※編集に一部ミスがあったため、再編集して掲載しました(一部Entry番号が変更されています)。誠に申し訳ありません。(12/10 22:50)
| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | 夜叉まつり | 西名玲 | 913 |
| 2 | 「火葬村」 | 戒人 | 924 |
| 3 | 死に言葉 | 吉田茲枦 | 991 |
| 4 | 晴れすぎた空 | 青葉 大地 | 919 |
| 5 | 水を抱く | アニタ | 992 |
| 6 | 死蝶 | 大津 | 996 |
| 7 | ある日ある午後 | ひのし | 1000 |
| 8 | 夢の旅 | chobo | 993 |
| 9 | 階段と神隠し | 葛籠 令人 | 1000 |
おはやしがきこえます。おまつりでしょうか。
音のほうへ、吸い寄せられるように歩いてゆきますと、朱塗りの大きな太鼓橋のまえへ出ました。橋のまえに、鳥居が建っております。それをくぐってゆきます。
おはやしの音が、だんだんと耳に近くなってきております。もう少しで追いつきそうです。
橋をわたりおえますと、ゆるやかに曲がりくねった坂道がつづきます。道の両側は、桜の木がたくさん植わっております。そこを、早足になって、歩いてゆきます。
桜の葉のむこうに、田楽灯篭がちらちらとゆれているのがみえます。
ごせんぞさまは もうかえり
雪舞う季節にゃ まだはやい
うたえおどれや 今日だけは
夜叉も笑顔じゃ ほれポンポン
つづみのはずんだ音がきこえます。やっと、おはやしの行列がみえてきました。
いちばんうしろから、そっとついていくことにしました。みんなまえをむいていて、顔がよくみえません。
おてんとさまは もう沈み
おつきさまには まだはやい
うれしたのしや 今日だけは
夜叉も笑顔じゃ ほれポンポン
あかい幟のはためいているのが、みえてきました。
おやしろをかこんでいる林は、カエデでしょうか。小さいのや大きいのや、とんがったかわいい葉っぱが、どれもきれいに色づいております。
おはやしは、おやしろのまえまできました。
哀しみしょった おにの顔
ほおをににっと あげまして
まつりだまつりだ 今日だけは
夜叉も笑顔じゃ ほれポンポン
わぁっと歓声があがりました。みんな、手をとりあって、よろこんでおります。
やっと顔をみることができました。きばをむきだした、夜叉の顔です。
夜叉たちの、哀しみにみちた目が、笑顔にかわりました。なみだをながしてよろこんでおります。夜叉たちの哀しみにみちた心も、まだ笑顔を忘れてはいなかったようです。笑顔を忘れてしまうのは、夜叉たちにとっても哀しいことなのでしょう。笑顔を忘れないために、夜叉たちはおまつりへやってくるようです。
笑顔になった夜叉たちは、ふえやたいこを、にぎやかにかき鳴らします。みんな、手に手をとって、おどっております。
そっと、おやしろからはなれました。
夜叉たちはこれから、月がのぼるまで、宴会をするのでしょう。
今日は、夜叉まつりの日です。
もう何日も空は晴れない。
久しぶりに見つけた空は、物騒な名前だった。
「火葬村。」
読み上げて、心の中で反復する。容赦なく私を打つ雨は、私をつたって地に落ちていく。
その音だけが、脳内に響く。視界を遮断して意味を考える。『火葬』という村の名には似つかわしくない言葉。どんなに記憶の網を探してもひとつの意味でしかとらえられない。―――死者を葬る方法。
躊躇する体と安息を求める衝動がぶつかりあって、村への入村を考える。―――狭い脳内で、自分自身との苦闘の末、村に入ることを決意する。
衣服にしみ込んだ雨水が私の体温を奪っていく。その感覚から逃げるように速足で宿を探す。
快く迎えてくれた宿の主人に、上手く礼も言えないまま、私は眠りについた。
私は、早朝から目を覚ました。
雨音が耳鳴りのように残っているだけで、雨は降っていない。
疲れきった体は、わずかな動作にも悲鳴をあげていたが、耳鳴りが止み始めるにつれ聞こえてくる物音に、耳を傾けているとそんな苦痛も脳から消える。
人のすすり泣く声。それが、隣の部屋から聞こえてくる物音の正体だった。
私の周りで、何かが起きている。
村をドラゴンに襲われたあの日から、何かが少しずつ違ってきている。
ベットから降りることで、体中に痛みが戻る。ようやく、動けるようになったのは、もう昼近くだっただろう。―――曇った空のせいで、太陽が見えない。
宿の外へ出て、辺りを見やる。人影は見当たらない。山のふもとのほうを見やると、煙が上がっていた。
『火葬村』
自然と単語が頭に浮かぶ。ふと、嫌な予感が全身を駆け巡る。内臓が動くような恐怖。――逃げ出そうか?と迷う。
理性と好奇心は私を押しとどめる。本能が危険を発する。
―――――私は、村から逃げ出した。
そして私は今、灰をぶちまけたような空を仰いでいる。
自由の利かない四肢。あざ笑う観客。私は…殺される!
気さくな村人に流されるまま、この地を踏んだ。
鳥葬村。
この周辺の村々は、生存者の埋葬を目的として作られた。ドラゴンの恐怖の前に、人生を悲観した人間の末路。
ドラゴンの恐怖は、人をも狂わせてしまう。
―――――瞳に映る鳥が、近づく。奇妙な鳴き声と狂っている観声。
そう、私の旅はここで終わる。
私の物語もここで終わる。
「死んだらどうなりたい?」
「――――は?」
昼過ぎの柔らかい光が射し込む病室に、奇妙な会話が始まった。
病室には、規則正しくなる機械音も分からないほど暇で、平和な時間がゆっくりと流れている
――――はずだった。
その時間を変えたのは彼女の妙な質問だ。この空間にいるのは彼女と自分の二人だけ。
「だからぁ、火葬と土葬そうとか風葬とか。いろいろあるでしょ」
そういう意味か。
俺はなんて答えて良いのか分からず、いつもよりずっと早く頭を巡らせている間にも、彼女はニコニコして俺の口が開くのを待っている。
「やっぱ日本人は火葬じゃねぇの?」
やっとの思いで答えを見つけ、口からそれを吐き出した。
自分でも彼女が望む答えではないと分かっている。でも普通「死んだ後」なんて聞かれることはないのだから、と渇いた口の中で反芻した。
「えー、なんかソレやだ」
やっぱり彼女は俺の答えを気に入らなかったようだ。
「なら土葬とか?クリスチャンにでも改宗するとか」
「あっ、本気にしてないッ」
青白い顔を歪め、細長いチューヴの組み込まれた水気のない腕を胸の前で絡めている。
何がそんなに不満なんだろう。
それに今は、彼女に「死んだ」後のことなんて考えて欲しくなかった。彼女には今のことだけを考えていて欲しかった。欲しい時間は今だけだった。
「どうしたの?ぼーっとして」
彼女の屈託のない笑顔で我にかえる。嫌なことしか頭になかったせいか、堅く握った手にはじっとりと汗が滲んでいる。
「なんでもないよ」
彼女には見えないところへ、さり気なく滲んだ手を持っていく。
変なことで彼女を心配させたくはない。
「あのね、さっきの続きなんだけど」
「さっきの続きって、自分が死んだ後はってことか?」
言われた言葉を繰り返す。
「そう、それ。私はね、死んだら焼いてもらうの」
それは火葬だろ、と言おうと思ったが、その考えは彼女の次の言葉であきらめた。
「でもただ焼くだけじゃ私がいっぱい残るから、もっと私だって分からなくなるまで、灰になるまで焼いて欲しいの。そして灰になった私を空に投げて欲しいんだ。青くても赤くても黒くても。何色でもいいし、夜明けでも夕焼けでもいつだっていい。私を空に投げてくれさえすれば。でも、私に死んだ命日には会いに来ないで。私たちの出会った日に会いに来て。――――私を殺さないで」
彼女は笑っていた。
そして俺は今、あの日のように青いこの空を、見上げている。
湖に浮かぶボートを見てた。
白い柵に歩み寄る。
そして後ろを振り返る。
彼に、私の大好きな彼に、私の思いを伝える為に。
「綺麗だね」
私の言葉に彼が頷く。
「ねえ、ボートが気持ちよさそうだね」
涙があふれそうになる。
私は知ってた。
彼が栄花を好きなこと。
「ねえ、あのさ、雄生」
言い淀んでしまった私を彼が見つめる。
私は知ってた。
栄花が雄生を好きなこと。
彼は、とても優しい人だから。
私の気持ちがわかってて、ひたすらに栄花への気持ちを隠してた。
栄花も栄花で、彼への気持ち、隠してた。
でもね、あんまり、意識しすぎてて、逆に気にしてることわかってしまった。
もう一度、湖の方を向いて、
「ボート乗らない?」
私は最後の言葉を口にして空を仰ぐ。
記憶の向こうの空がよみがえる。
あの時も空は綺麗な羽を広げてた。
「なぁ、ここのボートってさ、妙に家族連ればかりだよな」
彼が不思議そうに言う。
「あのね、ここのボートって恋人同士で乗ると別れちゃうってジンクスがあるんだって」
いつか、栄花から聞いた話を彼に伝える。
「へぇ、知らなかったなぁ」
納得したようにうんうんと頷く彼に、私はふと浮かんできた考えを彼に告げる。
「ね、もし、どっちかが別れたいと思ったら、ここに来て、『ボートに乗ろう』って言うことにしようよ。なんか格好良くない?」
水面に映った空に彼の影が揺れる。
「そうだな。でも、もし、お前がそういったら、俺は絶対、嫌だって言うからな」
彼が、そういってくれたのが嬉しくて、
「私も、もし、雄生がそういったら、絶対嫌だって言うわ」
そう、言って頬笑みあった。
私たちの視界には、晴れた空の柔らかな光が射していた。
彼に背を向けて、水面の硬質な輝きを見ながら私は彼の言葉を待っていた。
「ゴメン……」
そう呟いて、彼が立ち去るのがわかった。
振り向くことが出来なくて、
「『嫌だ』って言ってくれるって言ったじゃない」
あの時とは違う空に、救いを求める。
「『絶対嫌だって言う』って、『絶対嫌だっていうからな』って……」
霞んだ声で繰り返す。
私の歪んだ視界には片翼を奪われた空があった。
櫂が花作る水面が、痛々しく晴れすぎた空の切れ端を映していた。
濡れた艶やかな十二月の闇に、水面はゆるやかに波打ち、蜂蜜のような甘い色の月を映す。風も無いのに水は静かに揺れ続く。だからもうそれは、外界の静かな景色を正確に映し出す役割を果たさず、喉の奥にからみついてくるような、粘つく黄色がゆらゆらと揺れるだけだった。
とろりと深緑色に濁ったプールの真ん中に浮かぶ、男。かつての、無邪気な歓声と輝く飛沫をその一身の内に囲った黄金の季節を、果たしてこいつは覚えているのだろうか。今は忘れ去られて、その内にあるのは腐敗しきった体液だけだというのに。それとも、また確実に、あの光輝く季節がやってくるのを、こざかしくもこいつは知っているのか。ねっとりと飴のように光る丸い天体を遥かに見、彼はそんなことを考えた。
静寂は完全であるように思われた。彼の目に映る映像、それはまるで時が止まったかのようで、全てのものが呼吸することを忘れたかのようだった。だが彼の浮かぶ水面は絶えずゆり動き、映るものを歪めて動かし続けた。
「ああ。」
たまらなくなって彼は目を閉じる。まだ、俺のどこかに残っているのだろうか。彼女が口移しに与えてくれた、あの温度は。あのすべらかな唾液は。だとしたら、今すぐにこの体のどこかを引き裂いてでも、それを探し出し、一滴も残さずに飲み干してやる。きっとその雫は、極上のラム酒のように湿った甘い匂いを伴って、俺の体の隅々にまで染み渡り、熱く喉を焼くだろう。そして、冷酷な何もかもをまでも暖めてしまうに違いないのだ。
閉じた彼の瞳からは、幾筋も涙が頬を伝って流れていった。いまや彼が見るのは静止映像では無く、揺らめき続ける世界だった。涙で満ち溢れた目で見る、あたかも水の底から見上げているような光景だった。
まるで海の底に沈んでいるみたいだ。そうだ、彼女も抱きしめると、こんな感じがした。冷たく滑らかな体が、不思議とどこまでも広がっている気がしたものだ。
揺らめく景色を夢現に覚えながら、彼は空を掻き抱こうとした。だがその手に触れたのは、あの懐かしく冷たいものだった。指を、腕を、すり抜けていくそれを彼は夢中になって捕まえようとした。そして最後には、自らを抱きしめる様にその胸にしっかりと抱き寄せた。ああ、戻ってきてくれたんだな。そう言おうとして彼は初めて、もう呼吸さえできないことに気づいた。だが汚水の底の、涙の底で、彼は息が止まるのも気づかぬ程に幸福だった。
仄暗い空間の中で狂ったように舞う蝶。その蝶たちはひらひらと冥途へ旅立つ。暗い闇の中へと蝶は死んでいくのだ。そんな蝶をしげしげと見る綺麗な金色の衣服を纏った女性がいた。
彼女は無数の蝶の中でぽつんと立っていた。彼女の名前は、シナリ。
《貴女は何をしている》
遠方からわずかに聞こえる誰かの声。
それは多分死に果てた人々の思いが重なり作り上げた死の声。
「私は…死人を蝶に変え…救っているつもりです」
蝶はねじがはずれたかのように狂い舞う。死から逃れるために蝶は必死に飛ぶのだ。
《その死人の生まれ変わりの蝶が…生きていて楽しいのか》
シナリは口を塞いだ。シナリは死人の魂を蝶に入れ、わずかながらの間も生きさせようとしていたのである。でも、その蝶が生きていて楽しいのか?死に神にとりつかれたように舞う蝶に楽しさなどこれっぽっちも無いだろう。
「楽しくないでしょう」
《なら何故生かす?死人をなぜそこまで救う?》
言葉が出なかった。私のしていたことは何でしょうと。
死に絶えた人々を蝶にした過ちでしょうか。
シナリの心に重くのしかかる現実。
《ほら答えられない。蝶は…みんないつか死ぬんだよ!》
一斉にその声と共に全ての蝶の身体はガラスになり地面に落ち、割れた。一瞬にしてシナリの周りは割れた蝶のガラスの破片だけ。
冷たい空気が闇の異世界を支配した。
《魂だけの蝶だから…血も出ないのだ》
キラキラと光る蝶の偽の亡骸。それに寄り添うシナリ。でも、亡骸は亡骸。
シナリの作り出した蝶は血も流さない、所詮形だけのものだったのだ。
「どうして殺すのです!」
尋ねたけれども返事は来ない。
やはり人間は生と死を操ることはできないのだろうか?
《お前を殺して蝶にしてやろう。狂気蝶にな。》
私を殺して―――
始めて味わう死期。でも納得して死ねない。
生きたとしても蝶の姿なんて嫌だ。
「ちょっとまって…」
しかし遅かった。シナリの体中の皮が剥がれ、血がじんわりとにじみ出てくる。そして耐えられない痛みが頂点に達した時、シナリは死んだ。シナリの魂は闇の空間を彷徨った。蝶が飛んでいる。黄色の綺麗な紋白蝶だ。
…ああ…。シナリはその紋白蝶の身体を奪い、自らの魂を無理やり押し込んだ。
どうせ死ぬならばもっと安らかに死にたかった。
こんな無様な格好で死んでしまうなんて。
仄暗い空間の中で狂ったように舞う蝶。その蝶たちはひらひらと冥途へ旅立つ。暗い闇の中へと蝶は死んでいくのだ。
「ねぇきみは」
心地よいかれの声。心の奧に響く心地よいバリトン。
港のカフェテラス。そこにいるのは若いカップルが多い。味と値段と舞台とを考えれば当然のことだ。
「怖くなったことはない?」
「あるわ」
あなたと一緒にいること。いつ別れ話を切り出されるかといつもぞくぞくしてる。質の悪いオリーブオイルを使っているらしく、そのためだまになったスパゲティを口に運ぶ。
ここにいる彼らはきっと味の事なんてどうでも良いんだろう。お互いの瞳を見つめあうだけで欲情できるから。ふと私たちはどうなのだろうと思う。
「僕は」
彼は続ける。
私はフォークにサラダ菜をさす。ドレッシングの為に野菜特有の青臭さなどまるで感じない。
「生きているのがこわいよ」
別れ話を切り出そうとしているのだろうか。ナプキンで口を拭う。
「どうして?」
おかしな具合に声がかすれてしまう。
「死ぬのがすぐにわかるから」
私は彼の瞳を見つめる。彼は知識ばかり持っていて感情の制御ができない子供だ。彼は私の事をどう思っているのだろう。
「そうね」
義務的に。私は彼の独白を聞く。
「生きているあまりにも小さな確率であまりに小さい生きているんだ恐いよなぜだか知らない死じゃないのに」
彼の言葉はもう意味を成していない。ただがむしゃらな恐怖でものを言っている。
「人類がいなくなるなんて冗談じゃないんだ僕は」
義務的に。私は大丈夫と言いながら体の位置を変える。そして顔を近づける。彼はオレンジジュースの匂いがした。頭をなでてやる。もう一度大丈夫と言いこれではまるで母親だと思う。彼の母親は彼が幼い頃に死んでいるし、彼の奇形のマザーコンプレックスだと。
「だぁいじょうぶ」
言って彼の瞳をのぞき込む。そこに先ほどまでの混沌とした感情は見えない。彼を手玉に取るのはとても簡単。でもいつ別れ話が出てくるのかと不安でならない。彼のことがわからないから。
「大丈夫、私が生きていてあげるわ」
彼の眼鏡を外す。くちづける。これは誰にでもできることなのかも知れない。でも私にしかできないことかも知れないのだ。私たちには性欲が必要じゃない。彼に必要なのは、慈愛であり赦しだ。それは少なくとも今のところ。私は何が欲しいのだろうか。
「食べ終わった?」
彼が訊いた。サラダと冷製スパゲティがまだ残っている。彼はオレンジジュースをもう飲み終わっている。
「待ってるよ」
眼鏡をかけると彼は言った。
「どこでもいいの?」
彼女は僕にそう言った。僕は「どこへでも」と言い、彼女の横に座る。彼女は二本目の煙草を吸ったままそこに横になると、僕に向かって笑ってこう言った。
「あそこ。あそこがいい。」
彼女は左手で遠くの空に光る一つの星を指差すと、僕の顔を見てもう一度笑った。僕は「わかった」と言い、頷く。きっと連れて行くよ。絶対に・・・。
列車は僕を乗せたまま、空の旅をしている。列車の窓からは色とりどりの星が輝き、遠くの方では何千羽もの白鳥が天の川を渡っている。僕はその白鳥達を眺めると、僕の横の席に置かれた黒い革のボストンバッグを見た。そして小さな声で(周りにいる人に気づかれないように)ボストンバッグの中にいる彼女に向かって呟く。もうすぐだよ。もうすぐで着くよ。
列車が赤い屋根のついた小さな駅の前で止まり、僕はボストンバッグを持って駅に降りる。駅には人はいなく、僕は改札口へとゆっくりと歩いて行く。列車は僕が降りた事を確かめると、きらきらと輝く粉を撒き散らしながら発車する。僕は駅の改札口を通るとそのまま駅を後にし、駅の目の前にある大きな噴水の前で立ち止まる。そして大きく息を吸い、ボストンバッグを地面に置くとゆっくりとバッグのチャックを開けた。
「はい。着いたよ。君の望んだ場所に。」
ボストンバッグの中には、真っ白な肌をした彼女の頭がある。僕はその頭を両手で持ち、ボストンバッグの中から出した。彼女は頭から下は無く、目は綺麗に閉じ、唇はうっすらと微笑んでいる。僕はその頭をすぐそばにあったベンチの上に置き、僕も彼女の頭の横に座る。
僕は地球で「望み屋」と言う職業をしていた。「望み屋」とは人々の願いを聞き、それを叶えてあげる仕事のことだ。その仕事の中で僕は時々、人を殺す仕事もしていた。殺すといっても只の人殺しではない。自殺志願者である人達を殺し、そしてその人達が望んだ場所に連れていってあげるのだ。そして今、僕の隣にいる彼女が5人目の依頼者だった。
「ここは綺麗な場所だね。」
僕はそう言い、彼女の頭の上へ視線を落とす。そして、横目で駅の改札口を睨んだ。
駅の改札口からは数人の黒いコートを身に纏った男達が、僕を見張っている。その男達の腰の辺りには拳銃が用意され、その拳銃の銃口は真っ直ぐに僕を見つめている。
警察だ。僕はそう感じると、ゆっくりと立ち上がり微笑む彼女の頭に向かってこう言った。
「幸運を。」
教室移動が嫌だった。
音楽室は三階。校舎の最上階にある。私の教室は一階。長い廊下を渡って、階段をたくさん上らなくてはならない。
階段をぼんやり上っていると、そのまま音楽室には辿り着けないような気がする。階段は三階までしかないが、ぼんやりしていれば、三階よりも上へ行ってしまうかもしれない。
二階へ行くために階段を上っていたはずなのに、ぼおっとしていると、うっかりそのまま三階まで上ってしまうのだから、きっとありうると思う。
……普通ではないことを考えるのは得意なんだ。
とにかく、教室移動が嫌だ。
「繭、大丈夫?」
友人が私を心配して声をかけてくれた。今日は体調が悪い、ような気がする。
「保健室に行ってから音楽室に行く」
「一人で行ける?」
「うん」
本当は、音楽室に行きたくないだけだ。
それでも授業を受けなくては成績に関わるので、階段を上らなくては。
私はだらだらと音楽室へ向かった。ほっと一息ついて、教室へ入る。
「え?」
それなのに、教室には誰もいなかった。急に気持ちが悪くなった。みんな、どこへ行ってしまったのだろうか。
「どうしたの?」
扉の前で突っ立っている私の背後から、少年の声がした。見たことのない少年だったが、同じ制服を着ていた。
「誰もいないの」
私は本当に困っていて、どうすればいいのか分からなかった。
「三階じゃないから、誰もいないんだ」
少年は笑っていたが、気味が悪かった。
「どういうこと?」
「君が望んでいたから」
どきっとした。私はいつもここへは来たくなかったから階段を上ることが億劫だったのだ。それなのに、目の前の少年は逆のことを言う。
「僕は君が本当に願っていることしかしない」
私は願ってなんかいなかった。でも、勝手に怯えていたのも事実だ。それが願うという事だろうか。
「『普通』は嫌なんだろ?」
「嫌よ。ここも、嫌!」
「そう」
少年は少し残念そうに言った。
「君がそう願うなら……」
彼の言葉を最後まで聞くことは出来なかった。なぜなら、私は気を失ってしまったから。
気がついたら保健室のベッドの上だった。
後になって先生から聞いた。私は音楽室の前で倒れていたのだそうだ。
少年の言っていた「望んでいたこと」にしては美しくなかったな、と思った。それに、どうしてもあれが私の望みのようには思えない。
もう少し、あの少年と話をしてみたかった。
それから、階段を上ることが嫌ではなくなった。