第29回1000字小説バトル Entry32
腹這いになって煙草に火をつけている男の横顔からふと視線を逸らすと、脱ぎ散らかされたままのワイシャツが目についた。萌子は手を伸ばしてそれを手繰り寄せると、じっと見つめた。男は気怠るそうに煙を吐いている。
「ここだけ」
「何」
「ここだけすごく汚いのね」
「え」と、男は萌子の頬に顔を寄せると一緒になってシャツの襟の内側を覗き込んだ。ああうん、落ちないんだ、とそして黒っぽい染みが一直線についているのをそう言うと、また少し萌子から体を離し灰皿に灰を落とす。
「そうなの」
「そうらしい」
らしい、という伝聞の語尾を心のなかで萌子は繰り返し、そうかしらとつい疑問に思った。
きちんと丁寧に揉み洗いすればもう少しマシになるのではないかと萌子には思われた。そうでなければ漂白剤につけるとか。いくらなんでもこれでは汚すぎるのではないかという気がした。あたしだったら。あたしだったらきっともっときれいにできると、そう声にはしないで呟いて、はっとする。馬鹿なことをまた自分は考えている。萌子はワイシャツから手を離した。
「変なの」
「何が?」
「襟だけあんなに汚れるなんて、なぜかしら」
「さあ。分泌物が多いんじゃないか、汗とか」
「そう」
「子供電話相談室、今でもあるのかな」、男は煙草を灰皿に押しつけると、萌子の髪を撫でた。
髪を撫でながらも男の神経がテーブルの上の時計にいっているを萌子は知っている。いつもそうだ。そして間もなく起きあがるのだろう。じゃあまた電話するから。
「ねえ」
「何」
「あたしが襟、きれいにしてあげる」
男が一瞬驚いた顔をするのを見て小さく笑うと、萌子は男の首に唇を近付けた。舌をそっと伸ばす。
首筋に沿って萌子は舌を動かし、僅かなすき間も残さずに舐め尽くそうとした。何の真似だよ。だからきれいにしてあげるの、あなたの襟首。あなたの分泌物、滲んできた汁、ぜんぶあたしが舐めてしまうの。そしたらシャツだってそんなに汚れないでしょう。男は、馬鹿だなくすぐったいよ、と笑った。
枕の上の男の頭を少しずつ動かしながら、萌子は男の首を一心に舐めた。根元から頭に向かって、舌を大きく広げて時おり唇で軽く皮膚を吸い取るようにして男の首を「きれいに」した。
「痕、つけるなよ」
「ええ」
ぐるっと一周し、男の喉仏に唇が触れる。と、不意に首の角度がテーブルの上に向かって曲げられた。
萌子は口を大きく開け、男の頸動脈に歯をそっと立てた。