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第7回チャンピオンofチャンピオンバトル小説部門 Entry1

正月の寺


 我家の初詣は1月4日だ。
 正確には「墓参り」だが、母は「神仏に最初に詣でるのが初詣」と、神事と法事を一緒くたにする日本人代表のように笑った。
 4日は祖父の命日である。亡くなったのが平成2年。三賀日ではなく、昭和天皇崩御の年でもなく、しかし近い。ニアピン人生が身上だった祖父らしい命日かもしれない。
「人間はBESTよりBETTER」
 口癖だった。祖父から英語の単語らしきモノを聞くのはこれだけで、得意気だったのは覚えている。しかし同じ台詞を某SF小説で見つけた時、主人公が好きだっただけに幻滅した、など余談か。
 昭和64年の1月末に、天皇崩御のニュースを見ながら普通に朝食を食っていた孫を烈火のごとく怒鳴りつけた(時代錯誤の)祖父だが、翌年にはケロリと忘れ、祖母と母が手作りした御節料理を「不味い」言いながら綺麗に平らげた。
 今時に家庭で作る御節なんぞあるか、と友人には言われたが、祖母は「しょうがない」ふんわり笑った。伊達巻を買ったことはあるのだが、甘党の祖父が手を付けなかったのだから、本当に「不味い」思ったのだろう。そのくせ行事モノの食べ物が好きな祖父のために、平成2年の正月も祖母と母は御節を作った。
 その御節を、祖父はいつも通りに(口先の文句を言いながら)カパカパ食べた。餅を家族で一番食べていたし、お気に入りの栗きんとんは芋の裏ごしで手をつった孫に配慮も遠慮もなく完食した。
 そして4日の朝、祖父は寝床で冷たくなっていた。
 前日にあれだけ飲み食いした祖父が、寝顔のようにかすかな微笑のまま、しかしゆすった肩は――
 起こしに行った母が戻らず、様子を見に行くと布団の前で泣いていた。慰めも言えず、何をしていいかも分からずにいると、いつのまにか祖母まで来た。
「しょうがない」
 いつも通り。静かに呟いて枕元に座り、ゆっくりと祖父の白髪を梳いた。
 祖母は泣かなかった。

 あれから、もう16年。祖母も4年前の夏に亡くなった。
「夏は嫌い」
 言いながら「しょうがない」笑って、風邪をこじらせ肺炎をおこし、あっけなく死んでしまった。
「苦しまなかったのが救いね」
 しわの増えた母は、それでも穏やかに言う。

祖父も祖母も平凡で、たいした偉業はなく、弔問客も少なかった。何年も忘れない人なんて家族以外には少ないだろう。
 それでも、遺された者が穏やかに故人を偲べるなら、最高ではなくとも良好の人生ではないか、と思う。


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