なぜ私は我慢するのだろうそれは足りないからだ。知恵があっても勇気が足りない。それならばないのといっしょで無意味でタチが悪い。私の鼓膜の中に入ってきてジワリジワリと弱火で煮え立たせるような私とは違う生命体の人でいう口の辺りから発せられる怪電波に最大出力の私の心の壁は音を立てて崩れ去ろうとしていた。 私は机の上に組んだ要塞の隙間から少し顔をあげ夜よりも暗く深い瞳で怪物達をねめつける。 ただの人間である私にはこれくらいしかできない最大限の抵抗こんな連中を野放しにしておくなんてNASAや地球連邦はなにをしているのだろう。 なんだか楽しそうだった。なんであいつらはこんなに学校を楽しめるんだろう。 「田中さん」 不意に私の名を呼ぶ人の声。今日私と同じ日直の山本くんだった。 「次の時間の教材運ばなきゃいけないから先生が職員室きてだって」 いわれて返事もせず立ち上がり二酸化炭素だらけの息苦しい教室をでた 冷たくひんやりした廊下。私は大きく息を吸いこんだ。 山本君は私の後ろを距離を保ちつつついてくる行く先々すれ違う奴らは皆私のことをネタにして楽しんでいるように思えた。発作的に息苦しさを覚えた私は早足で他の教室の前を駆け抜け職員室へ向かった (なんで我慢するの?)心の声。あふれてきそうな何かを堪え切れそうに無い私はうつむき顔を隠す 「なんで我慢するの?」人の声。後ろから追いついてきた山本君がリフレインした別の私と同じ問いかけ。 「ちゃんといわなきゃダメだと思うよ。嫌なら嫌って。じゃないといつまでたっても・・・」 視界がぐらつく うるさい!じぶんだってこわいくせに人のいないところでこっそりえらそうなこといわないで! 言い返すことのできない私はやっぱり足りなかった。何もできない私は泣く事しかできない バツが悪くなったのか山本君は一人職員室に入っていく いいたいことはいくらでもあるのに伝えられないのは足りないからだ 自分が嫌いであるがゆえに押さえ込もうとする私のエゴが足りない何かにきずかせてくれない 辛いなら逃げればいいのにという感情を必死に押さえ込み日々を過ごす私の姿は前向きなのだろうか? あふれる涙をぬぐっていると山本君が荷物をもって職員室から出てきてそのまま教室に向かって足早に歩き出す 開いてゆく距離に私は一定に距離を保ち彼と同じ道をたどりながらふと教室に置いてきた要塞が恋しくなった
僕は残酷な子供やった。 それもそうとう嫌な部類の。 まだ小学生ぐらいのときやったと思う。 部屋でドラクエに没頭してた僕に、親父が話しかけてきた。 その時たまたま用事で、オカンがおらんくて、親父と二人で外食することになった。無口で冗談も言わん親父が僕は苦手やったから、本当は、出前でも頼んで早いとこ飯をすませてしまいたかった。しかも、外、雪ふってたし。 親父が、好きなもんなんでもいうてみい、と無骨に言うので、僕はしょうがなく駅前の適当なショボい定食屋の名前をあげた。その間も、僕はレベル上げに余念がなかった。 お前、あんなとこでええんか? もっとあるやろ。焼肉とか、ステーキとか。親父には珍しく気前のええことやったが、僕にはどうでもよかった。うちの家庭は比較的貧乏やったかもしれんが、食べたいもんを食べられへんというほどでもなかった。僕は無言で、親父の主張を拒否した。親父がどこか皮肉な笑みを浮かべたのを覚えてる。やっぱりこの子は変わっとる、て。 結局、僕らは駅前の定食屋で「サバ定食」を食った。僕は早く家に帰って、ファミコンをやりたかった。 帰り道、駅前には、ちらちらと赤と緑の電飾が、低い街路樹に巻きついとった。 僕は、ここぞとばかりにファミコンソフトを親父にねだったが、うちは仏教や、言われて何も買ってもらわれへんかった。やから、嫌やったんや、僕は思うた。 その後も僕は親を頼り、美術系の大学まで行かしてもらった。今は卒業してバイトしながら、こうして創作活動を中途半端につづけている。 両親は一度も就職しろとは言わんかった。親にこづかいやれるぐらいにはなれ、とは言われたけども。 大阪帰ってこんかとは言うてくれる。しかし、それこそ親不孝な気がして、そんな気にもなれん。かといって、そんなに創作に励んでいるわけでもない。 そんな中、最近気合を入れて描いている絵がある。 親父の肖像を描いた油絵。実家に帰ったとき、取ってきた写真をモデル描いている。比較的、今に近いくらい老いた親父があいまいに笑っているやつだ。 何を思ったのか、最初自分でも不思議やった。サムいことをしているとも思うた。でも、気づいたときにはもう完成しそうになっとるやないか! 何でや! もう。 しかも、今日はちょうどあん時と同じ、クリスマスイブや。 明日送ったら、ヤバイやろか。 やから、多分、そういうもんやと僕は思うんやけど。
※作者付記: ダウンタウンの松っちゃん作詞「チキンライス」に感動して書いてみました。単なる二次創作? でしょうか。それともちゃんとアンサー小説? っぽくなってるでしょうか。
仕事から帰ってくると、とりあえずビールだった。しかし、最近新しい飲み方を覚えた。トマトジュースとビールを混ぜるのだ。レッドアイというカクテルだ。子供の時トマトジュースなんて飲みたくもなかったが、これがなかなかいける。レッドアイを片手にネットを見る、というのが最近気に入っている。今日もいつもみたいに冷蔵庫からビールとトマトジュースを取り出し、パソコンをたちあげる。 メールチェックの後はネットでニュースを読む。ニュースのページでは今日のニュースの見出しが並んでいる。ただし、見出しの一番下のニュースはすでに何度も読んでいた。 吉川ユリさん…国際生物学会賞日本人女性最年少受賞、という見出しに始まるニュースは当然日本中が驚き、絶賛した。俺は、心の中でユリちゃんおめでとう、と言った。 中学のとき、俺はユリちゃんとつきあっていた。ユリちゃんは当時から頭が飛びぬけて良く、俺はテストの点を言うのがとてもいやだったことを覚えている。しかも、運動もできて、優しく、なによりきれいだった。それがみんなうらやましく、妬ましく思っていた。俺も例外ではなかった。俺は一方的に別れようと言った。ユリちゃんに悪いところはなかった。悪いのは俺のつまらないプライドだと当時の俺もわかっていた。あの時ユリちゃんは何を思っていたのだろう。うつむき俺の言葉を聞いていたユリちゃんの目は何を映していたのだろう。ユリちゃんが留学したと聞いたのは高校2年の時だった。前からアメリカで脳の研究がしたいと言っていたが、もう実行に移すとはさすがだった。お互い別の高校に進学したのでなかなか話をする機会がなく、いつか話をして当時の事を謝ろうと思っていたが叶うことはなかった。 突然、携帯が鳴り出した。着信音にとまどいながらも携帯に耳をあてると、看護師のあわてた声だった。「先生、308号室の池田さんの容態が急変しました。」今日はレッドアイはやめとこう。ユリちゃん、俺は俺の道でがんばっているよ。トマトジュースを一口飲み病院へと急いだ。
※作者付記: すべてフィクションです。
青年は魚屋へ向かった。目当ては今年、豊漁で脂も乗っていると評判のサンマである。店主を無視し、吟味を重ねていると、聞き取れないほどの小さな声が一匹のサンマから確かに発せられている。「お〜い、ダンナ。あっしを買って下せェ」「珍しい。サンマが話すとはな」「あっし、語学をちいとばかしかじっておりやして」「おい、こいつをもらう」店主は振り向き、「毎度!」とそのサンマを袋に詰めた。店を出た後もサンマの口数は一向に減らなかった。「あっし、陸は初めてなんですが、人間はあっしらを買って一体どうなさるんで?」「決まってるではないか、食べ…」いや、今は言うべきではないのかも知れない。心の優しい青年はその先の言葉を飲み込んだ。「言いにくいことなんで?」「いや、…そ、そう一緒に暮らすのだよ」「そりゃ御迷惑でなきゃいいんですが。いや、ありがたや。何しろあっし、陸は初めてなもんで」家につくと忘れかけていた腹の虫が鳴り出した。早速食事の支度に取りかかる。「ダンナ、ダンナはあっしの体に何をかけてるんで?」「これか?これは塩と言ってだな。体をキュウっと締める効果のあるものだ」「なぜだか海にいた頃を思い出しやすね。なにしろあっし、陸は初めてなもんで」青年はそろそろこの田舎臭いサンマとの会話がうっとうしくなっていた。だが、それももう終わりだ。網にのせられたサンマはガスコンロへ入れられて行く。「ダンナ、ダンナ。この空洞は一体?」「あぁ、これか。これは一種の日焼けサロンの様なものだ。人間はこれで男を磨くのだ」「ひやけさろんでっか?何とも初めて聞く名ですなぁ。なにしろあっし、陸は…」バタンとコンロの戸を閉め、火加減を調節する青年。その顔は一仕事終え、やっとうるさいサンマも黙るぞ、と言った顔である。三分も経てば皮がパリッとした食べごろの焼きサンマの出来上がりである。青年はコンロの戸を開けた。「ダンナ!ダンナ!」青年は腰を抜かした。「どうでっか?あっしも男が上がりましたか?」なぁに、食ってしまえばいいのだ。青年は行儀を無視した食べっぷりで頭から一気に味わうまでもなく飲み込んだ。そして気を落ち着かせようと机に腰掛けた。一息つくと、突然右手が青年の意志とは関係なくひとりでに動き出した。「な、何だ!どういうことだ!」右手は机上の鉛筆を取り、開きっぱなしのノートにこう書いた。あっし、文字もちいとばかしかじっておりやして。
Wには右腕がなかった。ロボットに腕がないことは役目がないことを――命がないことを指すようなものだ。みんなが馬鹿にした。彼を「欠陥商品」と呼んだ。Wは自分のことを欠陥商品だと思っていた。右腕がなければ人の役に立つことなど、とうていできるはずがない。人の役に立つことがロボットの役目なのだ。くやしいけど、それが事実だ。Wと同じ研究所で生まれたBというロボットがいた。Bにはもちろん右腕があった。彼は自慢げに右腕を振り回して見せた。「なぁ、W。ここの研究所では、役立たずは捨てられるんだ」ある日、BはWにそう話した。「お前もそのうち捨てられるんだろうな」「本当?」Wは心配になった。いつ、捨てられるか分からない。「あぁ。この前、首の取れたロボットが分解されているのを見たんだ」不安になったWを見てBは楽しむように笑った。「ま、俺は大丈夫だろうけどな」役立たずは捨てられてしまう。捨てられたくなかった。せっかく生まれたのだから、なにか役に立ちたかった。早く仕事を見つけないと!!「ねぇ、B。Bは仕事を見つけた?」Bが笑った。「当然だろ? 昨日お呼びがかかってさ、明日から仕事だ」「いいなぁ」「いいだろ?」Bの得意げな笑顔がねたましかった。と、同時にうらやましくもあった。「W」次の日、さっそく人間からお呼びがかかった。「右腕のないロボットとはやはりお前のことか」人間はWの体を丁寧に調べた。目つきがとても怖かった。「生まれたときからです」「……不良品か。やり直すしかないな」人間は独り言のようにつぶやき、ため息をついた。「やり直すって?」「分解してもう1度作り直すんだ。お前を」Wは自分がガタガタ震えているのが分かった。怖かった。「お願いです。仕事を一生懸命探します。だから、捨てないでください」人間は呆れたように言った。「お前は自分の仕事を知っているのか? お前の名前はW――戦争用特攻ロボットの略称だ。右腕がないのに、人を殺せるか?」「人を……殺す?」人間はうなずいた。「そうだ。仕方がないからかわりにBを起用することにしたよ」「あの、Bは何の略称なんですか?」「あぁ。彼は乳幼児護衛用ロボットだ」その夜、Wは研究所の一番隅にある「処分場」と書かれた部屋へ連れて行かれた。他の研究室とは違い、薄暗くて汚かった。角にはホコリがたまり、天井にはくもの巣が張っていた。……コンコンドアをノックする音が聞こえた。Bだった。「Wいるか?」「ここだよ」Wは左腕を上げた。BはWに近づき、腰を下ろした。WはBの右腕に赤黒い血痕があるのに気付いた。「今日、どうだった?」「かなり俺は優秀らしい。1日目で100人以上人を殺せるロボットはそうそういないと褒めてもらえた」「100……人?」Wは目を丸くした。自分の隣にいるこの金属の塊が、一緒に生まれたロボットが、仲間が、1日で100人以上の命を奪ったのだ。「見るか?今日の俺の記録」Bは右腕を出して、左腕で簡単な操作をした。すぐに右腕に数字が現れた。148「人を殺したら自動的に記録されていることになる」Bは得意げに言った。この数字によるとBは今日148人殺したことになる。「怖くないの?」Wは1番気になることを聞いてみた。Wなら、こんなに人を殺すこと、耐えられない。「そんなこと言ってる場合じゃねぇんだよ。それに俺は誇りに思っているさ。人間の役に立つことがロボットの生きがいだろ?」Wは下を向いた。「あ……ごめん」Wの様子を気にしてBが謝った。Bが出て行った後、Wは角のホコリを掃いながら考えた。「僕に腕があったら僕がああやって、人を殺すんだよな」欠陥商品で、良かったのかもしれない。
携帯のイルミネーション。着メロが鳴らないのは、マナーモードにしてるから。「あたしとの時間を誰にも邪魔されたくなくて?」・・・なんて、自惚れてた。馬鹿ね。逢えないとき、あたしがあなたの携帯鳴らしても、出ないことのほうが多かった。同じように、鳴らない携帯を枕元に置いて眠ってたのね。誰かの髪を撫でながら。泣きながら、突き放したあの日。それでも迷わず抱きしめてきたあなたの腕を、振り払えなかった。「放さない・・・・」勝手過ぎるあなたの言葉が、遠くで聞こえる。横目に映る鳴らない携帯。あたしの名前は、「彼女」グループに入ってなかった。首が絞まる。逃げようとすればするほど。あなたにかけられた首輪は、きつすぎる。愛された痕が、タートルネックからギリギリ見えない。「愛してる・・・・」信じられるはずのないあなたの言葉なのに、まだすがってしまう自分。あなたの左手の薬指は、痛くならないの?指輪取ってしまえば、痛まないのね。あたしの首輪は取れないのに。
昨夜、知らない女性から電話があった。ダイキあてに。ダイキは事務所にいない。今日はもう直帰するだろう。不在だと伝えると、名前を聞く間も与えられず、「また掛けなおします。」 と切られた。今日の朝、昨日と同じ声の女性から電話があった。ダイキは相変わらずいない。「席を外しております」 と伝えると、「そうですか。じゃあまた掛けなおします。」 と、昨日と同じ反応だった。昼前、ひとりの女性が訪ねてきた。すぐに、電話の人だとわかった。あたしの苦手な、“いかにも”女のコという雰囲気の人。高めの声で、カジュアルな服装、男受けしそうなナチュラルメイク。正直、『可愛い』と印象を受けた。「ダイキさん・・・いますか?」と、控えめな態度で尋ねてきた。「生憎、席を外しておりまして」と営業向けの笑顔で対応した。ふと、2年前の冬を思い出した。ダイキの彼女のユウコが事務所を訪ねてきたこと。あたしを見るなり、表情が一変して去って行った。対するあたしは、余裕の笑顔。あの頃はまだ、ダイキとは男と女じゃなく、ただの上司と部下の関係だった。必死に「好き」って気持ちを隠してた頃・・・。今のあたし、きっとあの日のあの娘と同じ気持ち。昼過ぎ、ダイキが事務所に来た。さっきの女性を連れて。ダイキの話し方と声のトーンで、女性は友達ではなく客だとわかった。「こっちとどう違うんですかぁ?・・・・」仕切りの向こう側の女性客の声が聞こえてくる。自分の声は人より低めだから、あんな声にあこがれる。でも、今は、神経逆なでる。30分程してから、2人は出て行った。親しくないのは分かったけど、これから親しくなるかもしれない、と思った。ダイキの左手の薬指に光るリング。2年前の冬にはなかった。今は、あたしの知らないダイキがいる。家に帰れば、ユウコに「ただいま」と言って、ユウコの手料理を食べるんだろう。奥さんの話をされても、今はもう何も思わないのに、嫁以外の、あの娘以外の女の人は許せないの。だって、そうでしょ?だったら、あたしは何だったの?ってなるでしょ?あたしは何だったの?????
誰もいない。 家の中にも、隣近所にも、誰もいない。皆姿を消してしまった。TVも写らない。道路には車が見当たらず、数台路上駐車してあるだけだ。 なんていい世界。警察だって存在しない。自販機でジュースが飲み放題だ。スーパーに並んでいる寿司も食い放題だ。何てセコイんだ、俺は。もっと大きい事をやろうぜ、自分。 今までの俺は駄目だった。今までの生活は辛かった。毎日代わり映えの無い生活、ぎゅうぎゅう詰めの通学電車。 だが今は違う。 銀行だって襲うぜ、誰もいないけど。 民家に火もつけちゃうぜ、風ですぐに消えたけど。 警察署に保管されてる銃を盗んで撃っちゃうぜ。使い方が分からなくて撃てなかったけど。 そうだ、そうだ、でかい事をやろう、俺は日曜大工の専門店にトラックで突っ込むと、ありったけの塗料製品を荷台へ放り込んだ。 手始めは俺の高校。手始めにしてはデカイけど、なんでも最初はでっかく行こう。 窓に青スプレーをぶちまける。校長の銅像をペンキでレインボーに染め上げる。俺色だ、学校を俺の色に染めてやる。教室の机や椅子を窓から放り出し、積み上げて一気にスプレー、ハイ完成。 車を壊せ、窓をぶち割れ、火を放て。 強奪だ、暴動だ、たった一人の革命だ! 俺は幸せだ、幸せだ、この幸せは手放さないぞ、絶対に、絶対に・・・「あーあ、まただ」「どうしたんですか、主任」「新しく作った都市制作ゲームだけどさ、自動テストプレイするといつもこうなるんだよ。いいところまで行くんだけどなぁ」「プログラムの問題ですかね? それとも設定かな?」「仕方ない、一度全部消去して最初からやり直すか」
こうして自分の部屋に閉じこもって、何日がたったろう? 私はあれからろくに食事も睡眠もとらず、ひとり震えていた。そろそろ意識も虚ろになってきて時間の経過がはっきりとしない。 まるで四次元空間を浮遊しているみたい。ドラえもんのポケットの中ってこんな感じなのかな?誘うように波打つカーテンをただ眺めながら、そんな事を考える。 私は壁に掛けられた日捲りカレンダーに目をやった。近所の酒屋の名前がでかでかと書かれたそいつは、今日が12月20日だと言い張っている。 12月20日。あの日から一度も捲られていないカレンダーが今日の事を知るはずもなく、私の考えは徒労に終わった。 それとも、実は私が思っているほど時間は過ぎてなんかなくて、今はまだあの日のままなのかも。そういえば、この部屋はずっと夜のままだ。 この部屋には陽の光は差さない。きっと世界にはここ以上の闇なんて存在しないだろう。懲りもせず手招きを続けるカーテンの向こう側の世界。目を閉じて思う。外の世界?一体、どんなだったっけ?目の前にあるのは、やっぱり先の知れない闇だけだった。 カッッツ・チッププツ カッッツ・チッププツ 奇妙なリズムで、時計の秒針が時を刻む。「見つけた」 突然、そのリズムの間から声が聞こえた。 それは、あどけなさをたっぷり含んだ熟れる前のオレンジのような少女の声だった。私は声の主を探して辺りを見回す。 その子は、玄関のドアの前に立っていた。「あなたはそんな子じゃないよ」 シルエットとして浮かび上がる少女は、悲しげに言う。「誰?」枯れた声が喉から漏れる。不意に左手の傷が疼いた。「いつまでそこにいるつもり?」 女の子の言葉はそっと傷に触れ、私を刺激する。「わたしだって、こんな私好きじゃない。でも、どうしようもなかったの」 私は震える声で抵抗する。頬が濡れていた。自分の体にまだ水分が残っている事に驚いた。そんなもの、あの時ぜんぶ傷口から流れていったと思っていたのに。「ほら、あなたはちゃんと生きてるじゃない」 少女は諭すように続ける。「あなたは気づいてる。私が誰なのかも、自分が暗闇に閉じ込められたふりをしてるだけだという事も」 カッッツ・チッププツ カッッツ・チッププツ そして再び流れ出す・・・ 私が目覚めた時、部屋には光の帯が舞っていた。朝がやってきたのだ。 少女はまだ部屋にいて、わたしは急激な空腹感に襲われた。「ほら、ね」少女は微笑んで、私に手を差し伸べる。 私は立ち上がり、言われるままに玄関のドアを開けた。 圧倒された。目の前には、目の眩むような雪景色が広がっていて、街は生まれたてのように賑わっている。 私は部屋のカレンダーを振り返る。5日も経ってたんだ。「ごめんね」 私が少女に向かって言うと、彼女は優しく微笑んで、私が自らつけてしまった左手首の傷口にそっと触れて言った。「メリー・クリスマス」 幼い頃の私の言葉は、弱い私の孤独を包んだ。 私は私に「ありがとう」と礼を言う。少女の私は静かに頷く。 私たちは真っ白な道に足跡を残しながら歩いた。外の風は冷たかったけど、もう震えることはない。
「ここは森なんだ。」 公立小学校の教諭をしている私に向かい、少年は机の下から言葉を発した。まだ年端もいかない彼は、真剣な目で私を見上げている。私は、ああまたか、と気づかれぬよう溜め息を吐いた。 「いいから、今は掃除の時間なんだ。早くそこから出ておいで。」 正直、彼には困っていた。いつも清掃の時間になると、さげられた机の集団の下へと潜り込み、動かなくなっている。私が彼に対し、この手の注意を何度したことか、数えられたものではない。 確かに私が小学生の頃にも、清掃の時間に机をさげると、必ずその机の下へ潜る者がいた。それは子供ならではの好奇心であり、遊びのひとつである。彼もまたきっと、それと同じく、机の脚を木に見立てて遊んでいるのだろうと、最初のうちは思っていた。しかし、こう毎日真剣に、ここは森だと言われては彼の精神を疑ってしまう。一度、彼の両親と話をしてみようかと思っていたところだ。 「ねえ、先生もこっちに来てみたら。」 彼は突然そんなことを言い出した。大の大人である私に、小学生が使う、その小さな机の下に潜れと言うのだ。思わず顔をしかめそうになったが、すぐにできる限り穏やかな笑顔を作った。 「今は掃除の時間なんだ。先生がさぼったら駄目じゃないか。」 「いいじゃないか、少しくらい。先生がこっちに来てくれたら、僕、これからは毎日掃除するよ。」 私は小学生のずる賢い駆け引きに、多少むっとしたものの、潜らない限り掃除はしないと尚も言い張る彼に折れた。 「わかったから。これからは絶対に掃除するんだぞ。」 瞬間、彼は片方の口角を上げて笑んだのだが、私は気づかなかった。そして、屈みこみ、頭から小さな机の下へと潜り込んだ。予想以上に窮屈な感覚もしたが、素直に、なるほど、机の脚の鉄パイプがたくさん並ぶと木の幹に見えなくもないなと思った。それを彼に伝えようと、振り返った。が、彼はいなかった。代わりに広がるのは、本物の木と草だった。不思議と焦りは感じなかった。ただ、彼の言っていたことは本当だったのだと一人納得した。 「机の下で意識を失ってたらしいわよ。」 「一人で机に向かって話しかけることもあったって、うちの子供も言ってたわ。」 「でも、まさか教師がね。」 そう言って、面白そうに話す女達の持つ新聞には、小学校教諭の麻薬事件についての記事が、小さく掲載されていた。
二年前、両親が亡くなった時、この家は僕にとって「自宅」ではなく「牢獄」になった。六歳年上の姉が、父と母を殺害し、さらに僕の恋人を殺したからだ。 皮肉にもその姉のおかげで高校一年のから、僕の「進路」は決まっていた。「姉さん。僕、警察の試験受かったよ」 僕がそう言うと、姉の息が止まったように見えた。ほんの一瞬だったが、僕は見逃さない。姉は「そう」と呟いた後、何事もなかったように自分が作った味噌汁を小さく音を立てて飲んだ。僕もそれに倣う。「味噌汁、美味しい?」 味噌汁の椀を卓袱台におくと、彼女は訊ねた。軽く頷く。姉は「よかった」と言って、満面の笑みを浮かべた。僕は顔が少し紅潮するのを感じた。 何故だろう? 最近、姉が無性に綺麗に見える。……いや二年前、両親が亡くなったあの頃から彼女は変わった。 とても人を三人も殺した人間には見えない。むしろ同棲生活を始めた恋人のような初々しさすら感じる。 僕はその美しい殺人者から視線を外した。すると、姉は言った。「でもね。その味噌汁の中のお豆腐。それを切ったのって、父さんや母さんを斬った包丁と一緒なんだよね」 ゾク────。 彼女は僕を見ている。獲物を観察するように。美しい笑顔で。 目の前で真剣を突き付けられているような緊張感が僕の体を支配した。 時々、こうした言動が、彼女が殺人鬼であることを思い出させてくれる。「冗談よ」 フッと鼻を鳴らし、姉は自分の食器だけを持って台所に向かった。僕は呆然とその後ろ姿を見送った後、味噌汁を強引に掻き込んだ。 台所から水が勢いよく出る音。包丁を持って笑みを浮かべる姉の姿を、僕には想像できた。「あっ。玄関の扉、閉め忘れた」 キュッと蛇口を搾る音が聞こえてきて、姉は玄関に行こうとした。僕はそれを制すると、片づけようとしていた食器を渡し、玄関に向かう。 二年前の事件に、姉は完全なアリバイを持っていた。ずっと友達の家にいたそうだ。警察は物取りの仕業だと言っている。事実、金品や財布、銀行の手帳などが盗まれていた。 だけど、姉と二年間暮らしてきた僕にはわかる。その言動、態度……。 断言してもいい。両親を殺し、僕の恋人の命を奪ったのは彼女だと。 そして、彼女に手錠をかける役目は無能な警察なんかじゃない。この僕だということを! 今は仮の牢獄。けれど、いつか彼女を本物の牢獄に入れてみせる。 カチャ……。 僕は鍵をかけた。
※作者付記: 来月はこの姉の視点に立った作品をお送りします。
ここは、少し涼しく薄暗い部屋。私はいすに座っており、目の前のテーブルには無数の、字が書いてある札がある。なぜ、ここにいるのかは分からない。そして、なんとなく1枚の札に手を伸ばした。「これからもずっと仲良しだよね」これは、中学生の卒業式の時に涙ぐまれながら女友達に言われた言葉だ。その時は、私も大泣きしながらみんなと別れを惜しんでいた。そして、その時電話番号を交換したような気がする。だが、卒業後その子へ電話をかけた覚えはない。人は、自己中心的な生き物だ。何かに惹かれるように別の札を手に取った。「あなたと一緒に時間を過ごしたい」高校生の時にある男の子から告白された時の言葉だ。この言葉は、すぐに「ごめんなさい」と返してやった。でも、その時の緊張で始めて恋という物を知ったのかもしれない。興味を引かれるようにほかの札を手元に持ってくる。「お前は仕事をなめている」確か、この言葉は社会人になって始めて怒られたときの言葉だ。この後、1ヶ月ほどして退職届を上司にたたきつけたと、私の記憶にはある。きっとこの言葉が気に入らなかったのだろうと、今の私は冷静に自己診断をしていた。しかし、今、私は社長をしている。未来があれば人は変わる、と思った。なにか懐かしくて、そして、とても落ち着くこの場所は何だろう。現実世界ではないことは確かだ。ただ、過去の言葉を振り返るこの場所。今まで、沢山の言葉に操られ、騙されてきた。そのくらい、人間の言葉とは強大な力を持っていて、根強く残る。人間の言葉は、ある意味で魔法であるかもしれない。そんな空虚な考えをしてるとだんだん部屋に明るい光が差し込んできた。「社長、社長!」「う、うん?」私の視界には、自分の倒れていた机。それに広いカーペットの部屋にソファーが2つ、合い向かいに置いてあった。「やっと起きたんですね。もう、眠っちゃいけませんよ」私の隣には、秘書の女性が立っていた。そうか、私眠っていたんだ。ってことはあれは夢?考える暇もなく、秘書に次の打ち合わせの予定を聞き、急いで部屋を出た。私の仕事柄でこんな夢を見たのかもしれない。確かにそれは空虚な想像だ。しかし、全てが想像だろうか。実際、私が社長でいられるのもある人の一言によってだったりする。神様が人間に与えてくれた魔法、それは「言葉」なのかもしれない。ただ、私にそれを本当かどうか確かめることはできない。
時刻は、午前3時57分。 タクシーを拾おうと大通りにまで出たものの、もう15分ぐらい立ち往生をくらっている。普段は、この時間でもタクシーなんてすぐつかまるはずなのに今日に限ってタクシーどころか通り過ぎる車の数自体が少ない。休日でもないのに、、、。 いつもそうだ。欲しいときに限って、欲しいものは手に入らなくなってしまう。ほんと、いつもそうだ。 最近、もしもあのときこうしておけば、人生はもっと潤滑に進んでいたのではないか、と考えることが多くなった。いくら「過去」を後悔しても、「イマ」は何も変わらないなんてことはわかっているが、つい考えてしまう自分がそこにいる。 相変わらずタクシーがつかまりそうな気配はない。それどころか、目の前を通り過ぎる車の数も次第に減っていき、片道3車線の道路上には何も通らなくなってしまった。 昼間の喧噪がまるで幻であったかのような静寂が、あたりを包んでいた。 もし世界で一人になってしまったらきっとこんな感じなのだろうと、何となく思ったりした。 なぜ、そんな行動に出たのかは、自分でも分からなかった。 存在意義を一時的に失っている道路をずっと見つめていたら、それがあたかもごく自然なことのように、気がつけば広い道路のど真ん中に僕は立っていた。 一歩、踏み出してみる。はじめは、歩いていたのに次第に駆け足になっていき、加速は止まらず、ただただ、まっすぐな道路を全力疾走していた。 すぐに息が上がってきた。 中学では、3年間陸上部をやっていたのに、、、。働きだしてからの運動不足を嫌でも再認識してしまう。 体が燃えるように熱くなっていき、たまらず走りながら着ていたコートを脱ぎ捨てる。次第に酸欠になって思考回路が回らなくなっていくはずの脳みその中で、いろんな自問自答が繰り広げられていく。 ホントウにトウキョウにデテキタのはセイカイだったノカ? ホントウにユメをアキラメタのはセイカイだったノカ? ホントウにコのミチノリをススんでイクことがセイカイだったノカ? ホントウにイマにマンゾクしてイルノカ?マチガイではないノカ? ホントウにセイカイだったノカ? 心臓がはち切れそうなほどに苦しい。 体は、悲鳴をあげているにも関わらず、止まることができない。いや、止まりたくないのだ。もう少しだけ、、、。あの300メーター先にある赤信号の交差点の真ん中までなんとしても走り抜きたいんだ。もう少しだけ、、、。 もう何も考える余裕なんてない。ただ、あの交差点だけ見つめ、頭は限りなく空白に近い状態になり、白い息を吐き続ける。走り続ける。 交差点の真ん中でへたれ込んだ。 しばらく動けそうにない。しかし体とはうらはらに、充実感と力強い自信が、なぜか体の底からフツフツと湧いてきた。 そう、これが僕の生きる道だ。 見栄えは悪いかもしれないけれど、一歩一歩進んできた道だ。 正解とか、間違いとか関係ない。もう迷ったりしない。 これがオレだ。 ただ無言で広くたたずむ夜の闇に向けて、雄叫びを放つ。 返事はない。それでいい。 なぜか笑えてきた。腹の底から、、、。きっと明日は、筋肉痛だ。 交差点の信号が青に変わった。
仰げば晴天。高二の秋の夢うらら。なんかそこらに生えとる雑草をひとかたまりの団子にして、郵便局員のおっさんが口いっぱいに頬張っとる。気違い気味とる。気違い気味とる。そんな晩秋は割と好いとる。「先生ね、今日で退職する事になったの。新しい転勤先は鳥取の北の方。とても自然が多い所なの。」藤沢先生は物憂げな顔をして、天井を仰いだ。教卓の上の学級日誌は生徒達の垢ですっかり汚れてしまって、まるで駅前の古本屋のレジに座る磯ジィみたいに古ぼけて、なんだか物悲しい。僕は悲しくない。決して悲しくはない。森羅万象どうだってよい。「今日でみんなとはお別れね。」終礼が終ると、僕は一目散に階段を駆け降りて家路につく。リュックサックの中からヘッドフォンを引っ張り出して冷たい耳に装着する。曇り空で夕暮れはなかった。写真を拾った。藤沢先生と小さな黒い猫が写っていた。猫は死んでいた。僕はいつものように古本屋に足を運ぶ。膨大な数の本達を眺めていると、目がチカチカして頭がギンギン痛くなる。あぁ駄目だ。もう死んでしまいたい。もうどうだってよい。でもどうにか陰鬱な夜を乗り越えるために一冊本を選んでおかねばならん。僕は適当に目が写った太宰の『斜陽』を手に取り、磯ジィが座るレジまで持っていく。「毎度ありがとね。これちょっとしたおまけね。」すると磯ジィはなんだか丸みを帯た三角形の薄っぺらいものを、僕に差し出した。どうやらギターのピッグのようだ。磯ジィの真意はわからない。そして嬉しくない。森羅万象どうだってよい。道端にギターが落ちていた。多少弦は錆びていたが十分だった。僕は古本屋でもらったピッグでギターを掻き鳴らし、なんだか混沌とした美しい歌を歌った。曲名は、『ピカレスク』だった。すると黒い猫を連れた、ストレートヘアーの美しい女が来て僕の歌を聞き、涙した。そして優しく僕に接吻をした。僕は彼女の乳首をつねるように強く揉んだ。何度も何度も。日が暮れるまで。。。。衝動。思春期の童貞。妄想。高二の秋の夢うらら。もちろん現実ではない。そんな妄想が、頭を駆け巡っただけである。だがその妄想の世界は瞬きもできないくらい眩しく輝いている。ホントに綺麗な女だった。何だか空しくなって僕はポケットに突っ込んである無必要のその三角形の薄っぺらいものを空き地にめがけて放り投げた。それは弧を描いて、昼寝をしていた猫の頭に命中した。猫は黒かった。僕の町で殺人事件が起きた。殺したのは郵便局員で殺されたのは藤沢先生だった。僕は悲しくない。決して悲しくない。森羅万象どうだってよい。
その日の冬の海は、重く静かでそして…痛い寒さだった。『ごめんね、まー君。私にはこうするしかできなかったの。許して…。』先ほど読んだ一通の手紙を思い出し、暗い浜辺を一人で歩いていた。思い返せばふと、記憶から枝垂れるように今まで寄り添って生きてきた彼女との日々が、呆然と生きる僕の目の前に浮かんでくる。そう…今でも彼女が隣にいるんだと感じてしまうように。『色々なこと、二人でしてきて、色々なことでケンカしてきて、それでも隣にいたのは好きだからなんだよ?わかってくれてるかな?まー君は。』わかってる…わかってる…何度もつぶやいて答えながら、手紙を、くしゃくしゃにしながら嗚咽を漏らして泣いた。『まー君の、元気な姿が私には見れないこと、すごくヤだけど、ちゃんと目に浮かべられるから、私のことは心配しないでね?ゴメンね…私だけこんなことを言って…』謝らないでほしい…君だけには…ズキズキと痛む胸を、かきむしる痛みでこらえながら、止まらない涙で霞んだ彼女の手紙の字に、僕は何度も叫んでいた。手紙をはじめて読んで…僕は、気づけば泣き叫んでいる自分を見つめていた。『悪いことだなんていわないで?まー君には生きてて欲しかったから…まー君のために死ねるなら…これが私の幸せだから…』海に、飲まれそうだった。「大丈夫だからね?すぐ元気になって、また二人で海行こう?夏でも、冬でも!」僕の病室に来るたびに、彼女はそう言って明るく元気に励ましてくれていた。辛かったはず…先が見えた僕を見つめて、それでも彼女は何も言わず優しく僕を抱いてくれていた。君が幸せになればそれでよかった…いずれ朽ちるこんな僕じゃなく、他の誰かを愛して欲しかった…そう言った僕に、彼女は頬をはたいて、泣いて言った。「まー君じゃなきゃ嫌…」死にたくなかった…生きたかった…でも、君の未来を思えば…何度も見舞いに来てくれた日々を経て、入院から数週間後…夢のない夢の中をたゆたって、僕は数日間目を覚まさなかった…最後に彼女が見舞いに来た日のことを思い出し、そしてそれから今日で二週間が経っていたらしかった…夜だった。ふと、花瓶に揺れていた花に目を向けると、そこには綺麗な花が咲いていた。月下美人。夜に、一度だけ花を咲かし、そして朽ちる。花は、僕の目覚めを喜ぶように見えた。瞬間、頭をよぎったのは彼女の顔だった。急いで電話をかけたが、繋がらない。妙に不安がこみ上げ、気づけば僕は看護婦を呼んでいた。病室に来た看護婦が持っていたのは一通の手紙…彼女の、くせのある小さな文字で、僕宛に残された手紙だった。膨れる不安に委ねて封を切った僕は、内容を受け止めた瞬間…われを亡くしていた。僕の中で、彼女がいつも見守ってくれている。そう思えばこの痛みも消えるだろうか?手紙を受け取った翌朝、退院許可をもらった僕は、朝日に包まれる浜辺に向かい、霞んで見える太陽を見上げた。「ほら、いい天気だね。君も来たかった海だよ。君は感じてるかい?香奈。」胸に手を当て、彼女が遠くへと消えた日から違う温もりを僕に残した鼓動を感じて、僕は泣いた。これからもずっと同じ景色を二人で見続けていこう。君と生き、君と歩き、そして眠ろう。君と共に…
僕をここに来させたものは、燃え上がる激しい情熱ではなく、重く胸をしめつける苦しさでもない。独りの寂しさをただうめてもらいたいという勝手な気持ちでもなければ、もちろん、異性を求める欲望でもない。 あれからもう5年になる。5年も待たなくても、いつでもここに来ることはできた。しかし、あえて僕はしなかった。あの時、僕がここに来てしまったなら、狂ったようにあなたを求める自分を抑えられなかっただろう。ただ、ただ、本能の赴くままにあなたを追い回してしまっただろう。感情を抑えきれない僕は、きっとあなたをもっと傷つけてしまっただろう。あのとき僕は、何よりも、愛するあなたが、僕から遠ざかってしまうことを恐れていた。 だから僕は、あえて、あなたの住むこの町を離れることを選んだ。一刻も早くあなたを過去の思い出に変えてしまいたい。僕はそう思った。 しかし、そう思えば思うほどあなたは僕の心の中で大きくなりだした。離れても、僕の心にはいつもあなたがいた。もう、二度と会うことはないと思っていても、どこかであなたを想っていた。気がつけば、いつもあなたの面影を探していた。あなたの記憶は色褪せるどころか、ますます鮮明に輝きだしていた。 今思えば、その後の僕の人生は、あなたにもう一度愛されるために旅をしてきたような気がする。こんな僕のところに毎年届くあなたからの季節の便りだけが、僕の心の支えだった。 この5年で僕の心は静かに変わっていった。燃え上がる情熱の炎は、全てを焼き尽くす業火ではなく、からだの芯を暖めるやわらかかな炎へ、周囲を赤々と照らすものではなく、静かな光を永く放つものへ。あなたへの愛情は、薄れていったのではなく、僕の心の奥に深く深くしみ込み、広がり、僕の命を潤してきた。 あなたは、白くはかなくて、壊れてしまいそうに華奢で、なぜかいつも悲しげで。でも、その凛とした目の輝きは、あなたの芯の強さを物語っていた。 今、僕の目の前にたたずむあなたは、5年前と全く変わっていない。今ならあなたに言えるきがします。5年前、言えなかった言葉を。 僕はそっと彼女に手を伸ばした。 彼女のこわばった表情は、次第に柔らかなほほえみへと変わった。そして彼女の柔らかな指が、手のひらが、僕の手の上に降りた。僕はその透き通るような白い手を握り締め、彼女の目を見つめた。 その時、はかなくも強い光を放つ彼女の目からは、笑みとともに一筋の涙がこぼれ落ちた。
小さいながら、とても平和な町だった。 人々は日々を歌い、踊りながら暮らしていた。かといって、快楽に溺れてしまったわけではない。そこには町としての機能がきちんと備わっていたし、人々も勤勉だった。 大きな争い事もなく、その町には永遠があった。 すべての町の理想が、そこにはあった。 しかし、何事においても終わりというものはやって来るものである。しかも突然に。 終わりを告げられたその町の町長は、不安がる町民に対してこう言った。「皆さん、我々はこのときが来ることを知らなかったわけではありません。いや、このときが必ず来ることを知っていました。悲嘆に暮れても仕方がありません。今このときを精一杯歌いましょう」 この言葉に異論する者はいなかった。どこへ行こうと、世界が終わるのだ。逃げ場はない。 それからというもの、町にこれといった変化は生じなかった。 これまでのように人々は歌い、踊り、その日その日を大切に過ごした。なかには現実を受け止められない者もいたが、皆の前では明るく振る舞い、その町の雰囲気を壊さないようにした。 終わりを告げられた町は、平和だった。 その町唯一の哲学者は、世界が終わることについてこう述べている。「我々の町は平和すぎた。殺人なんてもってのほか、交通事故さえ起こったことがない。考えてみれば、平和すぎるこの町の状況が、神々のお気に召さなかったのだろう。我々は停滞することに甘んじ、前進することを忘れていたのかもしれない」 また、ある町民は言った。「終わりが来るということは、何かが始まるということだ。我々の世界は終わるが、またどこかで世界が始まるだろう。それはそれで良いことではないか」 その日がやってきた。 それでも町人は歌い続けた。刻一刻と終わりが近づいているが、人々はその分声を張り上げ歌い続けた。皆の目に、涙はなかった。 突然、空に大きな点が現れた。それはスルスルと音もなく降りてきた。最初小さな点だったものは、段々と大きくなり、すべてを圧倒するかのように皆の前に降り立った。「終」という一文字。 と同時に、非情な声が辺りに響いた。「長い間ご覧頂きました人形劇『歌う町』は、本日をもって終演となります。次回からの『華やかなる人々』を、どうぞ、ご覧頂きますようお願い申し上げます。繰り返します……」 観客は言う。「いい話だったんだけどなぁ。やっぱり、飽きちゃうんだよなぁ……」
※作者付記: いろいろと伏線っぽいことを書きました。二度読める作品だと思います。
七分咲きの桜の下で浅子先生は足早の亮の腕を取った。「女性と歩くときは、もっとゆっくり歩いて」 桜の空間に甘い匂いが満ちる。先生の柔らかい胸の感触が亮の腕に残った。緊張に歩ようがバラバラになり躓く不安に苛まれる。交番の三叉路から中学二年の陽子が走ってきた。「浅子先生〜、お早うございま〜す」と、ベタベタ先生にぶら下がる陽子に、亮の中の何かがストンと落ちた。体が軽くなり歩ようが楽になった。「今度の日曜に、先生引っ越しするの、手伝ってくれない」と、先生がふり向いた。「はぁ」突然で生返事になった。「手伝いなさいよ、トオル」陽子が口を入れる。「あてにしても、いいの」「はい」「私も手伝う」「有り難う、引っ越しは近くなの、荷物もお布団と机と本だけ、男の子の力をちょっと借りれば終わりよ」「じゃあ、今度遊びに行く」「来て来て、大歓迎」 陽子の甘ったれに先生は馴染んでいる。亮はくすぐったい空気が嫌だった。 引っ越しは、桜上水橋の袂から八幡神社裏の小さなアパートまで、片道二十分の道程であった。 亮が自転車のハンドルを握り、積み荷の後ろを先生が押した。「もう疲れた?」先生が亮の顔を覗いた。亮は首を横に振った。「ごめんなさい、このあとベットを作りたいの、お願いします」 先生の丁寧な言葉は亮に心地よく響いた。 予想外に重い組み立てベットを二人で大工センターからバスで運ぶ。 机を据え横に本を積み上げベットを組み立てる。台所に一人前の食器が寂しく並んだ。「さあ、お風呂にいきますよ」「僕も行くんですか」 先生と陽の高い銭湯に行くのは死ぬより辛い。「四十分であがれるわね、中の時計で確認して」 女湯の下足箱の前で先生がきめる。 亮は三十分で出てきた。 五分ほどして先生があがった。「待った?」「出たばかり」咄嗟に言った。「よかった」 湯上がりの先生はゆで卵のように艶々している。「お腹が空いた〜」先生が叫んだ。 引っ越し蕎麦は汁まで平らげた。「あ〜疲れた〜」先生は勢いよくベットに仰け反った。 先生の胸が膨らみ、細いウエストが息づいている。恥骨が小高く現れた。丸い膝が動いて白い肌が見えた。亮は盗み見ている。身動きが出来ない。釘づけになった。指先が痙攣している。熱いものが股間に疼く。未熟な足腰がわなわな震えだした。「僕、帰ります」言うが早いか飛び出した。「さようならー」 先生の声を背中に聞いて、一目散に走った。
ドアを開けると、どでかいお隣のラッセルがアイスの箱を抱えて立っていた。「ハロー麻衣、調子は?今年はこちらでクリスマスを?」私達は十年前ニュージーランドへ越してきた。元より学生時代の留学で夫も私も訛りまで一緒の完璧なキウイ語が話せる。夫はウィンタースポーツのインストラクターから経営までを担当、私は看護師の仕事で生計を立て、難も無く二人の子供を育てている。結婚する前も後も、私達は幸せだった。結婚する時に、二人は永遠の恋人でもあり続けることを誓った。明日で二人で過ごすクリスマスは二十一回目にもなる。南半球にホワイトクリスマスは存在しないので毎年日本に帰るのが家族の習慣となっているのだが、今年は夫が忙しくて帰省どころか休みを貰うのにもひと苦労だ。「ラッセルさん、お元気そうね。調子は良いわ。残念なことに、いえ嬉しいことかしら。今年はここですごすのよ」ラッセルはいたずらに眉を上げた。「あらそう。ところで、御宅のご主人はお仕事?お忙しいのね」その夜、夫は珍しく子供達の寝静まった頃に帰ってきた。「おかえりなさい、あなた」遅かったのね。とは何故だか言えなかった。イブなのに。いままでこんなことってなかった。こうやってどんどん歳を取っていくのね。…とヒステリックに叫ぶことはもちろんできなかった。「今日ラッセルさんが来たの。クリスマスのことで…」「後で聞くよ」彼はそう言うとズボンと靴下を脱ぎ、さっさと浴場へ行ってしまった。いつから彼を名前で呼ばなくなったのだろう…。私達はとっくに夫婦だ。誓いなど破れている。空には夏の星座が広がっている。目の端に部屋に飾られたリースや30センチツリーが映った。涙がこぼれていく。かすかな寒気と共に、私はそっと瞳を閉じた。サイレントナイト、ホーリーナイト。冷たい。部屋の中なのに何か降ってる?「屋内スキー場の雪を取ってきたんだ」彼が寒さで鼻を真っ赤にしながら言った。そして私の鼻水と涙の痕でぐちゃぐちゃになった顔にキスをした。冷たさと彼の唇の温かさが混じってわけが解らない。「霰にしか見えないけど綺麗」私は言いながらも、冷たいはずの雪で埋まっていく身体が温まるのを感じた。「アイス食べると体内燃焼に高エネルギーが使われて逆に温まるよね。あれと同じじゃない?」と言う彼に、変わってないねと笑ったら涙が溢れた。彼は何もかも解っているような顔で私を抱き寄せて、唇にキスをくれた。
ある夜のことだった。いつものように僕は夜の街を散歩していた。おや、少女が白いため息をついて、ベランダから空を眺めている。さては流れ星を待っているな。ひょい、と身軽にベランダに上った。うん、優雅な身のこなし。『こんばんは、お嬢さん。ああ、こわがらないで。ひっかきゃしないよ。』表現しうる限りの友好的な態度で、少女も少し安心したようだ。『お嬢さん、今夜は冷え込むねえ。こんなところにいたら風邪をひくよ。』少女は黙って僕のあごをさすった。『家の中はストーブが暖めてくれるのに、君は何をしているんだい?』流れ星を、待っているの。少女はつぶやいた。ああ、思ったとおりだ。『流れ星を見つけたら、何を願うんだい?』僕の問いには答えず、少女は黙って微笑んだ。あざのあるその顔は、痛々しくも大人びていた。『…』少女がつぶやくように話し始めた。ママとパパがけんかしているの。パパはお仕事が忙しくて、めったに帰ってこれないの。でもママはそれを信じてないの。パパはウワキしてるんだって言って泣くの。『そのあざは、ママに…?』その質問には答えず、あざをさすって少女は言った。だから私は流れ星を待っているの。ママの幸せを願うの。そう言って少女は再び瞳を空にむける。ああ、僕は止めに来たんだ。今夜は曇っていて、星なんか見えやしないんだ。まだ背の小さい君にはわからないかなって思ってさ。もしかして君は知っているのかな。今夜は星が見えないこと。それでも君はきっと祈り続けるのかな。星が見えなくても、流れ星が見つからなくても。『お嬢さん』少女は寒さに小さく震えた。『流れ星をあげることはできないけれど、これからは僕が会いに来るよ。 寒くてベランダに出られない時は、窓の鍵を開けておいてね。』手すりにかけられた少女の手の甲にそっとキスをする。少女は驚いた顔をして、そのあとあどけなく笑った。僕は一声鳴くと、来た時と同じように、優雅にベランダを降りていった。
軋む階段を降りると幹也がすでに店のシャッターを開けていた。暗く湿った店内には今日の日差しが遊びに入る。固まった筋肉を伸ばそうと腕を挙げた幹也に後ろから声を掛けた。「おはよう」あくびをしながら振り返った幹也は目をあわすといつもの爽やかな笑顔を僕に見せた。「そんな顔したってお金にはならないぞ。お客に見せろよ。」吉祥寺はお昼を過ぎないと人は集まらない。今日みたいな週始めは特に夕方近くにならないと僕らの店に立ち止まる人は少ないのだ。っと、言ってもこの店の場所が悪いのだとよく幹也は愚痴をこぼすが、休日にでもなれば人は歩道を溢れるように歩いているので平日はただ辛抱するだけだった。いつものように二人でじゃんけんをして僕がレジ係になった。幹也が看板を営業中へと裏返す。開店してからすぐにお客さんが入ってきた。朝一番のお客さんは決まってフネさんというおばあさんだ。去年亡くなったおじいちゃんの墓参りに行くのが日課で毎日花を買いに来てくれる。「おはようございます!」帳簿に目を通していた僕の耳に幹也の大きな声が響いた。「今日は天気もいいので気持ちがいいですね」「本当だね。今日は何の花が良いだろうか?」「そうですね。今日は、ホトトギスなんていかがでしょうか?」っと、幹也は店に並んでいるホトトギスを一本、フネさんに手渡した。「綺麗だね。これにしようかしら」いつものように一本だけ包もうとしていた僕にフネさんは特別な日だから10本にしてくれと伝えてきた。「特別な日ですか?聞かせてもらえますか?」「今日はなくなった主人との結婚記念日なのよ」なるほど、そういうとか。〜永遠にあなたのもの〜僕はメッセージカードと花をフネさんに手渡した。「これはホトトギスの花言葉です」フネさんはすこし照れ笑いをして店を出て行った。今日も一日がはじまる。
悪役はごつごつとした左手を伸ばし、今にもヒロインのブラジャーを剥ぎ取ろうとしている。ヒロインは安っぽい涙声で止めてと叫ぶ。ぼくは呼吸さえ忘れて食い入るようにそのシーンを見つめ、悪役同様左手を伸ばして架空のブラジャーを剥ぎ取る仕草をする。もう少し、もう少し……。背筋がぞくぞくと震える。 しかし急遽アングルが変わってヒーローが乱入する。その白い歯が一際厭味に映っている。「そこまでだぜ。兄弟」 まるでヒーローらしからぬ演出、ヒーローは軟弱な拳を振り上げ、がんっ、乾いた音が響いてぼくらの鼻柱が陥没する。こうなるともう助からない。ぼくと悪役はほとんど一緒にうめき声を上げ、ほとんど一緒に倒れた。我ながらリアルな死に方だなどと悦に浸っている間にシーンは移り、泣き顔のヒロインに向かって白い歯が微笑みかけている。そして二人は抱き合い、熱い接吻を交わして映画はエンドロールに馳せる。見え透いたハッピーエンドというやつである。ぼくは畳の上で死んだまま目だけを動かしてそれを見る。西の彼方の茜空、世界は午後六時前後の冬である。ぼくはゆっくりと蘇生して起き上がり、無性に閑寂なリビングを後にした。 両親は結婚式に呼ばれていて家に居ない。自炊を知らぬぼくは兄の部屋へ晩御飯の催促へと赴いたのだ。兄の部屋は二階にある。ぼくは狭くて暗い階段をゆっくりと昇り乍ら、映画の余韻に耽っていた。 しかしあのラストは酷過ぎるではないか。いくら悪役とは言え、自分が撲殺した死体の前でヒロインと抱擁をして接吻をして。罪悪感は無いのか。アメリカ人は一体どうなっているのだ。ぼくはそこまで無慈悲な奴を今まで見た事が無かったから余計憤慨していた。そのままの勢いでノックもせずに兄の部屋の扉を開けて言った。「兄貴、メシ」 兄は一人では無かった。エウロパ人のような顔をした女の子が兄の膝の上にちょんと乗っかっている。兄は恍惚とした阿保面を浮かべたままゆっくりとぼくの方に振り向く。兄の左手はエウロパ人のブラジャーの方へ伸びたまま硬直していた。まるでさっきの映画だ。 その情景を見た瞬間ぼくは確信した。ぼくは今この瞬間、悪役から一転してヒーローになったのだ。あの映画に対する憤慨は霧消して消え去り、ぼくは映画のヒーローよりもヒーローらしい美声を作って兄に白い歯を見せ付けた。「そこまでだぜ。兄弟」 その後ぼくが取った行動は、想像に難くないだろう。
何でもない田舎の冬の光景。子供が走り回り、雪玉が飛び交い、道のいたるところに雪だるまが作られている。俺はその様子を確認すると、トラックに乗り込み、アクセルを踏んだ。 着いたのは隣町の公園だ。トラックのコンテナを開けると子供達が勢いよく飛び出した。それを無言で見送りながら俺は雪だるまを作り始める。 一メートルほどのものが三個完成し、一息入れようと上着を脱いでベンチに腰を下ろす。 コトリ、とベンチに缶コーヒーが置かれる。顔を向けると懐かしい人物が緑茶の缶を手に立っていた。俺がこの街を離れる時に別れた恋人だった。「久しぶりだね」 おう、と短く答え、プルトップを起こす。隣に座った女が続けた。「卒業式以来だから6年・・・今は何してるの? 里帰り?」「いや、国家公務員。今は地方振興課の下っ端」 そう言って子供達を指差す。「この街で子供を見るのも久しぶりだね」「そう言って貰う為に地方巡業している」 しばらく沈黙が続いた。「あ、何? その人おにーさんのカノジョ?」「違うって、昔の女ってやつでしょー?」 かまくらのようなものを作るのを諦めた子供のうち、二人が寄って来た。隣に座っている彼女は何か思うところがあるのか、泣き笑いの表情になっている。「ほら、大人の話してんだから子供は散った散った!」 二人は笑いながらかまくらもどきに向かって走っていった。「わたしね・・・」 彼女が口を開く。「子供、出来なくなっちゃったよ・・・」「ああ、知ってる」 感情を込めないように答え、雪のうえに倒れこんで動かなくなった子供のもとへ駆け寄る。バッテリー切れだ。「俺らが子供の頃からだんだん子供が生まれなくなって・・・最後に生まれた子供も確かもう18歳だ」 トラックをアイドリングし、少女を模したロボットの首筋にコンテナから引っ張ってきたコードを差し込む。ロボットの目に光が戻った。「だからあたし達が無邪気に遊んで大人を慰めるんだよね、おにーさん」 そうだな、と短く答え、ひざに乗せていた少女を抱き上げて彼女に渡す。彼女は涙を流しながら地方振興課の備品、だが確かに子供の形をしたものを抱きしめた。「ねーねーおにーさん、あの人彼女なの?」「昔な」 少女に手伝ってもらい、雪だるまを作っている。二人で雪玉を転がして大きくしながら彼女の言葉を思い出していた。『羨ましいよ。私たちから下の世代で子供が居るのって貴方だけでしょう? ほら、こんなにかわいい女の子』 彼女が俺の子供と表現したロボットと共に雪玉を持ち上げて、一回り大きい雪玉に乗せた。「かんせーい! このおっきい雪だるまがおにーさんで、こっちのがあたし。あそこにあるのが・・・」 はしゃぐ少女を見て、これからのことを考えた。「・・・・・・あいつらが子供、ねえ」 まとまらない考えをからかうように、雪だるまが笑っていた。
※作者付記: 題材を雪だるまにしようと決めた途端、多くのアイディアが浮かんできました。結局このような話になりましたが、楽しんでいただけたならば幸いです。
昔、寒い日に寒い物を食べる女子高生を見て「あいつらバカじゃねーの?」と笑っていた。そんな僕の価値観を変えたのは彼女でした。数年振りの大雪が降っているせいで電車が止まった。あと、一駅なのにツイテナイと思っていた僕の目の前に彼女がいた。「雪だから仕方無いよね。でも一駅位なら歩いて帰れるからラッキーだよね」彼女の前向きな考え方はいつも頭が下がる。運動運動。そう言いながら僕の手を引く彼女と電車を後にし、僕達はお互いの家までを歩く事にした。地面から、ギュッ、ギュッと新雪を踏むと出る音に喜ぶ彼女は僕の前を歩いてた。「どーせ踏むなら誰も踏んで無い所が快感よね〜」と彼女は誰かが先に通って出来た、けもの道を無視して新たなけもの道を開拓するのに夢中だった。「ブーツが濡れても知らないぞ」と僕が何回か警告しても、平気、平気と笑顔で返事をするだけなのでもう諦めた。これで、家まで体力続くのか? と、僕は密かに心配していた。駅から三十分ほど歩いた所で、彼女が「疲れた〜。休憩しようよ」と言い始めた。やはり体力が続かなかったか。予想通りだな。と思ってた僕は仕方無く近くに見えるコンビニまで彼女を誘導する事にした。「何か食べる?」そう聞くと彼女は笑顔で「バニラアイスがいい」と笑顔で答えた。「こんな寒い日にアイス?ギャグ?」僕が真顔で訪ねると、「雪が降った日にバニラアイスを食べると美味しいんだよ。知らないの?」と、彼女も真顔で答えた。「へいへい。仰せのままに」僕は少し呆れながら言われるままにバニラアイスを買い、彼女に手渡した。「こいつ、バカだ。って思ってるでしょ?」彼女の鋭い指摘に僕は思わず「そうだね」と言った後に一生懸命謝った。「本当に美味しいんだから、ウソだと思うなら食べてみなよ」そう言って僕の前にアイスを差し出す彼女に押され僕は食べかけのアイスを一口囓った。あれ?確かに美味しいかも?と、もう一口囓った所で彼女に「もうダメ」とアイスを取り上げられた。「もう。私の分が無くなっちゃうでしょ」ゴメン。と謝る僕のに対して解ればいいのよ。解れば。と言うと彼女は幸せそうにバニラアイスを囓った。その後、僕らは更に三十分掛けてお互いの家まで歩いた。この時のアイスは確かに美味しかった。しかし、僕達二人が雪の日に再びアイスを食べる機会は訪れず。季節は過ぎ。そして、今でも雪が降ると一人でバニラアイスを食べる僕だけが残った。
今日はクリスマス。智也が何処かに連れて行ってくれるらしい。 何処も大勢の人でごった返しているけど、一体どうするつもりなんだろう。「また遅れちゃった」 智也はいつものように、この台詞を口にする。 時間通り待ち合わせ場所に来た例がない。 でも、智也は屈託のない満面の笑みで私に云う。「ありがとう、待っててくれて。今度は、雪奈よりも何時間も前に来るから」 普通は『ごめん』と云うのに、智也は『ありがとう』と云う。 子供の様な純粋な表情で云われると拍子抜けしてしまう。 遅刻すると分かっていても、何故か私は信じて智也を待つ。 十分ぐらい歩いていくと、ファミレスが見えた。「ねぇ智也。クリスマスなのに、どうしてファミレスなの? そりゃ何処も空いてる所なんてないとは思うけど」「ファミレスは……嫌?」「いや、別に嫌いって云うことじゃ……」「んじゃ、入ろうよ。ね?」 クリスマスは、特別な場所。豪勢な食事。ロマンチックなシチュエーション。そんな既成概念を取っ払う様な智也の笑顔。 智也と居ると、調子が狂う。私の方が年上なのに、いつの間にか智也に操られている様な感覚に陥る。 でも、嫌な感じじゃない。そう、白い雲に身体を包まれている様な感覚。 私達は、店内の一番端の、窓際の席に座った。 やっぱり客は少ない。クリスマスにオープンしていること自体が不思議なくらいに。 智也は何か驚く様な仕掛けやプレゼントを用意してくれているのかな。 そんな期待を胸に、私は適当に料理を頼む。「父さんと母さんが生きてた時に一度だけ食べたんだけどね。ここのハンバーグ美味しいんだよ」「え?」「ほら、俺って一人っ子で、親も俺が小学校に上がる前に死んじゃって。いつも孤独だった。でも、今は違う。正直、場所は何処でも良かったんだ。雪奈とこうして一緒に過ごせれば嬉しかった。本当にありがとう」 俯いていた智也は顔を上げた。目には光る物が浮かぶ。でも、智也はいつもの屈託のない笑顔を私に見せてくれた。 そんな智也を見て私は自然と涙が溢れてきた。「ううん、私こそクリスマスに智也と居られることが一番のプレゼントだよ」 私達は何時間も他愛のない話で盛り上がった。 学校や友達のこと、将来のこと。色んな話をした。知らない間に二十六日に日付が替わっていたことにも気付かず。 智也の眩しい笑顔を見ながら、たまにはこういうクリスマスもいいかな、と私は思った。
※作者付記: クリスマスをテーマにした作品って、沢山出るかも知れないけれど、敢えて扱ってみました。少しでも、心が温かくなってくれたら、いいかな。
僕にはちょっとした超能力がある。 サイキックパワーを送りながらくじを引くと必ず当たりくじを引き当ててしまう力だ。 宝くじの高額当選や競馬で万馬券を当てることは残念ながらできないが、お年玉付年賀はがきでは切手シートはもちろんのこと電子レンジやホットプレートなどの電化製品を毎年もらっているし、子供のころガリガリ君を買えばつねに当たりを引き当てていて「タカシずるいよ」と友達の羨望を集めながら人よりも余分にアイスを食べることができた。 傍目からすると驚異的なくじ運の持ち主と映るだろう。 今日は大学の仲間らと合コンだ。 場所は合コンの聖地・白木屋。 お相手は近くの女子大に通っている学生で可愛いコ揃いの上玉である。 中でも男性陣の一番人気になったのは本多マドカ。 彼女を芸能人で例えると、はしのえみ以上松浦亜弥未満といったところ。性格もあかるく気さくで話も面白い。 僕もマドカのことをすっかり気に入ってしまった。 一次会の居酒屋から二次会のカラオケへ。 僕はORANGE RANGEの花を歌った。 全員が一通り歌い終わったところで、幹事がどこから取り出したのか割り箸の束を高々と掲げ「王様ゲーム」とコールした。 みんなは「今どき王様ゲームかよ?」とブーイング。 僕もみんなに合わせブーブーと言いながら独りほくそ笑んでいた。 なぜなら僕のパワーは王様ゲームでも有効だから。 いままでだってお目当ての女のコとキスしたり、ミニスカートの股下を潜ってみたり、そのままお持ち帰りをしたことだってある。「王様だ〜れだ!」 みんなかなり酔いがまわっていたせいか王様ゲームは異常なほど盛り上がり、終了時間まで延々とやった。たしかに楽しかったが、僕はいつもと違って一度も番号を呼ばれることもなければ王様を引くこともなかった。 空は濃い青から薄い青へと変わっていく。 朝のリレーのバトンがこの街に渡された。 僕とマドカは帰る方向が偶然に同じだったので一緒に帰ることになった。 こういうのもくじ運の1つに入るのだろうか? 僕はマドカに超能力のことや今回の王様ゲームはパワーを使ったけど駄目だったことを話した。 すると彼女はエヘヘとテレ笑いをして、「タカシ君が他の女のコとエッチなことをしてほしくなかったから、絶対にタカシ君が当たらないように私もサイキックパワーを使っちゃった」 と言った。 気が付くと僕らは手を繋いでいた。
いつもナイフを身につけている男としかつきあわない、と真奈美が宣言したので、僕はそれについて検討せねばならなかった。刃物なんて持ちたくはなかった。どんな道具も持っていれば使いたくなる。それが他者を傷つける可能性のあるものならば尚更、軽はずみに持ち歩くべきではないと思った。でも真奈美とはつきあいたかった。彼女はクラスの誰よりも澄んだ声で、弾むように話した。近くでその声を聴きたかった。 13歳の時なら彼女を説得しようと考えただろうし、15になっていれば妥協して折りたたみナイフを入手したかもしれない。でも僕は14歳だった。主義は曲げたくなかったし、彼女をあきらめる気もなかった。そこで折衷案を講じた。 めでたく真奈美との交際が決まった日から、僕は制服の内ポケットに常にナイフを忍ばせた。ただし食器棚から持ち出してきたバターナイフだ。ステンレスの刀身に樺のハンドルで、とても使いやすかった。 抜き身のままでは心許ないので、鞘を作ることにした。鞘作りは容易からぬ作業だった。貼り合わせたかまぼこの板は硬すぎて彫刻刀で削れなかったし、拾った木切れはすぐに割れてしまった。バルサを削ってニスで仕上げた鞘は、見た目は悪くないが2日で欠けた。 やがてナイフには木だけでなく革の鞘もあることを知り、古くなったグローブを解体して手製のシースをこしらえることにした。布団針とケブラー糸で革を縫う作業に僕は熱中した。夏休みに手がけた6作目のシースは我ながら白眉の出来だった。ゆるやかな曲線と固く引き締まった縫い目、褪せてなお精悍な風合い。内側に父のセーム革の眼鏡拭きを仕込んだので、バターナイフはいつも輝いていた。 道具は持っていれば使いたくなる。良いものであれば殊更に。僕は事あるごとに抜刀した。給食のバケットにマーガリンを、ホットケーキにバターを、クラッカーにジャムを塗った。真奈美は彼女なりに僕の主義を理解してくれていたが、ある時公園でホットドッグにマスタードを塗るのにナイフを使ったらびっくりするほど怒った。彼女はナイフをひったくって池に捨ててしまった。大喧嘩になった。僕らは破局を迎えた。 2ヶ月後のクリスマスの夜、真奈美は僕の家の郵便受けに新しいバターナイフと手編みのシースを放り込んだ。僕は彼女の家まで走り、仲直りした。道端で彼女のクリスマスケーキを半分ずつ食べた。 僕は初めて、自分のナイフを切る為に使った。
結婚式を来週に控えた日曜の朝、けたたましい目覚し時計の音で起された。その不快音は、惰眠を貪っていた私にとって不愉快極まりなかった。まだ完全には覚醒仕切れていない頭で色々と思考を巡らすが、それは霧が掛かったようではっきりしなかった。寝癖のついたぼさぼさの頭を鬱陶しいし、疲労がまだ身体に残っていた。目蓋も重かった。恐らくそれは浮腫んで、目は真赤に充血していることだろう。 今日は特に用事も無かったはず、と自分の頭にあるスケジュール帳で寝ぼけたをなんとか回転させながら辛うじて確認すると私は再び寝ようと布団を肩まで掛けなおし目蓋を閉じた。 目蓋を閉じると眠気はすぐさま襲ってきた。私はそれに抵抗することなく素直に受け入れた。が、それは寸前のところで叶わなかった。今度は目覚まし音ではなく携帯電話の着信音が私の眠りを妨げた。「あぁ!誰だよ、こんな朝早くから!!」 実際にはもう午前10時を回っていたことを後に着信履歴で知ったのだが、今の私にとっては朝早くに違いなかった。 私は、携帯電話のディスプレイで相手の名前を確認することさえ煩わしく思い、そのまま電話に出た。「もしもし、誰?」「おはよう、起きてる?高貴だけど。」 電話の相手は婚約者の高貴だった。高貴は律儀で礼儀正しく容姿もそこそこの、人生のパートナーとしては申し分のないな男だった。少なくともそう私は思っていた。 だが、貴重な日曜の睡眠時間を奪うのは、来週結婚式を挙げる婚約者相手といえども私は憤りを感じずにはいられなかった。八つ当たりも含めて苛々として口調で電話の相手をしていると、彼は少しだけ失笑を漏らした。彼は用件だけを私に告げると、最後に「愛してるよ」と言って通話を切った。 この男は歯の浮くような科白をよく口にする。私は「愛」を口にしたことは一度もなかったけれど。だが、彼に愛を語られるたび私は思う、彼を本当に愛しているのだろうか、と。私は愛を慈しむなんてことは知らない。誰も教えてくれなかったから。どうすれば彼を愛せるのだろうか。私の愛し方は正しいのだろうか。 プロポーズされたときは嬉しさの余り浮かれていたが、最近はよく思う、愛とはなんだろうか。そして私はいまだその答えがわからない。「ふぅ、これがマリッジ・ブルーってやつかしら…。」 私は布団に身体を潜り込ませると、再び目蓋を落とした。
僕が足の遅いのを知ってか知らずか、彼はどんどん先へゆく。「もう走れません。足が痛いです」 僕がそう言っているのに、聞こえてるんだか聞こえてないんだか、彼は無視して先を急ぐ。 僕はもう気持ちが萎えてしまった。そんなに行きたいのなら、彼一人で勝手に行けばいい。しんどい思いをしてまでつきあうほど、彼を慕う気持ちなんか僕にはない。彼がついてこいと言ったから、ここまで一緒に来ただけなのだ。 数ヶ月前、僕はこの町にやってきた。というよりも、前居た場所を出てしまったがために、この町にたどり着いたという方がいい。 しばらく僕はここでぶらぶらしているつもりだった。なにもする気になれなかったし、右も左もわからない場所でじたばたするのも嫌だった。まず馴染めるかどうか、様子を見るつもりで街をうろついていたら、彼に声をかけられた。いかにも彼は、ここでしたたかに生きている風で、僕はふとこの出会いは好機かと思ったのだ。彼についていけば面倒が省けるかな、と。 ところが。 彼はたしかにこの町をよく知っていて、しかもあちこちに顔が利いて、ここの便利を知り尽くしているのだが、いかんせん彼の行動は落ち着きがない。本人は僕を世話しているつもりでも、僕はちっともそのありがたみを感じる暇がない。場所も人の顔も一致しないまま、僕は日々振り回されているだけ。ちょっと待ってください、と言ってるうちに次から次へと連れ回され、近頃はもうわけがわからなくなってきた。じつは僕は彼に、いいこと利用されているんじゃないかという気がしている。 彼についていくのが筋なのは、僕にもわかる。それに、あとになってみれば僕は彼に感謝するようになるかもしれない。彼はこの町においても、人生においても、僕の先輩だ。そしてなにより、いま僕がこの町で暮らしていけるのは彼のおかげだ。けれど、彼と一緒にいると僕は自分を見失いそうになる。 このまま彼に引きずられて行くのがいいのか、この町でぶらぶらとさ迷っているのがいいのか。この問いが繰り返されるたび、僕はこの町を捨てて次の場所へ流れていきたい衝動に駆られる。「少し、休んでもいいですか」「も少し辛抱しろ」 歳を越せば楽になるから。彼は言う。 僕はいま楽になりたいんだ。仕事なんかいつだってできるし、何処にでもある。 なぜ、越年に右往左往しなくちゃならないのか。 いったいなぜ、彼はいつも走っているのだろうか。