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第2回6000字小説バトル Entry5

Rabbit Time

 僕は裁判所にいた。
 裁判所といっても最高裁判所とかそんなところではない。ドラマでよく見る家庭裁判所を想像してくれればいい。僕はその被告人席にいた。ようするに裁判官と真正面から向き合うような位置だ。でも、まだ裁判官らしき人物はいなかった。その代わり、僕の右手側に男が座っていた。直感的に書記官だと分かった。彼は白いポロシャツに黒のジャケットを羽織っていた。ネクタイはしていなかった。髪は乱雑にカットされていたが、彼に非常によくなじむ髪型だった。左耳に十字架をかたどったピアスがあった。表情は無表情で、電池がきれたんじゃないかと思うぐらいに微動だにしなかった。瞬きすらしなかった。
『ここになぜいるの?』
 舌っ足らずな声がどこからか聞こえてきた。僕は後ろを振り返ったが、そこには誰も座っていない傍聴席が広がっていた。そうだ、僕は何故ここにいるんだ?
 左奥にあるドアがやたらと大きな音を立てながら開いた。眼鏡をかけた神経質そうな女性が入ってきた。長い綺麗な黒髪を後ろでまとめて、蝶の髪留めで留めてあった。なんとなく小学校の授業参観日での担任の先生を連想させた。
 続いてウサギが入ってきた。
『うさぎだね』と、また声がした。ああ、ウサギだね。と、心の中で返事をした。
でも正確に言えば《ウサギの顔を持った人》だ。デパートで見るウサギのぬいぐるみの頭の部分だけかぶっている状態で、顔から下はビシッとした黒のスーツできめている。でも、その顔はグロテスクなぐらい〈生のウサギ〉だった。鼻がヒクヒクと動いている。首には懐中時計を下げていた。しかし、違和感というものは感じられなかった。この人の顔はウサギなんだなと、なぜだか納得できた。
「空気が悪いね、窓を開けてもらえるかな?」
 そのウサギ人(僕はその生き物をどう呼んだらいいのかわからない。彼はウサギでもあり、人でもあるのだ。ここではウサギ人と呼ぶことにする。)は、書記官に向かってそう言った。書記官はまるであやつり人形みたいな動きで立ち上がり、窓を開けた。涼しい風が窓から入ってきた。
「ありがとう」と、ウサギ人が言うと書記官は頭を少し下げた。やっぱり動きはあやつり人形だった。
「昨夜はちゃんと眠れましたか?」
 ウサギ人は机にひじを突き、手を組んで僕を見た。
「ええ、まあ」と僕は答えたが、僕には眠ったという覚えがなかった。
「そうですか、それはよかった」ウサギ人は窓から入ってくる風がくすぐったそうに目を細めた。
「さて」と、ウサギ人は組んでいた手を元に戻した。「ここの裁判所について簡単に説明しておきましょう」
 ウサギ人はゆっくりと立ち上がった。そして、ゆっくりとした足取りで、時計回りに法廷を歩き出した。
「あなた方が住む世界では、裁判所は罪を裁き、罪を犯した人間を罰するところになっていますね。しかし、この世界では少し違います」
 書記官は僕らの会話を書き留めていった。それはさっき間での動きからは想像できないほど、キビキビとした動きだった。
「つまり、僕は何か罪を犯したわけではないんですね」
 ウサギ人は法廷内を一周していた。しかし、僕と彼の位置関係はさっきから少しも変化していなかった。もっと簡単に言ってしまえば僕を中心として、法廷全体が回転していた。どう考えてもおかしな現象だった。でも、僕を含めてその法廷にいる人間はそのことに全く驚かなかった。関心を抱くことすらなかった。
「いえ、あなたは罪を犯しているはずです。そうでなければあなたが被告人席に立っていることはない」
 ウサギ人はもとの席に戻っていた。次に彼は彼の隣に座っている、蝶の髪留めをしている女性の前に手を出した。女性は無言で彼女が持っていたファイルから小さなきらきら光る物を取り出した。その光る物は窓から入る陽射しを受けて光っているのではなく、自身が光っていた。彼女がそれをウサギ人の手のひらにポトリと落とすと、その光るものは一枚の紙になった。
「あなたが何をしたかと言いますと・・・」と言いながら、ウサギ人はスーツの胸ポケットから眼鏡を取りだした。そして、その紙に書いてあることを読み出した。彼は一通り目を通し終わると眼鏡を外し、僕をまっすぐに見た。
「いいですか?罪というのは裁けばいいというものではありません。罰金や労役などで償えばそれでいいというものでもありません。解決にはなっていないのです。」そう言うと彼はまた静かに椅子から立ち上がり、窓の方に歩き出した。
「つまり、現実の世界では事実上、罪を解決することは不可能です。一旦過ちを犯してしまえば、それは一生あなたをつきまとうことになるのです」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」と僕は尋ねた。
 ウサギ人は窓の外を見ながら、黙ってしまった。その間法廷内は、書記官が立てる‘カリカリ’という、ノートに書き込む音で満たされた。ただ、彼が何を記録しているのかよく分からなかった。だって、今は誰も何もしゃべっていないのだ。
「ラビット・タイム」
 ウサギ人は突然そう言った。ラビット・タイム?
「この世界はラビット・ホールの中にあるラビット・タイムという世界なんです」
「ラビット・タイム・・・、ですか?」
 ウサギ人は、もとの席に戻った。隣に座っている女性は眼鏡を外し、瞼の上から眼をもんでいた。
「先ほども言いましたが、ここでは私が最高責任者です。ハートの女王ではありません」
「何か違いがあるのですか?」
 ウサギ人は僕の質問には答えずに、ニッコリと笑った(正確には僕は彼が笑ったように見えた)。そして僕の前に手を差し出した。その手はしっかりと開かれていた。次にその手は何かを掴むような動きを見せた。まるで手のひらに何かが落ちてきたように。
「これがなんだか、わかりますか?」
 ウサギ人はそう言いながらゆっくりと手を開いた。そこにはキツネの形のキーホルダーが入っていた。
「キツネの形をしています」と僕は答えた。
「いえいえ、形のことを言っているのではないです。何かこれにまつわることを覚えていませんか?」
 僕は全く覚えがなかった。
「いえ、何も・・・」
 僕が答えると、ウサギ人はそのキーホルダーをもう一度手の中に握りこんだ。
「そうでしょうね、いえ、そうでなくては困るんです」
「どういうことですか」
「ラビット・タイムでは、過去に無意識に犯してしまった罪を取り扱うのです。ハートの女王は故意に犯した罪を取り扱います」
「無意識・・・ですか」
「そうです。このラビット・タイムとハートの女王が管理している世界のクイーン・タイム。この2つの世界はある共通点を持っています。この2つの世界は、犯してしまった罪を完全に解決させることができる世界なんです」ウサギ人は鼻をヒクヒクさせながら少し興奮気味にそう言った。そして、ゆっくりと大きく息を吸うと「そろそろ、始めましょうか。原告側証人。どうぞ」と言った。
 僕の後ろに広がる傍聴席から「はい」という小さい女性の声が聞こえた。振り返ったがそこには無人の傍聴席が広がっているだけだった。
「原告の方ですね」
 ウサギ人が言う声がして身体を戻すと僕の前に女性が立っていた。さっきからこの空間は変だ。
『ラビット・タイム』
 ああ、そうか。ここはラビット・タイムなんだ。現実の世界とは全く違う世界なんだ。
「えー、シライシキミコさんですか。この宣誓文書を声に出して読んでください」
「キミコ?」
 声の正体は僕の婚約者のシライシキミコだった。
「宣誓。この法廷で私が証言することは、すべて虚言でないと誓います」
 キミコは顔を下に向けたまま、宣誓文書を読んだ。
「ではここにサインをお願いします」とウサギ人はキミコにペンを渡した。
「はい」
 裁判は僕のことなんか、まるで関係ない、というように進行していった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」僕がそう言うとウサギ人は「静粛に」と冷たく言っただけだった。
『怒られちゃったね』と声が言った。
「では、被告人の罪状について読み上げます」蝶の髪留めの女性が立ち上がって言った。
「小学生時代に被告は原告からのプレゼントであるキーホルダーを、彼女の見ている目の前で近くを流れる川に投げ捨て、彼女の心を深く傷つけました。彼女は現在でもそのことを強く気にしており、被告に対する責任は非常に大きいものだと思われます。以上」
 ウサギ人はふむと言った。書記官は相変わらず何かを書き込んでいた。キミコはうつむいたままだった。
「さて、キミコさん」
 キミコはウサギ人の呼びかけに対して、さっきよりもうんと小さな声で「はい」と答えた。
「あなたは彼に何を望んでいるのですか?」
「私は・・・」キミコはそこで少し言葉を選んだ。
「私は彼にどうしてあの時にあんなことをしたのか教えて欲しいんです。そして、彼が今私のことをどう思っているのかも」
 ウサギ人はニッコリと笑いながらうなずいた。
「なるほど。分かりました。被告人、前へ」
 僕は座っていた席を立った。と、気がつくと僕はキミコがさっきまで立っていた場所にいて、逆にキミコはさっきまで僕が座っていた椅子に座っていた。
「どうしてそんなことをしたのか、覚えていますね」
「いえ、全く覚えていないんです。そんなことをしたのかすら思い出せない」
 ウサギ人は僕を見て、「あなたに言っているのではないです」と言って目線を僕の胸のあたりに移した。
「君に尋ねているんだよ。出ておいで」
 ウサギ人はうんと優しくそう言った。その瞬間、僕の身体から青白い何かが抜け出た。
『ごめんなさい』
 どこかから聞こえていた声で、その抜け出た何かが言った。小さな男の子が僕の方に背を向けて立っていた。
「十才のあなたです」とウサギ人は僕に向かって言った。「ラビット・タイム、クイーン・タイムは特異な世界です。現実の世界と違って、ここでは“時間”というものが一定の方向に流れていないのです。過去から未来という流れは存在しません。ですから、〈十才のあなた〉は〈今のあなた〉と同じ時間に同じ場所で存在できるのです」
ウサギ人はそれだけのことを僕に向かってしゃべると、今度は〈十才の僕〉に向かって話しかけた。
「シライシキミコさんがくれたこのキーホルダーをどうして捨てたのかな?」ウサギ人はさっきのキツネのキーホルダーを〈十才の僕〉に見せながら言った。
『うれしかったの。でも、女の子のプレゼントが恥ずかしかったの』
「それで、捨てちゃったの?」
 〈十才の僕〉はコクンとうなずいた。僕もうなずいた。思い出した。あれは僕にとって生まれて初めての異性からのプレゼントだったんだ。
「気恥ずかしかったんでしょうね。このころはちょうど異性というものを、初めて気にし始める年齢です。そうですね?」
ウサギ人は僕に向かって言った。
「はい、そうだったと思います」と僕は言った。
僕は〈十才の僕〉の後ろ姿を見た。後ろで手をモゾモゾと動かしている。
「原告。前へ」
 ウサギ人が言ったとほぼ同時に僕の隣にキミコが立っていた。キミコの前には女の子が立っていた。どうやら〈十才のキミコ〉らしい。
「キミコさん。ご理解いただけましたか。被告は決して悪気があったわけではないんです。あなたのことが嫌いでキーホルダーを捨てたわけじゃないんです」
 今のキミコは大きくうなずいた。
 ウサギ人は〈十才のキミコ〉の前に来ると彼女の前にしゃがみ、目線の高さを合わせて、キツネのキーホルダーを彼女の手を取って握らせた。彼女は分かったというようにコクンとうなずいた。〈十才の僕〉はその姿をじっと見ていた。今のキミコもじっと見ていた。
『今度はちゃんともらってくれる?』と〈十才のキミコ〉が言った。
〈十才の僕〉はうつむいたままうなずいた。〈十才のキミコ〉は〈十才の僕〉の手を取って、そのキーホルダーを渡した。
『ありがとう。ごめんね』と〈十才の僕〉が言った。
 その瞬間〈十才の僕とキミコ〉は今の僕とキミコの中に、それぞれ吸い込まれるように帰っていった。
「さて」とウサギ人が立ち上がりながら言った。
「これで本件に関してほとんどの問題は解決されました。しかし、すべてが解決していませんね、キミコさん」
「はい」とキミコは言った。今までの中で一番しっかりとした返事だった。
 その返事を満足そうに聞いた後、ウサギ人は僕の方を向いた。
「キミコさんは今のあなたの気持ちも知りたい。そうおっしゃっていました」
 ウサギ人はそう言うと彼が座っていた席に戻った。そして大きな声でこう言った。
「閉廷!!」
 僕は驚いて言った。
「あ、あの。すべて解決していないんじゃ・・・」
 僕がすべてを言い終わる前にウサギ人は「ラビット・タイムは【過去に無意識に犯した罪を解決する】のです。よってキミコさんの申し入れはこの世界であつかうことではありません」
そう言うと、ニッコリと笑った。
「その問題は現実の世界で解決された方がよろしいでしょう」
ウサギ人は鼻をヒクヒクと動かした。そして、そのまま法廷から出ていった。
蝶の髪留めの女性と書記官は荷物をまとめウサギ人の後を追うように出ていった。ドアが大きな音を立てて閉まった。
そして、僕とキミコだけが法廷に残った。独特の空気が僕たちを包んでいた。何を話せばいいのか。
「ねえ」
 キミコがそう言った瞬間、法廷が大きく揺れた。そして、僕の視界からすべてが消えた。


「ねえ、起きて。朝だよ」
 僕はベッドの中にいた。目の前にキミコの顔があった。
いつもの部屋だった。
「キミコ?」
 キミコはそう言う僕の顔を見て、プッと吹きだした。
「そうよ。どうかしたの?」
「夢・・・か」
「変な夢でも見たの?」
「いや・・・何でもない」
 そう言う僕にキミコが抱きついてきた。
「大丈夫?疲れてるんじゃない?」
「いや、大丈夫だよ」
 何か頭がぼんやりとする。変な夢を見ていたんだ。なんだっけ?
「ねえ、私のことどう思ってる?」とキミコは言った。さらに抱きつく強さが増したような気がする。
 抱きつく彼女の耳に何か光るものがあった。ウサギの形をしたピアスだった。
「これ・・・」とピアスを触りながら僕は言った。
「ああ、これ?かわいいでしょ。《ラビット・タイム》っていう、ブランドなの」
そこで僕は夢の中の出来事を思い出した。なるほど。ウサギ人はまだ僕を無罪放免としたわけではなかったようだ。僕はまだラビット・タイムから抜け出せていない。現実の世界で解決しなければならない問題があるんだ。
「ねえ、答えてよ。どう思ってるの?私のこと」
 もうすぐラビット・タイムから抜け出すことができる。出口は目の前にある。そのための答だってちゃんとある。
 僕は彼女をギュッと抱きしめた。そして、耳元ではっきりと彼女に答を伝えた。
彼女の耳についたウサギが鼻をヒクヒクと動かしたように見えた。

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