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「夢を売って下さい」 その男は言った。 「え?」 「貴方の夢を売って下さい」 僕はあたりを見まわした。 …ここは何処だろう。 確か僕は自分の部屋にいて、平和にテレビを見ていたはずだ そのはずが…。 何もない。 本当に、「何」も無くなっている。 ただ永遠に続いている海色の空間の中に、僕とその男は立っていた。 立っている、というよりは浮いているという表現のほうが正しいだろう。 体を支えている地など存在していない。 「君は、誰?」 「私は獏(ばく)、という者です」 永い漆黒の髪の毛、そしてそれと同色の瞳を持つその男は、薄く微笑しながらそう答えた。「私の種族は貴方がた人間の夢を食べ生きます。 しかし最近ではいい夢を持っている人間が少なくなった。 だから夢を持っている若者を見つけると、一人一人に交渉するようになったのです」 「僕のゆめ…?」 「はい。 貴方の夢が欲しいのです。 ただでとは言いません。貴方の想い人と貴方の心をつなげましょう」 「何だって? それは本当か?」 「えぇ、貴方の夢と引き換えに」 僕はあの子の顔を思い浮かべた。 あの栗色の瞳、幼い無邪気な笑顔…。あの子が…。 「でも夢って…夜見るあの夢か?」 「いいえ、私が望むのはそんな軽いものではありません。 貴方の強い念、想い続ける力、強い願望。 それを私は望みます」 「強い念…?」 よく分からない。 でも、あの子の笑顔が、今は何よりも欲しくてたまらない。 「ご心配なく。 一つ無くなっても、まだ貴方の為に存在している夢はたくさん世界に散らばっています。 自身の可能性を持って、それを見つければいいだけです」 「そうか…じゃあ、いいよ」 「ありがとうございます。では…」 突然、あたりが暗闇に包まれた。 冷たい風が僕の全身の肌を覆い込む。まるで、氷の刃で心を貫かれたように、胸が冷たく… 「苦しい…」 呻き声ともとれるその声で僕は呟いた。 力が出ない…。 「ありがとうございます。確かに貴方の夢をいただきました」 薄れゆく意識の中で、あの声がこだました…。 鳴り響くけたましい電話のベルで、僕は目を覚ました。 何時の間にか寝てしまったらしい。 つけっぱなしのテレビが笑顔で歌うアイドル達を写している。 なんだか、やけに体がだるい。 「― はい。」 「もしもし? 私だけど…どうしたの?寝てた?」 あれ? なんでこの子が僕の家にかけてくるんだろう。 ずっと見つめているだけだった、恋焦がれつづけた僕の片思いの相手。 「どうしたの?あのね、明日の大学の講義で…。もしもし?聞いてる?」 「あ、うん…」 あぁ、そうか。何を考えているんだ。 この子はもうずっと前から、僕の彼女じゃないか。「変な夢を見て…。 僕が君に片思いをしてて…」 「あはは。 何言ってんの。 大好きだよ」 「うん…」 僕も、と言いかけて言葉が詰まった。 どうしたんだろう? あの暖かい感情が―ない。 「それで大学なんだけど…」 「大学?」 そうだ、大学…。 明日大学へ行かなきゃ。 僕は…。 なんで大学なんて行ってたんだっけ? 思い出せない。 何だろう。 全てが無意味に思えてならない。 あんなに大事にしていた、好きだった自分の恋人のこの子に対する気持ちでさえ冷め切っている。 『貴方の夢は、美味しかった』 頭の中で、そんな声が聞こえた。 ―獏?! あぁ、そうか。 僕は夢を差し出してしまったんだ。 なんと言う事をしてしまったんだろう! 生きていく上での、自分の支え、全ての目標の夢。 それを…無くしてしまった。 「もしもし? 大丈夫?」 電話の向こうがわであの子がしきりに話しかけている。 でも今の僕には、何も聞こえない。 冷たい涙が、静かに頬を伝う。 夢を持たない人間は、こんなにも弱いものだったのか。 人一人を愛することですら、夢を持っていない僕にはできない。 探さなくては…。 新しい夢。 僕の為に用意された、僕の全て。 自分を信じて、探しに行かなくては。 そして見つけたら、今度こそ離さない。大切に、自分の手の心に持っておこう。 僕の夢。 |