第10回チャンピオンofチャンピオンバトル小説部門 Entry8
視界に入ってきた足先が白い粘膜に包まれているように錯覚した。
ストッキングだった。不自然に白い色のそれはトゥの開いたパンプスから覗く指、その輪郭をぎこちなく覆っている。丁寧に包んでいるようでどこかそれはいびつだ。どことなく不器用に足指のラインをなぞっている。やわらかく指にまとわりついているうすい繊維を、私は粘度の高い液体とそれをまとった薄く柔らかな膜のように見間違えたのだ。
その足はお世辞にも綺麗な形とはいえなかった。だが、職人に綺麗に磨き上げられた道具のようなよく使い込まれた印象を受ける。持ち主の年齢、共に歩んだ年月相応の少々ひしゃげた形をしていたが、白い膜にゆるりと包まれて透ける肌色はこの上なく清潔で、儚げに見えた。世界の汚れを知る前、世界と断絶されて、まだ守られたその足先。
本格的な通勤、通学ラッシュには早い時間、早朝の気怠い空気に包まれた車内。かろうじて確保出来た座席は窮屈で、私は肩を縮こまらせて座り下を向いている。くたびれて埃っぽい革靴や履き口に締まりのないパンプスが並ぶ視界の中で、その粘膜に包まれた足だけが周囲と色を変え、際立って美しく見えた。
目を離す事が出来ずに見入るうち、右足の親指の爪が長く伸びているのが目についた。それがふとした拍子にこの白い粘膜を破るのではないかという想像が膨らむ。
うすいうすい膜はささくれ立った爪による僅かな刺激に容易に裂けてしまう。膜は音もなしにたやすく裂かれ、無力にだらりと垂れ下がる。そしてその薄皮をするりと脱ぐようにして、粘液に浸りてらてらと光る女の裸身が現れるのだ。ああ、そうだ。この女性は、女は、それによってようやく本当にこの世界に生を受けるのだ。その時をきっと、待ち続けているのだ。卵の中、殻に包まれた雛鳥の様に。そして、私が見つけた。時は満ちたのだ。
新しくこの世に生まれたばかりの美しく白いその躰は、母体の、子宮の温かさを持って私を抱き締めてくれるかもしれない。遥か昔に失った遠い故郷の匂いをまとったその腕で、私を抱いてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱く、願う。
気がつくと私は、電車の小さな窓から空を見上げていた。
床に身体を投げ出し、世界に産み落とされたばかりの女の体温と粘膜と粘液にまみれて、空を見ていた。温かくて懐かしい匂いがした。なんだかとても気持ちが良いと感じた。見上げた空は、高く青く、澄んでいる。