エントリ1
思い出す詩のことなど 植木
子供の時分、木枯らしの強かった夜の翌朝などに雨戸を開けてみると、庭に詩が幾つか落ちていることがあったものだ。
その頃は、そんなことが当たり前の世の中であったから、朝日に透かして見て、美しく輝くようなものでもなければ残しておかず、たいがい枯葉と一緒に燃やしてしまった。
どこの家でもそうであり、焚き火で焼き芋をこさえる時など、詩が混じっていると甘みが増すなどと大人達が冗談めかして話しているのを火にあたりながら聞いていたものだ。
道路に落ちた詩は、詩拾い屋が根こそぎ持って行った。きまってボロを着て頬被りをした二人組の男達がリヤカーで来て、サーベルの様なもので詩を刺し貫き、荷台に置かれた大きな竹籠の縁でこそげ落とし中に入れ、人目を避けるように次の町へと足早に去って行った。
一度だけ「あの詩はどうなるのか」と、夕餉を囲んでいる時にたずねたことがあったのだが、両親から「そんなこと、子供は知らなくてよい」と、きつく叱られ、そのことを口にだすのは私の中で禁忌となった。
いつか知りたいと心の内に長く思っていたのだが、私が大人になる頃には、もはや以前のように詩を見かける機会など無くなっていた。そればかりか、詩について、自分達がどんなことをしてきたか、口を噤んでいるほうが賢明だと云う世相にさえなっていた。
だから私は、今もあの竹籠の中の詩が結局どうなってしまったのか、未だに知らないままである。
エントリ2
隣人 駄々
どういうわけか
いつの日からか
悲惨な姿を喜びとし
人を敵とし運命を敵とし
抗うことが好きだった
もう駄目だと絶望した時
底にあるのは喜びだった
愛する人を突き放し
嫌いな人に歩み寄る
そんな自分に絶望した時
底にあるのは喜びだった
緊縛のような喜びを
絶えず体に染み込ませ
群れの中に入り込む
否定されたこともなし
口に出したこともなし
背中を丸めた上目遣い
隣の人に視線を向ける
エントリ3
飛行機雲 石川順一
スーパーの自転車置き場で
弁当がぶちまけられて
ライスが固まりで落ちて居る
こう言う物は
不燃物と可燃物を
分けて投棄しなければならないが
分別して居ると
体が回転して来るように感ぜられ
空を飛ぶ飛行機が
飛行機雲を残せない
不満が分からなくて困る
西方へとなだらかな坂と成って
伸びる飛行機雲を
思い浮かべながら
弁当のゴミを分別した
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