さっきまでオレンジ色だった空はもう無く、漆黒の中にぽっかりと浮かんだ三日月が、地上に妖しい光を浴びせていた。 築百五十六年の木造の小さな寺から、まるでその空の黒に擬態するかのように真っ黒な喪服を身に纏った人達が吐き出されてきた。唯一露出した黄色い顔が、闇の中で随分目立つ、そしてその顔達は、一つ一つ、街中の雑踏へと消えていく。 端原信吾は、寺の敷地内にある大きな岩に腰を落ち着け、それらの情景をぼんやり見ていた。 彼は服の袖をめくった、すると、十一月の冷たい風が無防備になった彼の腕に新しい刺激を与えた。ほうっと溜息が漏れる。 彼は岩から降りて、眼前にたたずむ寺を眺めた。 寺は、所々が苔むしていて、少し木が腐りかけているものもあるが、それでも、百五十六年という時間の流れが、この寺に独特の風格を持たせている。 信吾は、少し寺の入り口に近づいた、すると、寺の中からかすかに女の子の泣き声が聞こえた。 信吾には、その声の主が彼の恋人である島橋加奈子であると分かった。 寺の外にまで聞こえてくるくらいだから、相当泣きじゃくっているのだろう、まあ無理も無い。この葬式は、加奈子の親友だった美崎香織の為のものなのだから。 「親友…か。」 信吾は重い溜息と一緒に言葉を吐き出した。 彼は、昔から友人らしい友人を持ったことがない。 興味が無かった、と云うのが正解だろうか、彼が学校に行っても、そこにいたのは、群れて馬鹿話や卑猥な単語を連発する男子共、まるで磁石のようにいつもべったりくっついて、脈絡も意味も無い話を延々とする女子共、集団に紛れて己の正体を晦まし、その安全圏から陰湿ないじめを繰り返す愚物共、そうだ、そいつらのせいで美崎香織も今、寺の棺桶の中に身を収め、加奈子の涙に濡れているのだ。 あらためて愚物共に対しての怒りが、信吾の中に噴き上げてきた。 しかし、加奈子はそんな連中の限りではなかった、いつでも率直でさっぱりとしていて、そして人情家だった。 そんな性格が妬まれたのだろう、以前は彼女も、美崎香織と同じように、四人組の愚物連中に地獄のようないじめを受けていた。 そしてある日、人気の少ない路地裏で、いつものように集団リンチにあった加奈子が逃げ込んで来たのが信吾の家だった。 それまでは、信吾と加奈子の間には何の関係も無かった、加奈子が信吾の家に逃げ込んだのも、リンチされた場所から距離的に一番近かったというだけの理由である。 しかしまあ、とにかくそれがきっかけで、二人親しい間柄になった。 それから数日が経って、突然加奈子へのいじめはストップした。何故か、理由はナメクジでも分かるほど簡単だった。 つまりその四人組は、いじめの矛先を加奈子から美崎香織に移したのだった。 その理由も簡単である、美崎香織は加奈子がいじめられているとき、必死にかばっていたので、愚物連中は美崎香織の存在がわずらわしくなったのだ。 それから一ヵ月後、信吾や加奈子の保護の甲斐も無く、美崎香織は愚物共のいじめに耐えかね、学校の屋上から飛び降りて、死んだ。遺書は無かったと信吾は聞いている。 「信吾。」 かすれた声が聞こえた、信吾が声の方向に目を向ける。 寺の入り口に、目を真っ赤にはらした加奈子がいた、彼女の頬を伝った涙の跡が、筋となってくっきり出来ていた。 「もう、いいのか?」 信吾は優しく聞いた。 加奈子はこくりと頷き、信吾の所へかけ寄ってきて、云った。 「行こう。」 「…ああ。」 信吾は加奈子の背中に手を回し、一緒に歩き始めた。 歩き始めてしばらくしてから、唐突に加奈子が話し掛けてきた。 「ねえ、信吾」 「何?」 加奈子はそれから少し戸惑ったような表情をしたが、すぐ続けた。 「今日って…あの四人の葬式もあるのよね…」 あの四人とは、美崎香織を死に追いやった四人組の愚物連中の事だ。 「ああ…そう云やそうだな。」 そう、美崎香織がアスファルトにダイブをしたその日の夜、その四人も仲良く近所の河川敷で屍になっていたのだ、どうやら何者かに殺された可能性があるとその日のニュースでやっていた。 「あんな奴等の葬式に行く人の顔が見てみたいよ。」 信吾が怒りを含んだ口調で云ったが、加奈子は俯いてただ沈黙している。 「…誰が…殺したのかしら…」 加奈子が震えた声で云った。 「…その質問は…俺に答えを求めてるのかな?」 「いえ…そういうわけじゃ…ただ何となく…」 「そっか…」 信吾は思った。 答えを知りたいのか?加奈子。 |