第30回1000字小説バトル Entry18
三月十五日。僕たち2人は川縁の桟橋に腰掛け、桜を待つ青空を鏡のように鮮やかに映し出す水面に、釣り糸を垂れた。
よく、釣りをする人間のことを太公望とか言うが、それは司馬遷が記した中国史書の一節を間違って引用した表現だ。一説によると、太公がその時、持って川に挑んでいった物は竿と糸だけで、針をつけていなかったという。魚を釣るからには、魚の痛みを知れと言う、有り難い教えなのだ。僕に言わせれば、釣りをスポーツとして楽しむ奴なんかエセ太公だ。
今日も救助の人間達は来ない。
隣で同じく竿を下ろしている高橋は、真っ白い服を着ていた。真っ白いショートパンツにショートスリーブ。清潔さにはさしてこだわらなかったが、生活習慣の割と整った奴で、僕たち修学旅行のメンバーがこの島にたどり着いてからも、洗濯や物資の整理だけは毎日欠かさなかった。
その為、少し黒ずんだり解れたりしている部分をひっくるめても、結構白く見えた。
高橋はまるで近所の釣堀に自転車でやってきたかのような、余裕ぶった笑顔をして釣りをしていた。
「何でそんなに笑っていられるんだよ。お前以外は、みんな必死なんだぞ。」
魚釣りとは、そこに人間達の生と魚の死を賭けた、水辺の狩りなのだ。今回、この漂流を通じて得た認識であった。
「釣れないねぇ。」
と、微笑んだ高橋は、和歌を嗜んでいた。どんな時にも落ち着き払い、この遭難という事態に陥ってもなお、島の自然から風流を学び取ろうとするその徹底した姿勢には、驚きあきれるばかりであった。
こいつには悩みなんて物は、多分無いんだろう。僕は、相手に専ら真剣になることを求めるのを諦めて、言った。
釣り糸の浸けたる先は未だ冬引いて弥生の花よ煌めけ
(川面に漬けている釣り糸の先(餌の周り)は、未だに冬を引きずっている様なさびしい風景だ。弥生の桜よ、(三月の魚達よ、糸の先を引っ張って)水面で煌めきなさい。)
と。何か釣れるよう、願をかけるつもりで詠んだのだが、なぜか高橋が笑った。
「何。」
高橋は、歌で答えた。
桜待ち川面に映る君とわれ悴む吾子を君ぞ包める
(桜が咲くのを待ち、川面に映っている貴方と私。悴んでいる私の子ども(私の快活な心)を包み込んでくれているのは、他でもない、貴方自身なのよ。)
と。高橋は、ぴったり寄り添って僕の右肩にもたれ掛かった。…どうしよう。豊橋(クラスの男子)には、なんて詠もう。