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第31回1000字小説バトル Entry12

キスミ−ハニ−

 彼等は国を捨てた犯罪者の男と女だ。唸る程ある金に物言わせての逃亡生活に必要なのは、愛情より互いの領域を侵犯しない知性。そう知っている大学時代からの友人の彼等は、それなりに上手くいった関係で、今日も酒なぞ呑んで居る。

「辞世の句とか、考えてあるの?」
「はあ?」
「死ぬ時言う言葉よ。ないの。仕方ないわね私が考えてあげる」
「ちょっと待て」
「谷崎は、犯罪者らしく三十六歳の夏場にシンガポールで銃痕が元で死ぬと見せ掛けといて、実は八十五歳のいい加減ジジイになってから大往生だわね」
「具体的な数字を出されると俺もいい気はしないんだが」
「で、あれよ。死ぬ間際に『キスミ−ハニ−』とか言う訳よ」
「ストレートにボケ老人じゃねえか」
「くうー!!格好いいわねえ!私がしたいけど、あんたに譲るわ!」
「…」
「あ」
「なんだ」
「偶々傍に居たら、私、それ言われるの?」
「……五十年あるぞ」
「ま、偶々よ」
「偶々か」
「偶々」

 それから男と女とは数年一緒に暮らした。理由は考えずただ様々な所を点々とした。女は変わらず良く喋り男は良い酒を行く先々で呑んだ。そして、二人の予想を裏切って先に死んだのは女の方だった。
 いい加減色々な男と遊び歩いていたから痴情のもつれというやつに巻込まれたらしい。男は偽名が刻まれている女の墓に三度だけ足を運んだがそれきり行かなかった。ただ、酒を呑む量が少しばかり増えた。
 男は三度結婚し同じ数離婚した。只寂しいだけで女を求め、相手が金目当てだと言う事にも頓着しなかった、これが当然の結果だ。そんな人生を送ったにしては男は八十近く迄長生きし、ベッドの中で「いい加減ジジイ」になっていた。

 立派な病院で裕福なアジア人が息を引き取った。けれど、英語にも堪能だった筈の彼の最後の言葉は何処か観光に来る日本人に独特の母音ばかりを強調した響きで、看護婦にも良く聞き取れなかったらしい。

「kiss me honey」
 赤いシルクのドレスに大粒ルビーのイヤリングをした洒落女は病院に行く事を拒否した。あんなパジャマを着て死ぬのは絶対にごめんだというのだ。腹にナイフを刺したまま、朝のアパートに帰ってきた女は、薄く笑いながら頗る格好良く何度も呟いた。
「kiss me honey」

「『イスミナニー』って聞こえたわ」
「日本語かしら?」
 老人の言葉の先に誰がいたのかを、もう誰も知らない。

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