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第6回中高生3000字小説バトル Entry15
涙を流す人形があると聞いて、はるばる遠くの町を訪ねたというのに、肝心の人形がないとはどういうことか。
私は憤慨し、若い館長に文句を言った。が、彼女の返答で私は何も言えなくなってしまった。
「ごめんなさい。その人形とは、わたしのことなのです」
美術館の狭い空間で、可愛らしいオルゴールの有線が流れていた。
目の前の館長だと思っていた、若い女性はやんわりと微笑んで私を見ている。
「からかわないでください」
「本当なんですよ、見てください」
女はすっと、私に手を差し出した。薄暗がりでよく見えなかったため、顔を近づけてその手を見る。そして気付く。
「すみませんでした」
私は素直に謝った。女の指の関節は、ビー玉のような球体だった。嘘ではなかったのだ。
涙を流す人形をこの眼で見ることができれば、私は泣けるに違いない、と勝手に思いこんでいた。
最近、涙を流すことは少ない。世界中の苦しみを知っても、美しい映画を観ても、私は泣けない。私の隣で大粒の涙をこぼしている人がいるのだから、それは本当に涙に値するものなのだ、とは思うのだが。
だから、私は病気なんだと思った。
無性に泣きたくなった。
噂好きの友人から人形の話を聞いた途端、わたしの心に愛らしい人形が、虹色に光る涙を流す姿が浮かんだ。波打つ髪も、青い瞳も、わたしを癒してくれるに違いない。
今、目の前に涙を流す人形がいる。しかし、私は泣けない。
「泣いてもらえませんか」
想像していた人形と全く違うが、涙を流す姿は見てみたい。
「ごめんなさい…… 泣けません」
美人とは言えぬその顔は、困ったふうに微苦笑していた。
「ごめんなさい」
人形はもう一度謝った。人間のようだ。髪も瞳も黒いのだから、黙って市街を歩いていても、目立たず、誰も人形だとは気付かないだろう。こんな人形、一体誰が造ったんだ。
冷静になって考えてみると、こちらの方が驚くべきことだ。涙なんて、おまけのように思えた。いくら進んだ技術があろうとも、何かの魔法でなくては、できぬ奇跡だ。
「いきなり泣け、なんて、無理なことですよね」
私にとって、涙のことはどうでもよくなってしまった。人形は悲しそうに、頷いた。
「涙を流すようなことがないのです」
私ははっとした。それは私と同じだ。
「長い間、ここにいて、泣けなくなってしまったのです」
「僕も、泣けないんですよ」
思わず言ってしまった。ここにも、同じ人、否、人形がいるとは。
「最初はここに来て、寂しくて泣いていました。人の眼も嫌で、なおさら泣いていました。でも、もう慣れなんでしょうね。泣けないんです。わたしの心は麻痺しているんでしょうか」
人と同じようにものを考え、感じる人形。皆珍しがり、好奇の眼差しを向けただろう。彼女は辛かっただろう。
この町を訪れたとき、彼方此方に美術館に関する錆びた看板や、薄汚れたポスターを見た。当時は大勢の人がこの人形を見に来ていたのだろう。が、今は本当に町おこしに失敗した、寂しい田舎町だ。
人形が泣かなくなり、誰も来なくなってしまった。泣けなくなった人形には、誰も興味を抱けないのだ。こんなに喋り、動けるというのに、なぜ涙が出ないというだけで、このようになるのだろう。
「……おかしな話ですね。人形に心なんてあるはずないのに、心が麻痺しているか、なんて」
それでも、人形は笑っていた。なんて、可哀想なんだ。笑顔である必要もないのに、笑顔以外の表情が出来ないなんて。私はたまらなくなり、言ってしまった。
「あなたは人形じゃありませんよ」
女は目を見開いた。
「もう一度、言ってもらえませんか」
声が震えていた。
「お願いします」
「人形では、ありませんよ」
こんな言葉でいいのなら、何度でも言ってやろう、可哀想な人形に。
人形の眼が急に爛々と、生き物のように輝きはじめた。館内の黄を帯びたライトが瞳を照らす。一瞬、瞳が大きくなったかと思うと、木の床に何か落ちる音がした。
女は屈んで、落ちたものを拾った。
「不思議。嬉しくて涙が出るなんて」
再び女の眼が輝く。その手には、大きな石英の欠片がのっていた。形は絵に描くような、安直な涙の形。私がとっさに手を出すと、女は石英を渡す。ひんやりとしていた。石英は、眼と同じようにライトに照らされ、輝いていた。
綺麗だ。
「これがわたしの涙です」
涙は次から次へと、乾いた音をたてて床に落ちていく。
しかし、実際に人形が涙を流す姿を見ても、私は泣けなかった。――なんだか、これは違う。
「あなたは人形であることを否定してくれた」
きらきら瞳を輝かせながら、女は宙を仰いでいた。嬉しそうだということは分かるが、何を考えているのかうかがえない。
なぜか、急に恐ろしくなってきた。私の手の中の涙が、熱を帯びはじめているような気がする。
「ありがとうございます」
女が微笑んで私の顔をしかと見た。その瞬間、手の中の石英が液体の涙へと変わった。氷が一瞬で溶けてしまったようだ。
「おかげで、呪いを解くことが出来ました」
呪い? そんなもの知らない。何のことなんだ? やはり、魔法?
手が湿っているのは涙のせいか、それとも冷や汗か。
「今からわたしは人間……」
女はまどろむように目を閉じ、すうっと息を吸った。
私の心臓が高鳴りだした。寒気もする。これは、おかしい。
「そして、あなたは人形」
「僕が? 何を言ってるんですか」
目の前の女から笑顔が消えた。人形はこんな顔はしない。もともと、笑顔しかできないのだから。
「涙で濡れた手を見てみなさい」
私は言われるがまま、急いで見た。
「ああ!」
指の関節全てが球体に変わっていた。私が先ほど見た人形の手とそっくりに。服の袖をまくると、腕の関節も大きな球体に変わっていた。
「わたしの代わりに、人形になってください」
「嫌だ!」
しかし、私には何の抵抗もできず、体温が勢いよく消えていくのを止めることはできなかった。
「あなたは人形です」
呪文のようなその一言で、激しく鳴っていた心臓が止まった。わたしは人形になったのだ。
騙された。
私は悔しくて、女を睨んだつもりだが、きっと笑顔のままだろう。どうしようもないことが情けなく、腹立たしかった。
「あなたは!」
私は怒りのあまり、震えそうだった。女の肩をつかむと、何かの膜越しに、女の温かさを感じた。先ほどまであったものが、私には無く、女にはある。
女は白い歯をこぼしながら、私の腕を払った。
「でも、良かったでしょう」
満足そうに言うと、私に背を向けて、美術館を出ていった。
急に静かになったが、オルゴールは相変わらず可愛らしい音色で館内を満たしていた。
硬い涙が目からこぼれ、頬も伝わずに床へ落下した。情けない。他人事では泣けないというのに、自分の事だと泣けるのか。
顔を覆っても、冷たい涙は止まらない。でも、これが涙とは、言えないような気がする。やっぱり私は、泣けないのだ。
呪いを解くには誰かに人形であることを否定してもらう必要があるのだろう。
女は巧妙に否定させた。しかし私にはそんな能力などない。
どうすれば良いだろう。気の遠くなる思いがして、また涙が出そうだったが、ぐっとこらえた。
人間に戻ることは可能であることが、私の唯一の希望であった。
もう、ここにいる必要はない。是が非でも元に戻る、と決意した私は、美術館を出ていった。
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