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ある晴れた夏の日。秋は土手を歩いていた。学校からの帰り道だ。 並木道に差し掛かり、木陰を選んで歩いた。息の落ち着く、涼しい風が吹いた。少し先の木の下に、見覚えのある少女がいた。 「広瀬?」 秋に呼びかけられたのに、その少女はしゃがんでうつむいたまま動かなかった。何かに怯えるように、強く身を縮こましていた。 少し背を屈め顔を確認してから、もう一度呼びかけた。 「何してんだ? こんな所で」 一週間くらい前、秋は広瀬に振られた。性格の不一致だと言っていた。秋は自分でも少し怠惰な点を認めるが、広瀬の前ではできるだけ隠していたハズだった。 「おい、ヒロ…」 3回目の呼びかけに、少女はさっと顔を上げ、秋を見つめた。秋に対しては何の怯えも見せず、むしろその目は強い光を帯びていた。 「私に言っているのか?」 広瀬は話しかけられたくないのかもしれなかった。でも秋はまだ広瀬が好きだったし、怒らせたつもりもなかった。 よくこの土手を2人で歩いたことを、何となしに思い出した。 少女が顔を戻しかけたので、秋は慌てて言った。 「そう、君に言った」 「本当に私が見えるのか?」 真意を掴めないまま、事実の通り頷いた。 「広瀬じゃないの?」 秋は少し心配になって聞いてみた。 「私はトルパだ」 広瀬ではないらしいが、秋が広瀬ではないと断定できぬほど、よく似ていた。最後に会った時と髪型が違ったが、証拠にはならない。強いて言えば口調が強いような……。しかしまだ信じられない。 「じゃ、トルパはここで何してたんだ?」 トルパは視線を秋から離し、辺りを見回した。そして思い出したように首を垂れた。 気まずい状態になってしまい、秋はあきすぎた間に反抗して口を開いた。 「トルパってどんな漢字?」 トルパは短く笑って、もう一度秋を見た。秋は戸惑い、曖昧に笑った。 「ねえ、名前は?」 「秋」 「秋は、私を人間だと思っているんだ」 トルパはおかしそうに笑って、鑑賞対象の絵でも見るように、秋の顔を観察し始めた。 「つ、つまり、どういうこと?」 裏返りそうになる声を必死に抑え、視線をきょろきょろさせた。 「私は月の一族なんだ」 秋は息を呑んだ。悪戯をするかのように笑うトルパの目と、ばっちり目が合ってしまったからだ。 月って綺麗だもんね、危うくそんな言葉が口からはみ出しかけ、秋は正気を取り戻した。 「月って空の月? んなバカな。月に人間が住めるはずないだろう」 「私は人間じゃないんだって。月の一族なの。だから人間からは私の姿が見えないんだ」 ふーんと一瞬納得した。が。 「俺には見えてるぞ」 「だからさっき不思議だった。たぶん、孤独同士が巡り会ったとかじゃない?」 秋は軽く何度か頷いただけだった。 「冗談だよ…?」 「いや。俺は確かに孤独なのかも知れない。ずっとつき合ってた子に振られてさ」 秋はちらとトルパを見た。 「トルパによく似ている子だ」 秋は恥ずかしくて付け加えた。 「なんか未練がましいね。ごめん」 しばらく間があいた。秋はその間を楽しんでいるようにも思われた。 「私はね、月から逃げてきたんだ」 「何かに怯えているみたいだったけど」 「うん。太陽の光がイヤなんだ」 秋は続きを待った。 「私の兄が、もう5年も前の話だけど、太陽へ行ったんだ。太陽の秘密を探るためにね」 しかし帰ってこなかった。トルパは心底悲しそうに語った。父親が第二次隊をつくり、捜索をかねて太陽に向かった。それは一年前だった。しかしまだ誰も帰ってこない。 「太陽は見るものを魅了する。必要以上にね」 秋はトルパに惹かれた。広瀬に似ているからかもしれなかったが、とにかくトルパを慰めたかった。突拍子もない話だったけれど、要点だけは掴んだ。 「ふうん、トルパは太陽が嫌いなんだ。……でもここだって太陽の光はあるだろ」 「どこにいたって追ってくる。それが恐い」 秋は立ち上がって、木陰を離れた。いや、日向に入った。 「俺は太陽が好きだ」 秋はトルパの手を取った。 「だってこんなに心地良い」 光の中で、トルパはうつむいていた。 秋は慎重に言葉を選んだ。そしてトルパの方は見ずに語りかけた。 「何かこう、体を包んでくれる感じだよな。月でもそうなんだろ?」 少し考えてまた話し出す。 「月が綺麗に輝くのも、太陽のおかげだろ」 「地球も青くて、好きだった」 秋はトルパを見た。目が太陽の光を帯びているのがわかった。 「それに太陽はすごく遠いんだ。5年で行って帰れる所じゃないよ」 秋は芝生の上に寝転がった。5時過ぎの太陽は暖かだった。太陽に包まれて、心が寝息をたて始めた。立ちつくし空を見上げるトルパも、きっと同じだろう。 「私、もう帰ろうかな」 立ち上がったトルパに、夕暮れの太陽が陰を付けた。 ふうん、と秋は何でもないように立ち上がった。トルパは秋を見ていた。 「秋のおかげで月に帰れる。ありがとう」 「太陽のおかげさ」 トルパは目線を合わせたまま、顎を引いて見せた。それを最後に、くるりと回れ右をして歩き出した。 「おい」 視線が合ってから、秋は右手の人差し指で天を指した。 「月に帰るんだろう?」 やはりまだ、広瀬でないと信じ切れていなかったのだ。 「そういうふうに少し格好付けた所が、振られた理由なんじゃない? もちろん秋の優しいところは私も好きだけど」 トルパに言われ、伸ばしていた手を慌てて下ろす。 「それに、ここではまだ月が出てないじゃない」 トルパはまたくるりと背を向けた。歩き出さず、しばらくしてから急に話し出した。 「今度の満月の夜、秋が振られたって子を連れ出して。月の見える静かなところに。例えばこの土手とか。月の光はどこまでもついて行くから」 ああ、とだけ答えた。返事を聞くとそのまま走り出した。木の陰に入ったり出たり入ったり出たりする背を、秋は黙って見つめた。 少し走った後、立ち止まるのが見えた。しかし振り向かずに、歩き出した。小さな背が息をしていた。ゆっくり遠くなっていく。 秋も、くるりと──家は逆だったけれども。 |