第8回中高生3000字小説バトル Entry9
町の裏通り、ステンドグラスのある扉から、どこか虚ろな青年の顔が覗かせていた。
「いらっしゃいませ。徒然なる海驢亭(あしかてい)にようこそ」
歴史の長そうな大時計、純なレース模様のテーブルクロス、片隅にあるバー。
店員は皆若そうだった。それぞれ女性の声と、男性の声が合唱する。
自然にウエイトレスが青年を一番奥の席に案内した。可愛らしい窓が見える。
青年は驚いた。丁度町の、人が一番集まる広場が見下ろせるのだ。
「ふふ、これが当店の自慢なんですよ。そうでなければこのような人が集まらない場所に料理屋なんて建てませんよ。僕や店員共々、その風景を見るのが日課なんです」
青年は溜め息を吐いた。そうか、ここのような所を穴場と言うのか。
「どうぞ」先刻のウエイトレスが、水を持ってきた。これまたグラスがアンティークな。
そして何より、青年はウエイトレスに魅入った。年齢も彼と同じぐらいの年頃だろうか。
「ふふ、彼女も当店の自慢です。正直、僕も彼女と同じ年齢……おっと、具体的には言いませんよ、彼女のために。」青年の心を察して主人が言う。彼女は、カウンターの奥に頬を赤らめて走って行った。
どうもここは芸術に堪える店らしい。ここにある美術を全て売り払ったら、どれほどの額になるだろう。
そんな時。鈴が音を発した。
客である彼女は泣いていた。蒼いワンピースの女だ。上から下まで真っ青。まるで涙が服を青くしているような。
いやはや、俺はロマンチストじゃない。
「いらっしゃいませ」今度は男性の独唱だ。女を、ウエイターが案内しようとした。
「いえ、構いません……」構いませんとな。
青年が俯いている内に、スローテンポな足音が近付いて来た。
「ここ、座ってもよろしいかしら」
突然の声に青年が急速に顔を上げる。目の前に、蒼いワンピース……。
青年が拒否する前に、女が座っていた。こうなると、少年という生物は微塵も太刀打ちできない。
最初に、声を出すのは見知らぬ人へ近づく第一歩。
「えと、どうしたのですか……失礼ですが、どうやら心に曇りがあるようですけど」
完全にぎこちない敬語である。しかも、完膚なきまでに相手の心を破壊する一言になりかねず。
病気。聞けば肺炎で母を亡くしたそうだ。同情してしまう。自分も同じくして失ったから。
ウエイターがやって来た。そういえば、まだ注文してなかったっけ。
「えー、じゃ、俺はとれたて茄子のスパゲッティで。貴方は飲み物の方がいいかな。それじゃ、トム・コリンズを。あ、俺のおごりです。同席ですし。」
くすん、と泣き止んだ音。「すいません」
テーブルを赤と薄桃色が飾った。「ささ、どうぞどうぞ」青年はそのカクテルをすすめた。
すると、上目遣いでその女性が彼を見つめた。しまった、お酒はダメだったか。焦りながらも、パスタを口に健気に運ぶ手がむなしい。
「そのスパゲッティ、美味しそうですね……。」
「あ、じゃあ、俺がもう一つ頼みますよ。お金に余裕はありますよ」
「いえ、私が払いますから」うむ。こういう時は彼女にお金を使わせない方がいいのか。それにはどうすればいいか。
「じゃあ、俺のをあげますよ。もうかなり食べちゃいましたけど」しかし、男の食べかけを食べる女かどうか、彼女は。
「いただきます」すんなりと受け取った。しかし失礼だな。おごってもらっているのに。
いやいや矛盾してるぞ、俺。
「それじゃあ、私のもあげます」それまで、おっとりとしていた彼女が突然グラスを一口あおり、青年に差し出した。確かにスパゲッティだけでは口が惜しいのだけれども。
「あ、俺、実は未成年なんです。だから受け取るわけには……」
「大丈夫です。あなた、私よりオトナに見えますよ。ささ、どーぞ」
意外に大胆である。まあ、他人の食べた物をもらう時点で大胆か。
ゴクン。
冷たい飲み物が胃まで届くのを感知できる人間は少々不健康らしい。それが俺だった。
食器がキレイになり、その中身のほとんどが俺の胃袋の中に入った。彼女が本当に何か食べに行こうと思って来たのなら、相当な御節介をやいてしまったか。
「あの、やっぱり初対面の人におごってもらうっていうのはどうかと思うので、私がこの代金を全て払います」
「いえいえ、俺が払いますよ。だって、悲しい事があった後です、ちょっと良い事があってもいいじゃないですか。ですから、これは俺が払います。」
「うん、せめて私が食べたこのスパゲッティ、これだけでも払わせてもらえないでしょうか。あ、すいません。このスパゲッティ、おいくらになりますか?」
「1500Gになります」
高過ぎである。俺は、せいぜい700Gくらいかと思っていたのに。
「それ相応の美味でした。御馳走様でしたわ。」カウンターに行こうとする彼女を追って青年も立つ。
だが。
急に、酔いが回ってきたのだろうか。強烈な眠気が青年に畳みかけて来た。
思わずテーブルに手をつく。まぶたが重い。画面がぐるぐると回転する。
相当アルコールが強かったのか。彼女は酒に強いのだな。
意識が薄れてきた。お酒がこんなに効くものだろうか。否、俺は今まで数回酒を飲んだ事がある。
それなのに、オカシイな……?
「ちょっと、お客さん、起きてくださいよ」ユサユサ
あ。はっと青年が顔を上げる。外はもう暗くなっていた。随分と寝たみたいだ。
「あの、俺と同じテーブルにいた女の人、どうしました?」
「ああ、スパゲッティの代金だけ払って行きましたよ。すっかり元気になられたようです」
よかったですね、とウエイターが笑った。全く同感である。
「それで、あなたに御大事に、だそうです」逆に彼女に言われてしまったらしい。
ゆっくりと立った。トム・コリンズの代金は払わなかった、と。
「トム・コリンズは700Gです」これまた高い。思いつつポケットから財布を取り出そうとする。
……手元に残ったのは、軽い感触だった。ジーンズ越しに足が当たった。
やばい。ない。「すいません、財布取ってきます」と、完全に怪しまれる言葉を言ってのけた。
「それは無理ですね。前にそう言われて、食い逃げに遭ったことがあるんですよ。それにもう閉店なんすよ。困りましたね……。」ウエイターは続ける。「皿洗いでも、手伝ってもらうしかありませんね……。」
うーむ。困った。
やっぱりここは従うしかないか。700Gが皿洗いで済むなら、安いもんだ。
閉店後。
頬杖をついて虚空を見つめる店の主人の後ろから、ウエイトレスが近付いて来た。
「蒼いワンピースの女」の顔をした、この店唯一の筈のウエイトレスだった。
「今日も収穫、ありましたね!」昼の口調と打って変わって、無邪気な少女のそれに変化していた。
ジャラっと細かい金属が擦れる音がする。か細い指先にぶら下がるそれは、紛れもなく財布だった。
主人の口元が、微かに緩む。そして彼は、ウエイトレスの頬に爪を立てる。
彼の爪は決して短くはない。しかし、血は一滴も流出しなかった。
ぺリぺリと、表面が剥がれ、合成ラバーの「蒼いワンピースの女」の仮面が床に落ちた。
「さて、そろそろ切り上げるか。明日の朝には、ここは単なる廃家に変わっているだろうよ」
皆がグルのスリに遭った。チープな話のオトし方、青年はその犠牲になったに過ぎなかったのだった。