第29回1000字小説バトル Entry3
月の夜、雨がひとしきり強く降った後にやがて小さな流れが集まりみずうみを創った。藍色の水面にはうっすらと水煙がたち霧となって、霧はすうすうと風に吹かれて濃淡を描いた。空中に描かれた濃淡はやがて人の姿のようにも見えて紫の光りに漂うと手招きをしているようにして誘った。ほのかな匂いが霧の中から流れてくるとそれは動物的な甘い香りの刺激で湖畔の別の命に語りかけた。水が命を生み命が水に還っていく流れに支配されていた。いつからか光がこの世界に満ちはじめたころより遙か前からその営みは続いていたのだろうか。
ゆるゆると疲れた体を湖畔に休ませるように男は座ると目を閉じてその匂いに感じ入った。男の中で僅かな欲動がおきると、それを待っていた女がそっと体を男に預けた。男の背筋から滲み入るような寒気が走ったけれど女の優しくふるまう手の動きは男の心の澱みを掬い去るようで、やがて、男の心に暖かいものが広がるのが分かった。女の目の奥に素直な光りが宿り男はそれを見つめる。霧はしんんしと湿り気を深くして二人を包んだ。 重なり合った男と女がやがて刺し刺され男が眠りにつく前に、ひとしきり空気をふるわせるように湖面に女の歓びが響いた。霧が濃くなりみずうみと湖畔の区別が分からなくなってきた頃、密やかに命が宿りみずうみに還っていくように見えた。霧は濃淡の斑をつくってちらりと二人の姿態に目をやったけれどただ押し黙って月の光を見上げた。
やがて小さなさざ波がみずうみに広がると霧は水煙となりみずうみに溶けていった。雨が止み、その代わりに乾いた風がそよそよと吹き始めると小さな芽はみずうみの中央からゆらりと頭を出して周囲を伺った。その芽を中心にしてみずうみはその姿を小さく小さくしていくとやがて湿った砂だけが残り、その真ん中にぽつりと芽が残った。
女は消え、男は溶けてしまい孤独な命がぽつりとこの世界にただ一つ呼吸をしていた。月もやがて厚い雲の向こうに隠れて薄暗い闇が砂地を覆った。残された命はうっすらと笑みを浮かべて再び雨が降るのを待つと次の月夜はいつだろうかとぼんやりとした頭で考えていた。