第29回1000字小説バトル Entry31
「ほら見て、月があんなに大きく、あんなに輝いている」
「本当だな、月があんなに大きかったなんて気付かなかったよ」
旦那と一緒。こんな時間に、こんな処を歩くなんて何年ぶりかしら。
私は旦那の腕につかまり、夜空に輝く月を見た。澄んだ空気が気持ちいい。何年ぶりかの幸せを感じる。娘はやっと私の手から離れ、小さいながら自分の事は出来る様になった。そして、今日は初めて旦那が私を仕事帰りの食事に誘った日だ。
「私、あの月に行ってみたい」
旦那は、私の横顔を見ながら笑った。大声で笑ったが、私の真面目な表情を見て、咳払いをしながら冗談交じりに言った。
「いいよ。連れていってあげるよ。その代わりお前がロケットを作ってくれよ」
「いいわ。ロケット作って上げる。その代わり発射台はあなたが作ってね」
「いいよ。発射台作ってあげるよ。その代わり発射台の土地を買ってくれ」
「いいわ。買ってあげる。その代わりあなたのお小遣い一万円減らさせてね」
「……いいよ。減らして。その代わり毎日おれの好きな晩飯にしてくれ」
「いいわ。好きなもの何でも作るわ。その代わり後片づけは全部あなたがやってね」
「いいよ。その代わりあれは月一にしてくれ」
「いいわ。月一にしてあげる。その代わり私にいい人、紹介してね」
「えっ、う……いいよ。紹介する。その代わりおれの浮気は見逃してくれ」
「はっ?い、いいわ。見逃してあげる。その代わり私の衝動買いも見逃してね」
「い〜よ。衝動買いでも何でもしろ!その代わりおれと別れてくれ!」
「いいわ。別れてあげる。その代わり私と娘、高くつくわよ」
「……」
「別れましょう」
月が笑っている。本当に大きな月だわ。
やっと自由を手につかんだ気がするわ。そうよ私は妻として、母親としてここまでやって来たの。まだ三十五歳、人生なんてこれからだわ。良かった、今日のお月さまが奇麗で。
緩やかな夜風が私の髪をそっと流したかと思うと、辺りに甘酸っぱい香りが広がった。旦那はその香りを大きく吸って、大きな月をじっと見上げている。その旦那の瞳がうっすらと水色に輝いて、ふんわりと涙が浮かんでいる。
下らない冗談はよせ、とは言わないで本物の涙を見せるあなたは、私にとって新しいパートナーになれるのかしら? 月はいつまでも輝いている。今、私の心にも小さな光りが生まれた。それは私にとって、どちらにしろいい事なんだろうな。そう思うと思わず大声で笑ってしまった。