第11回体感1000字小説バトル
 感想票〆切り7月末日

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 エントリ 作者 作品名 文字行数 得票なるか!? ★
 1 逢優(あゆ)  LOSER  719   
 2 圭屋  あも  0   
 3 順平  ストレンジ・リング  996   
 4 桐瀬  reincarnation  1073   
 5 木村明日子  夏の、  854   
 6 サユキアヤコ  蹴球心中  998   
 7 孔望璃  熱き勝負  1202   
 8 桜井ケイ  「爪」  975   
 9 草見沢 繁  おまえさんのヒーロー  1009   
 10  たおやめ端午  卯の花腐し(うのはなくたし)  0 
 11 あえか  姫君  1000   
 12 ヒカル  繰り返す思考  947   
 13 きりん  道程  453   
 14   牛を飼う男  1週間  1157   
 15 休日の空がみたい  灰色の空  0   
 16 Crescent Moon  「ゆうひ」  666   
 17 右居てん  飛行機  1037   
 18 志崎洋  白い雪は白い鳥の羽根  987   
 19 小川成夫  烏になった少年  1000   
 20 椎野ヒロ  桜見  0   
 21 野郎海松  ミラーリング・ハーテッド  1000   
 22 竹空  まるちゃんへ  662   
 23 長谷川貴也  ゴキブリと私  933   
 24 如月ワダイ  詩的物語  1000   
 25 町里遊穂  道化師の鼻歌  1275   

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Entry1
LOSER
逢優(あゆ)



「じゃあ、またね。」

涙声の君は、精一杯の笑顔を作ってドアを閉めた。
古いアパートの少し重い扉が、こんなにもゆっくり、そして冷たく閉まったのを見たことがない。
僕は、彼女が覗き穴から覗いても見えないように、その場に座り込んだ。
ドアの向こうとこちら、数十センチの壁が、まるで海から見る水平線の向こうの太陽のように遠くて近く思えた。

 君に涙を流させたのは僕。
僕を必要としてくれる君じゃなく、僕が必要としている誰かを選んだから。
身勝手で、どうしようもない僕の心の持ち主は僕だから。
だから、僕のせい。
僕は言い訳をしなかった。かっこ良く見せるためだと思われてもいい。
いや、実際そうなのだ。
そして最後に、「君が僕を必要としなくなるまで、そばにはいれるよ。友達として。」
なんてことも言ってみた。
君の傷が少しでも癒えるのなら…埋められるなら…。
 君は僕を殴ることもなかった。僕の目を見ることもなかった。
ただ、一点を見つめるようにじっと静かに涙を流していた。
ドアが閉まる、その一瞬まで。

 気づいたんだ、今。
このドア越しに君を感じて、それが水平線の向こうの太陽のようだと思った時。
当たり前のようにそこにいた君が、僕の必要としていたものだと。
僕らの前に闇をもたらした誰かを照らしたのも、君だということを。

 どれくらい時間が経ったのだろう。
僕は近くで鳴り響いたクラクションに目を覚まされた。
その途端、ドアの向こうからバタバタと走ってくるような音が聞こえた。
無条件に僕は、その扉を思い切り開いた。
 目の前にいたのは、涙を流していた君。僕の愛する君。

それが、僕に見せたことのない笑顔で、真っ赤な口紅を引いた君でも…。
それが、僕を見ていない君であっても…。
僕は君を抱いた…。




Entry2
あも
圭屋



子宮がポコンと鳴った。
きっとママが死んだのだわ。

「生物の時間、片足を上げたわね」

そう言われた時、志於は少し笑った。
休み時間ベランダの壁にもたれかかって全身をスピーカーのように振るわせていると、こうやって構われることが多い。今日は浩美。
「ママはどう」
彼女は何もかもお見通し。
「小さな頃の志於ちゃんと違ってきたのでかえります」
なんて書かれた、母親の書き置きまでバッチリなのだ。

「すぐにかえってくるわ」
と志於は言うと、
「あなたのお母さん少女みたいだったわね」
と彼女は言う。
「ずっと空想の世界で生きていたから、年を取らなかったのよ」
ペイン。
「憧れ?」
シャイン。
「さあ」
ナイン。

「じゃああなたのお腹にいるのは誰」
志於は振り向いてこう答えた。



「ママ」

(発想文献「フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人」佐藤友哉/講談社)




Entry3
ストレンジ・リング
順平



午後一時・カフェ

奥の席に二人の男が座っている。一人はある企業の重役である山之内。もう一人は、殺し屋をしている矢萩。今二人は“仕事”の相談中だ。

「この毒薬はすぐには効かない。数分経ってからいきなり効く。忘れるな」

 矢萩は無言で頷くと、「スタミナ:ぢファイト!」というラベルが貼られた毒薬のビンを茶色のブリーフケースの中へ。山之内はすっかり安心し、そのまま伝票を持って外へ出た。


 入れ替わりに入ってきたのは薬剤師の柊。矢萩はドリンクバーへ足を運び、柊はカフェへ忘れた自分のケースを探している。そして見つけたブリーフケース。安堵のため息と共にケースを小脇に抱え、柊は足早に出て行った。


 その頃裏通りを歩く一人の少年。彼の名前は小早川。彼は今無性に人を殺したくなり、思いつく限りの凶器を入れた鞄を持ち徘徊している。


 ケースが消えていることに気づいた矢萩は仰天。ケースがどこにもない。周囲の人間に尋ねて回り、男が持っていったと聞いた矢萩は慌てて外に駆け出した。


 そうと知らない柊は自分の薬局へ戻り薬を出して棚に収めた。


 大通りに向かっていた小早川、いきなり後ろから呼び止められて振り返る。そこにいるのは見るからに怪しい男、彼の目にはうってつけのターゲット。手に持つ茶色のブリーフケースから、目にも留まらぬ素早さでボウガンを出すと男に向かって一発。矢は男の胸に命中し、男はそのまま死んでしまった。

 一方計画の成功を確信した山之内、薬局へ出向くと今日入荷されたばかりの「スタミナ:ぢファイト」を小瓶に分けてもらい、その場で一気飲み。そして彼は「柊薬局店」をあとにした。


 その頃矢萩殺害を済ませた小早川、急に自分の行為が恐ろしくなり、とにかく家に帰ろうと走り出した。ビルの陰から通りに飛び出し、そして車に撥ね飛ばされ、道路に激突した彼は即死した。


 いきなり飛び出してきた男を撥ねてしまった山之内、スリップを起こした車の中でいきなり激痛に襲われた。そしてそのままハンドルの上に倒れこみ、足はアクセルを踏み込んだまま。


 物音に気づいた柊は、店の奥から出て来たが、彼が見たのはこちらへ突進してくる一台の車。次の瞬間、車は店へカミカゼ特攻、エンジンオイルに引火して、店は粉々に吹き飛んだ。


 結局山之内、矢萩、小早川は身元不明人として共同墓地行き、柊の死体はその場で火葬となってしまった。


 人生、なにが起こるか分からない。




Entry4
reincarnation
桐瀬



 「君は誰なんだ? 何で知っているような事を言うんだ? だって知り合ったのは……今じゃないか」


 僕は友人に誘われて、今夜、コンサートへ来ていた。期待なんかしちゃいない。僕は元々そういうものが苦手だから。

 

 
 面白くない。
 そう思っていたのは始まる直前まで。
 思った。

 ―――僕は…知っている…

 少女だった。長い黒髪に漆黒の瞳。
 僕は見た事があるような気がする。
 どうせ思い違いに決まってる。
 そう思い込んでいた。
 

 コンサートと言っても、賑やかではない。

 彼女は詩人。
 それも、真っ直ぐなピュアな詩を歌う。
 だけど気になって仕方ないのは…

 彼女と目を合わせた時に見せた悲しい顔。



 その顔を気にしたままコンサートの会場を後にした。友達とはこの場で別れた。
 
 
 そして…

 ふと感じる予感。何かを感じた。

 ―――僕を呼んでいる…

 僕はさ迷い歩いた。
 足が勝手に向かう方向へ。

 


 着いたのは公園。
 薄明かりの灯っている。自動車は一台も通らない。物寂しそうな音を立てる噴水の前で…

 僕は彼女に会った。

 

 「はじめまして」
 「その表現は適切ではないわ」

 彼女は突っ撥ねるように言い返す。
 彼女とはコンサートで目が合っている。印象に残っていても可笑しくない。
 

 「忘れられない思いは素敵ね」
 「え…?」
 「私には忘れられないのよ…貴方の事が」
 「君は誰なんだ? 何で知っているような事を言うんだ? だって知り合ったのは…今じゃないか」
 「忘れてしまったの…? 貴方が私の手を引いて連れて行った公園も、私を抱き締めた事も…
 優一さん……」

 彼女は僕を見詰め、優しく微笑んだ。


 ―――如何して気が付かなかったんだろう…

 知るはずも無い僕の名前を囁いたと同時に全てが判った。






 君は大切な人だった。
 




 事故で亡くした僕の彼女…









 「忘れないで、私の事。私は貴方を見てる」






 僕は彼女の身体を抱き締めた。
 体温を感じなかった。
 

 君が好きだよ。
 もう忘れないから…
 
 ごめん。
 
 
 忘れちゃいけない事を忘れてしまった、僕を叱りに…



 「消えないで…」
 「私の事思い出してくれた…」

 彼女は見せてくれた。
 悲しい顔でなく…

 希望と幸せに囲まれた…笑顔。


 「大好きよ、貴方の事…忘れないから」
 


 彼女は消えた。公園に溶け込むように。







 彼女が消えた公園で独り笑った。
 記憶の曖昧さを呪いながら。

 
 だけど彼女を抱き締めた感覚は未だ覚えてる。

 






 君が好きだよ。


 誰よりも。
 

 こんな僕を好きでいてくれて、ありがとう。
 


 お墓参りに行こう。





 君の好きなスイートアリッサムの花を持って。




Entry5
夏の、
木村明日子



 そういえばわたしはまだ10代なんだ。
 と、おもった。
 いつも突然おもいだす。
 空は、夜の準備をはじめている。
 あぁ、でもそんなことはどうでもいい。今は目の前のことに集中しよう。と、汗ばんだ手の中の競馬新聞にふたたび目を落とす。そして、パドックの方へとゆっくり歩き出す。
 黒いポロシャツに、膝の破れたジーパン。ベージュのつばひろの帽子を目深にかぶっている。腰まである茶色の髪は、帽子の中だ。あの日以来、ここへ来るときはいつもこの格好で来ることにしていた。
 パドックの周りには、会社帰りのサラリーマンたちが増えていた。馬の美しい体も、それとは対照的な弱々しい彼らの姿も、ライトは等しく照らし出す。もちろんこのわたしも。
 ひどく疲れていた。もう、1万5千円負けていた。このまま続けても、勝てないことはわかっていた。今日はそういう日なのだ。わかっていても、買わずにはいられなかった。
 次を勝てば、明博に会えるかもしれない。
 無意味な賭けを、わたしは続ける。
 たった一度、ここで会い、関係をもっただけの男。
 会えたとしてなんになる?わたしのことなどもう忘れているだろう。1ヶ月という時間は、つまらない女のことを忘れるには十分な時間だ。
 それでも、人ごみの中に明博を探さずにはいられなかった。パドックの周りに、階段に、馬券を買う人の列のなかに。
 またきっとあそこで会えるよ、と笑って、彼は連絡先を聞きもせず教えてもくれなかった。わたしも笑って、そうだね、と答えた。ここで電話番号を聞くことは野暮ったいような、ひどくこどものような、そんな気がしてできなかった。スーツを着る彼の後ろ姿を、裸のまま、ぼんやりとみつめていた。
 もうレースが始まる5分前になっていたが、買う馬は決まらなかった。
 1回やって、それっきり。よくある話じゃないか。
 赤ペンを握りしめたまま考え込む。
 もう彼を探すのはやめにしよう。
 やはり、的場を買うか。 
 今日で終わりだ。
 そうだ。
 そう。
 
 夏の夜だった。
 わたしはまだ、10代だった。




Entry6
蹴球心中
サユキアヤコ



「やっぱ死ぬの?」
「はい」
 僕は今この屋上から飛び降りて死のうと思っている。
なのに柵に手を掛けたとたん金髪の男が話しかけてきた。

「ふーん。 じゃあちょっとアンケート答えて」
「えっ、なんでですか」
ビックリした。死ぬ寸前の人間にアンケート?

「好きなものはなんだった?」

 僕の好きなものは、サッカーだけ。
サッカーのためだけに人生を費やしてきた。
ボールを蹴って走るだけで自分がヒーローになったような気がした。
練習は誰よりも多くこなした。
走った、蹴った。
だんだん強くなった。
テレビを通してみていたスタジアムでプレーするようになった。
この国の代表として他の国の選手とぶつかり合った。
風になった、ヒーローになれた気がした。
 
怪我をした。
でもすぐに治してまた試合に出た。
治った傷はまるで別の生き物のように少しずつ僕を追い詰めた。
その生き物の鳴き声は、もう一匹の生き物を起こしてしまった。

「サッカーです」
「へー。じゃ次は」
男は自分から質問をしたくせにつまらなそうに答えた。

「なんで死ぬの?」
僕はもう柵の反対側に立っていた。
これに答えたらさっさと逝きたいと思った。


 思い出す。
目を覚ました生き物は、僕の中心を抉り取ってしまった。
薬臭さと花の香りが漂う病室であの日。
辛そうな顔で下を向く医者たち。成功すると思っていた手術。
残ったのは、まったく動かない左足と自由の利かない右足。
「もう終わりだ」
言われなくても分かる、いくら僕がサッカーしか能の無いバカでも。

其処からはずっと周りが漆黒一色、絶望の底。
今日久しぶりに見た空は青く夏になっていた。

「まだ全部分からないんです」
僕は半泣きになって答えた。
海に近いここでは潮風が目に染みる。
いやそれは言い訳かもしれないが。

「ふーん。でもお前まだ死なないよ」

「なんで分かるんですか?」

 男は暑苦しい黒のロングコートを脱ぎ捨てて言った。

 「サッカーボール、置いてきてるだろ?」

 走馬灯というのか今までの思い出が男の一言で頭のすべてに映し出された。
 「あとユニフォームとかさ、必要だろ?」
 涙が出た。
こぼれた涙は熱くなった屋上の床に落ち、うっすら丸い跡を残して消えていった。
 「死ねない。僕には無理です」
少し勇気が要った。男は不機嫌そうに紺色の目を細めた。
 
「最後に一つ教えてやるよ」

男は、にやりと笑みを作った。
「俺は死神だったんだぜ」

僕はその死神に言った。

「今度死ぬ時は宜しく」




Entry7
熱き勝負

孔望璃



 私は負けず嫌いだ。何に対しても、どんな時でも人に負けたくはない。たとえそれが、『サウナ』の中でもだ・・。
 私は銭湯にいた。体を洗い、湯船に浸かり・・。そろそろサウナに入ろうとした時だ。私とほぼ同時に、サウナに入った人がいた。若い青年。腕にはタトゥーが入れられ、髪は金髪。全く、今時の若者は・・。私は嫌悪感にかられると同時に、ふとこんな事を思いついた。
「そうだ。なんとしても、この青年より後にサウナを出てやろう!」
そう心に言い付けながら、私は青年と一緒にサウナの扉を開けた・・。

 青年と私は、3メートル程離れた所で腰をおろした。私は青年の様子を見ながら、呼吸を整えた。じっとりとした熱さが体を包み込んでいく。しかし、すぐに出るわけにはいかない。一方的とはいえ、これは勝負なのだから。
 両者がサウナに入り、5分が経過した。ずっと青年を見ているが、変化は無い。私も汗だくにはなっているが、まだまだ余裕であった。元来サウナ好きである私にとって、5分で出る奴の気が知れない。そんな短い時間では、サウナの何が分かるというのだろうか・・。
 10分が経過した。ここらへんからが、本当の勝負である。私の体も青年の体も、次々に汗が滴り落ちてきている。私は一度、タオルで顔を拭った。青年も、手で顔を拭う。だが、まだ限界というには程遠い。私は青年を睨み付けるように見つめ、心頭を滅却した・・。
 サウナに入ってから、15分が経過した。15分も経てば、さすがに辛くなってくる。体は火照り、汗はとどまるところを知らない。少し苦痛にゆがめた顔で、私は青年を見た。が、青年は相も変わらず汗を手で拭っている。私の呼吸は荒くなってきているのに、青年は平然とした顔で座り続けている。どうやら、青年の限界はまだ遠いようだ。私は、祈るような気持ちで青年を見つめた・・。
 ついに、20分が経過した。私の頭の中は、ボォーっとしていた。目を開けるのも辛く、心臓の鼓動は高鳴りを増すばかり。それでも出ないのは、青年が出ないからだ。私の考えている事は、もはや青年をどうやって出すか、に尽きていた。見つめる先には、憎らしいほどマイペースな青年がいる。もう1〜2分が限界。そう思った時に、青年が立ち上がった。
「で、出るのか!?」
私は歓喜に満ちた表情で、青年の行く末を見つめた。青年は、しっかりとした足取りで出口へと向かっていく。
「やった!勝ったぞ!!」
そう思い、私はタオルで汗を拭った。拭いながら1人、喜びをかみ締めていた。そして出口へ向かおうとした時、青年がまだサウナを出ていないのに気付いた。私がどうしたんだ、と思っていると、その謎は氷解した。
「おせ〜よ!かなり待ったぜ!」
「わりぃわりぃ!」
どうやら、青年の友人が来たらしかった。そして青年は、また同じ席に戻った・・。
 そして、私は静かにサウナを出た。熱された体とは裏腹に、心は冷やされ続けていた・・。




Entry8
「爪」
桜井ケイ



 爪を切る音だけが部屋に響いていた。
 沈黙はまるで濃い霧のように漂い、静かに足下に降り積もってきていた。ラジオでもつけようかと、さっきから何度も手を伸ばしかけるが、その度に空調か低い唸りをあげて動きだし、生温い空気をかき回す。
 生え際のあたりに小さな汗の粒を浮かべながら、彼女は下を向いたままの体勢で爪を切っている。厚く塗られたマニキュアのせいか、刃は爪に食い込む時に、ぱちん、ぱちん、という鋭利な音を立てようとはせず、ぶつん、ぶつん、と湿った音を響かせていた。灰皿の中にいくつかの切り損じと、長いまま折れたメンソール。薄い膜が乱暴に剥がされたような、赤いマニキュアの爪。
 その爪が好きだったことに、今更ながら気付く。
 駅のホームで何気なくずらした視線の先に。
 雑踏の中、手のひらに食い込む心地よい痛みと。
 あるいは助手席に揃えられた膝の上に。
 目の前にそっと伸びてくる彼女の指先。
 いつも私は、彼女の爪を見ていた。
 花弁がひとひらこぼれるような、赤い雫がぽたりぽたりと落ちていくような、残された猶予はわずか。
 なのに未だに、うまく飲み込めずにいる私と、淡々と爪を切る女。
 頭の中に浮かび上がるいくつかの思い出の一つでも、彼女にぶつければこの時間は止まるだろうか。
 私が口を開きかけ、翳りをみせて夕闇に変わりつつあった午後の日差しが最後に彼女のうなじを浮かび上がらせた時、彼女は顔をあげた。
 何言か言葉を交わした。しかしそれらは記憶に留まることもなく、沈黙に飲み込まれる。
 最後にドアのところまで彼女を見送りにいった時、不意に彼女の唇が耳元に近づいてきた。けれど、その唇は何か言葉を形作るわけでもなく、私の顔のどこかに小さな圧力と共に押しつけられるわけでもなく、再び彼女はドアの向こうに切り取られた影となった。
 その影がすぅ、と消え、中途半端に開かれたドアのノブにとっさに手を出した私は、彼女の残り香と、曖昧な明暗の残るドアの外の景色に眩暈した。
 ドアは半分だけ開かれ、夕刻の曖昧さが染み込んでくる。その曖昧さがまだ届かない暗がりに、私は佇んでいる。ドアを飛び出し、曲がり角にある彼女の背中を追いかける一瞬の映像……
 私はドアを閉める。
 暗い部屋の中。沈黙も、曖昧さも、姿を消した。私は膝を抱え、すぐそこまで迫ってきているはずの空虚に、身を硬くした。




Entry9
おまえさんのヒーロー  
草見沢 繁



 甘い思いで脳ミソ蜂蜜味ジャンプ。
 空に跳ぶ。
 跳躍のコツは掴んだ。ヒザをきっかり百度に曲げて呪文。 
 「おまえさんおまえさん待ってなスグ助けに行くよ」
 で思い切り両足で地を蹴る、と。
 屋根とか電信柱を一気に越えて、電車が走ってるというよりか滑ってる、みたいに見える高さに。耳元で風がひゅるひゅる唸る。振動する空気が地上にわだかまっているのが、滑稽なほどよく見える。ばたばたと服が鳴る。
 おまえさんは今日も俺を呼ぶ。
 おまえさんは大事な人だ。呼ばれたらすぐに駆けつけなきゃいけない。例え食事中でも。
 ラーメンのスープ飲み干すのを諦め、俺は呪文を唱えて、今日も跳ぶ。
 おまえさんおまえさん、待ってな。
 浮遊感、落下、キモが冷える感覚、未だ慣れずに柔らかく着地、同時にスニーカーでばきんと砕けるアスファルト。軽く屈伸をして、おまえさんのアパートまで五十メートル。
 外階段から二○六号室へ、呼び鈴を押す。と同時に、おまえさん。
 すっぴん髪ひっつめ、三本ラインジャージでタイソウ部屋着のおまえさん、俺を確認するなり素早くチェ−ン外して部屋に引っ張り込む。
 また出たのよーなんとかしてよう、とおまえさん。ビールの空き缶化粧水の空瓶、生ゴミの詰まったゴミ袋が激しく散乱するキッチン、の奥。六畳間を指差す。その指は白くて、とても甘そうだ。
 六畳間に入る。夏なのに、おまえさんは寒がり、コタツは出しっぱなし。空きっぱなしのペディキュアの瓶から息の詰まるような尖ったニオイ。ああ、おまえさんのニオイだ。
 そこよそこ、ほらそこっああ、動いた!
 おまえさんが俺の背中で叫ぶ。白く甘い指の指すコタツの上食べかけカップ麺の横に、黒くテラテラと羽根を光らせて、六本脚のゴキブリが一匹。
 お前かおまえさんを困らせるのはこいつめシンミョウにしろぃ!
 ぐわっと間合いを詰めて、机上の敵に平手打ち。ばっしん、と吹っ飛んで壁に当たる。が、当たった勢いを利用して壁を蹴った敵、猛スピードでこちらに向かってくる。
 弾丸スピード甲虫をの動きを見切り、がしっと、敵を手の中に収める! キャッチ!
 キモっ! 早く捨ててッ! とおまえさんが叫ぶ。俺はヒザを百度に曲げて呪文。
 アパートの屋根を背中で突き破って空へジャンプ。
 手の中の敵を上空で解放。
 もう、おまえさんを困らすのはやめろよ。
 で、おまえさんにゴホウビをもらいに、俺はそのままおまえさんアパートに自由落下。




Entry10
卯の花腐し(うのはなくたし)
たおやめ端午



 卯の花が腐ってしまいそうな梅雨の時期は、僕の生活に憂色を落とす。
規則正しい雨音は、あの少年の足音を暗示する。
今も軒樋を伝って滴り落ちる雫の唄があの無邪気な駆け足と呼応する。
ぽとりぽとり。
ぽとぽとぽと。
ととと、とっとっと。
きゅっ、とっ。きゅっ、とっ。
鮮やかな水色の長靴で長い廊下をこすらせて、僕の眠る教室にやってくる。
そのリズムは曇空に吸い込まれて。
 僕の横たわる机の傍で音は止んだ。雨の匂いが鼻をつく。
「ここに住んでるの?」
小学生の声。
「…また来たのか」
「ねぇここに住んでるの?」
「煩いな、こんな処で生活してるわけないだろ」

 卒業とともに廃校となって二年が過ぎたこの校舎は歴史が深く、住民の反対により取り壊しを順延されていた。しかしそれもこの梅雨明けには無効となる。

 僕は独りで儀式を続けていた。

 少年は昔のように絵を描き始めた。水色、黄緑、橙、ピンク…淡色ばかりの衣類を身に着けていた小学生は、絵画も同様だった。
僕はそれが嫌いだった。同学年の中、一人ふじ色のランドセルを背負い、にこにこしている、その生態に苛立った。
だから彼の色鉛筆を隠したのも、子供なりの精一杯の反抗だった。
 小学四年生の六月にその子は消えた。誘拐の可能性を残して未だ行方不明、ということになっている。

机を並べ、横たわり。
手を組み、胸の上に。
意識を閉ざし魂を彼方へ飛ばす。
淡色の少年を呼び戻す儀式。
何かのアニメの真似事を、半信半疑で試みた幾人かの小学生は
命を落とした。魂を、本当に飛ばしてしまった。
興味本位で参加していた僕だけが生き残り。

 「…みんなお前を探してた」
あの時の姿のまま、少年は無心に絵を描いている。僕の隠した色鉛筆で。
「何で僕だけ生かせておくんだ」
あれから僕は梅雨が来る度に、放課後の教室で儀式を繰り返した。
幻覚みたいに、でも本気の僕の呼び掛けに、遂に彼は姿を現した。
それでも僕は眠る。
僕が待っているのは、同い年の彼なのに。

 やがて少年は一枚の絵を差し出した。
水色の校舎の絵。昔の、まだこの学校が生きていた頃の。
僕達の校舎。
「ねぇ、ここ、ここに住んでるんでしょ」
言葉の出ない僕にその絵を押し付ける。
「忘れないでね」
やっぱり少年はにこにこ笑って教室を去って行った。
水色の長靴が奏でる雨音が遠ざかる。
僕は再び眠りに落ちた。
この魂は、あの笑顔に追いつけないまま。
まだ僕は生きている。

 校舎取り壊しの日が、近付いていた。




Entry11
姫君
あえか



桜木の間を走り抜けると、裸足の足裏を柔らかな絨毯が優しく包み込んでいました。
「待ってください姫様。転びますよ」
私の後ろを駆けて来る和臣は、私の小さな下駄を持っていました。
下駄は私が脱ぎ捨てたもので、彼は律儀にも其れを抱えていたのです。
「もう。何度も言っているでしょう? 私の事はちゃんと……」
「ちゃんと名前で呼んで……それはもう何度も聞きました。ほら、下駄をお履きになって」
しかし、私がいくら立ち止まり抗議の視線を向けても、彼は軽くあしらうように答えるばかりでした。
それどころか私の前に跪き、赤い鼻緒の下駄を差し出すのです。
「下駄を履いたら、桜が潰れてしまうわ」
「けれど、怪我でもされたら大変ではありませんか」
和臣の肩に手を置き、しょうがなく下駄を履きました。
「それに私は、桜と同じ色の鼻緒がいいの。赤は嫌よ」
本当は赤でも良かったのです。
だけどふくれて見せました。
和臣を、困らせたかったのです。
「それでは今度は、桜色の鼻緒の下駄を買って貰いましょうね」


桜が舞っていました。
立ち上がった和臣の声は風に紛れて、どこか遠くへ飛んでいってしまいました。
急に寂しくなり、和臣の服の裾を掴んでいました。

和臣が、好きでした。

何も言わず向けてくれる微笑みは、私だけのものでした。
その優しい手は、私だけのものでした。

拙い恋だと笑うでしょうが、少なくともこの気持ちだけは本物でした。

「姫様、もう戻りましょう。皇が心配なさいます」
いつもと変わらぬ笑みで、私の背中を軽く押しました。
「嫌! まだ帰らない!」
背中に当たる和臣の手を押しのけ、私は走り出しました。
風を受けた桜が、薄紅の雨を降らせていました。

下駄では桜が死んでしまいます。
この赤い鼻緒の下駄には、何の力もありません。

「姫様!」

和臣の声がしました。
後ろから、追いかけてきてくれたようなのです。
でもその手はもう、私の下駄を持ってはいません。

「夢路っ……」

私は振り向きました。

名前を呼んでくれたからです。

続けて和臣は何かを言ったようでしたが、私には届きませんでした。

一瞬の出来事でした。
私は死んでしまいました。
和臣が私を呼んだのは危険を知らせる為で、他の何物でもなかったのです。
おそらく皇族をよく思わない人達の仕業でしょう。

この薄紅の雨に私の穢れた血が混じる事が、酷く悔まれました。


だけど、名前を呼んでもらえて幸せでした。


拙い恋だと笑うでしょうが、それだけで幸せでした。




Entry12
繰り返す思考
ヒカル



「何が欲しいんだい?」
「全てが欲しい、僕の世界を満たす全てを。」
「そうか、君は誰も望んではいないんだね。」
明るい陽射しがカーテンから差し込む時間、目覚めた時、時計の針はすでに昼過ぎを指しているというのになんて怠惰な生活だろう。
そして、隣にはいかにもけだるそうな顔をした彼女が煙草をふかしながら僕に言った、
「わたしたち、終わりにしましょうか?」
「そうだね。」
 こんなにあっさりしていて良いのだろうか?こんなに俯瞰したような立場でいていいのだろうか?そこには僕がいたんだけれど、でもその存在を認識できずにいた。そして、それを快諾する僕がいるのもまた事実だ。
「あんた変わったわね。つまらない人間になったわ。」
いかにも眉間に皺を寄せて、怪訝な顔をしている。僕の何が変わったというのだろう、僕は僕だ。時間に付随して外見や身体が変化していくのは現象に過ぎないと言うのに……。
「そんな事はないさ、すれ違いが多くなっただけだよ。もしかしたら、お互いを大事に思えなくなってしまったのかな。」
 大学時代の同級生という、実に些細な出会いであった僕ら、この日まで二人の存在を軽んじたことなどなかったが、僕は彼女に合わせたような返答をすると、いかにもステレオタイプな人間だと自分自身感じてしまった。
「あんた、私の何が欲しかったの?」
「全てが欲しかった。君の全てが。君だけが僕の世界そのものなんだ。」
 なぜだろう、妙に脱力感を伴い、言葉を発していた。
 誰に対して?彼女に対して?それとも自分?
「あなたが欲しいのは自分だけなのね。」
 彼女はそう一言を残すと、灰皿の上で煙草の火を力強く消し、服を着て足早に僕のマンションから姿を消してしまった。
「いつだって、お互いの存在を生きる目的としていたい。僕自身が生きる目的そのものであると同時に、君自身も生きる目的そのもの。」
 僕は嘘をついた、大きな嘘をついた。変わった、確かに変わってしまった。男の感性や悟性なんて思考をやめたと同時に錆び付くのだろうか。僕自身に、確実に帰属するものしか見えなくなるのかな?反発するものは、何一つとして受け入れない?
 繰り返し、繰り返し、ただ考える。
「何が欲しいんだい?」
「全てが欲しい、僕を満たす全てが。」
「そうか、君は何も望んではいないんだね。」




Entry13
道程
きりん



 道端に倒れる僕。
 どんなに起き上がろうとしても力が入らない。羞恥心に体が焼けるように熱くなる。どうして? 急にこんなところで?
 やがて人が集まってくる。大勢の人々が僕を囲むように列を作る。しかし誰一人僕に手を差し伸べるものはいない。皆口元に薄ら笑いを浮かべては物珍しそうに僕を見下ろしている。手を伸ばして誰かに縋ろうとすると、今頃思い出したかのように鋭い痛みが体中を突き抜ける。
 助けて。
 言葉にならない叫びは泣いているようで、呻いているようで。
 人々は僕の声を聞くと一斉に大きな声で笑い、手を叩いて喜ぶ。
 今や体の痛みは消え去り、心の痛みが僕を蝕む。
 どうして誰も助けてくれない? 
 そろそろ見飽きたのか、人々は口々に何かを呟きながら一人また一人とこの場を去っていく。とうとう最後の一人が僕の前から去っていき、静寂が辺りを包む。
 いつの間にか、体から痛みは消えていた。街は夕闇に暮れ、視界も徐々に薄ぼやけていく。僕は一度だけ寝返りを打つと静かに目を閉じた。
 僕の体を不思議な充実感が包んでいた。




Entry14
1週間
牛を飼う男



 月曜日
 私はいつものように一人で朝を起き、テレビを見ながら朝食を取っていた。そしてスーツに着替えると、新聞を読みながらコーヒーを一杯飲んだ。
 8時になると家を出ていき、徒歩10分で会社に着いた。
 朝礼が終わり、業務に打ち込み、5時30分に退社した。
 家に帰ると、好きな本を楽しみ、10時には床についた。

 火曜日
 私はいつものように一人で朝を起き、テレビを見ながら朝食を取った。朝食が終わると、ビデオのリモコンをとり、好きなドラマを予約録画しておくことにした。
 会社に着くと、ある女の人に出会った。
 どうやら新人の子らしい。
 目は大きく、笑顔がかわいらしい。
 私は一瞬にして恋に落ちた。
 その後5時30分まで彼女のことを考えていた。彼女が退社した後、追いかけるように退社し、家に帰った。
 家に帰ると録画しておいたドラマを見た。主人公とヒロインが抱き合うシーンがあった。
 私は今日会った彼女を考えながら眠りについた。

 水曜日
 私はいつもより早く起床した。朝シャンをし、髪型を整え、服を新調した。新聞を一見すると、すぐに家を出た。
 会社の前で待っていると、7時50分頃に彼女が通勤して来た。
 私は高鳴る胸を押さえながら彼女の前へと出た。
 彼女は笑顔で私を見ると、元気よく挨拶した。私は挨拶のかわりに彼女に告白した。
 彼女は少し考える素振りを見せると、一言頷いた。
 その後、会社の業務は最高の出来だった。上司にも誉められた。
 5時30分になると私と彼女は夜の町に出ていき、お互いの将来や夢を語り合った。そして、ホテルへと向かった。

 木曜日
 私は会社に初めて遅刻した。上司にも注意された。
 仕事をはじめても気分が乗らず、ミスが多くなった。
 同僚からはどうしたのかと聞かれ、女性からは揶揄が飛んだ。
 上司から飲みに誘われても断った。一人で町に繰り出し居酒屋で飲んだ。
 そして家に帰り、妻をぶった。

 金曜日
 私は会社を休んだ。
 妻が急病で倒れたからだ。
 妻のために私は医者を呼び、適切な処置をしてもらった。
 医者から薬を貰い。お礼を言い。お金を渡した。
 その薬を私は妻に飲ませた。妻は抵抗する気力もなくぐったりしていた。

 土曜日
 妻が病気で亡くなった。
 多くの同僚や友達、妻の親が葬式に来ていた。
 私も妻の死を嘆き、悲しんだ。
 坊さんがお経をあげる間も私は泣いていた。
 誰もが私に同情した。

 日曜日
 私はいつものように一人で朝を起き、テレビを見ながら朝食を取っていた。そして私服に着替えると、新聞を読みながらコーヒーを一杯飲んだ。
 10時になると家を出ていき、徒歩40分で本屋に着いた。
 好きな本を買うと、昼食をレストランで取り、家に帰った。
 家に着くと、早速本を読み、10時に床についた。

「さあ、明日もいつものように仕事だ」




Entry15
灰色の空
休日の空がみたい



そう..今日は、日曜日。
明日になれば、やっと学校がある。

やっと外に出れるんだ。

息が詰まりそうな家の中で
二日間も閉じ込められて
外出は、保護者同伴のみ許されている状態。

でも、こんな親達と行動を共にするなんて考えられない。
だから、ひとりでずっと閉じこもってる。

親に連れ出されるくらいなら・・・
空の見えない家の中でも
ひとりでいるほうがよっぽどましなんだ。

あたしは、イマ...原因不明の病気にかかっている。
でも、普通に学校行って、
ときどき体を走る痛みには耐えてはいるものの
みんなと同じように生活しているんだ。
でもね。この病気は、なんの利益も与えてくれないんだ。
同情してくれていた周りの目は
今や哀れみの目と変わり...。
わかってもらおうとすればするほど
空回りしてあとに残ったのは敵ばかりだった。

土日になれば、家の中からなかなか出れず
友達は部活へ行く中
あたしは、ひとり家の中でうずくまってる。

遠くへ逃げるために使う
あたしの交通手段は、自転車ぐらいだろう。
それに乗って、早くどこかに逃げたいんだ。
でも、その自転車に乗るまで
たくさんたくさん困難があって。
たくさんたくさん討論があって。
泣かされるうえに
結局認めてもらえず
部屋に追いやられてしまう。

そんな日曜日の晩...
家族が外出して行ったんだ・・・。
この家から抜け出すチャンスが生まれたんだ。

裏口から飛び出して
自転車で空の見えるところへ逃げていった。

空の下でアイツと会いたい。
アイツのことが気になって
どうしようもないくらい外に出たかった。

辿りついた公園。軽快な自転車。
時刻は、午後七時半。
外は暗くもなく、明るくもなく
空は、不思議な色してた。

アイツは、家にいるだろうか?
部活だろうか?

連絡も絶えたまま
きっと怒ってるんだろうけど。
どうしていいのかわからないままなんだけど。

それでも・・・

とりあえず、会えればいいのにな。
と思った・・・・。
だけど・・・
臆病なあたしは、どうすることも出来ず
手にとった携帯もポケットの中にしまってしまった。

――タイムリミット。
そろそろ帰らなきゃ。
家族が帰ってくるだろう。

空を見れたという快感と
外に出てきてしまったという罪悪感が
心の中で混ざってて変な気分だ。

家に帰れば、自転車がなくなってたってことで、
すでに、バレていたらしく...みっちり怒られた。
ウチの行動を監視している暇な人らが
この家の中に、こんなにもいたなんて知りもしなかった。

裏口も、玄関も。監視されてる。
外に出る道がない。
もう、逃げられないんだ。

バレて怒られたってことは、
そんなに気にしてないけれど。

アイツに会えなかったことと...
あと、きっと、この自転車も前みたいにされるのじゃないか?
ってそう思うと不安に襲われてぞっとしてしまう。

ありえないよ。そんなの。

ロープでグルグル巻きにして
ガムテープ貼って....
もう使えなくされちゃうんだ。

いつも...そうやって、大切なものを
たくさん奪われてきた。

あたしの足がなくなる。
もうどこにも行けない。
もう逃げられない。

この家は、きっと地獄なんだ。
きっと......なんかじゃなくて地獄なんだ。


だから、帰りたくないと泣いた。
煙草を吸って誤魔化した。
それでも、帰るところはここにしかなくて。
泣き叫んでもここしかなくて。
いや、帰られなかったら余計に
怒られてしまうから・・・・。

命かけてた部活。大好きだった部活。
「休部届けを出して来い。」
そう言われて、反抗したにも関わらず。
出さなきゃいけない状態に追い込まれて。
結局、出してしまったあの日から
あたしは、休日はずっと家の中にいるんだ。

平日だって、すぐに家に帰ったりしたくない。
だから、空白の時間の過ごし方に困っている。
「生徒会だから...」
とそう言って、ずっとその辺うろついてて
家には、日が暮れないと戻らないけど。
でも、そのうち...それもきかなくなるだろう。

この病気のせいで
親は、神経質になってるようだ。
それは、充分噛み締めてる。
でもね。束縛されるのは大嫌いなんだ。
ありえない。こんな世界。

いっそうのこと...
この窓から飛び降りてやる。

誰か下で受け止めてくれないだろうか?




Entry16
「ゆうひ」
Crescent Moon



高校2年。16歳の自分。
僕は放課後、友人たちとひとしきり街をうろついた後、一人で家へ向かっていた。
(ちょっと昔の道を通ってみようか)
中学時代の帰り道。
何もかもが懐かしい。
夕暮れ時のやわらかい色彩。眠ったように動かない空気のにおい。ぼんやりとしたビルの輪郭。

「・・・」彼女は押し黙っていた。
「友達として・・・ね」絶望的なセリフ。
もはや何も言うべき言葉が見つからず、ただ「ごめん」と言い放って駆けだした僕。


あの日も、こんな風にもの憂げな夕暮れ時だったっけ。
泣けてくるくらい、きれいな夕陽だったっけ。
僕はふと襲ってきた過去の思い出に身震いしながら、自転車をこぐ足を速めた。

そういや、夕陽なんか見たの、いつ以来だったっけな。

高校に入って以来1年半、僕は全速力で生きてきた。夕陽を見る余裕も、季節の変化を感じる余裕もなく。

でも今日の僕は、昔と全く同じように、美しい夕焼けに感動することができた。少しは世間ずれした今も、根っこの部分では、何も分からなかった昔と全然変わっていないのを感じた。

俺、ホントなにも変わってないなあ。

喜ばしくない事実のはずなのに、笑みがこぼれてしまうのはなぜなんだろう。束の間の、色あせた宝物みたいな過去を振り返る時間が、たまらなくいとおしい。

ふと目を上げると、太陽は最後の一瞬の輝きを、地平線の中に失いつつあった。
(今の自分はこんなふうに過去を思い出してばかりいることはできないんだな、明日からまた未来に向かって進んでいかなきゃいけないんだな・・・)
僕は、果てのない未来に押しつぶされそうになり、もう一度身震いをした。




Entry17
飛行機
右居てん



"汀さん、一月で辞めちゃったんですよ:タ
そう言われた瞬間、手の平にあった小銭が床に落ちた。
"えっ?:タ
私は驚きのあまり、お金が落ちたことに気付かなかった。
"お金、落ちましたよ:タ
店員が私の顔を不思議そうに見ながら言った。
"・・・えっ、あっはい:タ
やっとお金を落としたことに気付き、拾う体勢をとった。
焦点が定まっていなかったので、なかなか拾えなかったが、イラつきはしなかった。
"前から別の店に呼ばれてて、とうとう一月に辞めちゃったんですよね〜:タ
店員が残念そうに言う。

私は、焦点の定まらない目で会計をし、震える手で商品を受け取った。


"ありがとうございましたー:タ
何も言えなかった。
何も言いたくなかった。

一目ぼれ、だった。
汀さんとは、私が通っている店の店員さんで、もう二年くらいの付き合いになる。
通ううちに、話しているうちに、いつの間にか好きになっていた。
あまり感情を表に出さない人だが、見ているだけで、そばにいられるだけで幸せだった。

重い足取りでいつものファストフード店に入り、いつもと同じものを注文した。
何気なく店内を見回した。
もう四時を回ったせいか、人が少ない。

注文したものができるまで、席について待った。

"ハァ・・・:タ
ため息をつくと幸せが逃げると言うが、今だけはつかせてほしい。
いや、つきたい。
つけば、心が落ち着くような気がするから・・・。
そうしている間に、店員が注文したものを運んできた。
"お待たせいたしましたー。ごゆっくりどうぞー」
言いながら店員がテーブルの上に置いた。
私は、なぜかそれをじっと見つめた。
汀さんがいた頃、よくこれを食べていた。
その頃を思い出した。
汀さんのいる店に行き、心がはずんだまま、このファストフード店に入る。
このメニューを食べながら、一人笑う。
周りの人に、変な目で見られたこともあった。
でも、そんなことは気にしなかった。
その頃は、汀さんがすべてだったから・・・。

"・・・ハハッ・・・なーんか最近、見ないなーって思ってたんだよなー・・・:タ
独り言を言う。
いくら人が少ないとはいえ、きっとまた、周りから変な目で見られているに違いない。

でも、私は、目からこぼれ落ちるものを抑えることができなかった。


"ありがとうございましたー:タ
店から出て、地に足をつけた。
これから、意味のない生活に戻る。
意味のない・・・。

"ハァ・・・:タ
またため息をつく。
これで幸せが二つ逃げただろう。

どうしようもなく、空を見上げた。
真っ青な広い空に、小さく光る飛行機が、大きな音を立てて飛んでいた。




Entry18
白い雪は白い鳥の羽根
志崎洋



男は夢を見ていた。
それは、自分の子どもの頃の夢だった。

  窓の外には雪がやさしく降っている。
  突然、白い鳥がやってきてこう言った。
  「ママのところにつれていってあげよう。さあ、ぼくの背中にのってごらん」
  子どもはこっくりとうなずいた。
  「うん、つれていって。ママにあいたい……」
  子どもは白い鳥といっしょに飛び立っていった。

男は、そこでハッとして目が覚めた。
「ママか……」
その男はつぶやいた。
「ふん、しょせん女なんて……」
男は女と別れたばかりだった。
その腹いせに酒を飲み、いつしか酔いつぶれてしまっていたのだった。

男がその女と出会ったのは五年前。
冬の夜、冷たい雪の中に埋もれるように倒れていたところを彼女が助けてくれたのだった。
男は過去の記憶を全く失っていたが、彼女は手厚く介抱してくれた。
そして、いつしかそれはお互いの愛へと移り変わっていった。

「あの頃が、いちばん幸せだった……」
男は、またつぶやいた。

やがて、二人は結ばれ子どもが生まれた。
とてもかわいらしい男の子だった。
しかし、子どもができてから二人の仲はおかしくなっていった。
彼女は子どもを溺愛するようになり、男は彼女を罵倒するようになっていった。
いや、それは男の嫉妬だったのかもしれない。
嫉妬は憎しみへと変わり、もう取り返しがつかなかった。

「出ていくわ!もうあなたとは暮らしていけない!」
「ああ、出ていけ!」
「あの子も連れていくわ!」
「だめだ!あの子はわたしが育てるんだ。さっさと出ていけ!」
売り言葉に買い言葉だった。
女は泣きながら出ていった。
外には冷たい雪が降っていた。

「これで、いいんだ……これで」

しかし、男は別れてから言いようもない寂しさを感じた。
そして、本当に彼女を愛していることに気がついた。
男はぽつりとつぶやいた。
「あの女はひょっとして、俺がさがし求めていた…」
彼女はなぜか母親のような安らぎを男に感じさせてくれたのだった。
その時、上の部屋からガタンッという音が聞こえた。

「何だ!」
その部屋は子どもがいる部屋だった。
彼はいそいで二階にかけのぼった。

「まさか…!」

その部屋にもう子どもはいなかった。
ただ窓が開いていて、外から雪が入り込んでいた。
窓の外には、ふわふわと白い雪がやさしく降り続けていた。
それはまるで、白い鳥の羽毛のように見えた。

子どもは旅立っていった。
ママに会うために…
いや、男と女としてめぐり会うために……。




Entry19
烏になった少年
小川成夫



 僕らの町に降る雪の量といったら、そりゃ凄い。2階を覆い隠すほどの豪雪は、あの日の僕に、翼を与えてくれた。
いつものように町に雪が降って、いつものように僕らは3人で遊ぶ。恒例の雪合戦、かまくら作り、落とし穴。どれもやりあきると、いつもノンタンが遊びを作り出す。うーん、と唸ったあと、よし、と頷く。
いつも以上に瞳に輝きを放つノンタンにトンカツが察知したのか
「オイラ危ねー事なら、やらないっけに。」
と、先回りして言った。ノンタンは勿論、気にせず続けて言った。
「俺、すげー遊び思いちゃったよ。こんげに雪積もったんなんか、久しぶりだべ?ほいで俺らしか、できん事やろうや。」
嫌がるトンカツ。僕はノンタンに内容を急かした。おっほん、とノンタンは咳き込んで言った。
 
 やはりノンタンの提案は斬新なものだった。いつも以上に高い雪をクッションにして、学校の屋上から飛び降りる。嫌がるトンカツを言いくるめ、僕らは学校に向かった。
いつもの階段を上り、そっと、フェンスから下を見る。20mはあろう高さに、さすがに腰が抜けた。協議の結果、ジャンケンで負けた人だけが飛ぶことになった。半べそのトンカツ、平静を装いつつ内心、冷や汗の僕とノンタン。
 
 歴史に残るジャンケンで負けたのは、僕だった。ちなみに僕は高所恐怖症、まさにその景色は地獄絵図だ。

 ふー、小さく深呼吸して、じりじりと屋上の縁に足を滑らせていく。嫌な汗が背中を流れるのを感じる。下を見ないように目を釣りあがらせ、今度はゆっくりと大きく深呼吸をする。飛び降りた後、雪に埋もれて窒息しないように、下でノンタンとトンカツがシャッぺを持っている。
 鳥が前を横切ったのを合図に僕は空へと飛び出した。グングン加速するスピード、崩れるバランス、迫る死期。地球の引力にひっぱられ、白の地上が近づく。全身の血が逆流して、ズボンっと言う音と共に僕は雪の一部になった。急いで、ノンタンとトンカツがシャッ、シャッと僕を掘り出す。2人の間から漏れてきた光が妙に優しかった。3人とも興奮して何が何だかわからず、声をあげて泣いた。トンカツが言った。
「お前、飛んだ時、太陽と重なって、でっけえ鳥みたいだった、真っ黒の。」
ノンタンも泣きながら言った。
「そうそう、俺もだ、俺もおまんがカラスん見えたよ。」
僕は手の甲で、鼻水と涙をぬぐった。その時はなぜか、あの汚いカラスになれたのが、たまらなく嬉しかった。




Entry20
桜見
椎野ヒロ



「まあ良かったよ、生きてて」
シゲは散々説教たれた後、最後のタバコに火をつけながら言った。
いい時期だ。
誰かと居るのも一人で居るのも、桜が賑やかだからうまくまとまる。
もう2時くらいかな。
花見客も帰った。
俺らにとってはいつも通りの川辺で、人目も気にせず4時間ほど前から
殴り合いに似た討論を続けていた。
さっきのシゲの言葉がどうやら、最後のゴングだったらしい。
今はただ、桜を見ている。
ホント、静かないい夜なんだ。

ココの桜が咲いた盛りは先週の木曜日で、金曜からずっと雨。
でもけっこーまだキレイなもんだ。

風が強い。
それに乗って花びらが舞い上がる。
光線の速さにも思える勢いで、俺の横をすり抜けてゆく。
アスファルトの上も、まるで一陣の布を形作った花びらが滑ってゆく。
それを邪魔するかのように、さっきシゲが持っていたタバコの殻も転がってゆく。
カラカラ、ヒラヒラ。
花びらとタバコの殻の行く手には、まるで今からこの世界を飲み込むような灰色の雲が、
視界の左から右までを態度でかく塞いでいる。
あれが花びらの結晶だったらいいな。
(…ゴミの塊かもしれないけどさ)
俺は持っていた冷めた缶コーヒーを口に運ぶ。
「風が吹いて、桜が散らされて、アスファルトの上を転がったり、
ネオンに照らされて光ったり。車のスピードに煽られたり」
飲むために開いた唇からは、自分でも予想しなかった言葉が飛び出てきた。
シゲは聞いてるのか聞いてないのか、黙ったまま前を見てタバコを吸い続ける。
「地面があって、空があって、息ができてさ、見えててさ」
シゲは一瞬疑るような奇妙な顔で俺を見たけど、またすぐベンチに深く寄りかかりタバコを吹く。
「空気悪くて環境最悪でも、生きててよかったな」
誰が言わせてるんだか、俺の口はこんなことをのたまう。
「…地獄に落ちかけて、悟りでも開けたのか?」
顔色ひとつ変えず、シゲが言う。
「うるせーよ」
俺はまた、うまくもない缶コーヒーを飲む。
俺だってそう思ってたなんて、今の今まで知らなかったよ。
でも、そんなことを考えたくなるような、桜だよな。
どっかで戦争があって、それにいろいろ言う人たちがいて、それにどっちつかずの俺がいて。
どっちかっつーと新しいマンガの発売日が気になったり。
まあそれでもやっぱ漠然と平和を願ってたり。
でも別に何もしないけど。
やりたいことやれりゃーいいんだけど、そうもならないことに気がついて、
それに嫌気が差して自分が嫌で、でも自分がいちばんかわいくて。
でももう、それがいいと思うよ、最近は。

 俺はホント、今のこの時代の桜が見れて良かった。




Entry21
ミラーリング・ハーテッド
野郎海松



「そういう訳だから」
 何がどういう訳なのか分かんないそんな言葉を置き去りにして、アキラは行ってしまった。アキラは元々、C組のケーコとできていたのだ。カンペキあたしをバカにしたやりくち。そうね、好きになっちゃったのはあたしだもんね。あなたには何の落ち度もない。だからケーコのところに帰るなとは言わない。あたしとヤッたのは何だったのなんてそんな泣き言も一切言わない。言いたくもない。でもむかつくのよ!
 あたしはセンセイに気持ちをぶつけた。
 センセイは何も言わずにあたしを抱きしめて、ずっと髪の毛を漉いていてくれた。髪の毛と一緒に、あたしの心も真っすぐになった。思い出した。センセイも結局はアキラと同じ、あたしを選んではくれなかった。どいつもこいつもクール・ガイ。またムカムカしてきた。センセイの足を思いっきり踏んづけて逃げた。でもまだ好きなのよ!
 その翌日、あたしはセンパイに体育館裏の用具倉庫へと呼び出された。
 センパイはずっとあたしのスカートの中に顔を入れてふんふん息を荒くしていた。結局それかよ、と思う。でもどうでもいい。好きなだけふんふんしてればいい。あたしのバラバラになりそうな心が落ち着くまでは、何だって許してあげる。何だって受け入れてあげる。でも鬱陶しいのよ!
 パパだけがあたしの話をちゃんと聞いてくれる。お小遣いだってくれる。あたしをバカにしたりしない。抱きしめていてくれるし、ふんふんしない。奥さんもいない。「そういう訳だから」なんて逃げたりもしない。あたしをかわいいって言ってくれる。何度も何度も言ってくれる。でも臭いのよ!
 残るはメル友。こいつはあたしの話を聞きやしない。自分の話ばっかり。でも聞いていると気が紛れる。一番役に立つ。あたしは不安定なあたしから離れることができる。髪を漉いてはくんないけれど、好いヤツだ。男か女かさえも分かんないけれど、好いヤツだ。しょせんメル友だから、デブでも変態でも構わない。けど何で話、聞かないのよ!
 あたしの周りはそんなヤツばっかり。くだらない世の中なんてそんなヤツばっかり。あたしがもう一人いなきゃとても生きていらんない。あたしのことを分かってくれるあたしがもう一人いなきゃやってらんない。きっと朝ごはんも食べらんない。あたしは何で独りぼっちなの? どうして世界にあと一人くらい、居てくんないの?
 だからあたし、死んでやった。なんてね。ハハ。




Entry22
まるちゃんへ
竹空




朝まで仕事した。

途中眠くなって、係長のイスと僕のイスを向き合わせて、小さなベットを作った。20分くらい眠っただろうか、眠ったといっても意味不明な仕事の夢を見ていただけ。もちろん仕事の能率はあがらない。

夜めしは自販機のサンドイッチだった。おなかがすいてきて冷蔵庫をのぞいた。イチゴ味のチョコを1つ食べてみた。まずくはないがうまくもない。

もうすでに冷房はとまっている。トイレに行く元気もないが、行けば行ったでむわっとした空気がやる気を奪う。

片目で仕事している。ふと外を見ると明るくなってきて、ビルの輪郭がわかる。一番高いビルの屋上で赤い光が点滅している。僕ももうそろそろ限界だ。

こんな仕事に疑問をもつことある。でも1人1人の結果の集まりが、この組織をどうにか動かしている。1人じゃ何も変えられない、そんな諦めにも似た自覚の中で、毎日をやり過ごしている。

やっと終わった。あまり意味があるとは思えないが、多少なりとも達成感はある。そりゃ僕だって無料のタクシーチケットで帰りたいよ。眠って帰りたいよ。でももう始発の電車は動いている。

全力で仕事に取り組むのは当たり前。手を抜いているやつも、全力のやつも、僕も、タクシーで帰るやつも、僕よりがんばってるやつも、みんな給料は同じ。でもさ、謙虚に、不器用にがんばろう。

僕は父親の背中を見て育った。しけの時も沖にでた。1匹も釣れなかった次の日も必ず沖にでた。

次は僕の番なんだ。あんまり頭よくないけどさ、産まれてくるまでにしっかりとした背中つくるんだ。

だからさ、お母さんといっしょにがんばるんだよ。




Entry23
ゴキブリと私
長谷川貴也



僕は、この世で一番大切なのは彼女であった。そして、この日彼女を守るため
壮絶な戦いが起きる事を、僕はまだ気づいていなかった…。
 その日は、7月の蒸し暑い夜だった。
彼女と僕は同居して、2年になり部屋も新築の家を選んだのでそれなりにきれいな生活をしていた。
僕は、彼女のお願いでコンビニに買い物に出かけ、ジュースと弁当の袋を両手に持ち部屋に戻った、
その時だった、玄関を開けると。不意に彼女の悲鳴が聞こえた、僕は心臓の鼓動が早くなるのが
わかった。
「アキどうした!!??」
彼女の声はかえってこなかった。
僕は、心配になりすぐに彼女のもとにダッシュした。
そして、そこには想像も絶する光景を目にした。
彼女はそこに立ち止まり目の前の敵に対して怯えていた、それは僕も同じであった。
敵もまた、僕達をじっと睨み付けていた。それから10分ぐらいしただろうか、彼女がようやく
重い口を開いた。
「お願い、ケイスケどうにかして」と彼女は涙目で僕にお願いをした。
僕は、彼女のためならたとえ嫌いな敵とでも戦う決心がつき、ようやく重い足を動かした。
まず、右手に敵専用のスプレーを持ち、左手には新聞紙を丸め!そして、最終兵器を横に置き、戦う準備を整えた。
しかし、いざ戦うとなるとどうも体が動かなかったが、彼女の涙目に僕の持っている勇気が沸いてきた。
おもいっきり新聞紙で攻撃した。すると敵はその攻撃にすぐ反応し!あっという間に棚の下に隠れてしまった。
僕は、すかさず、スプレーで棚の下に吹きかけた。すると敵も流石に苦しくなったのか。棚から出て、もがきながら
こっちに向かってきた。
この時僕は、最終兵器を手にしていた。そう、このチャンスこそがこの戦いの終戦であった。
僕は、心の中でゴーストバスターズのテーマソングを心の中で流し!
最終兵器を手に持ち!敵に向けてスイッチを押した!すると敵はいっきに、吸い取られて!その場から跡形もなく消えた…。
彼女の方を見ると、涙が消え、笑顔に変わっていた。
そして、この戦いで僕達の愛は一層深まり、抱き合って喜んだ。
っが、その時だった。
棚の下から、さっきのスプレーで他の敵にも火をつけてしまったらしく、大群で僕らに襲いかかってきた。
この日僕は朝まで敵の大群と戦い続けた事は言うまでもない。




Entry24
詩的物語
:如月ワダイ



壊れていく世界、
だったらいっそのこと、
全て消滅すれば良いのに。

なのに破片は消えずに溜まっていく……。
誰もが気づかないフリをしているうちに、
消えない何かは消せないものとなり、
ここまで溜まってしまった。
もう片付けることも治すこともできない。
このままでだと私は、
埋もれて跡形も無く消えてしまうだろう。

あぁ、
それも良いか。
私が消えても誰も悲しまないし。
気づかないだろう。

幼い頃は傲慢だったから、
自分はこの世界に必要なんだって思ってたけど、
冷静に考えればホントばかげてる。
一体誰が必要としていると言うんだろう?
答えはいないに決まっているのに。
そう、だから消えてもかまわない。

―あれ?
何処からか水が降ってきた。
これは……私が流してる?
潔く消えようとしているのに。
何かが心の奥で引っかかってる。

あれは何?
手を伸ばしてみるけど届かない。
この場所からでは遠すぎる。
そう思ったら壊れかけていた世界に、
届きはしないけど、
その何かへと続く道ができた。
進んでみる。
暖かい空気が流れ込む。
何だろうこの気持ち……?
もっと知りたい。
もっと近づきたい。

けれど、
さっきみたいに思うだけでは、
道は現われない。
初回限定特別サービスだったのかな?
どうすればあの何かに近づける?
鳥みたいに羽があれば、
すぐにでも向っていけるのに。
でも私は二本の足で立つ人だから、
鳥にはなれない。

じゃあ、あの場所にもいけない?
いや、
違うはず。
どこかに突破口があるはずだっ!
頭をフル回転させて考えなきゃ……。

―あれ?
私、何を必死になっているんだろう?
もうすぐこの世界から消えるというのに。
あの何かが何なのかも知らないのに。

そんな時足元がふらついて一歩前に足を出す。
落ちちゃうって思ったけど、
前に出した足の下にだけ道ができていた。

そして、心に声が届く。
また水が流れ出す。
「私、消えたくない!」
素直な気持ち、
やっと言葉にできた。

何かに一歩近づけたから?
前を見る。
あの何かは光になりこちらを向いて微笑んでいた。
まだまだ遠い光だけど、
優しく温かい気持ちに包まれていく。

あぁもっと近づきたい。
光の隣りに、並んで歩きたい。
ふらついている足でも動けば道はできる。
弱々しくても、
遠回りしても、
前に足を出せば道はできる。
だから私は消えたくない。

この道はまだまだ未完成だけど、
光の隣りで笑うため、
それだけを心に灯して、
生き続けよう……これからも。

いつか未来にその願いが叶うことを信じて。




Entry25
道化師の鼻歌
町里遊穂



 まだ日が昇るには数時間ほどあるころ、少女は喉の渇きをおぼえてテントから這い出した。少女は暗い足元に気をつけながらテントの間を練り歩いて、どこかに朝露がたまっていないかと探し回っていた。
その時だ。
「……?」
どこかから、軽快なテンポのハミングが聞こえる。晴れの空のように澄んだ美しい歌声に、少女は引き寄せられるように、誰が歌っているのかと歩をそちらへ向ける。
 すると滑稽に手をばたつかせながら、まるで一本橋でも渡っているかのような動作でテントの間を歩く人影を見つけた。身長はすらりと高い。その人は奇妙な動きをしながら、それに似合わぬ美しい声で歌っているのだった。
「誰?」
 こちらに背を向ける人影に声を投げかけた。
 人影はくるりと振り向くと、少女にむかって肩を竦めた。
「名など関係あるものかい。私は私、あなたはあなた。それで充分だというのに、人ばかりが名を欲しがる。それでも君は、その陳腐な問いを続けるのかい?」
 まだ若い男の声は、歌うように言う。
 少女は彼が何をいいたいのか良く分からなかったが、つまりは彼が名乗りたくないようなので、それ以上名前については聞こうとしなかった。
「どこへ行くの?」
「それも愚問だ。私はどこへも行かないよ。いつでも地球[ここ]にいるのだよ。他に行くとすれば、天国か地獄しか思いつかないね」
 彼はおどけた仕草で、手をひらひらさせながら話す。
「しかし私だって、あちらに行くのはそう遠い話ではない。生物は何者であろうと、いつかは地球[ここ]からいなくなる定めなのだから。見たところお嬢さん、あなたもあちらに片足を突っ込んでいるようだがね」
 少女は驚いて自分の足元を見るが、そこには変わらず、冷たい土があるだけだ。
「何もないわ」
「聡明なお嬢さん。あなたも生まれる場所が違ったなら、さぞかし素敵な人生だったでしょうに。しかしそれももう手遅れ、じっくりゆっくり、人生を消化していくことだ」
 男はそう言うと、パチンと片目をつむって、踵をかえしてまた進み出した。
 少女は呆気となっていたが、男の進む方向に何があるのかを思い出し、慌てて声を張り上げる。
「そっちは危ないって大人が――!」
「ここで死ぬのもまた運命。運命に逆らう事ができたなら、またいつかお会いしましょう」
 彼はロープをひょいっと飛び越すと、その平野を飄然と横切り始めた。
 しかし何もおこらない。
 少女は首を傾げ、大人の言っていたのはただの嘘っぱちだったのかしら、と思った。
 そして少女は彼に続き、ロープをこえた。

 カチッ

 彼女が最後にきいたのは、そんな軽い音だった。

                  ◆

 背後で轟音がし、男はちらりと振り返った。
 すると地面に穴があき、煙がブスブスと燻り、空からベチャベチャと赤っぽい液体と生々しい肉の破片が雨のように降ってくる。
 難民キャンプの方で、その轟音に大勢の人が起き出す気配がした。
「やはり運命に抗うのは難しい」
 彼は肩を竦めるとまたフラフラと両手を振り回して歩きはじめた。
 呑気な鼻歌を歌いながら。
 広大に続く、地雷原を歩き続けた。


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