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葛子には前々から気になっている店があった。 その店は、廃れてしまった商店街に、異様な雰囲気を醸し出してたたずんでいる。見た目は二階建ての旧商家。昔は呉服屋を営んでいたそうだ。 玄関には神社でもないのに、二頭の立派な狛犬が睨みをきかせて座っている。 その店は昼間は閉まっていて、夕方にやっと開く。白髪の似合う小綺麗な婆さんが、黒い暖簾を玄関に掛ける。「和製中華屋」と、白い篆刻文字が、逢う魔が時にぼうっと映える。 葛子は幼いとき、一度だけ母にあの店はなに、ときいたことがあった。しかしは母まともな答えを返さなかった。葛子はなぜか、その店は子供が入ってはいけない店なのだと思った。それから母には二度と店のことはきかなくなった。それは葛子の勘違いだったと、後々わかるのだが。 自分の目で和製中華屋がどんな店なのか見てみようと思った葛子は勇気を出して、店に入った。追い出されるかもしれない、その時はその時だ、と思いながら。 「いらっしゃい」 入ってきた葛子に、婆さんがにこりと笑いかけた。なぜかその婆さんが、夜中の日本人形のように思えて、葛子はぞくりとした。実際、店の中は薄暗かった。 店内は玄関を少しいじったもので、広くはなかった。人が通れる程度の間隔で並べてある沢山の棚と、あまり明るくない照明のランプで、物置小屋のようだった。 それは葛子がほんの少し期待していた空間だった。訳の分からない、不思議な店だったらいいな、と思っていた。 葛子はほっと息をついて、ここは何の店なんですか、と質問した。婆さんは、ここは中国や古い日本の物を売っているの、とおっとりと答えた。 狭い店の棚を見ていると、本当に不思議なものでいっぱいだった。奇妙な図形のかかれた紙は御札だと婆さんは説明した。飴玉のような色をしたアクセサリーは、全て魔除けなのだそうだ。埃をかぶった売り物もあれば、真新しい物もある。少々胡散臭い気もするが、見ていて楽しい。 しかし、一番奥の棚を覗いた葛子は、一瞬息が止まった。 「お婆さん、ここでは動物も売っているの?」 葛子の指差す先には生き物がいた。金色の、馬のような生き物。腹のあたりは銀の鱗で、金の鱗の背中まで、グラデーションとなって色が変化している。煌々と光るたてがみは、風もないのに炎のように波打つ。大きさは、両腕で抱きかかえられるほどしかない。 葛子はこの動物は何だろう、と思い出そうとしたが、思い出すも何も、最初からこのような生き物は見たことがなかった。 「こらこら。こんなに縁起の良い生き物を指差しては」 「あ、ごめんなさい。この動物は、何て名前ですか?」 「麒麟よ」 麒麟は竹の籠の中から葛子を覗いていた。何かもの言いたげな目つきをしている。その瞳も、まるで夜空で花火が上がっているように、きらきらと輝いていた。 「お婆さん、わたし、麒麟を飼いたい」 葛子はそっと麒麟に手を伸ばした。 「麒麟を飼うのは難しいよ。一日貸してあげるから、自分で確かめるといい」 婆さんは面白そうに言って、麒麟を一頭、葛子に貸した。 葛子は丁寧にお辞儀をすると、店を出た。なぜか、ほっとした。 陽がほとんど地面に埋まっているのが見えた。もうすぐ夜なんだ、と葛子が思っているところに、後ろの戸から婆さんが出てきた。 婆さんは掛かっていた暖簾をひょいと下ろすと、そそくさと中に戻ってしまった。 ところが次の日、籠の中から麒麟が消えていた。籠はしっかり閉まっていたはずなのに、麒麟は逃げ出してしまったようだ。葛子は慌てたが、どうしようもなかった。 葛子は和製中華屋へ早足で向かう。今日は補習で帰りが遅くなった。ゆっくり歩いていると、陽が沈んで店が閉まってしまう。 それでも店に着いたのは、ほとんど陽が沈んでしまってからだった。 「こんにちは」 息を切らせながら葛子は言った。 「何か御用?」 ぼうっと突っ立ったままの葛子に、椅子に座っている婆さんは優しそうに言った。 何と言おうかと、葛子は一瞬ためらった。でも本当のことを言わなくてはならない。 「ごめんなさい」 最初に店を訪ねたときと同じくらい、勇気を出した。 「このこの事ね?」 あっさりと言った婆さんの足元に、金色の塊がうずくまっていた。 「別にいいのよ。あなたが苦手だったみたい」 「え?」 表情の乏しい麒麟からは、葛子に対しての感情は伺えなかった。 「このこはいつも戻ってくるの。だから、難しいのよ」 婆さんは麒麟を優しくなでた。 急に、ランプの灯が消えた。 「あ」 婆さんと葛子、二人が同時に声を出した。 「新しいのを取りに行かなくてはいけないね」 がたっと椅子の動く音がした。婆さんは軽い足音を立ながら電球を取りに行った。 葛子はほとんど闇になってしまった店内で、婆さんが帰ってくるのを待った。とても心細い。 「出てけ」 不意に、一番奥の棚の方から声が聞こえた。 「何?」 あまりに低い、男の声だったので、葛子はびっくりして、声のする方を見た。麒麟を置いていた棚には、確かほかにも生き物がいた。一体なんだろう。心臓が、ばくばくと鳴り始めた。 声の方に気を取られていた葛子は、足元の物体にびっくりする。ひっ、と短く悲鳴をあげると、足元にはぼおっと光った麒麟がいた。いや、麒麟ではなかった。炎の塊に、目玉がついたような、化け物だった。 「ごめんなさいね、あのこったら、悪戯好きで」 婆さんの消えて行った方から、若い女の声が聞こえた。 「すぐに取り替えるからね」 再び、がたんという椅子の音がした。みしっという、椅子にのった音まで聞こえる。 葛子は怖くなって、とうとう動けなくなってしまった。 ふっと、柔らかい灯りが店内を照らした。 「あ」 葛子の目の前には椅子にのった、若い女がいた。こんな女、見たことがない。葛子は目が点になった。この店の者だろうか。 「あら、ばれてしまったみたいね。まったく、夜はだめね」 女は、葛子の反応を見て、笑った。 「いいでしょう? 鬼が店を開いても」 「鬼?」 葛子は眉をひそめて女を見た。別に女は鬼には見えなかった。赤い口紅の似合う、すらりとした身体の女だった。着物の色は地味だったが、逆に肌の白さが際立った。鬼には見えないが、こんなに美しい女も、人間には見えなかった。 女がぱちん、と指を鳴らすと一瞬で婆さんに変わった。炎の化け物も、上品な麒麟に変わった。 「夜になると変化が解けてしまってね、商売にならない。みんなわたしばかり見て、売り物を見やしない」 おっとりと婆さんはしゃべると、葛子にもう帰った方がいい、と言った。 放心状態の葛子は、婆さんに押されるがまま、門をくぐり、店を出た。 「帰れるね?」 「はい」 婆さんが暖簾を下ろしているのを、葛子はぼおっと眺めていた。 不意に、生暖かいものが足首をつかんだ。今度は何だ、と葛子は足元を見る。それは玄関にいた厳しい顔の狛犬だった。 「あなたも動けるのね」 狛犬は尻尾を振った。店に入ろうとしていた婆さんは葛子に視線をやった。 「これは内緒にしていてね」 婆さんが、声に脅迫めいたものを秘めて、葛子に言う。売り物の麒麟は本物の麒麟じゃないこと、店主は鬼だということは、黙っていてくれ、と。 「もちろん、言いません」 葛子の答えを聞くと、鬼はうれしそうに笑った。葛子は絶対に言ってはならないと思った。 「また来てね」 「もちろん」 |