「ねぇ、寂しいの?」 そう言われたのは、人生の中でそれが最初で最後だった。 名前も知らないそいつに、会った瞬間に言われた言葉。 色素が薄いのか薄茶色をした髪、白い肌、茶色の瞳。 少し垂れた目が印象的で、笑った姿はとても儚かった。 第一印象は、"弱そうな奴"。 けど、あたしにそんなこと言ったのはそいつが初めてで。 「…何で、そう思うの。」 気付けばそう返していた。 あたしの言葉を聞くときょとんとして、でもまたすぐにあの儚げな笑みを浮かべて。 「俺がそう、思うから。」 そう返したそいつに思ったのは"あ、こいつ馬鹿だ"だった。 でも、そいつが言っていることは確かに正しくて。 寂しくて、悲しくて、消えてしまいたいと思うほどに私はそのとき参っていたのだ。 「何、それ。」 「だって、そう思ったんだよ。」 昔から抱えていた寂しさと悲しさ、それに入り混じる憎しみ。 けど、そいつと話していたらそんなこともうどうでもよくて。 私もそいつも、相手を見たときにふと思ったのは、たった一つ。 ――…"あぁ、この人だ"、それだけ。 「あんただって寂しそうだよ。」 「…そうかな。」 そう言うと少し、困ったような笑みを浮かべてみせる。 それが最初の出会いで、最初の会話。 「久し振り。」 「あぁ、久し振りだね。」 それからいつもそこで会うようになって。 何となく、本当に何となくだけど、毎日毎日そこに通って。 同じ時間、同じ場所、そこで交わす他愛もない話。 けどそれが生き甲斐だと言える程に大事になっていた日。 「…何で、来ないの。」 あいつは、その日は来なかった。 次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、あいつは来なかった。 あいつが来なくなって三日経って、五日経って、一週間が経って。 そうしてあいつが来なくなって一ヶ月経った日。 そこで初めて、あいつじゃない子に出会った。 「ねぇ、あんたここに毎日来てた人だよね。」 「だったら、何?」 「…これ、預かってきた。」 あいつをそのまんま小さくしたような男の子。 その子に渡された桜色の便箋に入っていたのは、一枚の紙。 そこに書かれていたのは、"楽しかったよ、ありがとう"の一言。 それだけで全てを理解した。 あいつがもう居ない事も、あいつにもう会えない事も、全部。 「何が、"ありがとう"よ…っ!」 涙が溢れて止まらなかった。 「桜っ…、私はっ、あんたが …。」 小さく呟いたその言葉。 私の後ろの大きな桜の木から、"俺も"と言うあいつの声が聞こえた気がした。
一通の手紙が届いた。差出人の名前は、近藤恵。俺の昔の彼女だ。彼女とは、10年前くらいに別れたきり、一度も連絡を取っていなかった。それが、何故今頃になって、手紙なんかよこしたのだろう。 薄紅色の封筒を開けると、ほのかに花の香りが広がる。とても懐かしい匂い。彼女がいつもつけていた香水の匂いだ。途端に、あの頃の日々が、俺の脳裏に蘇る。 彼女と知り合ったのは、大学一年生の春。友人の友人という、ありきたりな出会いから、一気に恋愛へと発展した。彼女の方はと言えば、俺に全く興味がなかったらしく、一方的な恋心に迷惑をしていたのだと、後々聞かされた。がさつで、適当な性格が、どうも好きになれなかったらしい。 そうだ。別れの原因も、それだった。俺は、恋人同士の行事というのが、どうも好きになれなくて、バレンタインやクリスマス、彼女の誕生日の時でさえ、特別に祝おうとはしなかった。彼女にしてみれば、失望は大きかっただろう。そんなある年、気まぐれか、俺は、クリスマスを一緒に祝おうと自ら申し出た。あの時の彼女の笑顔は、まだ覚えている。 だが、俺は、約束を忘れた。呑気にパチンコをしていて、彼女の事は、頭の片隅にもなかった。携帯を見ると、彼女からの着信が20件ほど入っていて、最後に、1件届いたメールには、ただ一言「さよなら」とだけ、記されていた。俺と彼女の3年間は、ここで終止符を打った。 それきり10年の年月が流れ、今こうして手紙が届いた。愛しさが込み上げる。俺は震える手で手紙を開いた。 『午後6時、あのクリスマス・ツリーの下で、待っています』 あのクリスマス・ツリー。あの日の待ち合わせ場所だ。彼女がひたすら待って、俺が現れなかった場所。彼女は、あんな俺を、今でも想い続けてくれるのか。今度こそは、忘れるものか。俺は、家を飛び出し、指輪を買いに行った。 午後5時半。待ち合わせ場所に到着すると、彼女はもう来ていた。華奢な後ろ姿は、今でも変わっていない。俺は、彼女の名を呼ぼうとした。 「……」 待てよ。名前を忘れてしまった! 何だったっけ。藤はついたな。遠藤? 近藤? 下の名前は……。 「あ……」 俺が頭をフル回転している時に、彼女が振り返って、俺を見た。彼女は、あの時に見せた泣きそうな笑顔で言った。 「信二……」 「あ、いや。俺、健二だけど」 「え?」 結局、俺も彼女もこの程度か。過去は過去のままでこそ、美しい。
大学を卒業して市役所に就職した、ぼくが最初に配属されたのは、「市民サービス向上課」という変な名の部署だった。 ぼくは、早速、実地研修で新人教育係の中年髭面男と一緒に町中へと出かけた。 「この課は三年前に出来たばかりで、周囲には、あまり知られていない」中年髭面男は、えらそうに言った。「だが、市民生活にとって、市役所の他の部署より大切な役割を担っているんだ。この先、オレがやることをしっかり見ておくんだぞ」 中年髭面男に連れて行かれたのは、町の中央公園だった。公園の奥の広葉樹の林には、薄汚い身なりをした大勢のホームレスが昼日中からたむろをしていた。 「ここの公園の整備は、市民の税金でまかなわれている」中年髭面男は、背広の内ポケットから拳銃を取り出した。「しかるに、連中は税金も払わずにここを不法占拠し続けている」 銃口をホームレスの群れに向けると、引き金を引いた。乾いた摩擦音が響いて、初老のホームレスが頭部から流血して、芝生に仰向けに倒れた。他のホームレスたちは、おどろいて悲鳴を上げながら、林の向こう側に逃げ去った。 「これは殺人だ」ぼくは、眼前で起きた光景に腰を抜かした。「こんなこと許されるはずがない」 「安心しろ。市民の大事な共有財産を無税納者の集団不法占拠から守ったんだ。公園も美しい景観を取り戻した」 しばらくして、市の清掃局の制服を着た男たちがぞろぞろとやって来て、ホームレスの死体をどこかへ運んで行った。 その後は、何事もなかったかのように公園の中を子連れの母親や学校帰りの子供たちが行き交っていった。 「これで当分の間は大丈夫」中年髭面男は、ぼくに銃を手渡しながら言った。「だが、連中は、そのうち又、ここにに戻ってくる。いや、この公園だけじゃない。町中のありとあらゆる公共施設にウジ虫のようにたかってくる。それを防ぐために、お前もこれからは、射撃の訓練に励んだ」 「彼らのような社会的弱者は守るのが、本来の市の仕事でしょう」 「綺麗事を言うじゃないか。市の懐も昔と違って火の車なんだよ。だから、市も納税者だけに奉仕すればいい。あとはゴミだ、ゴミは掃除すればいい。町の連中も皆、心の中ではそう思っているのさ」 「どうして、あんたにそんなことが判るんだ。勝手な思いこみじゃないか」 「わかるんだよ」中年髭面男は髭の隙間から黄色い歯を見せて、ニヤリと笑った。「おれも、この仕事に就く前はホームレスだったからな」
※作者付記:殺伐とした今の世相を、1000文字で表現したいと思いました。最後の台詞が、まず最初に思い付きました。
ロンドンは霧の街と言われる。一日のほとんどを街は霧に包まれ、灰色の空と灰色の石畳が、外から来て初めて街に住む者を憂鬱とさせる。 ロンドン市オールトン署の警部、シェーン・エドガーにとって、このロンドンの街は、別な感慨が彼を憂鬱にする。 この日彼はオールトン署の給湯室で今日初めての紅茶を飲んでいた。 「警部、やっぱりここにいましたか」背後から、新人刑事のロス・パーキンスが話し掛けた。 するとエドガーは、「何だ?」と、俺はティータイム中だと言わんばかりの顔で言った。 「今朝、アークライト記念公園で死体が発見されました」パーキンスの報告にも別段驚かず不愉快そうに「殺しか?」と聞き返した。 パーキンスは多少興奮しながら「はい、被害者は女で、遺体がバラバラの状態で発見されました」 エドガーはすぐに緊張して、「バラバラ? 何でそれを早く言わん!」と言うと、持っていたカップを流しに投げ置き、署を出て現場に向かった。 エドガーとパーキンスが公園に着くと、既に公園の入口にはマスコミと野次馬の集団ができ、その規制に制服姿の警官が追われていた。 「全くマスコミってのは何処から嗅ぎ付けてくるんだか」パーキンスが呆れ顔で呟いていると、エドガーはすでに集団の中に入っていた。慌ててパーキンスは後ろから付いて集団を掻き分けていく。規制の境界線まで来た時、顔見知りの警官が気付き、エドガー達を現場まで案内した。 遺体発見現場は公園の歩道から外れ、常緑樹が周りに林立しており、なかなか人目には付きにくい場所にあった。 「今朝方、散歩中の男性が遺体の一部を発見し、その通報を受けて駆け付けた警官がここで遺体を見つけました」案内した警官の説明にも、遺体の凄まじい惨状から二人の刑事は返す言葉を失くしていた。 遺体の首はあるべき場所には無く腹の上に、右足は付け根から切断されて遺体から二、三歩離れた所に無造作にあった。両腕のうち、右腕はあることにはあるが肘から有り得ない方向に折れ曲がっている。左腕は手首から先が無い。口元を手で押さえパーキンスが木陰に向かった。 エドガーはこれまでにはないほどの不気味な、得体の知れない悪意を感じていた。(これはとんでもないことになるぞ!) ふと見上げたエドガーの目は遺体のそばにある木にくぎづけになった。木の幹には文字が刻み付けられていたのだ。 『千文字ではここまでだろう』
別に無口な人という訳ではない。 ただ、わたしと、菱川君との間で、会話に育つような話題がない、ということに尽きるのだ。 駅前の、バスターミナルの近くにある、花壇の縁ともベンチとも付かない場所に、わたしと菱川君は腰掛け、コーンに入ったアイスを食べる。 端から見れば、休日のデートを楽しむ学生、てなところだろうか。いや、雰囲気で察するだろうか。 わたしと菱川君――ええと、下の名前忘れた――は、同じクラスだ。 現在進行形で同じクラス。 なんだけど。 菱川君は入学式で会った翌日から「病欠」、二ヶ月後の今に至る。 っと、そんな事考えてたら、アイスとけて来た。 あー、んまい。 数量限定品のプレミアム生乳バニラは、圧倒的に濃厚な牛乳の風味がガツンと来る。「コクがあるのにさっぱりしてる」などという、たわけた表現の余地が全くないパワフルさ。故に、こいつは一気食い出来ず、食べ終えるとかなり確かな満足がある。ついでに言うと、店員さんが例外なくデブになっていく。 お小遣いと、ウエストに余裕がある時にだけ食べる、わたしの密かな楽しみだったが、同じ趣味を菱川君が持っているとは想定外だった。 ……念のため、菱川君も太ってはいない。 これがタイヤキか何かだったら、バッグにでもしまってさっさとこの場を離れる事が出来たけれど、アイスはそうはいかない。かと言って、食べ物を曝して歩き回るのは、おでんを持ち歩くあの子供みたいで、嫁入り前の娘のやるこっちゃない。 菱川君は、微妙においしそうにアイスを食べている。 話を振ろうにも、アイスと天気の話は、遭遇した直後にしてしまった。弾切れで戦場に取り残されたようなものだ。 アイスが半分ぐらい減ったので、コーンをひとかじり。 しっかし、喋らないな。 わたしも喋ってないけど。 沈黙。 沈黙が……重くはないな。 菱川君、あんまり気にしてない風だし。 入学式で最初に話した時も、そんなだった気がする。飄々? マイペース? なんか、そんな表現が合うような。 ……まあ、いっか。 必要最低限、好きなように喋れば良いよね。 沈黙の中、菱川君もわたしも、アイスをすっかり食べ切った。 手に付いたコーンのカスを軽く払って、ゆっくり立ち上がると。 「じゃ、また」 するりと言葉が出た。 「うん、また」 菱川君は、微笑む。 そして、互いに別方向に歩み去る。 って。 あれ? 『また』って、何さ。 あれ?
6畳一間の狭い部屋 入り口から見渡せる程度のスペースの中 その部屋には二人の男が居た 片方は帯元に持ち主の名と思しき文字が刺繍されている純白の胴着に身を包み黒い帯をビッチリと絞めていた もう片方は藍の胴着に黒袴を履いており、其の脇にはちょうど手に届くか届かないかの所に木刀が投げられていた 二人はお互いに背中を向き合い一心不乱に何かの作業に取り組んでいた 『カタカタカタカタ…』 常夏の午後部屋の中に響くのは二人の打つタイプ音だけ テレビのニュースでは真夏日を迎えたとも報じられる中ただ二人の居るこの部屋だけが異様であった 『み”ーんい”んい”ん…』 蝉が明瞭に声を響かせたかと思うと暑さに頭をやられたのか二人の居る部屋の窓に特攻をかました 瞬間 『パァンッ』 二人は部屋の中央で視線を交えていた 袴の男は何時取ったか木刀を振り下ろした格好で 胴着の男はそれを両の掌で挟み受ける格好で 「4度目か…」 どちらとも無く呟いていた すでにこの所作は3度行われ、全てにおいて4度目と同じ結末をたどっている 4度も捌き切った胴着の男もさることながら 袴の男も初太刀こそ掌中央で受けられていたもののここ4度にいたり、一度ごとにわずかながら手首に近づかせている 共に優劣付け難い使い手であった どちらにもそれ以上の隙を望めないことを悟り二人は元の体勢に戻った 彼等の攻防は室内に限ったものではない 屋内外を問わず、きっかけさえあれば何時何処であろうとそこが彼らの戦場となっていた さらにそれは単に肉体的な話のみに留まる物ですらなかった 『カタカタカタカタ…』 気味が悪いほどに不釣合いな格好をしながら彼等は現代機器に向かっている その出で立ちを除き、二人の指捌きだけを見ればそれは間違う事無く達人のものであった 残像が見えるほどの素早さで二人が打ちつける文字は二つの物語を産んでいた 数刻が流れ 外の日が暮れ室内は電灯の明かりに満たされていた 『ぢぢぢ…』 『カタカタ…』 『カタカタ…』 明滅する電灯のノイズに合わせて二人はピアノでデュエットでもしているかのようだった そして 電灯が一瞬消え幾度目かの打ち合わせが行われた時だった ズルッ 胴着の男の掌が汗で滑った すぐさま袴の太刀が閃き 胴着の男の首元に木刀が添えられた 「終わりだな…」 だが胴着の男は以前整然とした顔のまま言い放った 「その通りだ、少なくとも俺はな」 胴着の男のディスプレイには『 完 』の文字があった 一瞬の差が勝負を分けていた