういでたちで、こちらを向いて立っているではないか。
向こうもこちらに気づいたらしく、うれしそうに手を振りながらこちらに近づいてくる。まさに、目を疑うような光景。
「よかった、来てくれたんだね!」
幾分声のトーンは落ちていたが、それは間違いなく電話で聞いた、あのキンキン声だった。気が狂ったか、夢をみているのではないか。私はとっさにそう思って、自分の顔をつねってみた。
痛い。
「なにやってるの?さあ、はやく。こっちだよ」
そう言って彼は、呆然とする私の手をつかむと、公園の道を脇にそれてどんどん奥へと入っていった。肉球と少し伸びた爪、そして雪のように白い毛の、奇妙な感触のハーモニー。
皆さんは、ウサギを抱いた経験はおありだろうか。私は小学生のころ、学校の先生が連れてきたウサギを抱かせてもらったことがある。生命の温かいぬくもりと、早鐘のような心臓の鼓動を手に感じ、幼いながらドキドキしたことを覚えている。でも、抱いたことはあっても、いきなりウサギに電話で呼び出され、しかも手を引かれた経験はないだろう。
ウサギはひときわ大きな大木の前まで私を引っ張ってくると、ここで待つように指示した。
「あんたくらいの年の大人を、僕らの世界に招待するのは、原則的にいけないことなんだけど、緊急事態だからきっと大丈夫。ほんの少し待ってくれればいいから、帰っちゃダメだよアベさん」
ウサギはそう、わけのわからないことを言い置くと、大木の陰へと姿を消した。
(緊急事態だって?)
ウサギを待つあいだ、私はつとめて冷静に考えようとした。
多分これは夢だろう。今起きればベッドの上で、私の腕は目覚し時計を求めてデスクの上の原稿用紙や灰皿をひっくり返すに違いない。いやいや、しかしあのウサギの手の感触はまさに本物だった。すると、子供のころの記憶がフィードバックして、まるで現実のように現れているのか?
何がなんだかわからなくなり、私はもう一度、頬をつねってみた。
やはり、痛い。
「許しが降りたよ。さあ、行こう」
再び現れたウサギは、またしても私の手を引っ張り、大樹の裏手まで連れてきた。そして木の根元をなにやらガサガサと引っ掻き回すと、石でできたボタンのようなものを押す。
するとその石の横に、ぽっかりと穴があいたではないか。
「初めてだと腰を打つかもしれないから気をつけてね」
「ゆ、許しっていったいなに?」
あまりの出来事に、心なしか声が震える。
「あんたがこっち側にくるための許しさ。このクスノキがその番人。子供は多少審査がゆるいけどね。とにかく、今はそんなことはどうでもいいから、ちゃんとついてきてよ?」
ウサギは念を押すようにそう言って、穴に飛び込んだ。奥で曲がりくねっているらしく、彼の姿はすぐに見えなくなる。もうここまできたら、夢だろうがなんだろうが追いかけるしかない。
意を決した私は、目をつぶり思い切ってその穴に飛び込んだ。
心のどこかで、このへんてこりんな夢から覚めることを祈りながら。

祈りは通じなかった。
めちゃくちゃにひねくり曲がった、やたらに長いスロープをぬけ、私は放り出されるようにして外に出た。ウサギの忠告も虚しく、私は強く腰を打ったらしい。じいん、と痛みがこみあげ、涙があふれた。これもどうやら本物の痛みらしい。
「アベさん、こっちだよ」
ウサギは手招きをして、こちらを心配そうに見つめている。
「大丈夫?」
「はあ……なんとか」
「初めてなのに勢いよく飛び込むからだよ」
ごもっとも。
絶叫マシンはけっこう好きなほうだが、あのスロープはもう二度と経験したくない。
痛む腰をさすりつつ、私は立ち上がってあたりを見回した。
地下のはずなのに、青々とした空が見える。どうやら森の中のようだ。奇妙に幹のひねくれた木々が、うっそうと生い茂っている。これが彼の言う、夢の世界……なのだろうか。
「ここは夢の世界を統括している女王の庭なんだ。人間の世界とはここでしかつながっていない。それで、重症ってゆうのはその女王のことなんだけど」
「ちょ、ちょっとまってくれ。それならなおのこと私より医者を呼ぶべきなんじゃないのか?私では役には立たないと思う……」
あまりにも不可思議な出来事にいきなり遭遇してすっかり引け腰になった私に対し、彼は強い口調で言った。
「それは、あなたが童話作家だから」
先を歩いていたウサギは、振り返って私の目を覗き込んだ。
赤い瞳の、丸っこくてなかなか愛嬌のある目だが、それはまなざしは真剣そのものだった。
「僕らが存在してゆくにはなにが必要だと思う?夢だよ、人間の見る夢さ。でも今の人間たちは、あまり夢を見なくなってしまったでしょ。特に子供たちがさ」
「確かに私は作家だけど……それなら他にもっといい人がいるはずじゃ」
「女王があんたを選んだんだ。理由はよくわからないけれど……」
そうゆう会話を交わしているうちに、私たちは広い岡に出た。岡の上にはいかにもメルヘンチックな、かわいらしい屋敷が一つ、ぽつんと立っていた。どことなく、『幸せの青い鳥』に登場するお菓子の家を彷彿とさせる佇まい。
まだ幼い私の姪が見たら、きっと大喜びだろう。
ウサギはそれを指差して言った。
「あれが女王のお屋敷だよ」
なるほど、ね。

私は寝室に案内された。不思議なことに、これだけ広い家なのに一人も使用人らしい存在がいない。ウサギの紳士がいるのなら、執事だけにヒツジの……いや、そんな冗談はさておき。
「彼女の力が弱まったせいで、みんな消えかかっているんだ。だから今は、みんな自分の家に引きこもっちゃってる。怖いんだと思う」
ウサギは寂しそうに、そうポツリとつぶやくように言った。ここまでの道すがら、誰にも会っていないのも、このことが関係しているようだ。そういえば、私たちが歩いてきた森でも、鳥の鳴き声一つ聞こえなかった。途中で見かけた木や花にしても、やっと自分を支えているといったかんじで、まるで生気を感じなかったほどだ。
力をなくし、肩をがっくりと落とす彼の小さなうしろ姿に、私は少しばかり同情した。孤独が辛いのは、私も同じだったから。
女王は、花柄を大胆にあしらった、りっぱなベッドに横たわっていた。よくあるおとぎ話に出てきそうな、髪の長いすらりとした美人の、いかにも女王様然とした女性だった。頬はこけ、顔色は思わしくなく、息も絶え絶えといった感じだ。
よほど深刻なのだろう。
「君は、なぜ平気なの?」
「……女王があんたを呼びにやるために、力を僕に託したんだ」
「………」
重苦しい沈黙がしばらく続いた。
妙にいたたまれなくなり、私は口を開いた。
「それで、私にできることは?」
「僕たちの事を童話にして欲しいんだ。そしてそれを人間の世界で広めて、なるべくたくさんの人に見てもらうようにして欲しい。それだけでもずいぶん違うと思うんだ。ここまであんたを連れてきたのは、なるべく僕らのことを理解してもらいたかったから」
ウサギの消え入りそうな言葉に対し、私は言葉に詰まった。
状況はようやく呑みこめたが、軽々しく同意できることではなさそうだ。
私が返事に窮していると、気がついたのか、女王はゆっくりと目を開けてこちらのほうを見た。弱々しくも毅然とした光を失っていないその瞳に、私は強く心を打たれた。
できることなら、なんとかしてやりたい。
私の頭からは、これがよくできたいたずらなんじゃないかと疑う気持ちが、すっかり吹き飛んでいた。ウサギに向き直り、承諾の代わりに小さくうなずくと、ウサギの紳士はうれしそうに微笑んだ。
はにかむような、ウサギの微笑み。
「女王があんたを選んだ理由、わかるような気がしてきたよ」
皆さんは、ウサギが笑うところを見たことがあるだろうか。

あれから数日後、苦心の末できあがった私の童話は、セールス的には大成功を収めた。
内容は、燕尾服を着たウサギの紳士が、夢の国の女王を病魔から救うために立ち上がる、といったようなもの。続編の要望が、出版元にどっさり届くほどの人気ぶりだった。
私の編集担当者はほくほく顔で、童話が英訳され欧米でも出版されることを告げにきた。そして、こうも尋ねてきた。
「いったいどうやってあんな素晴らしいファンタジーが生まれたんですか?」
無論、ノーコメント。言ったところで信じはしまい。
しかし、そんな商業的な成功にもかかわらず、私の心は暗かった。あれ以来、ウサギからの連絡がない。はたして私の本当の試みは、うまくいったのだろうか。
本の部数がどんどん伸びてゆくのに反比例して、不安は広がる一方だった。
ところが、さらに数日が過ぎ、私宛てに届いた一つの小さな小包が、私の心の暗雲を一気に振り払ってくれた。
差出人は不明。どうやら向こうの世界には住所とゆうものがないらしい。
あけてみると、虹のような不思議な色合いのリボンでくくられたニンジンが一束と、ひねた字で書かれた、
「ありがとう」
の一言だけの手紙。それらを見た私は、しばらく笑いがとまらなかった。
なるほど、ウサギらしいお礼だ。
私は普段あまり使わないなべを取り出し、れいのニンジンを刻んでカレーを作った。出来栄えは、まあ私にしては上々。夢の世界の住人たちを思いつつ、ありがたくいただいた。
デスクは今、奇麗にかたづいている。
だがそのうち、きっと前のように煩雑としてくるだろう。
夢の世界に住まう者たちのために、そしてこの世に夢が絶えることのないように、私は続編を出す予定でいる。
偉そうなことを言うようだが、これが私の使命なのかもしれない。
あのウサギの無邪気な笑みも、今ではすっかり懐かしい。
季節は、暑い夏を迎えようとしていた。


ところで皆さんは、ウサギからお礼の手紙と品物を、受け取ったことがあるだろうか。

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