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第9回中高生3000字小説バトル Entry6

美術室での放課後

 浦野君と初めて話したのは、中学三年になったばかりの四月だった。
 忘れ物を取りに、私は放課後美術室へよったのだ。教室へ入ると、一人の男子がスケッチブックに鉛筆で絵を描いていた。顔に見覚えがあった。同じ学年だ。
「何?」
 顔を上げて彼が尋ねる。
「忘れ物を……」
 言いかけて、私は彼の横に置かれた消しゴムに気付いた。
「あ、その消しゴム!」
 私が声を上げると、彼は慌ててそれを手に取った。
「これお前の? 悪い、消しやすかったからつい使っちゃった」
 それを取りに歩いていて、気が付いた。電気がついていない。
「美術部?」
 彼は頷いた。
「どうして電気つけないの?」
「あんまり明るいと、雰囲気が出ないんだ」
 私にはその意味が理解出来なかったが、それ以上尋ねる気はなく、消しゴムを受け取って帰ろうとした。
 その際、私は何気なく彼のスケッチブックを覗いた。机の上に何も置いていなかったから、何を描いているのか気になったのだ。
 スケッチブックに描かれているのは、女性だった。日本人ではなく、西洋人っぽい。軽く武装している。
「上手いね、想像画?」
「ああ」
 彼は再び鉛筆を持ち、女性の目を書き込み始めた。私の美術の成績はそんなによくないが、絵に興味はあった。
 私の知る限り、この彼は学年で一番絵が上手い。何となく立ち去りずらく、私はしばらく見ていた。
「あのさ……」
 彼が口を開いた。
「俺が一人で描いてるの、変に思わない?」
 確かに、放課後一人で絵を描いているのは変かもしれない。だが、美術部は部員が少なくて廃部寸前だという話は聞いた事がある。
「他の部員がまだ来てないだけでしょ?」
「違う。他の奴等は、コンクール前にしか来ないよ。先生もやる気ないしな。真面目に毎日来てるのは俺だけ」
「へー」
 彼はいったん手を止めると、鉛筆でその絵を指した。
「誰だか分かるか?」
 私が首を横に振ると、彼はヒントを出した。
「ギリシャ神話に出て来るよ。ま、知らないか」
 知っていた。ギリシャ神話と聞いて、ピンときた。
「アテナ?」
 知恵の女神アテナは、鎧を付け槍を持っていると何かで読んだ記憶がある。私はギリシャ神話が好きで、普通の人よりは詳しいのだ。
「そう、アテナだ」
 彼は感心したように頷くと、ページをめくり、今度は別の絵を指した。
「じゃ、これは?」
 その絵に描かれているのも女性だった。きりっとした顔立ちで、弓をつがえている。背景に、大きな円があった。
「アルテミスだね」
 アルテミスは、月と狩猟の女神だ。私が答えると、彼は大きく頷いた。
「まだ月を細かく描き込んでないから未完成なんだけど。松山よく知ってるな」
「えっ、どうして私の名前知ってるの?」
 自分の名前を言い当てられ、私は驚いた。だがすぐに、名札を付けている事に気付いた。彼も名札を付けている。浦野だ。
 ん? 浦野?
 そう、彼は名札などなくても私の名前を知っていたのだ。
「何でって、俺達同じクラスだろ」
 大恥をかいてしまった。

 今は十月。あれから半年が過ぎた。今では、クラス全員の名前と顔をしっかり覚えている。まあ当然だけど。あの時は新しいクラスになってすぐだったから、彼が浦野君だという事が分からなかったのだ。
 そう、私は浦野という名は知っていた。なんたって、人から聞いた話だが、彼は優しくて冗談も上手く、男子で付合ってみたい人ナンバーワンだそうだから。体育が十段階評価で十、他の教科も全部七以上だし、何より顔がいい。ただ、その浦野君が美術部員だという事は知らなかった。
「なあ、松山」
 彼の声に、私はふと我にかえった。ここは美術室だ。あれから私は美術部に入り、ほとんど毎日ここに来て浦野君と一緒に絵を描いている。本当なら三年生は引退しているはずなんだけど。
 私も浦野君も、描くのはギリシャ神話に出て来る人物だ。どんな姿をしているのか想像して描くのは楽しい。毎日描いているおかげかどうかは知らないが、一学期の美術の成績は八に上がった。
「松山って、いつも歌ってるだろ。ベランダで」
「えっ」
 どうして知ってるんだろう? 確かに私は、洗濯物を取り込む時にベランダで歌っている。
「買い物に行く時さ、マンションの下通るんだよ。その時に聞こえる」
 そうか、家は三階だから聞こえない事もない。
「松山、セイレンみたいだよな」
「へ?」
 思い掛けない事を言われて、間の抜けた声が出てしまった。でも、セイレンって――海に出没し、歌声で人を惑わすあれだよね。
 浦野君はすっと横を見ると、呟くように言った。
「俺も惑わされちゃったよ」
 はあ? 何言ってるんだよ。
 浦野君は私のぽかんとした顔を見ると、微笑した。
「分かんない? 好きって意味だよ、松山が」
「ふざけないでよっ!」
 考えるよりも言葉が先に出てしまった。今まで出した事もないような大声を上げ、私は勢いよく立ち上がった。そのまま走って帰るつもりだったのだが、浦野君に腕をつかんで引き止められた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。冗談なんかじゃない。本気だよ」
 そう言われても素直には受け止められない。彼は続ける。
「だからどうってわけじゃないんだ。別に付合ってほしいとか言う気はないよ。そりゃ、出来たらそうしたいけど……。松山って、けっこう人の目気にするだろ」
 確かにそうだった。美術室にいる時に人が来たりすると、自分でも嫌になるくらいよそよそしい態度をとってしまう。彼が女子に人気があるからなのだが。
「ただ、松山がどう思ってるのか知りたくて」
 どうって、別に何とも思っていない。特別な存在ではあったけど。親なんかより大事かもしれない。でも――。
「好きか嫌いかって聞かれたら、好きって答えるよ。でも、そういう意味で人を好きになった事ってなくて……」
「そっか」
 がっかりした顔で、浦野君は頷いた。罪悪感を感じる。ごめんねって、言った方がいいよね。
 私がそう言おうとした時、ふと、浦野君にふられたと言っていた女子を思い出した。その子は私なんかより可愛くて、明るくて元気なイイカンジの女の子だった。
 私はお世辞で可愛いと言える程度だろう。それが、浦野君の言葉を信じられない理由。
「あのさ、ちょっと聞いていいかな。私の何処がいいの?」
 少し間を置いて、彼は答えた。
「何処って言うか……全部だよ。うん、松山はかっこいいし、可愛いんだ」
「?」
「初めて歌を聞いたのは二年の時だ。三年で同じクラスになって、松山と絵を描くようになってからずっと見てたんだ。
 かっこいいってのは、女子がつまらない事でキャーキャー言ってるのを、少し離れたところで冷ややかに見てるところとか。俺、ああいううるさい奴等って苦手だからさ。凄くかっこいいって思った」
 ああ、そういえばそんな事もある。
「美術室にいる時の松山は、凄く可愛いよ。普段は無口なのに、自分の好きな事についてだとよく話す。話してくれる相手が俺だって事が嬉しいよ。
 友達でもいいからさ、同じ高校行って、『ギリシャ神話同好会』作ろうぜ」
「……ありがとう」
 素直な気持ちが口に出た。とっても嬉しい。嬉しくて涙が出そうだ。
 愛されて愛するようになる人の話、何かであったな。ギリシャ神話だったっけ?
 とにかく、今私分かった。どうして今まで人を好きになった事がなかったのか。私、愛するよりも愛されたいタイプなんだ。
「今、浦野君の事好きになっちゃったみたい」

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