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第29回1000字小説バトル Entry18

晩秋

 ほんの少しの隙間が気になる。
 いや、厳密に言えば隙間ではない。今時期に合わせてホットに対応した自販機とコンクリートの僅かな空間に燦然と存在感を示す新五百円玉が気になるのだ。
 一日千円で過ごす身分の私からすれば、自身の半日という貴重な時間さえあの輝きと等価だ。登場時の経済効果を考慮に入れた場合となれば、私は一生を捧げたところで負けているだろう。
 その新五百円玉が私を見つめている。私の薄っぺらで妙に柔らかくなった黒毛和牛の財布を新居として求めているようだ。
 ――どうやら私の思考の大半は食料の確保という生命活動の根源的欲求で占められているらしい。持ってる財布は水牛。いざとなったら食すことになるかもしれないが、まずは入居者を鄭重かつ早急に勧誘しよう。
 あえて言うがひもじさに負けたわけではない。決して。神と田舎の父母、そしてご先祖の方々や今は見ぬ愛しき誰かに誓ってもいい。言い訳じみているが、もし尋ねられたらそう答えることにしよう。ちなみに私は無神論者で儒教の精神も持っていない上、年齢イコール彼女いない歴の華麗な人生を送っている。
 私はあたりを見回して人がいないことを確認しおもむろに身をかがめて手を伸ばした。 無駄の無い動き。こういう方法でお金を稼ぐその道のプロすら舌を巻くであろう振る舞いが私の身体に染み付いている。
 が、目測を誤っていたようだ。中指の関節ひとつぶんが私と高貴なる硬貨の王を隔てる距離だ。このあたりは玄人の苦労と無縁だったのだから致し方ない。
 しかしこのようなことでめげる私ではない。苦節十九年、短いようで短いがそれなりに濃ゆい体験をいくつかしてきたのだ。
 とりあえず中指を引っ張って関節を鳴らしてリベンジ。確かに二ミリほど距離は縮まったようだが、現状に置いての効果は政府の財政支出と同レベル。そうか、私の財布のデフレスパイラルの原因は政府にあったのか。
 ――少し気を失っていたようだ。思考の停止というのは恐ろしい。私には考える頭脳が備わっているのではないのか、入居者にまずは間取りを見せ、そのまま住んでもらうという技があると伝え聞く。
 財布のファスナーを全開にして既に入居している千円札や小銭たちと出迎えの準備を整える。中指を人差し指に挟んだ彼らの住まいが高貴なる硬貨の王をめがけ、高貴なる王が見事住民に歓迎されたその時、黒毛和牛は私との別れを告げ、奥の暗闇に消えていった。

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