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第31回1000字小説バトル Entry31

チーズができるまで

 昇り始めた太陽が急激に沙漠を熱し始めた。
「ふぅ……」
 ラクダに乗った男は、浅くためいきをついた。
 地平線までほとんど草も木も見えない。ただ、岩や砂ばかりが続く。
 布で覆われた男の顔には、雫になる前に乾いた汗が塩の結晶となって、付着していた。
「もう夜が明けたのか。町まで、後半日だってのに」
 水筒に目を向ける。
(残りが一つ……半、あるかな)
 羊の胃袋を乾燥させたそれには、山羊の乳が入っている。男の生命線と言える大切な水分だった。
 彼はラクダの足元を見下ろす。
 太陽が昇っていくに従って、自分たちの影はどんどん短く、濃くなっていく。これ以上歩いても、ほとんど進めずに体力が消耗していくだけに違いない。
「……仕方ない、ここで昼を切り抜けるか」
 男はラクダから降り、そこにテントを張った。

 テントの中で、男は横になる。
 疲れと日陰の涼しさが眠気を誘う筈だったが、頭の中は目と鼻の先にある町の事を考えてばかりで、全く寝つけない。
(ええい!)
 ぎゅっと目を閉じる。
 寝返りを一つ。
 二つ。
 三つ。
 いくつも寝返りを繰り返した後、彼は目を開けた。テントの端をたくし上げ、太陽の高さを確認する。
「思ったよりは時間が経ったな。そろそろいいか……」
 男は出来る限りゆっくりと、傍らに置いた水筒に手を伸ばした。
 まだ充分に重みのある水筒の中で、水音がする。
 これと、もう一本手つかずの水筒がある。行程がもう一日伸びてもどうにかなりそうな余裕はあった。
 ごくっ。
 反射的に起こった唾液を飲み込む動作が、乾燥した喉にひりひりとした痛みを感じさせる。
 男は慎重に水筒の蓋を外し、口を付けた。
 湯の様な温度の乳も、乾ききった口には冷たい湧き水に等しい。
「!?」
 水筒に口を付けたまま、男は目を見開く。
 乳の濃厚な味を期待した舌は、見事に裏切られた。
 乳はまるで水のように、味もそっけもなかった。いや、水筒から流れ出したのは、正しくただの真水だった。
 口に含んだ水をゆっくりと飲み込んだ後、彼は水筒を覗き込む。
 暗くて分かり難かったが、水筒の底には何か、白い塊が溜まっていた。
「……またか」
 彼は溜息をついた。
「まあ、水は飲めたから良しとするか」
 それから男は、日暮れを待った後、テントをたたむと再び旅路を進んで行った。
 投げ捨てた水筒を振り返りもせず。

 ――それは、世界で最初のチーズが発明される、二〇〇年前の出来事であった。

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