第29回1000字小説バトル Entry8
犬がついてきた。
犬だ。上が茶色で、下が白い。
犬らしい、まさに犬、という感じの。
何犬かは知らない。
「柴犬よ」
「ああ、ね」
ミカがしゃがんで頭を撫でる。
しっぽをぐるぐる回している。
喜んでいるのだろう。
僕がしゃがんで撫でようとすると、さっと一歩下がった。
笑っていた口を閉じて、僕を見る。
僕も犬を見る。
犬が口を開いて、また笑う。
「どこの犬かしら?」
「さあ…」
辺りに飼い主らしき人影はない。
「首輪はしてる」
「首輪って…。ひも引きずってるじゃないの」
「逃げてきたのかな?」
「なんで?」
犬を見る。
相変わらず笑っている。上機嫌だ。
「行きましょう」
「ほっとくの?」
「なに? 連れて帰るつもり?」
いや、そうじゃないけど。
「犬、嫌いなんでしょ?」
まあね。
犬を置いて、歩き始める。
やっぱりついてきた。
犬の爪がカチャカチャ鳴る。
引きずっているひもの金具もチリチリうるさい。
歩きながら振り返ると、犬は、なに? と上目遣いで見る。
なにってこともないけど。
表通りに出た。
まだ、後ろで金具の音がする。
美容院の大きな窓ガラスにちゃんと映っている。
「ほら」
「ああ、ついてきたわね」
「なんでだろう?」
「犬だからよ」
「犬だから?」
「そうよ」
バス停に着いた。
誰もいない。
ミカが時刻表と腕時計を見比べる。
「ちょっと早かったみたい」
ベンチもないので、二人でぼうっと立って待つ。
犬は横に座っている。
犬を見る。
え? と犬が見上げる。
なんでもない。
バスが来た。
「あれかな?」
「ちがう。27番よ」
バスはゆっくりと寄ってきて、僕らの前で止まった。
乗るつもりのないことを示すために、二人で少し後ろに下がった。
だから結果として、犬が僕らの前に出た。
犬が振り返って、僕らを見た。
動こうとしない。
「乗るのかしら」
「そんな…」
バスのドアが開いた。
犬は、頭を振ってくしゃみをすると、正面に向き直って、後脚でひょいと立ちあがった。
それから、慌てる様子もなくバスの入り口に左足を掛けた。
「ほら、やっぱり」
ミカが言う。
犬は、完全に乗り込む前に、もう一度こちらを見た。
なんだよ?
ひもだと思っていたものはネクタイだった。
たぶん、犬は、そのつもりだ。
「ねえ。言ったとおり」
ミカが、しつこい。
「お金どうするんだろう?」
「馬鹿ね、柴犬からお金なんか取れないでしょ」
「じゃあ、ただ?」
「赤ちゃんと一緒よ」
「ああ、そうか…」
いや。そういう問題じゃない。
犬はバスに乗って行ってしまった。