第7回中高生3000字小説バトル Entry5
落ちてゆく影の奥から、未だ遠い笛の音が聞こえる。
子どもたちは道化の後をついて行く。彼が吹く笛の音は止まることはなく、また彼の足も止まることはない。
トンネルに荷籠馬車を通す者、穏やかな笑みを見せる老夫婦、パン屋で主人と談笑する夫人。不自然なほど自然な日常を過ごし、そして今日は通り過ぎていき、明日を迎える。繰り返し、繰り返し、同じ明日を迎える。だから行き交う人々は笛吹きのその姿が見えていないように、無反応。彼は自分たちの日常の対象外であるとでも言うように。
そして私は、数十年前のあの光景を強く思い出すのだ。
―――1284.6.24。独逸、ハーメルン。聖ヨハンネス祭であるその日、空一面に青い空と、いささか湿気を交えた暖かい空気が街の活気を彩っている。
子供たちが広場に集まり、花売り娘がアプリコットオレンジ色の花を売っている。屈託のなさそうに笑う彼らと、瞳の奥に僅かな影を持つ娘。そのコントラストがなんだか不思議で、まだ十に満たなかった私は不躾にならない程度に観察していた。
そんな時、彼はやって来た。
糸を垂らすより細く、軽快な笛の音色が広場に響き渡る。
そして、影を供に連れた道化が現れる。
曇りだしてゆく空と、一斉に飛び立つ鳥たち。まるで、何かの予兆のように。
だのに子供たちも、花売り娘も、そして私も。何も言わず、何も分からずに耳を澄ます。
感覚全てを笛の音に任せるが如く奇妙な心地に、幼いながらに陶酔していたのかも知れない。
ハーメルンの町に乱れた風が吹き荒れた。
地が揺れるような感覚に襲われ、私は自我を取り戻した。意識の奥に沈んだ笛の音に導かれ、どこかに向かって歩き出していたようだ。
そこは、東の門に向かう道だった。
このハーメルンという街には東と西の門があり、西の門にはすでに開発事業が持ち掛けられ、トンネルも開通している。だが東の門には大きく暗い鍾乳洞があり、少しでも大きな音を立てれば崩れてしまいそうな石の塔が建っている。どんな親でも十を満たない子供を連れては行かぬ危険な場所である。
不安を感じ、どうにか帰ることは出来ぬかと目を動かす。
ふと、笛吹き男の顔を見た。
がたがたと震えた。肌は毛羽立ち、背中はぞろりと寒気がした。
怖かった。
そして私は。
何も言えず逃げた。
翌日、百三十人にいたる児童集団行方不明として全ては処理された。
彼を見た大人はいなかった。
―――あれから彼は何処へ行ったのか。
死んだ?
違う。あれは生や死に管轄されるモノではない。彼は―――笛吹き男と呼ばれているモノは―――最初から生きているわけでも死んでいるわけでもなく、笛を吹くことのみを許されたモノ。繰り返し繰り返し同じ曲を吹くこと。それが彼の日常。
瞼に焼きついた残像がそこには。
いや、これは現実なのだろうか?
目の前には笛の音について行く子供たち。
道化は笑う。笛を吹きながら笑う。
彼の面には笑い顔しか無いのだから。
途中で自我を取り戻し、逃げる子供。
あれは、私?
これが私の繰り返される日常?
私は眩暈を感じ、強く瞼を閉じた。
目を開くと目の前には道化の影が。
見つけた、とでも言うように、
口の端をきゅっと吊り上げる。
私は逃げ切ったとばかり。
彼はけして逃がしはしないのに。
必ず何処までも追いかけて。
丁度日常が繰り返されるのと同じように。
―――これも、ただ日常を繰り返しただけ?
そうか。私は気付いた。
度重なる自然開発で変わってしまった町並みと、変わらない空気。暗く打ち沈んだ鍾乳洞。沢山の石のつみかさなる塔。
偶然とは思えなかった。
私はかつてハーメルンと呼ばれた町に帰って来ていたのだ。
ならばここは、
東の門の
今度は逃げることなどできない。