●Entry6 俺様主義 文字数=3000
 Ruima
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「う……ひっく、ふえ……」
 もうずいぶんと昔のこと。小学校、放課後の教室。色とりどりの絵の具がぶちまけられた机を、私は泣きながら拭いていた。
 教室にいたのは、私ともう一人のみ。部屋の対角線上、私の姿など目に入らないかのように、自分の席で平然と本を読んでいた少年。私は彼に淡い恋心を抱いていた。誰もが恐怖だった生活。クールで無愛想にもかかわらず人気のある彼に話し掛けるなんて、とてもできなかったけれど、彼は唯一、このいじめに参加したことのない男子だった。
「もう……嫌だ」
 どれだけ拭いても、綺麗にならない机。それどころか擦るたび、色がどんどん広がっていく気すらして。私は涙と共に、気持ちを吐き出した。
「私、もう、死にたい……っ!」
 パタン! 本を閉じる音が、静かな教室内に響いた。私はびくりとして顔を上げる。彼が、私の方を冷たい眼差しで見ていた。
「おまえが死ぬのは勝手だけど、俺のいない所にしてくれる?」
 呆然とする私の視界で、彼は再び本を読み始める。その姿が涙で滲んだ。今の出来事だけで、十分すぎるほどわかってしまった。彼が私をいじめなかったのは、優しかったからでも正義感が強かったからでも、ましてや私に好意を持っていたからでもない。ただ、そういった事が面倒なだけだったのだ。本に目を落としたまま、彼は言った。
「これ以上泣いてんなら、うざいから帰れよ」
「だって、机が……。塚本君こそ……こんな時間まで、何、してるの?」
 震える声。視界が止まらない涙で揺らぐ。抑えようとしてももれる嗚咽。それに対して、あからさまにつかれる溜め息。
「俺はこれから塾。おまえもさ、このまま学校いるの嫌なら、受験でも転校でも考えりゃいいだろ」
 彼の言い方には、半ば呆れと怒りが混ざっていた気がする。けれども、その言葉はその頃の私にとって、救いの光に感じられた。

 それから私は必死で勉強し、中高一貫の私立女子校に合格、明るい中学高校生活を送った。
 そして、大学一年の今。私の恋人の名は「塚原洋介」。性格が悪いと友達の間でも評判の彼は、いじめられていた頃、私の思っていた初恋の人、その人だ。
 大学に入って再会した彼は、色々な意味で相変わらずだった。俺様主義。いいのは顔と頭だけ。けれど、そんな性格の悪い男と紆余曲折の後付き合い始め、もう1年になる。デートのドタキャンにもすっかり慣れてしまった。
 ……でも、最近は少し不安になる。

「え? だって、先週も延期にしての今日じゃないの」
『レンタルビデオが今日まで半額でさ。俺、ずっと見たいビデオがあったんだ。だから、悪いけど映画、来週にして』

『は? それで約束、また無しにしたの? みわ、お人好し過ぎる! っていうか、塚原の奴、何様よ?』
「ちゃんと来週こそ、って約束したから」
『先週も同じセリフ聞かされたわよ。いつもそれじゃないの。ああ、腹が立つ! あの最低男!』
「理恵ちゃん、私は別に怒ってないから。いつものことだし」
『ねえ、みわ。もっと幸せになれる恋をしなよ。塚原と付き合い始めてから、あんた、いつも悩んでばっかじゃん』
 さすがに、そう言われただけで流されたりはしない。でも、最近悩んでばかりなのは本当で。
 最後に好きだといわれたのはいつだったか。いつだって自分の思うまま行動する彼と、それに振り回されてばかりいる私。それじゃあ、彼にとっての私って、どんな存在?
 彼の気持ちがわからない。もう限界だった。考えても出ない答。苦しくて。
 だから、自分自身と賭けをすることにした。気弱な私の一大決心。


 トゥルルルル。トゥルルルル。
「もしもし、洋介くん?」
『みわ? こんな時間にどうした?』
「突然ごめん。ビデオ、見てた?」
『いや、まだだけど。用があるなら早く言えよ』
「あのね、変なこと聞くんだけど」
『前置きはいいから。言え』

「もしも、私が本気で『死ぬ』って言ったら、洋介くん、一緒に死んでくれる?」

 もしも、彼がYESと言えば。彼をこのまま好きでいよう。彼も私と同じ気持ちでいてくれてるって、信じることができるから。
 もしも、答えがNOならば。この電話でさようなら、そう言おう。想いはすぐには消えないけれど、きっといつか、新しい恋に出会えるから。

 これが私の賭けだった。こんな質問でもさ、どんな質問がいいか、一時間以上も悩んだんだよ。結局この質問にしたのは、小学校の時のあの場面が忘れられないからでもある。あなたの方は、とっくに忘れているのかもしれないけれど。
 爆発しそうな心臓。受話器を持つ手が震える。私は固く目をつぶる。
 そして、考えるまでもない、と言わんばかりの即答は。

『嫌だ』

 予想通りだった。
 わかっていた。わかっていたけれど、涙が滲む。彼にとって私の価値は、あの頃と同じ。やっぱりその程度の存在だったんだ。悔しくて。悲しくて。胸が痛い。
 賭けは負けだ。この恋も終わり。唇をぎゅっと噛み締めたまま、一呼吸。せめて別れは明るく言おう。悪い男に捨てられた女じゃ惨めすぎるから、呆れて男を見放した女にならせてよ。決意し、口を開く。その瞬間、遮るように飛んできた罵声。
『おまえ、本っ当に馬鹿。しかも馬鹿な上に根暗だし。いいか? もしも、だぞ? もし、おまえが本気でそんな馬鹿なこと言っても、俺は絶対に死んでなんかやらない。でもって』
 途切れた言葉。不自然な沈黙。何よ、馬鹿とか死なないとか、そんなに強調しなくてもいいじゃない。やっぱ意地悪だ。
 そして、再び受話器から聞こえてきた言葉は。

『……でもって、おまえも死なない。一緒に生きる!』

 唖然。
 それは予想外の言葉だった。
 なんて、自分勝手なんだろう。なんて、傲慢なんだろう。なんて、なんて……。

『おい、みわ! 聞いてんのか? 電話しながら寝てんじゃねぇよ』
「……ビデオを見るなら見るで、呼んでよ」
『は? おまえ、ホラー嫌いだろ?』
 わかってない。そんな話をしてるんじゃなくて。
「でも見るもの」
『そんなことで無理してどうすんだよ。馬鹿じゃねえの?』
「私だって、ホラーを見たい日もあるのよ!」
『は?』
「……だから! どうしてわかんないのよ! ホラーだろうがコメディーだろうが、そんなことはどうだっていいの!」

 途切れる会話。沈黙が流れる。そして、聞こえてきた溜め息。

『……会いたいなら会いたいって、素直に言えよ』
「会いたくなんかないもの!」
『はいはい。じゃあ、今から即行で行くから。ったく、労力使わせやがって。世話のかかる奴』
「ちょっと、勝手に話を進めないでよ!」
『何だよ、文句あるのか? せっかく俺が行ってやるって言ってんのに』
「……私の家、ビデオデッキないからね」
『……そういやそうだったな。仕方ねぇ、俺が行くまでに外出る準備しとけ』
「いいよ、そんなの無駄じゃない。洋介くんの家までくらい、一人で行ける」
『馬鹿、こんな時間におまえみたいなボケた奴、一人で歩かせられるか! いいな、おとなしく待ってろよ? わかったな!』
 ガチャン。ツー、ツー。一方的に切れる電話。
 ……いつも、強引。人の話も都合も聞かない。

 けれども。忘れかけていたけれど。私は、そんな彼を、好きになったのだった。そんな彼だから、好きになったのだった。
 この賭けは、私の負けですか? 勝ちですか? どちらにしても、答えは一つ。

 今、彼を待つ胸は。こんなにも高鳴っている。



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