あたしは恋愛代筆家だ。 仕事の内容は、ただ人の気持ちを代筆すること、それだけ。小さい頃から文章を書くのが好きだったあたしはそんなことは苦にならなかったし、むしろ自分自身の文章練習のためにやっているようなもの。 メールやケイタイが普及した最近では、そうそう多くの依頼もこないだろうと思っていたのに、実際はその反対。どのツテを回ってか、依頼は増える一方だ。中身も、本当に恋文チックなものから出会い系サイトでの自己紹介まで、様々な『恋愛』にわたっている。自分は『こんなひと』で、相手は『こんなひと』、その二つが揃っていれば大抵の手紙は書ける。文章で人を喜ばせたり、おだてたりするのは案外簡単なのだ。 こうして偽りの気持ちを文章にするのは良くないことだと言ってきた友人もいる。でもそんなこと言ったら、小説家なんてみんな嘘つきになってしまう。『良くないこと』だなんて第三者から見たことで、あたしと依頼人さえ納得すれば何も問題は起こらない。偽りたくないのなら自分で書けばいい。自分を見せることに臆病なひとたちのために、あたしは文章を書く。 依頼人以外には教えない、秘密の携帯電話の番号。 それに電話してもらって、詳しく話を聞かせてもらう…というわけ。 【もしもし】 「どうも、『恋愛代筆家』です」 カロリーメイトをかじりながら、ちょっと恥ずかしい名乗り文句を言う。 今日の相手は、声の感じから言うと十七、八の女の人だ。 「それで、ええとどんな依頼でしたっけ?」 【はい、あの…恋文依頼、で】 依頼人は大抵あたしの声を聞いて少し驚く。高校生なんかが恋愛代筆家をやっているだなんて思わないのだ。 あたしはパソコンのディスプレイに、少し前に届いたメールを呼び出した。 【相手は…女の子なんですけど】 「あー、はい。読んでます…大丈夫ですよ、問題ないです」 【……良かった、相談する相手もいなくて…】 決してどんな依頼が来ても驚いたり断ったりはしない。 もう何回もこの仕事をしているけれど、ひとつとして同じケースはない。それにあたしにはどんな依頼でもそれなりにクリアできる自信がある。その度にあたしは確実に自分の力が成長しているのを感じる。 「じゃ、相手がどんな子なのか、あなたがどんな人なのか…それを聞かせてください」 メモ帳を呼び出して受話器を肩に挟んで、話をまとめる準備が整った。 恋愛代筆家は、けっこう楽しい。 今日も、机の上のケイタイからパッヘルベルのカノンが流れる。 あらかじめ電話がこの時間に来ることは分かっていたので、あたしはためらわずに電話をとった。確か今日の依頼人は、あたしと同い年の女の子だ。 「はい、『恋愛代筆家』です」 【……】 いつも通り名乗っても、声が聞こえてくる気配がしない。間違い電話というよりも、相手が確信して黙っているような…むしろいたずら電話に近い感じだ。あたしは耳に電話を押しつけて、もしもし、ともう一度呼びかけた。 【…マミ?】 そっと、けれど笑いを押し殺したような、聞き覚えのある声がした。 「……うそ、ユカリ?」 【…ほんとよ! やだ、あんた何やってんの? 本物?】 電話の相手は、中学の同級生のユカリという女の子だった。 もともとこの仕事はある親友のためにしたものだった。恥ずかしがりで、万年国語赤点の子の恋文を手伝ったのだ。 それが案外面白かったのと評判が良かったのでこの『恋愛代筆家』という肩書きを勝手に作った。その時に『宣伝活動』と称して数人の友人たちに教えたのだが、仲が良かったにも関わらず、敢えて彼女には教えていなかった。なんだか気恥ずかしかったのだ。 ユカリは悪意ないいたずらをするような、そんな子だった。ふざけているだけとはわかっていても、変に真面目なあたしはこのユカリの悪癖がどうしても好きになれなかった。決して嫌いではなかったけれど、あたしは彼女が苦手だった。 「一応本物なの…絶対他の人には言わないでよ?」 【わかったわかった】 ひどく軽い物言いをするユカリに不安を覚えながらも、あたしはいつものように必要事項を質問する。依頼人が知り合いだったのは予想外だったけれど、だからといって依頼を受けないわけにはいかないし、この依頼が成功すればまたひとつ自信の数が増える。 「ユカリのことは大丈夫だから、相手のことを教えて」 まず最初に、ユカリのことをメモ書きしておく。カタカタとキーを叩く音がたくさん連なると、川のようにゆるやかなリズムが聞こえてきて、とても心地よい。 「あたし、力になるから。出来る限りね」 パソコンの電源を切った。 自分の机にがたんと呆けたように座って、頬杖をつく。 その日に来た依頼はすぐにやってしまわないと感覚がつかめないし、仕事の回転が遅くなるから、あたしはその日のうちに下書きだけでもこなすようにしている。 いつものようにメモ用のルーズリーフを出してくる。 ユカリの恋文の相手は、彼女と同じ学校の男の子だった。ユカリは、この地区で言えば中の下ぐらいの高校に通っている。あたしの家から一番近いにも関わらず、あたしはそこを滑り止めにさえしなかった。馬鹿みたいに受験用の知識を詰め込んで、あの子なんてあたしとは違う、と彼女を見下げていた。心の奥では馬鹿にしていた。くだらないことだ。 『伊藤浩一』という、恋文の相手の名前を思い出す。 あたしは、その名前をユカリからの電話が来るよりもずっと前から知っていた。 誰なら信じられるだろう、週二回行く塾で隣になる男の子のことだったなんて? 誰が信じるだろう、『恋愛代筆家』のあたしが、ずっと自分のために恋文を書けずにいただなんて? たった一語、「好き」と書くだけで視界が揺らぐ。こんなに依頼で苦戦したのは初めてだ。どうしてあたしはこんなものを書いているんだろう。どうしてあたしは人の恋文なんて書いているんだろう? 苦しい。こんなもの書きたくない。でも依頼は成功させないといけない。でも………わからない。 びりびりとルーズリーフを破り捨てた。 あたしは知らないうちに悔しさを感じていた。もっと、ユカリみたいにきれいな長い髪だったら。ぱっちり二重まぶただったら。もっと色が白かったら。それだったら、それだったら……あたしは自分のために恋文を書けただろうか? 明日は火曜日で、三時間だけ彼の隣に座れる日だ。もっと事細かに彼のことを綴れる。問題を考えている時に髪を触る癖、あたしの好きな笑い方。ああ、もしかしたらこの分じゃ書ききれないかもしれない。 大きくため息をついた。もう一枚新しいルーズリーフを出してくる。書いてしまったら、きっとあたしの想いは終わってしまう。でも、書かなくては、いけない。手抜きや失敗なんてできない。あまりに矛盾した感情達に責められながら、あたしは頭を抱えた。どうしてだろう。どうしてあたしはこんなものを書いているんだろう。 でもあたしは書かなくてはいけない。そして、成功させないといけない。なぜならあたしは『恋愛代筆家』だから。 机の上でまた鳴り出したパッヘルベルのカノンを聞き流す。こんなの嫌いだ。恋愛代筆家なんて全然楽しくなんかない。苦しいだけじゃないか。 あたしは涙を拭って、震える手でペンを取る。もう恋愛代筆家なんてやめよう、何度も呟いているのに、ペンはあたしの意思に反してすらすらと動くのだった。 |